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僕は生まれて初めて君の為に泣く

 ──産声。
 それは全ての人が等しく“精霊”に生まれたことを認められる証らしい。

 だけど僕は、生まれてから一度も泣いたことがないという。
 両親からお尻を叩かれても、つねられても、僕は泣かずにじっと両親の目を見つめていた。
 そんな一風変わった赤子だったんだとさ。

 そして、それが原因かどうかわからないが、僕にはみんなが持っている魔力というものが存在しない。
 普通、人は5歳を迎える頃に魔力というものが自然と体から溢れ出して身を包み、しっかりとコントロールすることで、体を丈夫にしてくれる。

 魔力の量に個人差はあるんだけど、僕みたいに全く存在しないということはありえなかった。
 先天的な病気とか、遺伝を疑ったらしいけど、父も母も、祖父母も、それ以上を遡っても、みんながしっかり魔法を使えた。

 このあたりの小さな街を巡回する神父様が、僕のそんな小さい頃のエピソードを聞いて、
 “精霊に認められていない可能性がある”
 と、言っていた。

 だけど、鳴き声をあげない赤子は、精霊に認められずにすぐに命を落としてしまうらしいので、僕みたいに生きているケースは全くなく、
 “どうするべきかわかりません”
 と告げて、とりあえず祈りだけ済ませて帰って行った。

 神父様が帰った後、母さんは僕を抱きしめながら泣いていた。
 父さんもどうしたらいいかわからず握りこぶしを作っていた。

 そんな中……僕は一人だけ泣かずにずっと立っていた。
 悲しい気持ちはあったけど、涙は出なかった。
 僕は人としておかしいのかな、なんて思ったけど、それでも涙は出なかった。



◇◇◇



 ──それから10年がたった。

 僕は魔力がないという欠陥を背負っていても、いたって普通に過ごしていた。
 もう使われてない、人気のない修練場の原っぱに座って休んでいると、僕を呼ぶ声がする。

「クレイ君! 隣に座っても良い?」

「ん」

 振り向くと、杖を持ったフィーナがいた。
 彼女は、僕が5歳の頃、隣の家に引っ越して着たいわゆる幼馴染というやつだ。
 杖を持っていることをみると、魔法科の補習でもあったのかな、なんて察する。

 魔法科は、学校の授業の中でも主に魔法に関して深く学ぶクラス。
 その中でも彼女は成績優秀な優等生で、特待生として都会の大きな魔法学校に進学することがほぼ決まっているような、そんなすごい女の子だ。

「また勝手に抜け出して、ここで一人で練習してるの?」

「うん、少しでも身体を強くしたいし」

「頑張り屋さんだね!」

「フィーナほどじゃないよ」

 微笑むフィーナに、僕はそう返しておく。
 特待生として進学が決まっているのに、毎日魔法科の補習を受けるフィーナに比べたら、僕の一人稽古なんて霞んでしまう。

 魔力を持たない僕は、必然的にみんなよりも体が弱い。
 病気がちで、体力的な面で同級生についていけない。

 だから、父はそんな僕が少しでも丈夫に育つように、小さい頃から街の剣術道場に入れてくれた。
 僕のハンデを聞いて、大きなところは門前払いされたけど、父が頼み込んでくれたおかげで、小さな道場には理解してもらい、僕は剣を学ぶことになった。

 最初は、父が頭を下げてくれた場所だし、みんなに追いつくために頑張って稽古したけど。
 魔力が無いハンデは身体を鍛えるだけではどうにもならない。
 もちろんからかわれたり、いじめられたりもした。
 人と違う現状に、諦めたくなることだってたくさんあったけど、今の僕は剣術を鍛錬してきてよかったと思ってる。

 そう思う理由は、ハンデを追っていても愛情いっぱい育ててくれた両親がいたり、普通の人として剣術を教えてくれた先生がいたり、色々あるんだけど。
 その中でも、彼女が幼馴染でいてくれたことが一番の理由だった。

「なあに? クレイ君って、泣かない以前にあんまり喋らないよね! あはは!」

 顔を眺めていると、フィーナは少し恥ずかしそうに笑っていた。
 彼女は、いつも僕の側にいて微笑んでくれる、守ってくれる。
 小さい頃、からかわれた時やいじめられた時も、彼女は身を呈して僕をかばう側でいてくれた。
 情けない話だけど、そんな彼女に答えるために、僕も強くなりたいと思った。

 いつになるかはわからないけど、彼女を守ってあげるくらい強くなりたい。
 だから、彼女と同じくらい僕だって頑張ろうと思えたんだ。

「そうだ、検診はもう終わったの?」

「うん」

 時折、神父様がお医者さんを連れて僕の経過を見にきてくれる。
 魔力が存在しない以外は特に変わらない。
 むしろ、

「昔に比べてかなりに健康で丈夫だって」

 もし魔力があれば、騎士志望のクラスで上に上がれるくらいの実力ではあるらしい。
 でも、個人的に魔法の基礎知識を学んだのだけど。
 人が無意識のうちに身体から出てその身を包む魔力の恩恵は大きく。
 ここまで頑張った僕でも、10歳の魔力を持って剣を学ぶ門下生に負けてしまう。

 魔力は無意識下で人の生命力を高める効果を持っているんだ。
 魔力が存在しない僕は、怪我をしてもすぐには治らないし、治療院の治療魔法も使ってもらえない。

「でもそれって……クレイ君が今から魔力に目覚めたらすごいってことだよね?」

「だったらいいけどね」

 彼女はよく魔力があったら僕が一番だというけど。
 魔力を帯び始めるのがだいたい5歳ごろかららしく、それ以降で魔力を持っていなかった人は各地を回る神父様でも見たことがないと昔言っていた。
 逆に、生まれた時からすでに大きな魔力を持っているってことはごく稀にありえるそうだ。
 精霊に愛されている証だって言われている。
 そう、フィーナのことだ。

 なんだか釣り合いが取れなくて、幼馴染として申し訳ない気持ちになる。
 そんなことを思いながら、ぼーっと空を見上げていると、フィーナがポツリと呟いた。

「精霊様は……クレイ君に気づいてないだけで、きっと気づくよ」

「ん?」

「私ね、生まれた時のこと、朧げだけど少し覚えてるんだ。その時、なんとなく精霊の声が聞こえて、それでね、いつも見守ってるって言ってたの!」

 そうなんだ。
 僕は生まれた時のことなんて覚えていない。
 思い出そうとすると、生まれたばかりで泣かなかった自分を、なんとなく遠くからぼーっと見ているような光景が頭に浮かぶ。
 精霊が気付いてくれる気付いてない、愛されている愛されてない。
 それを才能を持つフィーナから聞くと、それが本当のことのように思えてきて。

「僕は、なにも」

 逆に卑屈になる僕がいた。
 彼女の前では見せないようにしてるけど、ふとした時にやっぱり出てくる。
 悪い癖だ。

「いやいやいや! そ、そういうことじゃなくて! いつも見守ってるって言ってたから! だから私の側にいればきっとクレイ君の存在に気づいてくれるって思ったの!」

 僕の表情を見て、フィーナは急に焦り出す。

「あのあのあの! だからね? えっとね? ずっと側にいればいいって、その……」

「それって……」

 僕は今、プロポーズされたのかな?
 少しだけ顔が熱くなった気がした。
 でもそれ以上に、フィーナの顔が真っ赤に染まっていた。

「いや! ちがうの! ……あれ? 違わないけど、えっと違うっていうか違わないっていうかそういう意味じゃないっていうかその……うう……」

 ひとしきり一人で騒いだ後、フィーナは「うう」と目に涙をためて膝を抱えてしまった。

「大丈夫だよ」

 僕はフィーナの頭を優しく撫でてあげた。

「ふぇ」

 僕と違って彼女は涙もろい。
 からかわれた時も、いじめられた時も、落ち込んだ時も。
 彼女は目に涙を溜めながら僕を守ったし、励ましてくれた。

 それが精霊の加護を強く受ける要因なのかはわからないけど。
 僕はこう思っている。

 “フィーナは泣けない僕の代わりに、泣いてくれてるんだ”

 って。

 だから、僕も彼女のために絶対に泣かない。
 どんな時でも、歯を食いしばって彼女を受け止めると決めた。
 もうどうやったら泣けるかすら、理解できてないけど。

「……あのね……私、こうしてクレイ君に頭撫でてもらうの好きだよ」

 頭を撫でることに関してだけど。
 唐突に好きだよと言われて少しだけ心がどきっとした。

「ずっと撫でできたからかもね。刷り込み的な?」

 恥ずかしくなってそう言い返すと、フィーナは何か言いたげに僕の目をじっと見て、すぐいつもの笑顔に戻る。

「あははっ、そうだね。お父さんやお母さんと同じくらい、歴長いかも……うん、じゃ、私行くね。この後、まだ魔法科の補習があるから」

「うん、頑張って」

「水属性の扱い方なら特待生組でも上位に入れるから、その補習なんだってさ」

「そうなんだ。でも無理しないようにね?」

「クレイ君も! あんまり無理しすぎちゃダメだよ? 何かあったらすぐに私に言ってね! またね!」

 それだけ言い残して、彼女はタタタッと軽快に修練場を後にした。
 水属性か、よく泣いていたフィーナにぴったりだな、なんて思った。
 面と向かって言うとプリプリ怒りながら涙ぐんじゃうかもしれないからいえないけど。

 フィーナは、僕には勿体無いくらいの女の子だと思う。
 はっきりいうと、僕は彼女が好きだ。
 いつからその気持ちに気付いたのかはわからないけど、とにかくいつの間にか好きになっていた。

 でも、その言葉を伝えることはできない。

 彼女には才能があって、僕にはない。
 僕の人生は、ある意味決まっている。

 普通の人より体が丈夫じゃないので、力仕事はできない。
 魔力もないので魔法関係の仕事にもつけない。
 そもそも、あらゆるもので魔法や魔力が関係しているこの世界では、僕は生きることだって難しいだろう。
 だから、両親が老後の蓄えとともに僕に財産を残してくれていることは知っている。

 それでも。
 何かできることがあるはずだって自分の将来を考えてみた。

 一生その仕事につけるかはわからないけど、魔力も力も必要ないお店の雑用とか。
 料理屋で注文をとったり、お会計したりなんかは普通にできると思う。
 仕事を選ばなければ、なんだってどこだって働けるんだ。

 なんとか前向きになって自分の将来を考える。
 考えれば考えるほどに、フィーナはどんどん遠くなっていった。

 こうして隣で笑ってくれる時間も、限りがある。
 心配させずに自分の道を歩いてもらえるよう……僕に何かできることはないだろうか。

「……今のうちから、どこか手伝いさせてもらえるところを探せないかな」

 少し考えてそういう結論に至った。

 今までのお礼を込めて、フィーナに何か自分の力で稼いだお金でプレゼントを買ってあげたかったからだ。
 遠くの学校へいって離れ離れになってしまうフィーナに、これで僕は一人でも生きていけるってことの証明にしたいと思った。

 まあ、今のうちから慣れておくことで、即戦力的な感じでそのままなし崩し的に職を得られたらいいなっていう浅はかな考えもあったけど。



◇◇◇


 それから、父親に頼み込んで入れてもらった学校近くの商店でお手伝いをさせてもらうことになった僕は、学校、道場、それが終わってから商店のお手伝いをするという慌ただしい生活を送っていた。

 魔力がないから、といって嫌な顔をされることはなく。
 店主のおじさんは、一つ一つ丁寧にお店の仕事を教えてくれた。

「クレイは頑張るなあ」

 倉庫に置いてある品物を整理していると店主のおじさんに声をかけられた。

「少しでも、頑張らないといけませんから」

「たまには身体を休める日を作っておけよ? ここ最近、毎日手伝いにきてくれるじゃないか」

 僕の事情を知っている店主のおじさんは、こうしてよく気遣ってくれる。
 でもその優しさに甘えてはいけない。

「今まで自主練に当てていた時間を使っているので、むしろ前より疲れていないですよ。こうして重たい物を持ったりするのは、体力づくりの一環になるので僕もありがたいです」

 自主練をやめてすぐこのお店に出入りするようになってから、フィーナとはめっきり合わなくなった。
 もともとクラスも違うし、彼女は彼女で進学のために忙しい日々を送っているのだからいいと思う。

 今が大事な時期なんだ。
 僕がそれを邪魔しちゃいけないだろうし。

「まあ、私としては最近腰を痛めちゃったから助かるんだけど」

「店主は休んでていいですよ。掃除もやっておきます」

「いやあ、本当に助かるよ。もう手伝い以上のことをやって貰ってるし、給金には色つけとくから」

「え、いいんですか?」

 地味に嬉しい。
 一応、ここで貰ったお金の使い道は半分を両親に、もう半分をフィーナにと決めている。
 好きに使えと言われていたけど、働かせてくれたのは両親だから自分には使えない。

 こんな僕を学校に通わせてくれて、さらに剣術の道場に通わせてくれて、いいや今まで愛情を込めて育ててくれた両親の手前、どうしてもそれはできなかった。

 恥ずかしいから面と向かってはいえないので、始めて貰ったお金を無言で半分渡したら受取拒否された。
 なので何かプレゼントに変えて、押し付けてやろうと思っている。

 残りの半分はフィーナに少しいい杖を買って渡してあげたい。
 だから、少しでもお金が欲しかったのだ。

 全額使えば値の張るものが変えるかもしれないけど、それはダメだ。
 ここのお手伝いは両親が見つけてきてくれたんだから、半分は両親。
 そしてもう半分は僕が個人的にフィーナに使うのである。
 もう決めた、決意は固い。

「なんだ、もうお金に困ってるのか? まったく大人っぽく見えて意外と子供なんだなあクレイ。何買ったんだ? おやつとか?」

「いえ、半分を両親に、もう半分を幼馴染に使おうと思ってまして……その幼馴染に買ってあげたい杖が少し高くて目標金額ギリギリか、少し届かないかってところだったんです」

 働ける日数とフィーナが行ってしまうまでの日数を計算したら、ギリギリ足りない感じだった。
 グレードを下げれば、買える選択肢も多くなるのだが、できれば全額きっちり使いたい。
 それに、

「カタログでなんだか幼馴染に似合いそうだなって杖を見つけたんですよ」

 その名も“泣き虫精霊の杖(フェアリークライロッド)”である。
 水属性魔法に大きな親和性を持った杖なんだそうだ。
 名前を見た瞬間……フィーナにぴったりだ、と思った。

「……お、おまいさんってやつは!」

「へ?」

 店主は涙ぐんでいた。

「半端に魔力もって、宮廷魔術師夢見て粋がってるそこいらの子供達よりも十分偉いじゃないかあ!」

 そう言いながら「くうっ」と腕で顔を抑える。
 僕の周りって涙もろい人多いなあ。

「よしっ、と。これで在庫整理も終わりましたし、お店の掃除もやってきます」

 倉庫から出てお店の方へ行く。
 僕にできることなんて、たかが知れてる。
 それでも、こうして喜んでくれる人がいて嬉しいと思った。



◇◇◇



 さらに日は巡って、冬も終わりに近づいた時。
 僕は駆け足で商店へと向かい、注文していた物を受け取る。
 今日は手伝いはお休みの日だ。
 店頭に立っていた店主のおじさんが、綺麗に梱包された箱を奥から持ってきてくれた。

「あれ、こんな梱包ありましたっけ?」

 最近では発注もさせてもらえるようになったから知っているんだけど。
 卸売の業者に杖を頼んでも、なんか金ピカに光った装飾とか彫り物がされた箱で届くことはない。
 普通、無骨ななんの飾りっ気もない箱で届く物だ。

「クレイ。女の子へのプレゼントだろう? ならちゃんと飾り付けないと」

 そう言いながら、店主はグッと親指を立てる。

「よ、予算が……」

 商売の手伝いを続けていたからその辺もよくわかる。
 箱はタダじゃないってこと。
 天引きではなく貰って貯めたお金で払うと決めていたので、少し足りない計算になる。

「箱代はいいよ! とりあえず時間がないんだろう? 早く行ってやんな!」

「で、でも……」

「生真面目な性格はすごくいいが、融通効かないと女の子は捕まえれないぞ?」

「い、いや捕まえる訳ではないんですけど……」

 射止める、というよりも。
 僕はフィーナの門出を祝ってのことである。

 心配かけさせないように、プレゼントを送る。
 このプレゼントは……彼女を捕まえて置くものではない……。

 それでも、ありがたいと思った。
 ただ買うために必死に働いていたから、梱包のことにまで頭が回っていなかったのは事実。

「ほら、時間」

「あっ! す、すいません。このお礼は……働いて返します!」

「うん、期待してるよ。って言ってももう十分すぎるほどだけどね」

 そう言う店主のおじさんに頭を深く下げると、僕は駆け出した。
 なんとか間に合った。

 実は今日はフィーナがこの街を出て言ってしまう日なのである。
 本当はもっと余裕を持って旅立つ予定だったらしいんだけど。

 なんだか最近、モンスターのよくない話が街で噂されていて、その影響で早めに出ることになったのだ。
 僕は街の外に出たことがないのでわからないけど、街の外には危険なモンスターがいる。
 冬から春前までは、モンスターの活動も穏やかなのだが今年は早くから活発化しているとのこと。
 だから、数人の大人たちが守りながら大勢で向かう。

 街の門へとたどり着いた。
 息を切らしながら馬車の前に集まっている人だかりの中で彼女を探す。
 都市部へ行く人は多いんだなあ。

「……クレイ? クレイ君!?」

 いた、見つけた。

 あの場所に行かなくなってからフィーナとは全く会っていなかったので、なんだか久しぶりに思える。
 家は近所だし、手伝ってるお店の場所も両親に聞けばすぐわかるのだろうけど、彼女も忙しいからだろうか会う機会が全くなかった。

「フィーナ!」

 だから、いざ本人を目の前にしたら、何を話したらいいかわからなくなるなあ。
 困った。

「……きてくれたんだ?」

 あれ、なんだかフィーナの顔色が暗い。
 いったいどうしたんだろう。
 すでに泣きそうになっている。

「ど、どうしたの?」

「……もう会えないのかなって思ってたから」

「一応、夜は家にはいたし手伝ってるお店も両親から聞いてなかった?」

「いやその、私が勝手に思っちゃっただけなんだけど……クレイ君もう働き始めてて、なんだか遠い存在になっちゃったなあ……って」

 彼女は続ける。

「私はクレイ君の事情も知ってるから、邪魔しちゃいけないって思ったの」

 そうなんだ……。
 でも、それでいいと思った。

 少し悲しくなるけど、フィーナはこれから都市部の有名な魔法学校の特待生になる。
 まさに宮廷魔術師の卵みたいな。

 それに引き換え、僕はこの街で一生を終えるだろう。
 魔力の才能を持つフィーナと、一切の魔力を持たない僕。
 これから先、二度と交わらない人生を歩んで行くんだと思う。

 それこそ。

 この街を出たら。
 僕と。
 フィーナは。
 幼馴染だったってだけの。
 間柄でしか。
 ないんだ。

 そう思うと心が痛くなった、苦しくなった。
 本当は行って欲しくないし、彼女に思いを伝えたい。
 でも余計なことはしたくない。

 そして、こんなに心が苦しいのに僕の表情は変わらない。
 涙も流さない。

「クレイ君と会ってない間に……私も自分の将来について考えたんだ」

 黙っているとフィーナは話し始めた。

「夢だった宮廷魔術師になる」

「フィーナなら、なれるよ」

「そうしたら、もうこの街には戻ってこないかもしれなくって……もう二度とクレイ君と会えないんじゃないかと思ったんだけど……会えてよかった……」

「僕も、未来の宮廷魔術師に会えて、そして幼馴染でよかったって思ってる」

「本当に?」

 笑いながら首を傾げるフィーナに、紙袋に入れていたプレゼントを取り出す。

「うん、だから……これ」

「え?」

「未来の宮廷魔術師にプレゼント。君にあげるためにお手伝い始めてたんだ」

 一番の理由はそれ。
 二番目はフィーナが側に寄り添ってくれなくても、僕が一人で生きていけるって証明。
 三番以降は、なんとなくあのまま将来の就職先になればいいなって思って。

「……あ、開けてみてもいい?」

「いいよ」

 頷き返すと、フィーナは綺麗に梱包された箱を恐る恐る丁寧に開け始めた。
 そして中身を取り出して、

「……ふぇ、ひぐっ……ぅっ……」

 泣き出した。
 しかも、取り出した杖と箱を胸に出して座り込んでしまった。

「ちょ」

 泣くだろうな、とは思っていたけど。
 まさかこんな反応を見せるとは思ってなかったから少しだけ焦ってしまう。

「だ、大丈夫?」

「ううん……ごめん……嬉しかったの……」

「うん」

「……クレイ君……クレイ君は、私に宮廷魔術師になって欲しいの? それとも欲しくないの?」

「ええ?」

 いったい何を言いだすんだろうか。
 もちろんなって欲しい、なって欲しいからこのプレゼントを送ったのだ。
 困っているとフィーナは目を赤くして涙ぐんだままに笑い出した。

「あははっ、ごめん今のセリフは意地悪だったね……でもクレイ君も意地悪だよ……」

「そんな」

「こんなの貰っちゃったら……絶対宮廷魔術師にならないといけなくなるじゃん……でも、クレイ君のいるこの街から出たくなくなっちゃうじゃん……」

 そう来たか。

「そんなつもりは……」

「わかってるよ。うん、全部わかってる。何年幼馴染やってたと思ってるの? 素敵な杖をありがとう……私、手紙送るね? だから絶対返事してよ?」

「うん。来たらすぐに返事書くよ」

「それで宮廷魔術師になれたら……クレイ君一緒に住もうよ」

「へ?」

 それは、いったいどういうことだろう。
 言葉の意味を考えていると、街を出る馬車に集まってくださいと声が聞こえた。
 もう行く時間だ。
 言葉の意味をようやく噛み砕けたけど、まだどう言う返事をしたらいいかが出てこない。

 ドギマギしているうちに、

「私が養うから。もうこれ、決定事項だよ──っ──」

 フィーナの唇が、僕の頬に触れた。

「え!?」

「ふふっ、じゃあまたね? 多分里帰り休暇とか必ずあるから、時間ができたら会いにくるよ! だから……絶対待っててね!」

 照れ隠しだろうか、顔を赤らめたフィーナはぺろっと舌を出してそう言うと、馬車に向かって行った。
 結局、大した返事もできずに行かせてしまった。

 でも……どういう返事をしたらよかったのだろうか。
 それに、流石に働かないで面倒を見てもらうのは嫌だな。

 計画変更だ。
 もしフィーナの言ったことが現実になったとしたら、僕もしっかり働けるように、今のうちに商店のなんたるかってものを学ばないといけないかも。

 複数の馬車は行く。
 そして僕は門から出て行くまで見送って踵を返した。
 今だに心臓がばくばくする。

 でも嬉しかった。
 僕はフィーナが好きで、フィーナも僕のことを……









 ──ドゴォォン!








「ッッ!?」

 耳を劈くような轟音と衝撃が響き渡った。
 甲高い悲鳴が聞こえる。
 後ろの方からだった。

 とっさに振り返ると、壊れた馬車と砕けた門があった。
 馬車は黒い煙をあげながら燃えている。
 石は黒焦げになって亀裂が入っている。
 そしてその先の空に、翼を持ったモンスターがいた。

「ド、ドラゴンだ!!」

 誰かが叫んだ。

「な、なんでこんなところに!?」

「やばい、モンスターだ! モンスターが出たぞおおおお!!!」

「冒険者ギルドに今すぐ走れ! 戦える人がいないか早く!!」

 平和だった街に、一気に恐怖と混乱が広まって行く。

 空を飛行する巨大なモンスター。
 初めて遭遇したモンスター。

 逃げ惑う人々の中、僕は動けずにいた。
 ……恐怖、恐怖、恐怖。

「──ギャアアアア!!!」

 ドラゴンと目があった。
 その瞬間、口元から何かを吐き出す。

「ぼーっとしてんな!! 小僧!!」

「わっ!!」

 着ていたコートの襟首を引っ張られて、投げられる。
 すると、目の前にドラゴンが吐き出した物が遅れて打つかる。

「あ、熱い……!!」

 コートが少し焦げていた。
 これは、まさか……炎?

「今すぐ安全な場所に避難しろ、クレイ」

「せ、先生……」

 僕を間一髪で助けてくれたのは、僕が通う剣術道場の先生だった。
 先生は鋭い表情でドラゴンを睨みながら、剣を抜く。
 戦うのだろうか、あんな巨大で恐ろしいモンスターと。

「チッ……ドラゴンなんて、久しぶりに見たぜ……」

「あ……う……」

「クレイ、遠くへ離れてろ。あのドラゴンは魔力の塊みたいなもんだから、加護も魔力も一切ないお前は見てるいるだけで気が触れかねん」

「そ、その……馬車が!!」

 嫌な予感が脳裏を過ぎる。

「クレイ!」

 思わず馬車に向かって駆け出そうをする僕を先生が止めた。
 魔力を持ち、剣を修めた人の力には到底かなわない。
 僕はそのまま硬い地面に投げられてしまった。

「落ち着け。お前がいっても死ぬだけだ」

 先生はそう言うと剣を構え直してドラゴンを睨んだ。
 ドラゴンは上空で大きく旋回し、町中に響き渡る咆哮をあげている。
 吐き出した炎であたりが焼き散らかされて、焦げた匂いが辺りを包んでいた。

「確か、あの馬車は集団で都市部を目指してたんだよな……ってことは……」

「フィーナが!! それと街の人たちも!!」

「お前の幼馴染か……わかった。なんとか助け出す。だからお前は安心して隠れていろ」

 蹴り飛ばされるままに、燃える街の中を僕は走った。
 巨大な体躯に、先生が勝てるのか、そもそも街の人が総勢で当たっても勝てるのか。
 魔力を持たないから、人の強さがわからない僕には理解できなかった。



◇◇◇



 あれから街に襲い掛かったドラゴンの数は増えた。
 建物はドラゴンの吐く火炎で焼き尽くされ、僕の家も燃えた。

 崩壊して行く街の中を走り回って。
 街の人々はドラゴンが襲来した門から一番離れた頑丈な建物の中に身を寄せ合っている。

「な、なんでこんなことに……」

「救援、救援はまだこないのか……」

 絶望に溢れる声が聞こえてくる。
 両親はまだ見つかっていない。
 僕が家に向かった時、家はもぬけのからだった。
 いや、燃え尽きて跡形もなかったと言える。

 必死に叫んで探した。
 でも、見つからなかった。

 手がボロボロになるくらい、瓦礫をどけて、それでも見つからなくて。
 呆然と立ち尽くしている時に、危険を顧みず非難誘導をしていた大人の人にこの場所に連れてこられた。

 避難場所にも両親はいない。
 でも家に何も残っていなかったってことはどこかで生きてると信じたい。

 怖いし悲しいし心細い。
 何より、フィーナが乗っていた馬車。
 壊れて、燃えている。
 その光景が脳裏に強く焼き付いているのに。

 僕は一人ポツンと取り残されたように黙っていた。
 周りではすすり泣く声や、泣き叫ぶ赤子の声が響く。

 僕だって泣きたい。
 でも涙が出ない。

 それがより一層、この世界で一人だけ違う。
 取り残された感じがして、嫌だった。

 同じくらい悲しい、同じくらい寂しい。
 同じくらい辛い、同じくらい怖い。
 なんだか心が押しつぶされそうになる。
 ボロボロになった手は爪が剥がれている。
 痛いのに、それよりももっと胸が痛かった。

「クレイ! 無事だったのか! ……親御さんはどうした?」

 膝を抱えて座っていると、名前を呼ばれた。
 顔をあげると、店主のおじさんがいた。

「まだ……見つかりません……」

「そうか……」

 店主のおじさんは言った。

「強いな、クレイ」

「え?」

「周りはもう泣き叫んで絶望してるのに……お前はグッと堪えてる」

「………………」

「お前を見てると俺も力が湧いてくるよ。店も何もかも燃えてしまったけど、またやり直す。その時は手伝ってくれないか?」



 …………………………強い?



「すまん……変なことを言ってしまった。大変な時なのに、本当にすまん」

 黙っていると、店主のおじさんはそう謝って言葉を濁して去っていった。
 言葉が頭の中で反響する。

 こんな状況で泣き叫ばないのが、強いのだろうか。
 この世界の法則では産声。
 つまり泣き声で精霊に認められる。
 そして精霊の加護と魔力を得て育つ。

 だから、泣かない人間は強さとは全くかけ離れた存在だと思う。
 現に、僕は魔力を持たない普通の人より虚弱な存在だ。

 店主のおじさんが言った言葉は、こんな暗い状況を元気付けるために言った言葉だろう。
 だから、謝られる道理もないし、むしろ善意からの言葉。

 でも言葉が胸に突き刺さった。
 周りはみんな僕のことを魔力を持たない弱ものだと見ている。
 今はバカにする人は減ったけど、それでも大体の人がそんなハンデを持っていると気遣ってくる。

 最初はそれが嫌で強くあろうとした。
 魔力がないなりに努力もしてきた。
 でも、努力すればするほど、差は開いてきた。

 今はそうでもないけど、そりゃ昔は周りと違うことを恨んだ。
 声が聞きたいなら届けてやると一日中叫んだりもした。
 泣き叫びたくて、痛い思いして、怒られたりもした。
 どんなに悲しい思いをしても、呪いみたいに涙は流れてこなかった。
 
 ふと、フィーナのことを思い出す。
 彼女は自分が生まれてすぐの頃をおぼろげながら覚えていると話していた。
 精霊の声が聞こえたと。
 すぐ隣で見てくれていると。

 ……じゃあ、なんですぐ近くにいるのに助けてくれないんだろう。
 周りではこんなに泣き叫んで、助けを呼ぶ声が響いているのに。
 なんで精霊は無視するんだろう。

(僕が……いるからかな……)

 精霊から、嫌われているのかもしれない。
 もしかしたら僕がいるから精霊は助けをくれないのかもしれない。

 そう考えてしまうと、今日の行動が全部僕のせいに思えてきた。

 考え過ぎかもしれない。
 いやきっと周りは考え過ぎだっていうだろう。

 けど、精霊にも嫌われている僕がプレゼントを渡したから。
 加護が無くなってしまったんじゃないかと思ってしまった。

「お、おいどこに行くんだね!」

 気づいたら自然と足が外に向いていた。
 呼び止めないで欲しい。
 僕がいたら、なんとなくここもドラゴンに狙われる気がして。

「おい!! 入り口に立ってんじゃねえ!!」

「うっ」

 入り口へ向かうと、急に入ってきた人たちに突き飛ばされた。
 どうやら怪我を負った人たちをここへ運び込んでいるようだった。

 肉の焼けた匂いが立ち込める。
 火事で怪我をした人たちなのだろうか。

「ま、街はどうなってるんですか!?」

「ここは安全なんですか!?」

「怪我人優先だ! ちょっと静かにしててくれ!」

 怪我人を見て、不安になった人が治療院の人の足元にすがっていた。
 治療院の人は困っている。

「もう反対側のこの区画以外、安全な建物は残っていない」

「ええ! じゃ、じゃあもうすぐドラゴンがここに……!!!」

「だから生存者をみんなここに集めて、戦える人が総出でここを守るんだ」

「ほ、本当に大丈夫なんですか!?」

「黙っててくれ! あんたと喋ってる間に大事な命が失われて行くかもしれないんだぞ!」

 外の状況をしつこく聞く人がいる。
 少しでも安心できるものが、縋れるものが欲しい表情をしていた。

 僕は、もしかしたらその中に両親が居るかもしれない。
 そう思って並べて寝かされた怪我人たちの元に近寄る。

「──フィ、フィーナ!!」

 フィーナの顔があった。
 髪と顔が焦げてて一瞬別人かと思ったけど、僕があげたプレゼントを折れ焦げた腕で大事に抱えていたから誰だかわかった。

「あ、ああ……」

 まさか……そんな……。
 こ、こんな……。

 悪い予感は当たっていたんだ。
 言いようのない痛みが心を貫く。

 そんな中、

「……クレイ……君?」

 フィーナが名前を呼んでくれた。
 目は閉じられている。

 そもそも、手足も折れて焦げて。
 喋るどころじゃないはずなのに。

 フィーナは側にいるのが僕だと確信した様にか細い声で呟く。

「……ごめんね……せっかく杖もらったのに……私……宮廷、魔術師に……なれないや……」

「今そんなことどうでもいいよ!」

 か細い声を出すたびに、残された命を消費している様な気がした。

「喋ると体力使うから、じっとして! すぐに治療院の人が助けてくれるから!」

「…………うん、わかった」

 よかった、少しの間があったが素直にいうことを聞いてくれた。
 治療の魔術を使える人は少なくて、フィーナの順番が回ってくるまで時間が掛かる。
 こういう時、僕には何もできない。無力だ。

「……クレイ君……側にいる?」

「いる、いるよ! ずっと君の隣にいるから安静にして!」

 フィーナに声をかける。
 そうしないと、遠くへ行ってしまう気がしてならなかった。

「そ、そうだ! フィーナ! 自分で回復魔法は使える!?」

「…………ずっと、使ってる」

「くっ、治療院の方! は、早めにこっちを……ッ!」

 できることなら、フィーナのところへ来て欲しい。
 じゃないと、遠くに……!
 でも、治療院の人は、もっと重症を負った人の治療に当たっている。
 その表情は必死そのもので、とてもじゃないけど自分のわがままを言える雰囲気ではなかった。

 状況は、みんな同じなんだ。
 歯がゆい、僕にも何かができたらいいのに。

「……精霊、様……?」

 その時、フィーナが呟いた。
 精霊?

「精霊がどうしたの!?」

「……今、わかるの……私のすぐ側に……あ……」

 フィーナは折れた腕を動かして抱えられていた杖の入った箱を指し示した。

「……出して欲しい……みたい……」

「こ、これを開ければいいの!?」

 まさか、本当に精霊の姿を感じ取っているのだろうか。
 でも、フィーナなら。
 精霊に愛されたフィーナなら、と思って彼女の腕にある箱を開けて杖を取り出す。

 そこにいるのか?
 いるなら、自分たちが愛した人が。
 大きな加護と与えた人が。
 今にも死にそうになってるんだから、助けて欲しい。
 僕を嫌いなら、それでいい。
 でも今だけは頼みを聞いて欲しかった。

「……クレイく、ん」

「フィーナ、精霊はいるの!? 今すぐ助けてもらえたりとか」

 そう言うとフィーナは首をわずかに横に振った。

「……今なら、側にいるから……声も届く、みたいだから……言ってみるね? ……クレイ君を、認めてあげてって……」

「いいよそんなの!! 精霊に声を届けられるなら、フィーナを助けるように言ってよ!!!」

 何を言ってるんだフィーナ。
 なんで、なんでそういう事を言い出してるんだ。
 僕が精霊に認められてる認められてないなんて話は今違う。
 今更そんな事言わないでほしい。

 それに、今ならってなんだよ!
 まるで、まるでフィーナが死んじゃうみたいじゃないか!

「……精霊、様……? え……? うそ……それじゃ……」

 フィーナは僕には見えない誰かとしゃべっているようだった。
 近くに精霊はいる。

 だったら……。
 だったら今すぐ助けてよ!

 僕は加護を持ってないし、認めれられてない人間だけど。
 周りには精霊認めた魔力を持った人たちがたくさんいるんだ。

「なんでせいr──」

 そこで、建物の壁が崩れて人が突っ込んできた。
 道場の先生や武具防具を身につけたおそらく冒険者のような人たちが、身体中に火傷を負いながら崩れた瓦礫の上に倒れている。

 そして目の前には、

「──ギャォォォォオオオオオ!!!」

 一体のドラゴンがいた。

「きゃあああああ!!」

「も、もうおしまいだ!!」

「お父さん!! お母さん!!」

「くっ、大丈夫だ大丈夫だ!」

「何が大丈夫だ!! に、逃げろ逃げろ!!!」

 阿鼻叫喚の叫びが伝染して一気にパニックが広がって行く。

「うわっ!!」

 蹴られた、踏みつけられた。
 誰よりも先に先にと、怪我人達を押しのけて外へ逃れようとする人々。

 そんな様子を嘲笑うように。
 ドラゴンは咆哮を響かせ。
 豪炎を吐き出した。

「ぎゃあああああ!!」

「いやああああああああ!!!」

 消し炭も残らないだろうな、なんて思って僕はフィーナを抱えて目を閉じた。



 ──だが、炎はいっこうに訪れない。

「?」

 目を開けると、水の幕がみんなを炎から守っていた。
 抱きかかえていたはずのフィーナが、いつの間にか僕の腕から抜け出して、空中に浮かんで淡く輝いている。
 その輝きはなんだか逆に僕が抱きかかえられてるように暖かかった。

「……フィーナ? あ、あれ……傷……は?」

 淡く輝くフィーナから一切の傷が消えていた。
 焦げて折れていた手足も、焼けて短くなった髪も、時間を巻き戻したように元に戻っている。

「せ、精霊が助けてくれてたの!?」

「……精霊さまが、魔力貸してくれたの」

 そう言いながら、フィーナは片手を前に出す。
 そしてドラゴンに狙いを定めると、巨大な水の柱を生み出した。

 その威力はとんでもなく。
 水の膜を消し飛ばそうとするドラゴンの炎ごと押し返してぶっ飛ばした。

「い、今のうちに逃げろおおお!!!」

 建物に残っていた人が唖然としてその顛末を見守る中、誰かがそういった。
 逃げ遅れた人たちは一斉外へ飛び出して行く。

「フィーナ! 回復したんなら、僕たちも!」

 そういって僕はフィーナの手を取ろうとした。
 だけど、

「え」

 まるで実態がない様に、フィーナの手は透けていた。

「フィ、フィーナ……フィーナ!?」

「クレイ君……今のうちに逃げて……」

「い、いや! フィーナも一緒に!!」

「………………ううん」

 首を横に振りながら、視線を下に向けた。

「え……ええ……な、なんだよこれ……ど、どういうことだよ……」

 フィーナの視線を目で追うと、もう一人フィーナがいた。
 厳密に言えば、僕が抱きかかえていたひどい傷を負った彼女である。

 ふ、二人いる。
 いったいどういうことか理解できなかった。

「……もう、死んじゃったみたい」

「……………………え」

「……いや、正確に言えば……精霊様と同じ存在……かな?」

 状況が理解できない。
 呆然として傷ついたフィーナの顔を見下ろしていると、浮かんだフィーナが語りかけてきた。

「あ……もう時間がないみたい……ねえクレイ君……」

 淡く光る方のフィーナが、もう消えてしまいそうに薄くなった状態で僕の顔を覗き込んできた。

「……あのね、ずっと好きだったよ」

「え?」

 その言葉を聞いた瞬間、体が震えた。
 歯がカチカチなった。

「こんな形で言っちゃうのはずるいかもしれないけどね。あははっ」

 いつもの、いつもの調子であははと笑うフィーナ。
 それを見て、僕もなんだか心の中で全てを理解して。
 この状況がもうどうしようもないんだなって理解して。

 想いが溢れてしまった。

「僕だって、僕だってずっと好きだったよ……ッッ!!!」

 決壊したダムの水みたいに、言葉が溢れてくる。

「こ、こんなハンデを持ってる僕を、魔力がないってバカにされてた僕を、ぼ、僕を、すぐ側でいつも守ってくれた君を、好きにならない訳ないじゃないか!!」

 なんで、なんで今言うんだよ。
 杖を渡した僕に意地悪だっていってたけど。
 君の方が、フィーナの方がずるいじゃないか。

「……うん、なんとなく知ってた。でも、クレイ君なりに悩んでるのも、頑張ってるのも、全部知ってた。最後に見送りに来てくれないかもって思った時は、悲しくて泣きそうになったけど……でもクレイ君来てくれて、で、私また泣いちゃったね?」

「待ってよ!! 宮廷魔術師になるんでしょ!! 僕もそれ応援したいから、プレゼントした杖はどうなるの!! ダメだよ、君にあげたんだから!! だ、だからまだ行かないでよ!!」

 縋る男は情けない男なのかもしれない。
 だけど、嫌だった。

 結局、フィーナが都市部で行くと知って、自分の心の中で彼女と僕の人生は二度と交わらないと決めつけれたのは、彼女が僕を覚えていてくれている、またこの街に顔を出してくれると、その優しさに勝手に理想を押し付けて自分が辛くないように予防線を張っていただけだったのかもしれない。

 いや、そうだ。そうに決まってる。
 だって、本当に彼女が僕の目の前からいなくなってしまうことになって、心がそれを拒んでいる。
 なんとしてでも行かせないように、必死で踠き縋り付いているんだから。

 必死で叫んでいると、フィーナはクスッと笑っていた。

「クレイ君の泣き顔……初めて見たっ」

「え?」

 震える手で、指先で目元に触れる。
 大粒の涙が頬を伝っていた。

「これで泣かなかったら僕はただの大馬鹿野郎だよ!!!」

「ふふっ……クレイ君」

 今にも消え入りそうなフィーナ。
 彼女は微笑みながらそっと僕に近づいて今度は唇にキスをした。

「……私のために泣いてくれてありがとう」

 そうして、どんどん薄くなって行く。

「あああ、あああああ!! あああああああ!!」

 ダメだ、行かないで。
 言葉が出ない。
 歯を食いしばって彼女に声をかけてまだ話していたい。
 押しとどめたいのに。
 涙は止まらない。





 ……精霊様は、クレイ君のことを認めてなかった訳じゃないよ?

 ……ずっと待ってたんだって。

 ……君から呼ばれるのをずっと待ってたんだって。

 ……一番愛されてるんだよ。私もそう。

 ……これから──





 消えてしまった。
 消えて、しまった。

 なぜか、光っていたフィーナが消えると同時に。
 僕のすぐ目の前にいた、傷を負ったフィーナも消えてしまった。

 残っている繋がりは……。
 彼女に渡したあの杖だけだった。



「────────────!!!!!!!」



 生まれて初めて、僕は泣き声をあげた。
 杖を抱えて、こんなに泣くんだなって。
 この歳になってもこんなに泣くんだなって思うくらい。
 生まれたての赤子みたいに、心が叫ぶままに鳴いた。

「ギャォォォオオ!!」

「ギャァァァオオオ!」

 僕の声に呼び寄せられたように残ったドラゴン達が集まってくる。
 そして、僕に狙いを定めて炎を吐いた。

 でも、僕の声に集まった精霊たちがそれを阻む。
 近くに、精霊達が集まってくれて、僕を包んでくれる。

 こんなに、こんなにも近くにいたんだ。
 今まで全く何も感じなかったけど。
 僕は嫌われていた訳でも、認められていなかった訳でもなかった。

 今ならフィーナが最後に言っていた言葉の意味が感覚でわかる。
 身体中から、魔力が溢れてくる。
 感じたことがない感覚なのに、溢れてくる力が、エネルギーが魔力だとわかる。



 人は……この世に生まれて、初めて息を吸った瞬間。
 精霊を吸い込み、体に取り入れ、魔力を得る。
 そして大きな声で産声をあげるそうだ。

 でも、あまりにも大きな器を持っている赤子は、鳴き声をあげる前に許容範囲を超えて死んでしまう。
 だから精霊達は考えた。
 そんな稀有な存在がいたら大人になるまでそっとしておこう。
 そしてもう一度呼ばれたら、みんなで集まろうと。

 だが、一つだけ失敗だったのは、精霊の加護がない一種の呪いのような状態となり。
 何か大きなきっかけがないと、泣けないようになってしまうらしいのだ。

 だけど僕は泣くことを教えてもらった。
 精霊の代わりにずっと側にいてくれた誰よりも何よりも大切な人に。

「……」

 一通り叫び終わった僕は、まだ涙は出ているけど、杖を持ってゆっくりと立ち上がる。
 泣き虫精霊の杖(フェアリークライロッド)
 たった今泣きじゃくった僕にはぴったりの代物だ。

「………………僕が、君からもらった力で町を守るし、君の夢だった宮廷魔術師になるよ」

 この杖を持って。

 思い出す……フィーナは、彼女は。
 水属性に親和性の高いこの杖と介して、精霊と語り合っていた。
 そして力を借りて、命を振り絞って、僕を守ってくれていたのだ。

「精霊達、力を貸してくれ」

 そう言うと、集まってくれる。
 まずは燃えた街をなんとかしよう。

「雨を降らせてくれないかな?」

 そう言うと、空に雨雲はないのにポツポツと雨が降り始めて強くなっていった。

「次は、あのドラゴンを……倒すから」

 水の精霊にまとわりつかれて暴れているドラゴンに向かって。
 フィーナがやっていたように大量の水を飛ばす。
 彼女が使っていたものよりも威力が出ていて、水の放射を受けたドラゴンの体には大きな穴が空いていた。




 ……これでよし。
 天気雨の中、街の脅威を消し去ったことに一息つく。

 それでもまだ、僕の涙が枯れる気配はない。
 なんだろう、もう、とめどなく溢れてくる。

「フィーナ……君の泣き癖がうつったのかなあ……」

 そう呟くと、どこからか「あははっ、かもねっ」と笑ったような声が聞こえた。
 少しの間をおいて、また声が遠くから、彼女の声が……。





 “精霊(わたし)はいつも君の側にいるよ”

しおり