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第二百八十四話

 ヘカト。
 闘技場最強の男と名高く、体格は獣人でもかなりの大柄。見た目通りの破壊力を持ち合わせると同時に、魔法にも精通し、武器にも長ける。つまり、隙がほとんど見当たらない。
 まさにユーティリティプレイヤーだ。
 それでもアニキなら何とか出来るんだろうが、余にはとても不可能かもしれん。

 何せ、勝ち筋が全く見えないのだ。

 パワーもスピードも技術も、魔法も。全てにおいて負けている。

「がっはっはっはっは! どうした? 随分と弱々しいが?」

 ヘカトの声が届いてくる。
 弱々しい、か。獣人に対する侮辱では上位に入る言葉だな。自嘲気味に笑んで、余は構えた。

「それでこそ獣人だ」

 讃えつつ、ヘカトが地面を蹴って間合いを詰めてくる。
 息を吸って魔力を集中させ、身体能力強化魔法(フィジカリング)を最大限にまで引き上げる。爆発的に運動能力が上昇し、余は特攻する。

「敢えての正面攻撃か! いいだろう!」
「おおおおおおおおっ! 《エアロ・ダイナマグナ》!」

 暴風を拳に纏い、余は構えを取ったヘカトのボディへ叩きつける。
 ゴォン! と轟音がヘカトを襲う。だが、その肉体に傷一つ付かない。そして始まったのは反撃だ。

 ――ちっ!

 余は即座にバックステップして回避を試みる。
 だが、暴風よりも早く、強く、恐ろしい勢いがやってくる。息つく間もなく詰まり、拳が繰り出される!
 回避は――無理だ! 余は即座にカウンターを狙う。

「遅いっ!」

 拳が更に加速し、次の刹那には顔面を捉えられていた。
 めり、と、破壊が顔面から全身を貫き、余は地面を舐める。

「ぐ、お……」

 痛みよりも目眩が激しい。ぐるぐると回る視界の中、余は自分の非力を憎んだ。
 三年前の決勝戦も、相手はヘカトだった。
 結果は惨敗。あの頃よりも格段に強くなったはずなのに、実力差はまるで埋まってないように思える。

 どうして、なんで。

 悔しい。憎い。
 あれだけ大見得を切って、アニキを助けるために立ち上がったというのに。こんな、こんな……っ!

「その気概だけは認めてやろう。だが、力の伴わないそれは、単なる蛮勇か愚行だ。獣人としては恥ずべきことだな」

 その通りだ。
 言ったことも実行できないのであれば意味がない。特に余は王子だ。一国を背負う定めの男が、このようなことも叶えられないなどと! あってはならぬ、断じてあってはならぬ!
 気合いを集め、余は強引に身体を起こす。

「はぁ、はぁ……っ!」
「まだ立つか」
「負けられない……のだ……余は、負けてはならんのだ……っ!」
「口だけではなんとでも言えるというもの。力を示せ」

 がつん、と胸の前で拳同士をぶつけて鳴らし、ヘカトは構えた。オープンスタンスの構えは、上背が手伝うととんでもない威圧になる。
 余も応じて構える。
 このまま正面から特攻してもカウンターを食らうだけ。だが、他に道はない。獣人としての矜恃として、余は正面からの攻撃で相手をぶち抜かねばならぬ!

 息を整え、ふらつく足取りを律し、ぐっと腰を落として──

「こんの、ド・ア・ホ・ウ────────っ!!」

 飛び出す刹那、耳をつんざく大声がやってきた。あまりに大きくて、余とヘカトの動きが同時に止まる。
 この、声は……! 
 声のした方を見ると、観客席の中、アニキが座席に立っていた。

「相手の得意な土俵で戦ってどうする!」
「し、しかし、正々堂々とは!」
「こんの愚か者がぁ────っ!」

 再びやってきた一喝に、余は肩を震わせた。

「違う! 自分の適切な距離で、自分の得意な戦いで、自分の強さを最大限発揮して戦う! それが正々堂々だ! 相手に合わせることは正々堂々じゃねぇ!! 何度も言わせんな!」
「……アニキ」
「己の最大の力で相手に挑むことこそ、誇りある戦いだ! もちろんそのために、フィールドとして用意されたルールを破るのはアホの極みだけど……それさえしなきゃ良いんだよっ!」

 がつん、ときた。
 そうだ、そうだった。余は初めてアニキと戦った時のことを思い出していた。余は勘違いしていたようだ。
 すぅ、とあれだけ苦しかった呼吸が楽になる。ヘカトの大笑いがやってきたのはそのすぐ後だ。

「笑わせるな。一国をいずれ背負うだろう者が、名も知らぬものに、まして人間ごときに諭されるなど、貴様、それでも獣人か」
「……っ!」
「純粋な武人たる獣人にあるまじきことだ。この痴れ者め。今すぐ王位継承権を捨てて、獣人の証を削ぎ落として、半端者として生きたらどうだ? 負け犬の寄せ集めである貴様らにはお似合いではないか!」

 あらゆる罵詈雑言がやってきて、余は全身が震えた。せりあがってくるものに、鼻の奥が痛くなった。
 ……──っ!
 そ、そそ、そんな、そんなこと!

「そんなこと、言わなくても、良いではないかっ……!」

 ぼと。と、溢れたのは涙。
 もう抑えきれなかった。

「余は、余だって、いっしょうけんめっ……がんばって、いるというのにぃぃぃ────────っ!」

 余は力いっぱい叫んだ。
 全身が荒れ狂い、何かが急速に収束して解き放たれる。

 世界が真っ白に染まった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ──グラナダ──


 うげ、やば。
 ブリタブルが震え始めた瞬間、俺は顔をひきつらせた。直後、夥しい魔力が渦巻き、暴走する。
 すっかり忘れてたけど、そうだった。ブリタブルはメンタルが意外に弱くて、しかも魔力を暴走させるという超絶めんどくさいヤツだった!
 刹那、観客席を囲うように結界が展開される。

 この魔力は──……ギラか?

 観客席に被害を出させないための処置か。
 強度を確認するより早く、ブリタブルの全身から魔力が爆発した。凄まじい光が迫り、破壊の炎が炸裂する。

 伝わってくる音と振動で威力の強さを知る。

「やばいな、あれ」
『この前とは比べ物にならん威力だな』

 結界に亀裂が走っている。
 それだけの威力なんだろう。

 やがて爆発が収まり、煙も薄くなっていく。
 闘技場に立っていたのは、ブリタブルと、すっかりボロボロになったヘカト。辛うじて立ってるって感じだな。
 これで形勢は、五分か?

『あの直撃を受けて立っていられるとは、恐ろしいな』
「とっさに防御魔法を展開したんだろうけどな」
『おそらくな』
「さて、と、こっからだぞブリタブル」

 そうごちると、分かったようにブリタブルが動く。暴走させるだけさせたせいだろう、魔力は落ち着いていて、ブリタブルは意識を集中させる。

「万事一切筋肉で解決!」

 相変わらず、なんちゅうパワーワードだ。
 内心で顔を引きつらせながらも、ブリタブルは筋肉を肥大させる。もちろんそれでもヘカトの体格には及ばないが、それでも近づくことは出来る。

 ドン、とヘカトが身体中の傷をものともしない勢いで地面を蹴った。

 間合いが一瞬でつまり、ヘカトが全身を踊らせて拳を繰り出す。一気に決着するつもりだろう。だが甘い。
 ブリタブルの真価はこっからだ。

「いけ、ブリタブルっ!」

 拳が唸りを上げてブリタブルに迫り、その拳が空を切った。
 静まり返る。
 ただブリタブルと俺だけがほくそ笑んでいた。

 瞬間、ブリタブルがしなるように動き、拳を突き出して隙だらけの脇腹に拳を叩きつけた。
 今までブリタブルが出せなかった轟音が響き、衝撃が炸裂する。

 初めて、ヘカトの顔が歪んだ。

 それでいい、行け!
 膝を折るヘカトに、ブリタブルの猛ラッシュが繰り出される。
 一撃一撃が空気を震わせる勢いで、生身の人間なんかが喰らえば骨を根こそぎ砕かれそうだ。だが、ヘカトはその全てを受けてなお、立っていた。
 むしろ、笑ってやがる。

「ぐわっはっはっはっはっはっはっは!!」

 血塗れになりながら、ヘカトが反撃に拳を握り、腰をじっくりと落として拳を振り上げた。
 その間にもブリタブルは左右からのフックを顔面に放ち、さらにボディ、そしてローキックからハイキック。仕上げに後ろ胴回し回転蹴りまで食らわせている。
 ヘカトはたたら踏みながらも、また拳を繰り出した。

 回避なんて出来る速さじゃあない。

 だが、その拳はまたしても空を切った。
 ヘカトの目が驚愕に見開かれる。

「なんだ、それは!」
「自分で分析してみろっ!」

 喜々として訊ねるヘカトに、ブリタブルは喜々として拒絶する。
 ブリタブルに攻撃が当たらない。
 その理由は単純だ。ブリタブルだけが持っているスキル。《影写し》だ。

 自分の認識を少しだがズレさせることが可能だ。距離を取れば取るだけその認識が薄くなるため、至近距離専用のスキルと言える。
 こと達人級における戦いにおいては、最も効果を発揮するだろう。

『だがそれもいずれ気付くであろうし、目と身体が慣れれば対応できる』
「そう。明らかに短期決戦で活きるスキルだ。決めろよ、ブリタブル」

 ポチの言葉に俺は応じて推移を見守る。
 頼む。みんなを助けるためには、お前の力が必要なんだっ……!

「はっはっはっはっは! そうか、貴様は認識をズラすことが出来るのか!」
「答えんぞ!」
「ならば、そんなもの関係ない攻撃ならばどうだ?」

 高笑いをあげながら、ヘカトが拳を繰り出す。乱打だ!
 刹那、ブリタブルが待っていたかのように風系の魔法を発動させ、足元をすくう!
 そうだ。乱打をすれば足元が疎かになる。そこを突けば、簡単に転倒させられる!

「ぬうっ!?」

 唸りながらヘカトはバランスを崩し倒れる。ブリタブルはそのまま暴風を叩きつけてヘカトを押さえ込んだ。

「確かに拳だけでは余は貴様に勝てん。だが、余の全てを賭ければ、負けるとも言わん!」
「何をっ……!」

 ビキ。
 筋肉の悲鳴が聞こえた。そして、変異が始まる。
 ブリタブルの全身から獣毛が生まれ、金の鬣に顔が包まれる。表情も変化し、体格がまた一回り大きくなった。それだけでなく、魔力も膨れ上がっていた。

「グルォォォォオオオオオオ――――――――――――っ!!」

 王を思わせる、威厳に満ちた咆哮。
 実況さえ黙り込むような状況で、俺は独りごちる。

獣化(ビースト)……ブリタブルの切り札か、ここで投入か」

 獣の咆哮の振動を浴びて、俺は席に座った。

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