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第1話(2019/3/1修正)

 C.BF0049年。

 肌寒さが感じられる四月の朝。雲一つない青空の下にある住宅街の道を、真新しいランドセルを背負った子供達が、楽しそうな声を出しながら歩いていた。

 その光景を、道の角に建っている家の二階にある部屋の、閉められているカーテン隙間から、一五歳の少年――柳原澄人(やなぎはら すみひと)は、不快そうな目で見ていた。

「…………」

 汚れが染み付いた、ヨレヨレの灰色スウェット。

 目が隠れるくらいまで長い、フケだらけの髪の毛。

 目の下にはクマが目立ち、頬もこけてしまっている。

「朝から、さ、騒ぎやがって……よよ、ようやく眠れたと、お、思ったのに……全然、ね、眠れなかったじゃないか!」

 澄人はベッドに置いてあった、ボロボロの枕を壁に投げつけ、床に散乱しているゴミを蹴り飛ばす。しかし、仮に子供の声がなかったとしても、澄人の睡眠時間はさほど変わらなかっただろう。

 一年程前から、澄人は不眠症に悩まされているのだが、自ら病院へ行くことはしなかった。幼い頃からいじめを受け続けていたせいで、人間不信になっていたからだ。

 普通、子供がそんな状態であれば、親が病院へ連れて行きそうなものだが、澄人の両親はそうしようとはしなかった。

 澄人の両親は二人とも同じ職場で働いているのだが、彼が小さい頃にはすでに、家に帰ってくることが少ない状況になっていた。そして澄人が小学校を卒業する頃には、寝泊まりすら職場でするようになってしまい、今ではほとんど家に返ってくることはない。

 澄人の両親は仕事に夢中だった。 加えて澄人は、両親の期待通りに生まれてくることができなかった子供だった。

 澄人の両親は我が子を邪魔に思うようになり、いじめ問題で学校に呼び出された時は、仕事を中断させられたことに対する怒りを、被害者である息子にぶつけていた。

 そんな仕打ちを受けていた澄人は、中学を卒業する頃には完全に不登校となってしまったが、両親はそれを好都合と思った。

 そうだ。澄人が学校へ行かなければ、自分達が呼び出されることはない。

 両親は、澄人を特別な――様々な事情で学校に行くことができない子供達を対象にしている――通信制の高校に入学させた。

 その結果、澄人は外へ出なくなった。

 両親からネットバンクに振り込まれる最低限の生活費を使い、通販で食品や飲料を通販で購入してばかり。しかも通販で購入する食べ物は、手軽に食べられるものがほとんど。栄養の偏りが起き、彼の体調は日に日に悪化していき、今のような痩せ細った体になってしまった。

「ま、毎朝毎朝……なんで、し、静かにできないんだ! ……ったく」

 澄人は子供達の声に対して悪態をつき、体をフラつかせながら部屋を出た。

 二階の廊下には、いくつものゴミ袋が置かれいるが、澄人はそれに構うことなく廊下を進み、二階にあるトイレのドアを開ける。しかし、そこにも大量のゴミ袋が詰め込まれていた。

「あ……」

 それらのゴミは、彼自身が昨日の夜、トイレに押し込めたものだった。

「……ちっ」

 バタンッ! と、澄人は乱暴にドアを閉めると、一階にあるトイレを使うため、階段を降りていった。

 二階に比べれば一階はまだマシな状態にあるが、きれいというわけではなく、いくつかのゴミ袋や空のダンボール、中に入っていた梱包材が多く散乱している。

 トイレで用を足した澄人は段ボールを見ると、

「か……買わないと。そろそろ、な、なくなっちゃう……」

 手すりに掴まりながら階段を上っていき、部屋に戻ってイスに座ると、散らかっている机の上に置いてあるオレンジ色の小箱を手に取って開けた。

 中に入っているのは、十センチ程の棒状になっている、固形栄養食品が四本。そのうちの一本を澄人は食べ始めた。食べカスがボロボロと膝上と床に落ちるが、彼はそれに構わず、残りの三本も次々に食べていく。と……四本目の固形栄養食品が、箱から手から落ちてしまった。

「何で落ちるんだよ……」

 澄人はイスに座ったまま、それを拾おうと手を伸ばすが、やせ細った――健康的とは言い難い震えた指は、何度も拾うことに失敗する。

「……くそっ!」

 遂には落ちた一本を足で蹴り、空になった箱も壁に向かって投げつけると、机の隅に置いてあったモバイル端末を手に取ってそれを操作し、ブラウザを起動。いつも利用している通販サイトを開くと、購入履歴から今食べていた物と同じ固形栄養食品を選び、澄人は注文確定ボタンを押した。

「ひ、昼には……届くな」

 かつて、人出不足が|懸念《けねん》されていた流通業。それも今は、ヒューマノイドが普及したことで解消され、通販で注文したものが、数時間で配達されるようになっていた。だから澄人はいつも、最後の一箱がなくなってから注文していた。

「そうだ……か、課題、やらないと。また……と、父さんと、か、母さんに、怒られる……」

 澄人は操作していたモバイル端末を机に置くと、引き出しの中から、レザーケースが装着されているA4サイズのタブレット端末を出し、ペンホルダーから右手でタッチペンを引き抜いて、電源を入れた。

「現国の、か、課題……」

 画面のアイコンをペンでタッチし、現国の問題集を映すと、澄人は解答欄を埋めていく。けれど、その答えは間違いだらけ。

 無理もないことだった。いじめられ続け、親からも見放され、孤独に蝕まれている彼には、まともに勉強をするような精神的余裕が、あるはずもない。親に怒られないために、課題をやったという事実を作る。それが、今の彼にできる精一杯のことだった。

 そうして彼が問題集をやっていると、玄関のドアが解錠され、開く音が鳴った。

「――っ」

 体を強張らせる澄人。

 インターホンを鳴らさず、鍵を開けてこの家に入ってくる人物は限られている。澄人の父親と母親だ。

「ど……どうして、こんな時間に……?」

 澄人はタブレットの画面の右上に、小さく表示されている時計を見た。まだ九時にもなっていない。

 職場で寝泊まりするようになったとはいえ、両親が家に帰ってくることは時々ある。しかし、それは主に夜遅く。こんな時間に帰ってくることは、ほとんどない。

「き、きっと……着替えをとりに、きただけだ……そうだ……きっと、そうだ」

 両親の着替えは一階にある。だから二階にあがってくることはない。彼はそう思ったのだろうが、その考えはすぐに裏切られる。階段をあがってくる、二人分の足音によって。

「あ……あ……」

 澄人の顔が、恐怖に染まった。

 二階には両親の寝室と仕事部屋、澄人の部屋の三部屋がある。

 両親の寝室にはベッドや書物などがあるが、それらはもうホコリだらけ。

 仕事部屋も、澄人が幼かったころは使われていたが、今ではすっかり物置と化している。

 二階にあがってくるということは、間違いなく澄人に用があるということなのだ。

「ま、また……おお、怒られ、るんだ……」

 澄人の部屋のドアには鍵がつけられているが、彼はその場から動かなかった。過去に一度、両親が家に帰ってきた時に鍵をかけたことが原因で、両親から激しく叱られたことがあるからだ。

 そもそも両親は、澄人の部屋の鍵を持っている。鍵をかけるだけ無駄なのだ。

「澄人、入るわよ」

 澄人が震えながら、ドアを凝視していると、女性の声と共にドアが開けられた。

 現れたのは、レディースーツを着ている、やり手のキャリアウーマンといった感じの女性。

 二〇代後半にも見えるくらい若々しい外見だが、彼女こそ、澄人の母親である柳原綾音(やなぎはら あやね)だ。

「ひっ……ぃ……」

 母親のつり上がっている目を見た澄人は、蛇に睨まれた蛙のごとく固まり、冷や汗を出す。
 しかし、綾音の口から出たのは怒鳴り声ではなかった。

「久しぶりね」

 一見すると睨んでいるようにも見える表情だが、その言葉からは落ち着きが感じられる。

 けれど、そのことに澄人は気づいていないのだろう。体は震えたままで、今にも涙を流しそうになっている。

 そんな澄人を見た綾音は、肩でため息をしてから話を続けた。

「……今日は叱りにきたわけじゃないの。この子を紹介したら、すぐに会社へ戻るわ」
「しょ、紹……介……?」
「入ってきなさい」

 綾音が腕組みをして、廊下に向かってそう言うと、メイド服を着た身長一五〇センチ程の少女が姿を現した。

「失礼致します」

 丁寧にお辞儀をして、澄人の部屋に入ってきたその少女は、腰まである長髪。そして左側頭部には、黄色いリボンで結わえられたサイドテールという髪型をしている。

「だ……誰?」

 見知らぬ少女に、体の震えが増す澄人。

 しかし少女の方は、不快な気持ちにはなっていない。

――ようやく再会()えた。

 幼さが感じられる顔の頬を赤く染め、微笑みながら彼を見ていた。

「この子は、うちの会社で作った次世代ヒューマノイドの試作機なの」
「ヒューマノイドノイド……?」

 首を傾げる澄人。

 現在普及しているヒューマノイドのほとんどは、ロボット的な外見をしているが、綾音がつれてきたヒューマノイドの少女は、人間とほとんど変わりないように見える。

 しかしヒューマノイドの少女には、人間ではない外見的証拠があった。

 髪の毛で隠れがちになっている両耳部分には、人間のような耳ではなく、聴覚センサーとメモリスロット、それにメンテナンス用ケーブルを差し込む接続端子などがある、金属製のユニットパーツ。

 首部分には、充電用ケーブルを差し込む端子がある、同じく金属製の白い首輪。

 目に関しても、角膜(かくまく)――虹彩(こうさい)――瞳孔(どうこう)の部分が人間のそれとは異なり、カメラレンズのようなリング状のパーツで構成されている。

 綾音はヒューマノイドの少女を横目で見ながら、澄人に言う。

「今日からこの子が、あなたの世話をしてくれるわ」
「え、えぇっ……」
「用はそれだけよ」

 澄人が嫌がっているのは明らかだったが、綾音はそれを無視して背を向けると、隣に立っているヒューマノイドの少女に、小声で話しかけた。

「……澄人のこと、お願いね」
「はい」

 綾音は最後に一度だけ澄人の顔を見ると、その場から逃げるように、足早に階段を下りて家を出ていってしまった。

「…………」

 綾音が出ていき、二人きりになった、澄人とヒューマノイドの少女。

 母親がいなくなったことで、体の震えは少し収まった澄人だが、ヒューマノイドの少女と目を合わせようとはしない。

 そんな彼にヒューマノイドの少女は近づいていくと、「こんにちは」と挨拶をした。

 それに驚いたのか、澄人は「ぎっ――」という、変な声を出した。

「あっ、すみません。驚かせてしまいましたか?」
「ひ、ひっ……ぃ……」

 澄人はイスから立つと、ヒューマノイドの少女から離れ、部屋の壁を背にした。

 当然の反応だった。澄人にとって、目の前にいるヒューマノイドの少女は、いきなり現れた――まったく知らない存在だ。

「あの……澄人さん。わたしは――」

 ヒューマノイドの少女は、自分が何者なのかを名乗ろうとした。が――

「で……で、出て、いけ」
「え……?」
「へ、部屋から……出て行け! は、早く出て行け!!」

 澄人は叫び、床に散乱しているゴミを、手当たり次第にヒューマノイドの少女へと投げつけ始めた。

「す、澄人さん、聞いてください――!」
「う、うるさい! ぼぼ、僕は一人がいいんだ! ひ、一人にしろ! 二度と、へ、部屋にくるな! 出て行け! 出て行け! 出て行けーーーー!!」

 ヒューマノイドの少女は、投げられるゴミに押されるような形で、思わず後ろへと下がり……その身が廊下へと出た瞬間、部屋のドアが閉められ、鍵がかけられてしまった。

「澄人さん、ドアを開けてください! わたしは、あなたの――!」

 彼女が言い切る前に、バサッ――! という音がドア越しに聞こえてくる。

 布団を頭からかぶって耳をふさいでしまったようで、何度呼びかけても――ヒューマノイドの少女が自分の名前を言っても、ドアの鍵が開くことはなかった。

「澄人さん……」

 ヒューマノイドの少女は、右手でドアに触れる。

 鍵がかけられた、冷たいドア。それはまるで、澄人の心の状態を表しているかのようだった。

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