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やっぱり許せなくて

 それから、私と司は一頻り泣いてから、行動に移していた。
 というか司が動いてくれた。
 目元を真っ赤に腫らしながらも、こう言ってくれたんだ。

「お母さんを、ちゃんと送ろう。それが僕らに出来る、恩返しだよ」

 そして、司は私を抱きしめてくれた。

「お葬式の手配も、僕がやるから、任せて」

 幸いかどうか、ママの親族の連絡先はほとんどない。およそ数件で済む。
 だから、葬儀もすごく小さいもので済むだろう。
 司のことだから、そういう所もちゃんとわかってくれてると思う。

「……分かった。ごめんね、お願い」
「うん」
「でも、パパへの連絡は、私がするね。これは、けじめみたいなものだから」
「分かった」

 そう言ってから、私はそっと司から離れて、眠ったママを一度見てから、病室を後にした。
 夜中だけあって、薄暗い廊下。静かで、足音がやけに耳につく。

 あの時と同じ公衆電話の前に立って、私は受話器を取った。
 どうしてか覚えている番号を、指が勝手に押していく。

「……――繋がって欲しいのか、欲しくないのか」

 私は、どっちなんだろう。声は聴きたくないと思うんだけど。
 逡巡していると、呼び出し音が始まった。

 どき、と、心臓が高鳴る。

 手汗が染み込むんじゃないかってくらい受話器を握りしめていると、留守電に切り替わった。どうしてかほっとして、私は胸を撫でおろした。

「――もしもし。私。サキ。あなたの娘のサキ。つい今しがた、お母さんが亡くなりました。病院の場所とか覚えてないだろうから……」

 私は音読みのように機械的に淡々と話して、受話器を置いた。

「……そっか」

 留守電に、切り替わるんだ。パパの電話。
 切り替わる、んだ。

「う、ううう、う、あ、ああああっ」

 じゃあ、じゃあ、どうして……

「わあああああああああああああああああんっ!」

 あの時、留守電にもならなかったの?
 私は、ただ泣き叫ぶしか出来なかった。

 ◇◇◇◇◇

 ――ピー。

『家は前と変わってないから。住所も伝えておきます……』

 スピーカーモードにしたスマホから流れた音声。
 随分と大人になって、随分と固くなって、よそよそしい。それでも、サキとすぐに分かる。

「……そんな」
「すぐにいってやりな!」

 偶然、というか、また家にやってきていた大家さんが、血相変えた表情で言った。
 そ、そうだ。いかなきゃ。
 本能的に突き動かされそうになって、僕はぴたり、と動きを止めた。

 今更。どんなツラして。

 何かが全身を縛りつけて、僕は迷う。

「でも、でも、僕は……そんな」
「あんたねぇ」

 大家さんは本当に電光石火だった。
 ぐい、と、僕の胸倉を両手で掴み上げる。

「アホか。筋金いりのアホか」
「え、ちょっ……」
「いつまで自分に寄ってんの、あんたは」

 苛烈な目線で睨まれて、僕は怯む。

「いい? あんたはね、自分の夢のために家族を捨てたサイテーな親ってヤツに酔ってるの。そうやって卑屈になって追い込んで、そんな自分カワイイってなってんの」

 何故か、その言葉が突き刺さった。

「そんな下らない感傷もプライドも、捨てちまいな!」
「……っ!」
「あんたの、本当のあんたの思いはどうだってんだい!」

 厳しい言葉がぶつけられて、僕は顔を歪めた。

「……行きたい。会いたい。だって、留守電で、分かるから」

 とつとつと、僕は語り出す。
 そう。分かる。
 僕は、サキの父親だ。

「どんだけ取り繕ってても、辛いって、分かる」
「じゃあとっとと行っといで!! それが親ってもんだよ!」

 叩かれるように突き飛ばされ、僕は覚悟を決めた。

「ありがとう。行ってきます」

 僕は、強く頷いた。

 ◇◇◇◇◇

 静かなお通夜を終えて、静かな葬儀。
 親族もほとんどいないので、本当に私と司だけで見送る感じになった。厳かに、静かに。

 つつがなく進行出来ているのは、ママの手配が完璧だったからだ。

 いつから覚悟していたんだろうか。
 きっちりと葬儀屋さんの保険に加入していて、葬儀用の費用は既に払われてもいて、司がものすごく楽だったと言っていた。
 ママは、そういうところもちゃんとママだ。

 喪服に着替えて、私と司はたった二人でお通夜を終えて、葬儀の日を迎えた。
 しめやかに送る。たったそれだけ。

「――サキ!」

 なのに、私の心を乱す声がやってきた。
 本葬の、火葬場へ送り出す最後の前。本当に静かな中、棺へお花を入れようとしていたタイミングで、パパはやってきた。

 息を乱して、せっかくの喪服も乱れて、私の記憶より、結構老けちゃったパパ。

 そして、私のことを捨てた、パパ。
 都合の良いことばかり口にして、あの時、電話に出なかったパパ。

「今更、何しに来たのよ」

 自分でも驚くほど、刺々しい声が出た。

「……サキ」
「ママは……ママは……もう、もうっ」

 ……──いないのに。
 どうしてあの時、留守電に切り替わらなかったの? どうして居留守なんて使ったの?

 けど、そんな言葉は、声になる前に砕け散る。

 漏れ出たのは嗚咽。ただ、私は泣くしか出来なかった。
 ぼろぼろと涙が落ちていく。

「――サキ、すまん!」

 がしっと、パパは私を抱きしめた。
 ちょっと痛いくらいに。

「すまん、僕は、本当に……! 本当に最悪だった。俺は、俺は」
「……ばかっ」

 悔しかった。
 どうしてか、パパの気持ちが分かったから。
 すっかり薄くなっていた、パパとの楽しい記憶。あの時と同じパパだった。

 だから、分かってしまった。

 パパが本気で後悔していて、本気で謝ってきてるのが分かってしまった。
 でも、許せない。許したくない。
 私の心が抵抗をしているのは、きっと。

 私を置いていったママ。
 私を捨てていったパパ。

 どちらが許せないんだろうと思うと、やっぱりママの方が少しだけ許せなくて。

「……ママが、ママがね」

 私は精一杯、声を振り絞る。

「最後に、ごめんって言ってたの。だから、きっと、そういうことだと思うから、今、パパが抱きしめているのは、私じゃなくて、ママだと思ってください」

 そう言うと、パパは声をあげて泣いて、私も声をあげて泣いた。
 私、私は――。

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