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腐臭の供儀・6

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 解決編の総仕上げにとは友人の片桐美波の談であるが、ここに改めて謎の手記の全文を読者諸氏に公開しようと思う。それぞれにそれぞれが書いた筆者の異なる、このオリジナルの手記を完全に掲載することで、謎が謎でなくなる感覚を読者諸氏にも覚えていただければ幸いである。

 今回の事件は正にこの奇怪な手記によって左右された絶奇なる作中作の物語であった。その正体を読者諸氏にも理解していただき、首肯していただければ今回の事件に間接的に関わり、編纂した記録者として、また複雑怪奇な探偵小説風の物語を描かせて戴いた私としても作者冥利に尽きるというものである。

 前回の時と同様、この事件も既に事件記録としては三年前の出来事になるので、当時世間を騒がせることになった不可解で不気味な手記のその正体と全貌が事件を断片的にしか知らない一般の人々もついに知ることとなるのかと思うと感慨深いものがある。

 記録者としては今回の事件を通俗的な、いわゆる探偵小説的な読み物として、あるいは作中作の奇怪な物語としてプロットを組んで関わった人々の原稿を転載、執筆するにあたっては、実のところ事件解決後から数えて実に一ヶ月以上もの日数を費やして東奔西走していた勘定になる。これも西園寺や美波や元の原稿の持ち主の方々の協力がなければ実現しなかったところで、読者諸氏にも編纂までに到る経緯を作中ではあれど、またも説明しておく必要性を感じたのでここに記そう。

 以下に記された手記は吉祥寺周辺に住む複数人の書いた論説文、レポート、報告書、日記や体験談といったプライベートな内容も含まれており、全文掲載にあたり、作中作の物語としてはかなり長大かつ複雑な内容になってしまったと感じている。

 事件の記録者としても、この長大且つ内容も踏み込んだ手記を公に作品に組み込むにはかなり逡巡した次第なのだが、かといって、当時の殺人事件と死体遺棄事件は全て一つに繋がった事件であると考えると、件の手記に記されていた内容は、一つ一つがいずれもけして欠くことのできない要素でもあるので、この章はエピソードとしては前段(※)と殺人事件に繋がる後段(◇)とに章を二分割させて戴いた。その方が当時の事件の時系列と手記の順番やその内容が読む方々にも、より分かりやすくリアルに感じて戴けるだろうと判断してのことである。

 尚、タイトルの書かれてある前編部分も内容はそのままに、敬省略で掲載順を明確に区分させて戴いた。出版にあたって掲載の許可を頂いた方々とアドバイスをくれた友人達には、この場を借りて改めて厚く御礼を申し上げたい。また、事件記者を兼任しているとはいえ、作家としてはまだ駆け出しなこの作者の無茶な要求や意向を通して戴いたS社第二書籍編集部主任で編集長の宇田山孝明氏と編集部の方々には改めて御礼を申し上げる。

 プライバシーに配慮して作中及びここでの本文中の名前は、すべて御本人達の許可を頂いた上で、慎んで仮名を以て掲載させて戴くことにした。また、これを読んで戴いている読者諸氏には、この前編と後編に分けた章の数十ページを費やして、以下にこの腐臭の供儀事件(と私が便宜的にそう呼んでいる)今回の事件の全貌を知って頂くことになるのだが、読み物としての事件記録やミステリに論説文の類いは事件の本質に繋がるものではないし、些か冗長に感じるという方や事件の本筋の内容だけ知りたいという方は、前述のように記号で区分けした後編部分から読んでいただいても一向に差し支えはないだろうと考えている。

 注意して頂きたいのは、一つ一つの論考はそれぞれ書いた作者による完全な形のオリジナルの文章とはいえ、既に作中前半の章でも断片的に描かれてきた内容と重複している上に、この手記の後編は殺人犯による被害者の死体の解体方法や犯人の犯行動機といったものに大きく触れている内容となっている。

 また今も尚、躊躇なく触れるにあたっては些かセンシティブで痛々しい傷跡であるところの東日本大震災に見舞われた方の家庭環境といった個人的な内面にも多く触れており、また猟奇的で残忍な描写の犯人の実話を下に書かれた内容でもあるが故に、事実が明るみになるにつれ、本書の出版にあたっては公序良俗に抵触する可能性を鑑みて最も我々の頭を悩ませたものであった。著しく読者諸氏の気分を害する可能性が高い内容も含まれていることは、予め注記しておきたいのである。

 この事件の収録にあたっては当然ながら、これら手記を書いた方々だけでなく被害者側のご家族やご遺族、犯人の友人・知人といった様々な人々の事情に配慮する必要があり、これだけの時間を費やした。他にも片桐美波が関わった事件は、私が知る限りでも本書には書ききれないほど幾つもあり、それらを先に発表してもよかったのだが、私は敢えて時系列に記していくことにした。

 いくら破天荒でエキセントリックな発想をする風変わりな私達の友人をモデルにした探偵小説風の物語を描いているといっても、事件そのものはノンフィクションでもある為、作者としては相当に頭を悩ませ、難産であったことも付け加えさせて戴こう。

 また、この後に記される事件の後日談には友人達の活躍による犯人逮捕への一幕ともう一つの驚くべき犯罪の一端が背景にあったことは予め記しておくべきだろう。この章にもあからさまに示されてはいるのだが、書いた人物達には驚くべき共通点があったことや事件に間接的に関わっていただけの片桐美波がなぜピンポイントにその真相を看破できるに至ったのかも明かされることだろう。

 快く掲載に協力して下さった方々には重ね重ね、改めて格別の感謝を以てここに掲載させて戴くと共に、深く感謝を申し上げたい。また、この事件に記された理不尽な殺人事件を風化させまいと作者の取材にご協力戴いた方々と被害者の並木洋子さんのご遺族の方々には多大なご恩義に報い、大変な感謝と謝意を込めると共に事件に関わった者の一人として、改めて事件の被害者である洋子さんへ深く哀悼の意を表させて戴くものである。

 この事件記録の元となった以下に記す七つの手記は殺人事件や死体遺棄事件、果ては盗難事件も大きく絡み、人々の噂やSNSを介して膨らみ、最後には読む者に得体の知れない不安感や欠落感を与え、不安定でその実像や実体さえも掴みきれない、実に現代的な闇を内包する複雑怪奇な事件であった。

 その背後には犯人や関わった人々の様々な思いや思惑があったにせよ、それを構成していた一つ一つの手記がこうして明るみになることで今、改めて全体を俯瞰してみるに、まぎれもなく背後には一つ一つ、一人一人が綴った手記にそれぞれのテーマや物語があり、壮大な一つの作品を構成していたと言っても過言ではなく、無念にもその若き命を散らせることになってしまった被害者の魂が、この後に語られる、ある人物の力強い言葉でせめて心安けく旅立てるよう、作者は祈りを込めて彼らと共に墓標に捧げるものである。

※※※
 
『獣憑きと憑きモノ』

 筆者は獣憑きという、この非常に興味深い論考をテーマに、今回は日本の文化的背景と海外に見られる獣憑きとの差異や比較を論じていこうと思う。

 獣憑き、いわゆる獣の霊が人に取り憑いてしまうというこの現象は、日本では狐憑き、狸憑き、犬神憑きと呼ばれ、今日ではトランス現象や精神分析学や神経医学の症例で扱われたりする分野である。これは実際に獣が憑いてしまうわけではない。あくまで獣が憑いたとしか思えない言動や所作という態様の方を表す。

 日常生活においても人に恨みを持った動物たちの霊(死霊・生霊にかかわらず)が本人の心にシンクロして良くない存在になる、という考え方は子供の躾や教育の場面において扱われたりする。動物、いわゆる畜生はたいてい本能だけで生きている存在であり、同じ個体でも人によっては良く見えたり悪く見えたりもする。これは、かの徳川綱吉の治世の時代の悪法と評される生類憐れみの令のような極端な例に見られるように、本邦の獣憑きではそのさらに昔から、動物を蔑ろにする者は禽獣の悪いモノが憑くと考えられていた文化的な背景があったのである。これは明治期まで肉食が生活の中心に食い込んではいなかった日本の食文化も関係している。

 前述のように現代で精神病理学や神経医学で語られるところの心の病は、日本では古くは動物の霊が人に取り憑いて精神が獣のように変化すると考えられてきた。これは狐憑きや犬神憑きといった、憑きモノ筋と呼ばれる日本独自の民間信仰が大きく影響している。

 日本のいくつかの農村部では、憑きモノは古来より家系の因果によって起こると信じられ、その家は憑きモノを使役して、他人から財物を盗んでこさせるので総じて憑きモノ筋の家は富裕な家が多く、また憑きモノを他人に憑けたりすることもできると考えられ、忌み嫌われている存在であることが多い。これは今日の日本社会における典型的な差別現象にも見られる土台の一端でもあろう。

 実際に憑依する霊は狐のほかに、雲伯では人狐(にんこ)、濃尾・甲信・伊豆地方ではクダ(管)、北部九州ではヤコ(野狐)、中国山間部ではゲドウ(外道)、四国一円・九州東南部ではイヌガミ(狗神)、関東ではオサキ(尾先)、東北ではイヅナ(飯綱)などが良く知られているところである。

 これらは現地では、いずれも小型の鼬《いたち》のような姿形をしていると信じられ、目撃談も数多く(実際に幻覚かイタチかムササビの類であろう)、江戸時代の紀行誌にもこれらの名前や村人から聞いたとされる怪異譚が比較的多く散見される。

 他に四国から因伯作においてはトウビョウ、スイカズラ、ナガナワといったものが憑くと信じられており、こちらは蛇のような姿をしているという。またゴンボダネと呼ばれる憑きモノ筋は飛騨高山においては他の狐憑きと同様にその数は七十五匹とも言われているが、通常は牛蒡の種のように人に憑く生霊と説明され、仏教信仰とも関わりがあり、護法種とも表記する。鳥取県伯耆地方では人狐、トウビョウなどの憑いた家をソンツルなどともいう。

 また、これらのものが“憑く”とされた家系から嫁を貰うと、憑きモノも一緒についてきて嫁ぎ先に災いをもたらすともいわれる。これらの家系のものが民俗学上“憑きもの筋”と呼ばれ、主に江戸時代以降広まった考えと思われる。現在でもクロ、シロ、ハイイロなどと呼ばれ、一部の地域でこれらの信仰は残っているため、縁戚関係の忌避など、差別の対象とされている。これらの筋の家や憑きもの筋の発生の源は“僻み”でもあるため、その多くが旧来の居住者ではなく二次的な移住者で富裕なものが多い。

 これは余談だが、日本の場合は中国系や朝鮮半島経由と思われる技術系渡来人が大昔に来日、移住して住み着いてきたとされる経緯と、近現代史における二度の世界大戦やその末期に日本に大量に入植してきた人々が今日でも平気で混同されてしまっていることが大きい。歴史認識や政治的な理由が絡み、これらが差別問題にさらに拍車をかける現象が起こってしまっているのである。

 こと学究的な内容につき言及は避けるが、現代においても被差別部落に端を発する同和問題、在日特権といった諸々の問題がネガティブかつセンシティブに扱われ、人権や差別意識に絡み、その歴史的経過や堆積がこうした様相をさらに複雑にしているという背景は無視できないものだろう。

 では、本邦以外での獣憑きはどうなのか?

 これは海外では端的に人ならぬ者に変わる獣化という現象などで説明される。多くが精神疾患や流行り病への説明体系として存在する訳であるが、西洋では獣の病という表現が中世ヨーロッパのキリスト教的宗教観や灰血病や輸血医療などとも関わっている。

 古代ローマに端を発する哲学やキリスト教の台頭と共に教会が権威と力を持つにつれ、西洋医学も発達してきたが、医療技術の進歩や哲学、自然科学の隆盛や美術や芸術の様々な展開は人間の文化を誇示していると同時に、そうした風土病や流行り病自体の身体的、精神的な変化のもたらす著しく恐ろしい姿形が人の獣性をも証明しているという残酷にして皮肉な結論を見出だしえるものであった。

 人と獣性は切り離せず、人は常に獣の精神と共に生きて死んでいく生き物であり、究極的には獣の愚かさや忌まわしさがあってこそ人間であるという諦観にも似た宗教的観念が確立した。もしも獣から切り離された人間がいるとすれば、それはまさしく人ではない異常な存在か、あるいは獣を抱える人から脱却した存在と考えられたのである。キリスト教の普及と共に聖職者から最も遠い存在である忌まわしさや、精神疾患がもたらす心的現象は本邦のそれと同種ではあれど、西洋の場合は端的に獣化という表現が多く見られた。

 このように獣憑きに見られる人の獣化という現象は実はめずらしいものではない。最もメジャーなところではワーウルフ、ウェアウルフなどとも呼ばれるホラー映画の題材にもなっている人狼が挙げられる。

 人狼とは民間伝承や神話学、人類学においては人と他の動物の特徴を合わせ持つ人物や変身した獣人を指すが、狼男の寓話や類話が世界的規模で受け入れられ、広範囲に広められ、現代においても幅広く周知されている背景を鑑みると、獣化という現象に畏怖や恐怖や忌まわしさを覚えるのは、紛れもなく人間が人間の内に眠る獣の遺伝子を継ぎ、時にはそれが目覚めて人を殺めもする狂暴な力や性質であることを、他ならぬ人間の体が本能的に知っているからだと考えられる。

 人狼にいうライカンスロウピーは元々はギリシャ語のライコスからきているとされ、これは獣化の専門用語のことだ。正確には人狼のみを指すにも関わらず、他の動物へ姿が変わる事例にも総称としてしばしば使われることがあるし、獣憑きとなると精神病理学的な解釈も加わることがあるので、これは明確に区別すべきであろう。

 人が獣化したり、超自然的に他の動物の特徴を所有することを信じる人々はよく人狼症と呼ばれるが、この分類は精神病の一つの形態で多くの文化人類学者がこれはシャーマン文化の強い信仰の例であると指摘している。信仰が通常生活に支障が出ない限り、社会的な特色から姿を変えられると言っている者達は病気ではないと精神医学の専門家は考えているが、これは見知らぬ他の文化と精神病の境目が不明瞭であることから、しばしば議論の的となっている。

 ただ神託を告げる際に一時的に人格が変わったように見えるシャーマンは畏れられもするが、同時に神聖視されることもあり、原始社会においては重要な役割を果たしていることも少なくなかった。この傾向は時代と共に廃れ、適応の際に逸脱と見なされ、時には異常のレッテルさえ貼られるようになっていく。託宣や預言を外した者が死をもって償う時代にあっては、シャーマンと獣と人の境目は極めて明瞭で、人為的な獣憑きをも越えた神憑りの秘技や儀式はそこかしこにあったと思われるのだ。

 先史時代から動物と人間の混ざったイメージは世界各地でみられ、アニミズムの延長などで信仰の対象となっていたと考えられるのである。これは有名な遺跡にも名残がある。

 アナトリア地方南部、現在のトルコ共和国、コンヤ市の南東数十km、コンヤ平原に広がる小麦畑を見下ろす高台に位置する、新石器時代から金石併用時代の遺跡であるチャタル・ヒュユク遺跡の壁画には、獣の特徴を持った人間が描かれており、自然の力を借りようとした何らかの儀式に基づくものと推測されている。

 この遺跡のVI層からは、アシと筵でできた納骨堂に織物が敷かれ、目のくぼんだ頭骨が置かれている絵が発見され、死者に関して何かを表す絵であるということ以外はわかっていない。

 壁画に多くみられるのは狩猟をしている男性達がペニスをいきり立たせている場面である。また現在では、絶滅しているバイソン類を赤く描いていることもある。また、頭のない人間にワシやタカなどの猛禽類が飛びかかるように舞い降りてくる場面も描かれる。この壁画の猛禽類は、なぜか人間の足をもっているものがあり、儀式の際に鳥の姿に扮装した祭司の間に、頭のない遺体が置かれている様子を描いていると考えられている。

 日本でも古事記には、光る井から現れた生尾人《いくおびと》の記述がある。

『即入其山之 亦遇生尾人 此人押分巖而出來』 
(かくて、その山に入りましかば、また尾ある人、遇へり。この人、巖を押し分けて出で來)。
(そして山の中に入って行くと、また尾のある人と出会った。この人物は巌《いわお》を押し分けて出て来た)。

 この記述に見られるように、神代の頃には人と獣の境界が曖昧で、畏怖や神聖視されていたと考えられるのである。獣憑きとは、人間の最も原始的な部分から引き出される人間の底深くに眠る混沌の残滓であり、同時に神憑りや悪魔憑きなど憑依現象の一形態と推定されるのである。

 キリスト教圏でも、初期には土俗信仰とキリスト教が共存してそのような偶像が崇拝されていた地域があったが、中世以降、魔女狩りと同様に獣人は反キリスト・悪魔のとる姿と位置づけられるようになり、人狼狩りや人狼裁判なるものが度々行なわれた。これが前述した逸脱と異常のレッテルである。

 実際には人狼であるとされた人々は、麦角菌に感染したライ麦を食べて幻覚や精神錯乱を起こしたものであると考えられているが、魔術の儀式においてはこの二つを呪物に用いることもあるのだから、近代とは殊に不明の闇を科学によって照らそうとしながらも、同時に人に内在する神格化さえ可能な獣性を宗教としては異端視し、闇として執拗に遠ざけ、追い出そうとしていたに過ぎないともいえるのである。それは人間が神に愛された種族であり、獣の持つ獰猛な猛々しさや狂暴さといった本能のみによって動く浅ましさや、狂犬病による弊害ばかりがクローズアップされた結果ではあるのだろうが、多くが宗教と関連して人間の持つ獣性は忌避すべき対象と見なされたのである

 また、キリスト教圏以外の地域でも動物などの精霊が憑依して獣化する獣憑きの伝承は世界各地に存在しており、インドや中国では虎憑き、中南米ではジャガー人間、また日本における狐憑きなど、そのバリエーションは世界中に分布する。

 狼は日本では埼玉県秩父市の三峰《みつみね》にある三峰神社では神の使いとされるなど、神道の神様の使いとした例がある。江戸時代には、秩父の山中に棲息する狼を、猪などの害獣から農作物を守る眷族・神使とし“お犬さま”として崇めるようになった。さらに、この狼が盗戝や災難から守る神と解釈されるようになり、この社から狼の護符を受ける御眷属信仰が流行った。修験者達が神得を説いて回り、参詣するための三峯講が関東・東北等を中心として信州など各地に組織されたという。

 モンゴルやアメリカ先住民などでも、狼は同様に自然崇拝の対象になっているようだ。ロームルスとレムスはローマの建国神話に登場する双子の兄弟でローマの建設者であるが、ローマ市は紀元前753年4月21日に、この双子の兄弟によって建設されたと伝えられている。この双子は狼によって乳を与えられて育てられた。やがて羊飼い夫婦に引き取られ、かの双子は立派に成人する。古代ローマは、狼に育てられた人によって建てられたという伝説はこれにあたる。その他“オオカミ”を意味する言葉が地名や人名になっている例は世界各地に見られる。

 ドイツの自動車メーカー、フォルクスワーゲン本社のあるヴォルフスブルクがそうであるし、日本にも狼という漢字を含む地名は、青森県弘前市の狼森《おいのもり》や秋田県雄勝郡東成瀬村の狼沢など東北地方に特に多く、岩手県と宮城県には15もの狼と名のつく地名がある。

 ニホンオオカミはかつて本州・四国・九州に生息し、作物を食い荒らすイノシシやシカを退治してくれる農耕の守護者として各地で崇められてきたが、時代とともに徐々にその数を減らし、1905年に奈良県で捕獲された一頭を最後に絶滅している。しかし、地名としては各地でまだ多数の狼は生き残っていたようである。東北地方に多く見られるのは、狸や狐と通じるものがあるようである。

 また東北地方では“狼”と書いて“おい”と読む場合が多い。これは狼の別名である“おおいぬ”が訛ったものと考えられる。これは余談だが、ニホンオオカミ絶滅の原因は洋犬から感染したジステンパーの流行のためと言われているが、具体的な原因は未だ明らかではない。最近でもニホンオオカミらしき動物の目撃事例があり、まだ完全に絶滅していないという説もある。

 獣性とは獣の持つそうした自然崇拝の対象として持ち上げられながら、かつ荒ぶる狂暴性として忌むべき対象と、一見背反する両面を併せ持っているといえるのである。獣憑きについて執拗に論考するのはひとえに、この現象が人間の文化と切り離せないもので、人間に隠された神秘性を引き出す性質だからである。

 アニミズムと似て非なる概念としてシャーマニズムがある。獣憑きと同様にアニミズムとシャーマニズムは混同されがちなので、ここでシャーマニズムについても触れておく。

 シャーマニズムはアニミズムから一神教への過渡期へ至る一形態と捉えられる。シャーマンが交信できる存在としかコミュニケーションできない反面、アニミズムではありとあらゆる霊魂が信仰・崇拝の対象となり、きわめて日本における八百万信仰や御霊信仰に近くなる。

 アニミズム社会では皆がシャーマンを通じてではなく、自分で霊魂と交流できる。古代人の世界では、生者と死者は互いがごく身近なところにいたと考えられている。最近の縄文遺跡の発掘で明らかになってきたことは、縄文人達が自分たちの村を円環状に作り、その真ん中にできた広場に巨石を配し、死者を埋葬していたという事実である。

 こうした環状列石はストーンサークルとも呼ばれ、その痕跡は世界中で見られるが、殊に日本においては密集域が円筒土器文化圏(東北北部)と重なっていること、円筒土器は遼河文明と関連していること、遼河文明と関連する三内丸山遺跡からもストーンサークルが発見されていることから、日本にストーンサークルをもたらしたのはY染色体ハプログループNに属するウラル系遼河文明人と考えられている。

 ただしウラル系民族に環状列石を造る文化は元来なく、環状列石の本来の担い手はヨーロッパでメンヒルを建立するなど巨石文明を担ったY染色体ハプログループR1bに属する集団と考えられる。彼らはトカラ語派の担い手としてアルタイ地域まで到達していたことが明らかとなっており、アファナシェヴォ文化では、ストーンサークルを伴った墓槨《ぼりょう》がみられる。その文化が東進して遼河文明に入り、ウラル系遼河文明人を介して日本にもたらされたと考えられている。秋田県に多いJCウイルスEu-a2(JK)タイプもこの流れと共にもたらされた可能性がある。

 この遺伝子学的にもその変遷を辿ることが可能な環状列石から、古代人達の生活様式や死生観が見えてくるのである。昼間は広場に立ち入ることを慎んでいた者達が夜になると広場に集まってくる。そして死者を埋葬した上で踊る痕跡がそこかしこの遺跡に見られたのである。

 踊りのステップに合わせて地中から死霊が立ち現れ生者と共に踊り出す。これは今にいう盆踊りの原型でもあろう。この時は死者と生者の間の距離や境界は曖昧で、ほとんどなくなってしまっていると考えてよいだろう。古代人達はそうした状況を別に怖いとも恐ろしいとも思っていなかったという傍証でもある。死を穢れとして扱い、忌むべき対象とされた背景には、多分に神社仏閣に象徴された神道文化や仏教文化の伝来、疫病や飢饉、戦乱による疲弊や救いを求める宗教的世界観とも切り離せず、それはさらにずっと後世のことになる。

“現し世は幻。夜の夢こそ真”とは、かの江戸川乱歩の言葉であるが生と死、夢と現実は分離できないというのが古代人の基本哲学であったとすれば、生者と死者が一体となって踊っている夜の状況こそが、この世界の真実の在り方を表しているものと考えられた文化はあったのではなかろうか。

 弥生時代になると早くも生者と死者の分離が始まる。もう村の真ん中が死者の埋葬地というような古い考えは捨てられ、村から少し離れた山裾に墓地が設けられるようになった。そうなると一般の人々の下には夜、気軽に死霊が現れ、共に交流するなどということはなくなってきた。この時代に入ってくると特別な巫女や男巫女のようなシャーマンの元にだけ死者の霊は訪れるようになる。奈良時代には、そういうシャーマンでさえ、すでに没落していたのである。

 一方、日本の中央集権の国家体制と農耕型社会は確実に進歩していき、時代が進むにつれ、富の偏りはより顕著になっていくのである。中央集権と閉鎖的なムラ社会、富の盛衰というものにこの獣憑き、日本でいうところの憑きモノという事象やシステムは非常に深く関わっているのである。

 現代社会でも体の調子が悪くて医者に行ったが、どこにも異常はないといわれた人が、医者を転々として、最終的に民間宗教者に相談しにいくというケースをよく耳にする。これは「体の不調の原因を突き止めたい」という願望が、最終的に超自然的な存在にその原因を求めるということであり、医学の未発達だった近世の農村社会では、そういった傾向は一層顕著であったと思われる。

 文政2 (1819) 年、江戸の土田獻は『癲癇狂経験編』において、狐憑きは精神疾患であることを記し、また、水戸の本間救は『内科秘録』に「狐憑は狂癇の変証にしていはゆる卒狂これなり 決して狐狸人の身につくものにあらず」と書いている。

 しかし多くの精神病や神経性の疾病に対しては、その原因が全く分からないことが多く、治療法も見つからなかったため、患者は最終的には修験者や霊媒、祈禱師などの民間宗教者に頼らざるをえなかった。患者やその家族は「気の病」といったような説明では納得しないことが多く、彼らの納得しうる最良の説明が「他者の呪詛」「祖霊の怨念(タタリ)」そして「動物霊の憑依」であった。これは病気だけでなく、ある特定の家に災難が連続して起こった場合などにも使用された説明体系であった。

 獣憑きという分野は、西洋キリスト教的な文化史観と日本の文化や社会の様々な変遷を経て組み上がってきた土台の憑きモノでは、根本的な部分に違いがあるといえる。日本の場合は文化人類学だけでなく、さらに妖怪や怪異譚、精神分析学や病理学など様々な方面からのアプローチが可能で、海外と比較してみるとさらに興味深い可能性を見出だしえそうだ。今後はそうした分野や海外ではキリスト教圏以外からの研究資料や事例を収集して、またの機会に述べていきたいと思う。

 大学生 西圜寺秋也
 自宅デスクトップのフォルダより抜粋

※※※

『魔術の歴史と変遷・比較とその概念』

 日本に魔術という概念が入ってきたのは明治の頃で英語のmagic、仏語のmagie、独語のMagieなどの訳として入ってきた。英語のマジックは奇術の意味も持つ。 新約聖書でパウロは魔術・呪術を悪だとしている。魔術は聖職者の行う神秘や奇蹟などとの混同を避ける面もあり、白魔術と黒魔術という二つに大分類されているが、この分類も便宜的なものであり、統一見解とはいえない。

 一方、魔術に似た概念として文化人類学などでは呪術というものが定義されている。この呪術は未開文化の調査より見出され、定義された概念である。こうした未開文化由来の背景を持つゆえに、呪術は魔術よりも広範で原始的であると共に洗練されておらず、いわば土着的なイメージを伴う。

 そこで文化圏を問わない魔術的と思われる内容は全て呪術であると荒く一括りにされることが一般的である。というのも呪術は改定の余地を残していると学問的に定義されてはいるが魔術はほとんど注目されず、触れられず、またきちんと定義されてもいない。加えて魔術の実践者と自称する人々がごく個人的な考えで、他の事例・用法との詳細な比較検討及び摺り合わせがない実践上の定義をそれぞれに行っているので、互いに整合しない内容が乱立している。

 学問的な知識集積方法の欠如と、一般用法の混乱という二つの要因により、魔術を語る時にその意味を確定できるような信頼できるだけの情報源というものは現状はない。この複雑な状況を睥睨できる目端の効く人々は、魔術という語を説明できないために自ら用いることを避ける。誰かが断定的に魔術を述べるとき、多くの場合は誤解に基づいた不完全な理解が行われているのが実態である。

 日本では古くから神道と共に陰陽という概念が取り入れられ、風水や祈祷によって現状の改変を計るという呪術が存在しており、祈祷師や霊媒師などを生業とする専門家も存在するが、魔術という語が使用される場合は、特に西洋の古典魔術や儀式魔術などを指すことが一般的であり、風水などを指して呼称することは稀である。

 学術的な場面で魔術らしきものを扱う場合は、こうした既存の定義からの曲解や誤解を避けるため、より把握しやすい信仰や神秘、慣習などといった魔術以外の概念と絡めるほかなく、既に誰かが使用した内容に準拠している。その他に不思議な技術、未知の現象、非日常的な内容が魔術として扱われる場合があるものの、それらは明確に魔術として分類されている訳ではなく、多くの場合が喩えとしてのそれである。

 尚、どんなに例が多くとも、現状としては統一見解としての魔術の語義すらも明言できないことに留意する必要がある。そこで筆者は簡易ではあるが、魔術の歴史と変遷、比較と差違について触れるものである。

 古来より世界各地の部族社会において、シャーマンや呪術師と呼ばれるような者たちが治療、祈祷、雨乞いの儀式などを行い、占術や呪術を用いて人々の悩みを解決していた。先史時代にも行われていたと想像されるこの呪術的営為が魔術の起源であるといえる。旧石器時代の洞窟遺跡には、呪術師であると解釈できる人物像も多くみられ、現在のアフリカ大陸の一部にもある呪術師が人々の生活や医療を支えており、同時に彼ら自身が信仰や崇拝の対象にもなっている。

 西洋魔術は古代になると体系を持つようになり、古代ギリシアや古代エジプトの神殿巫女たちは、気象や薬草など様々な知識を体系的に学んだとされる。

 ローマ時代にキリスト教は国教となり、アニミズム的な考えなどを邪教として排除する方向に進んだ。神殿巫女たちは戦乱に巻き込まれたり、奴隷として売られたりもした。また、中世後期の異端審問や近世に盛んになった魔女狩りで裁判にかけられ火刑にされた人々の中には、薬草知識のある者、古い神を信仰する者、占いをする者などが含まれていたとする説もある。そうした人々はキリスト教以前の古い多神教が形を変えて生き残った呪術的儀礼を実践する人々であったと考えられている。

 もともと古代より存在した魔術は、メディチ家が活躍していたルネサンス期の欧州に流入した時、当時のキリスト教会を揺さぶることとなった。ここから魔術の歴史が始まる。

■魔術の種類 黒魔術と白魔術
 黒魔術は文化人類学で定義される邪術とほぼ同義とされ、黒呪術ともいう。これは他人に危害を与えるための技で、不道徳な魔術を呼ぶ際の蔑称であり、自己の欲求・欲望を満たすために行われる魔術のことで、自分にとって好ましくない結末も引き込むというところに特徴があるといえよう。

 通常、呪術で悪霊の力を借りるなどして相手を呪う術は全てこれにあたるとされる。また、自分の側に不都合な魔術は全て黒魔術とする分類もあり、「自分にとって認められないもの」という以外に厳密な用法はない。

 対になる概念に白魔術があるが、魔術については“白”や“黒”といった浅はかな分け方をすべきではないという考え方もある。黒か白かを決めるのは魔術を行使する術者の意思であり、術の使い方次第で黒にも白にもなる。また、白が善で黒が悪というのは黒人差別の考え方が根底にあるという指摘もある。

 前述のように黒魔術は自身の欲求や欲望を満たすために主に行われる魔術を指す言葉である。黒魔術は呪術的要素が特に強く、前述の悪霊や悪魔を召喚させて契約の取引を行うとされる。契約する悪魔によって期日や文言や道具や儀式の手順も変わる。

 無論のこと、階級の高い悪魔になれば呼び出し方や用意する道具なども複雑になる。悪魔の出現が近づくと、ほとんどの術師は恐怖に襲われ、魔法陣から出てしまうと精神が破壊され、命を失う危険さえ伴うという。 それを克服することにより、悪魔との取引を行うことができる。

 しかし、悪魔も「呼び出された」ものであり、当然相応の対価を要求してくる。悪魔は一度召喚した者は忘れず、人間の弱みを握るとされ、人を呪ったりすると自身に返ってくる。これは本邦における丑の刻参りを考えると分かりやすい。藁人形に五寸釘を打つという式によって対象を呪う。個人的な恨みという欲求を満たすという意味では正に黒魔術の儀式にカテゴライズされる訳である。“人を呪わば穴二つ掘れ”という諺は、実にこの点から来ており、失敗すれば己の身に返ってくるというところに最大の特徴がある。

 逆に白魔術とは好ましい目的に使われる魔術、魔法のことで文化人類学で定義される聖人の術とほぼ同義とされる。黒魔術と対比して用いられ、白呪術ともいう。これはかつての薬草学や西洋の宗教的信仰や神秘や奇蹟に源流を持つ。利己ではなく利他のために行う癒しや精神的・肉体的な安寧を得る魔術であり、これも実も蓋もなくカテゴライズするならば“自分にも他者にも都合がいい魔術、魔法”と言い換えることができる。

 白魔術については諸説あるが、害を得る者がなく、これは術者・願者に利益をもたらすものとされている。古来から現代に至るまで恋愛成就・雨乞い・豊作祈願・収獲祈願・紛失した物を見つけ出す・破損品を修復し新品同様に戻す・病気を治療するなどのために用いられる魔術を指す場合もある。中世における錬金術は現代の化学・医学の原型ともなった。この用法の場合、施術者の相手方に害意を与えることがあるための黒魔術・呪いとは別に解釈されるのである。

 物語の中では、天使などの「聖なるもの」の力を借りる(または召喚する)物を「白魔術」、悪魔などの「邪悪なもの」の力を借りる(または召喚する)ものを「黒魔術」と分けることがある。ただし、前述のように聖悪白黒は各個人の信仰・倫理により左右されるという点に注意する必要があるだろう。

 この召喚するという定義が魔術においては特に重要な為、その点に触れておこう。

 召喚の魔術として有名なものに『ソロモンの小さな鍵』がある。

『ソロモンの小さな鍵』は『レメゲトン』とも呼ばれ、5つの書からなるといわれている。特に第一の書である『ゴエティア(ゲーティア)』を指して『ソロモンの小さな鍵』と呼ばれることもある。

 その他、第二の書『テウルギア・ゴエティア』、第三の書『パウロの術』、第四の書『アルマデル』、第五の書『アルス・ノヴァ』から成り立っている。

 悪魔召喚のバイブルである、この『ゴエティア』には、イスラエル王国第三代の王であるソロモン王が使役していたといわれる72柱の悪魔とその召喚方法が記されている。特に召喚に必要な道具や呪文などが記されていることに特徴がある。さらにこの書では、悪魔を召喚することで様々な願望を叶えることができるとされている。

 それぞれの悪魔は地獄で階位を持っており、悪魔や堕天使など膨大な数が所属する軍団を従えているとされている。このソロモン72柱と呼ばれる悪魔は、ソロモン王が封じたとされる72柱の悪魔のことである。

 なぜ「柱」で数えるかといえば、日本の神道でも御神体や遺骨などを数える際に用いられるのと同様、悪魔も同じ“霊の一つ”であることから使われているとされる。

 ゴエティアには、これらの悪魔の性格や姿形や特技などが詳細に綴られている。それゆえ、『ゴエティア』は悪魔名鑑として後々の時代でも参照されてきた経緯がある。
『地獄の辞典』『悪魔の偽王国』などの有名な著作にも、『ゴエティア』に共通する悪魔が多数収録されている。現在、世界中で数多の人々にイメージされている悪魔の姿とは、この『ゴエティア』の影響を多分に受けているといっても過言ではない。

 前述のように『ゴエティア』では、1番目のバエルから72番目のアンドロマリウスまで、72柱の悪魔の特徴が記載されている。それぞれの悪魔が持っている印章や、「王」「公爵」「君主」などの地位、そして従えている軍団の数などを知ることができる。実際に『ゴエティア』の悪魔を召喚したといわれる人物として、魔術師のアレイスター・クロウリーがいる。クロウリーは健康をもたらすといわれる悪魔ブエルを召喚し、その悪魔の頭部と足を現世に出現させることに成功したと伝えられている。

 召喚では通常、神々や天使などのヒエラルキーにおいて高位で上位にある存在が対象となり、喚起では四大元素の精霊や下位の悪魔など、ヒエラルキーにおいて人間と同格か、それより下位の存在が対象となるのが普通である。この区分は明確に分けられている。

 精霊にも上位と下位の区分がある。火、水、風、土はそれぞれサラマンダー、ウンディーネ、シルフ、ノームなどを上位精霊として扱い、下位となると名称はフレイミーズ、アクアンズ、エアロス、アーシーズなどと区別する。ただし、下位の精霊となると漠然とした自然現象のみを指し示すこととなり、ヒエラルキーにおいては下位の精霊と見なされる。アレイスター・クロウリーは召喚と喚起を次のように定義している。

「“喚起”が前方または外へ呼び出すことであるのに対し“召喚”は呼び入れることである。これが魔術の二つの部門の本質的な差である。召喚においては大宇宙が意識に満ち溢れる。喚起においては、大宇宙となった魔術師が小宇宙を創造する。諸君が神を円環の中へ召喚し、霊を三角形の中へ喚起することなのだ」。

 なお、この召喚と喚起という言葉は日本語においては国書刊行会の翻訳魔術書を編集した朝松健と翻訳者らの会議で訳語として定められたものであるという。召喚 (invocation) と降霊 (evocation)という訳例もある。

 召喚魔術は神格に請願し、その力を自らの内に呼び降ろし、そして一時的に自分が神の乗り物と化すことを図る魔術作業である。要するに自分が神と一体化する、もしくは自身に神を憑依させる技法ということになるのである。

 稀代の魔術師アレイスター・クロウリーは、その方法を「祈りながら汝自身を燃え上がらせよ」「頻繁に召喚せよ」の二語に要約している。聖守護天使の召喚は魔術師が目標とするものの一つである。

 魔術の学院の主催者・学習主任の秋端勉は召喚には請願召喚と憑依召喚の二種類の方法があると指摘している。

 憑依召喚はアレイスター・クロウリーが定義するように、術者と召喚対象が融合する召喚作業であり、杯の業ともいう。これに対し、請願召喚は術者と召喚対象が分離したまま行われる召喚である。

 ここで召喚において重要なゴエティアの魔法円と三角形について改めて触れておこう。

 喚起魔術 (evocative magic・magical evocation) は、霊に対して、魔術師の外部の特定の領域に現れるよう命令し、現れた霊を魔術師の目的のために働かせる魔術作業である。召喚を杯《さかづき》の業というのに対し、喚起は剣《つるぎ》の業という。
「人工精霊 (artificial elemental) の創造」はこの変種と言える。

 近世のグリモワール『ゴエティア』に基づく魔術作業は、典型的な喚起魔術に分類される。魔術師は地に描いた魔法円の中に身を置き、円外に配置された魔法三角の中にデーモンを呼び出す。呼び出された霊はユダヤ・キリスト教の神の威光を借りた魔術師の命令に服する。刊行されている『ゴエティア』に付された図版では、三角形の中に円が描かれているが、これは魔法鏡であるとも解釈されており、魔法鏡をスクライングの窓として用いるのはよくある方法である。

 魔法円は魔術師を防護するためのものだが物理的に描く必要はなく、十分に習熟した追儺儀式で事足れりとする意見もある。

 伝承では香の煙や動物の血などによって呼び出した霊を物質化させ、目に見えるようにすることができるとされる。現代では、このようなことは不要であり、霊の出現の印としては幻視や雰囲気の変化で十分とも言われている。儀式においては国や地域や特定の教団によって様式が異なるが、呪物が頻繁に用いられるのが魔術の特色である。中には人間の頭蓋骨を用いる様式もある。

 長い論考となったが、歴史上に名を残してきた魔術師は魔術を用い、望む事を達成させる為に様々な秘技を行ってきた。その多くは中世紀が中心となり、現代でも世界の各地で独自の『秘密結社』などから様々な流派を経て息づいている。 歴史の中に実在する魔術師の中のほんの一部を紹介しよう。

■アレイスター・クロウリー
20世紀最大の魔術師と呼ばれるイギリス出身の魔術師。トート・タロットの発案者で秘密結社『銀の星』を創設。

■パラケルスス
伝説の錬金術師。 ホムンクルスの生成に成功したり、賢者の石を所持しているなどといった伝説が残っている。

■ゲオルク・ファウスト
16世紀のドイツの錬金術師。 彼の死後、伝説ができ、特にメフィストフェレスと契約した人物として世に広く知られた。

■フランシス・デュバリエ
ブードゥーの司祭、黒魔術師(ボコール)だったと言われる、ハイチの独裁者。

■ミシェル・ベルティオー
近代西洋儀式魔術の秘密結社に属し、神秘学研究などで名をなした魔術師。

■ポール・フォスター・ケース
タロット研究で知られている魔術結社B.O.T.Aの創立者。

■ブラヴァツキー夫人
20世紀最大のオカルトとまで言われる「神智学」の創唱者であるオカルティスト。

■ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ
カバラの熟達者でもあった中世を代表するドイツの魔術師。

■ヒルデガルト・フォン・ビンゲン
ドイツの修道院長であり幻視体験から、女預言者とみなされていた。 ドイツ薬草学の祖であり、中世ヨーロッパ最大の賢女とも言われる。

■ピーター・J・キャロル
「ケイオスマジック」の代表的創始者。

■ジェラルド・ガードナー
ウィッカの創立者である魔術師。

■ダイアン・フォーチュン
内光協会と呼ばれる魔術結社の創立者である魔術師。

 長い歴史を持つ魔術は現代にも存在しており、この先も歴史を積み重ねていくことであろう。 現代社会では漫画、アニメ、書籍を問わず、様々な局面で魔術を取り上げており、アクセサリなどでも知られるようになった。従来の複雑な式を介さない、占いや呪《まじな》いを通してより身近な存在にもなってきているようだ。これにより、魔術についての知識はより手身近な場所で得ることができるようになっているといえるのではないだろうか。

 我々の生活の中にごく自然に取り入れられている魔術。それはもはや摩訶不思議な力などではなく、案外に人の願いや祈りを込めて日々行われ、日常にそれとなく溶け込んでいるものなのかもしれない。

大学生 橋本貴明 
自宅デスクトップのフォルダより抜粋

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『神憑りの現代的アプローチ』

 神憑りは古くは「かむがかり」といい神霊が人の体に乗り移ることや、そのような状態やその人物。尋常とは思えない言動を行うこと。また、一途に信じこむことも神憑かり的なところのある人、などという言い回しがよくされる。“神懸かり”という言い方が世間一般では常用的であるが、本稿では根本的な部分で論じ分けているので了承されたい。

 重要となる神憑りについて触れておこう。

 日本の神社において、神憑りして神託を頂く神事の多くが誤解されている背景には理由がある、と神事を執り行う禰宜や巫女、心理学的考察からアプローチを加える人々は言う。

 まず現代においては多くの神社で神憑りという現象が、そもそも起こらなくなってしまっていることが挙げられる。祭りの時などは、伝承されている形だけ踏襲したものを行っているケースも多い。そのため本当の神託となる託宣もない。昔はあったという記録が文献などには残されているが、最近はほとんど聞かないと感じている人は多い。

 そして、どういう現象なのか体験したことも見たこともないため、よく分からないまま精神疾患の憑依妄想と漠然と関連付けているケースが多いということである。偶発的に霊にとり憑かれる心理現象が起こった場合、ほとんどの人が精神科に連れて行かれて、憑依妄想と診断・治療を受けていること。また、精神病と同一視された神憑りの現象は、社会的に有用性を認められていない、といったパターンがこの神憑りという現象を衰退させていると考えられるのである。

 統合失調症は百人に一人が発症する身近な病気と主張する専門家もいるぐらいで、憑依現象もそれなりに発生してはいるはずなのだが、多くは病気として処理されるため、表に出て来ることはきわめて稀であると考えられる。

 この憑依妄想は多くが誤解されているが、本来は必要があって出現するもの、有用なものと考えられるのだ。昔は世界中のお祭りで、祭りに伴う独特の雰囲気に感化され、催眠暗示効果が働いて神憑りが起こっていたことが様々な資料から見て取れる。

 シャーマンではない普通の参加者も神憑りすることがあったという事例から、もしも暗示性の憑依妄想が病的なものならば、一定の条件下で正常な人でも起こりえる現象ということを切り捨てて考えることはできない。

 神憑りは実のところ、非常に大切なメッセージ性を担っている心理現象であり、必要とされる場面で必要だから必然的に起こっていると考えられるのである。この視点からの認識が古い伝統文化の内容を適切に理解できておらず、現在の西洋医学からは完全に欠け落ちているといえるのである。

 これは神道という日本独自の宗教観に立脚した考え方や文化的習俗を、一神教をいただくキリスト教圏やイスラム圏では、およそ理解し難いものであるが故の誤解でもあろう。特に邪宗として日本の神道文化を、忌むべきものとして、時には焼き払うといった無理解で横暴な行為が見られるのは国籍の違いや政治的な理由や民族的な憎悪など様々な背景があろうが、そうした狂信による誤解も多分に含まれている感は否めない。

 実際のところ、自己催眠の暗示によって起こる神憑りは病的なものではないため、暗示を解けばすぐに正常に戻ることも多く、精神病としての治療の必要は実のところまったくないのである。

 ところが精神科医で、病気と区別できる憑依妄想が存在するという認識を示す者はほとんどいない。神憑りは昔から世界中の祭りの中でも度々起こり、存在をよく知られている現象であるにもかかわらず、さも心因性の憑依妄想は存在しないかのように位置付けられている。これは明らかな矛盾であろう。

 ここに、この憑依妄想を全て病気と考える混乱が生じている可能性があることになる。前述のように、統合失調症は百人に一人が発症するものとされているが、その中に正常な人に現れた心因性の、病的ではない憑依妄想も無理やり押し込められてしまっている可能性は否めない。

 祭りとは関係のない無意味な場面で、必要もないのに発生する憑依妄想の中には明らかに不自然なものも含まれている。無論のこと、脳内の神経伝達物質のバランスが崩れているといった何らかの物理的な原因が潜んでいる場合には、心因性の暗示や思い込みではないため、暗示を解く方法では正常に戻せない。当然、精神疾患として医師の処方や投薬を受けて治療する必要がある。

 祭りの雰囲気の中でなくとも自己催眠の暗示にかかり、憑依妄想の状態になることがある。実際にあったという事例や資料が残っているのは、コックリさんなどの遊びの場面で狐に憑かれた状態になってしまったケースである。

 これは“狐の霊が憑いて動かしている”といった情報が予め用意されており、自分で暗示をかけて憑依妄想にとりつかれている為、お払いの仕草をするだけで、簡単に暗示を解除して憑き物を落とせる。

 また、次のようなケースも考えられる。

 夜寝ていて突然目が覚めて金縛りで動けない不思議な現象(睡眠麻痺)を体験し、原因が理解できないため大きな心理的ショックを受け、これは霊の仕業ではないかと考えた為に恐怖心から憑依妄想の暗示にかかってしまうというパターンである。

 これはよく、訳あり物件と称される自殺者や殺人事件の被害者がかつて住んでいたマンションやアパート等の不動産物件の部屋に新しく入居してきた人物にも、まま見られる現象である。人の噂などの外部からの心理的効果が憑依妄想を誘発するケースである。

 このようなケースでは、体のどこにも異状はないのに偶発的に運悪く憑依現象に陥っているだけなのに精神科に連れて行かれ、憑依妄想の診断を受けてしまう可能性がある。

 脳に何の問題もないのに不用意に治療薬を誤処方されると、薬剤性精神病(Drug-induced psychosis)の状態になる可能性もある。憑依妄想の暗示にかかっているだけなら一瞬で解くことができるのに、まず妄想が解けないかどうか確認することを考える精神科医はほとんどいないという。何でも薬で治そうとする医師が多いのが、現代医療の弊害でもある。くどいようだが結果として統合失調症は百人に一人が発症する身近な病気という状況を作っているのだとしたら、これは医原病である可能性も出てくるからである。この誤解を解くためには、神憑りや憑依という現象の正体を明らかにする必要がある。

 神道における神憑りの神事の原理は自己催眠である。催眠術は眠気を催させることで、眠りながら夢を見るときの意識の状態に近付ける技術である。夢を見ている者の深層心理が作り出しているイメージは、ほとんどが映画か物語のように自由にならない場合がほとんどであろう。夢を見ている本人とは無関係に、自分の意思を持っているかのように話をしたりする。

 テレビの催眠ショーでよく見られるが、夢を見る時に近い意識の状態に誘導された後に「あなたは小鳥です」と暗示を与えられた者はどうなるだろうか? これは夢を見るときに小鳥を動かしている深層心理を、暗示によって無理やり本人の体に適用させられた状態になる。

 すると暗示にかかった人は、夢の中に登場する小鳥を動かしている深層心理に体を操られ、本人の意思とは無関係に小鳥の仕草や鳴き真似をすることになる。暗示を解くと瞬時に元に戻るが、原理が分からない者はどうして自分が小鳥の物真似などしていたのか理解できないと感じ、首を傾げることだろう。

 次に、もしも「あなたは神様です」という暗示を与えられたらどうなるだろうか?

 夢の中に登場する神様のイメージを作り出して動かしている深層心理が、強引に本人の体に適用されることになるので、本人の意思とは無関係に神のように振舞い、本人が考えもしない神の言葉を口にすることになる。

 これが憑きもの現象や神憑りのある一面での正体である。心理学的に説明できない要素は見当たらないので、非科学的な神の霊などを想定する必要がない。神が夢枕に立ってお告げをもたらすことがあるとされているのは、夢の中の神と神憑りの時の神が、同じ深層心理によって作り出されたイメージだからである。こうした催眠ショーの憑依現象は暗示によって起こっていることが明らかなので、誰も異常だとは思わない。暗示を解くだけでよい。

 神事の場合も「巫女舞をすると神憑り状態になる」と、巫女本人が強く思い込んでいれば、自己催眠にかかる。巫女の体に降りてきて宿る神は、神社に伝承されている神話を元にして巫女が頭の中にイメージしたキャラクターに過ぎないのである。

 これも実際にイメージされるのは神なのであるから、幽霊のような非科学的な存在を無理に考える必要は全くない。これをただの妄想や自己暗示に過ぎないと切り捨て、神憑りの神事は無意味で無価値なものだと思うのなら、あまりに無理解もいいところである。

 神社に祭られている神の中には生前の優れた業績を没後称える形で祀ってあるケースが多々ある。優れた知恵を示した人物が他界した後で飢饉や伝染病が発生して世の中が乱れた時、あの偉人が今も生きていたら、どうやってこの窮地を切り抜けただろうかと、故人を偲ぶ。これが天災地変の多かった日本の神憑りの神事の発想の原点となっている。

 これは伝説の知恵者の優れた思考を自己催眠によって脳を活性化させ、機能がアップした状態でトレースし、シミュレーションすることによって懸案解決のアイディアを引き出すことを可能とする技術の体系といえるのである。神社には有用な精神文化的遺産が伝承されている。

 これも余談であるが日本にある韓国キリスト教会などが執拗に日本の神社や仏閣を焼き、しばしば逮捕される背景には、彼ら自身の嫉妬深さや文化破壊的な気質もさることながら、エヴェンキ・ワイ族の末裔であるところの彼らシャーマニズム信仰の血統や係累が、根源的な部分でのシャーマニズム信仰とアニミズム信仰の融合した完成形であり、ある意味で成功例ともいえる神憑りや神事を日本が体得しているからというのが大きい。

 八百万信仰や御霊信仰の根幹は、あらゆる生命や事物に尊厳を置く知恵の体系である。地方を越えて国中にその文化を残して国際的にも高く評価され、民族の慣習として日本独自の祭礼やお詣りが日々行われるからともいえる。政治的な思惑はあれど、今や靖国神社が世界的にも有名な神社に発展したが故でもあり、ある意味で滅んでしまったシャーマニズム文化の憎悪を継いでいるからともいえるのではないだろうか。

 あらゆる宗教には、伝説上の優れた人格や知恵を持った人物に近付こうとする要素が見受けられる。神道もそれは同じで、神憑りの神事は優れた業績を伝説として残した祖先に近付こう、知恵を借りようという意識や心の表れでもある。

 本格的なトレーニングを受けた巫女の場合は、巫女舞の自己催眠によってトランス状態…いわゆる変性意識状態に移行すると、脳のリミッターである安全装置が解除され、封印を解かれた力が発現する。この系統は青森県のイタコや沖縄県のユタという霊能の技術による現象と基本的には変わりない。トランス状態に陥ることが可能な人物、或いは陥りやすい体質の者であれば資格は充分ともいえる。後述するが、無論のことそうしたトランス状態の弊害が差別や精神への機能障害を多分に帯びていることはいうまでもない。

 たとえば地震や火事に直面して生命の危機を察知すると、人は本能的に筋肉を保護しているリミッターや安全装置を解除して、火事場の馬鹿力と呼ばれる突発的な身体能力を発揮することがある。これが神憑りに伴う神通力の正体のある側面である。普段出したことがないような大きな力を出せるようになるが、限界まで筋力を使うと筋肉は損傷するので、あとで相当な激しい苦痛に襲われることも珍しくない。

 このリミッターの解除は筋肉に対してだけでなく、脳の様々な機能に対しても起こる。これが前述のトランスによる弊害である。

 最も典型的な事例としては交通事故に遭って死を直感した時など、時間にしてコンマ数秒の間に走馬灯のように記憶が駆け巡る現象がある。これは今まさに事故に遭うという人間が生命の危機を回避する方法を、過去に体験した出来事の中から探し出そうと、記憶を超高速検索しているのを、自分の意識が感じ取っている状態なのである。

 加速されるのは検索機能だけではない。交通事故が起こったほんの数秒間のことを、まるで何分もかかった出来事のように感じることがある。これは自分の周りの時間の経過が遅くなったのではなく、脳のリミッターが解除されて思考速度が普段の何倍にも速くなった結果、周囲のものがスローモーションのように見える状態になっているということである。

 これは実のところスポーツの分野ではよく見られる現象なのである。敢えて神憑りという表現を使うが、神憑りすると集中力が極限まで研ぎ澄まされ、周囲の物が動く速度が極端に遅く感じられたり、意識すれば飛んでくる高速のテニスボールや卓球の球さえ止まって見えるようになるのだという。

 もちろん打ち返すのも凄く楽になる。時間感覚が間延びするため、全身の産毛一つ一つに当たる空気が、まるでゼリーのような感じに変化するのだという。

 陸上競技の選手であれば、瞬間的に自分だけが速い速度で動きながら、周囲はスローモーションに見えるという不可思議な体験をした選手の逸話は多い。また世界記録を更新した重量挙げの選手が同様の体験をした時に、インパクトの瞬間にバーベルが羽のように軽く感じたと証言した選手もいる。

 こうした脳のリミッターを解除する前は、平常時は数多くの対象を一度にはっきりと認識することは出来ないが、意識容量や思考や視覚による視野が神憑りを体験した本人にとっては目に見えて拡大するため、自分の体はもちろん、周囲の物の状態一つ一つまで克明に分かるようになる。これは何も視覚だけに起こる現象ではない。聴覚や嗅覚や触角にも同じ現象は起こる。

 神憑りすると普段の自分とはまったく違う視点から物事を考えるようになるだけでなく、思考能力や五感から感じ取る能力が飛躍的にアップするといわれ、普通の人がまず絶対に思いつかないようなアイディアが閃くことも珍しくない。

 まさに、神の視点から物事を考えられるようになる。ただし、神憑りに伴なうリミッターの解除は自分の中にない知識や能力を取り出せるわけではなく、きわめて個人的で感覚的なものに限られる為に、多くが誤解されている。神憑りすれば何でも出来る万能の存在になれると思ったら大間違いである。

 本当の神憑りを体験したことがない、中途半端な耳学問しか持っていない宗教家達は、夢を膨らませすぎて神憑りすれば空をも飛べるような夢物語を書き並べてしまう。そういうものは、神憑りの原理上絶対にありえない現象である。儚い幻想は信じるに値しないし、こうした誤解が多くの宗教詐欺や誤解を生み、オカルトの範疇に含まれてしまっている。その典型的な例が映画の題材にもなった福来事件や、かの宗教団体によるテロ事件であることはいうまでもない。

 また、脳のリミッターを長時間解除したままにしておくと、脳がオーバーヒートして細胞単位で過労死する危険性もあるので、再封印する必要がある。この再封印という解除の仕方が重要なのである。スイッチを点けたり消したりする過程が重要なのである。

 日本の神道の古来より伝わる神憑りの技法
は、正にこのスイッチのオンとオフを切り替えることを可能にするのである。これは既に科学的な検証が可能で、けしてエセ宗教家がケレン味たっぷりに実演するような荒唐無稽な技術などではない。

 神社の中には、御神体が甘南備山の山体とされていて、山頂付近にある長い年月落雷を受けて磁化した鉄分の多い花崗岩の磐座《いわくら》のような場所で神事が執り行われることがある。このような場所で神楽を舞うと、磁気の中でリズミカルに頭を揺り動かすことになるので、周期的に変動する磁気刺激を脳が受けることになる。

 脳を磁気刺激する効果については、経頭蓋磁気刺激装置による研究が進んでいるが、この装置に比べると、人の脳ははるかに弱い磁気刺激でも強く反応する変動パターンが含まれている場合には、十分な効果が得られることが解っている。これは催眠や暗示効果というものを、より物理的、科学的に引き起こす為の証拠となりうる研究でもあろう。

 磁気を帯びた隕鉄製の神剣などを手に持って剣舞の動きをすると、非常に好ましい変動パターンの磁気刺激を受ける形になるので、トランス状態に移行してリミッターを解除した結果をより高めることが出来るともいわれている。神事や神楽舞の動作は即ち、トランス状態を引き起こす為の、きわめて合理的な動きだと考えられるのである。また、世界中の舞踊には古くから、こうしたトランス状態へと移行させる動きが自然に取り入れられているものなのである。

 魂を鼓舞するモーション。精霊と交信する為のモーション。祝いの祭りなどで神々への歓喜と感動と感謝を身体中で表現しながら神や精霊を自らに下ろし、周囲に拡散させるダンスなどは本来、人間の体がそうしたトランス状態へと移行させる動きを本能的に体得しているからではないかとも考えられている。

 ここまで読み進めば、神憑りして託宣する神事が、単純に昔話の神話を読んで伝説上の知恵者をイメージし、自己催眠でなりきった思考をシミュレーションしているだけではないということが分かるであろう。

 神社に伝わっている神の中には、その人の生前の心の在り方を写し取ったとされる人格の母型となるマトリックスが伝承されていることがある。これは、芸能人の物真似を考えると分かりやすいだろう。発声や表情や立ち居振る舞いだけでなく、気質や発想のパターン、つまり脳の使い方の情報も含まれていることになるのだ。

 神道での神憑りではよく知られている一族に記紀の神話の世界では、とんでもない乱暴者とされているスサノオのマトリックスが伝承されている。面白いことにそのマトリックスをまとった人物に話を伺ったところ、非常に穏やかで豪胆な人物で、これは和魂《にぎみたま》のように感じたと語っている。

 天照大神成立以前の古い神道の世界がどうだったのかを調べていくと、スサノオの信仰の方が盛んだった時代があることが分かっている。つまり記紀の神話の中で稲作と製鉄に関わる伝承で、農作物に災害を及ぼす悪役に仕立てられているスサノオやヤマタノオロチなどは、その本当の姿を正しく伝承されていない可能性があるのである。

 もちろん、一族に伝承されてきたスサノオのマトリックスが生前のスサノオの姿を正しく伝えるものかどうか、千数百年も前の人物のことであるから、検証する手段がないので分からないが、記紀の記述の怪しさは既にほとんどの歴史学者の共通した認識なので、記紀と一致しない内容のマトリックスを伝承していることは、むしろ肯定的に受け止めることができる。現在からおよそ50年ぐらいまでは、このマトリックスが神様の霊の実体と考えられていたようであるが、近年になって大きく、その認識が変わってきている。

 神憑りする対象は、何も神社に祭られている神だけでなく人格がイメージできるものなら、何にでも自己催眠で変身できることが分かっている。漫画やアニメのキャラクターへの変身をただの御伽噺《おとぎばなし》やファンタジーや子供騙しだと思っているとしたら、それは大きな間違いである。

 神社に伝わる自己催眠の技法を学べば、誰にでも可能になる。絵空事ではない本物の変身魔法が伝承されているのである。子供達に自己催眠の技法を教えてあげると、大喜びで変身ゴッコをするように、本当に子供は変身を好む。戦隊ヒーローや正義の味方の戦闘フォームへの変身など、そういう遊びを通して社会的役割にふさわしい振る舞いについて学んでいくのと同じである。

 人は日常生活の中でも、社会的役割りに応じたペルソナ(仮面)を、ほとんど意識することなく自然に使い分けていることが解っているが、これは実のところ前述の変身と非常に近い事柄である。あまりにも日常的に複数のペルソナを使い分けているので、違和感を感じる人はいないが、文化圏が異なる人が見たら、どうして教壇に立っているときは「先生は」と話していた人物が、友達と話をする時には「俺は」と一人称の自分の呼称や態度や言葉遣いまで、ガラッと別人のように変わってしまうのが不思議に見えるそうである。これほどコロコロと人が変わる人が果たして信用できるのか、などと思ってしまうのではないだろうか。

 しかし、それは日本というビジネスとプライベートを分け、公私を使い分けるお国柄ならば別段不思議なことではない。社会的役割に応じたペルソナの使い分けは、現代社会で生きる上で非常に重要なものである。しかし、それだけで終わっては、これも些かもったいない気がする。

 ユングの深層心理に対する考え方によると、夢の中に現れるメッセージ性を持った象徴的な人物達とコミュニケーションを持つことはコンプレックスを解消したり、心を成長させていくことが出来るとされている。しかし、夢を見て分析する方法には実のところ幾つかの欠点がある。人間は目が覚めると、夜見た夢のほとんどを忘れてしまう。殊に多忙な現代社会においては睡眠の質や形態が昔とは異なり、深層心理からのメッセージを受け取り損ない、心をメンテナンスしにくい問題を抱えているのである。ところが、ここに神道の世界に伝わる自己催眠の手法を採り入れると、新しい可能性が拓けてくる。

 催眠の技術を用いて、夜に夢を見ている状態に意識を近付けておき、夢の中に現れる象徴的なメッセージ性を持った人物を動かしている深層心理が本人の体を動かすように暗示を与えるとどうなるか、もう分かってきたのではないかと思う。

 ユングの手法では夢の中でしかコミュニケーションできなかった、アニマ・アニムス・グレートマザー・オールドワイズマンといったマナ人格の元型達と、目が覚めた状態で、しかも他の人にも客観的に見える状態でコミュニケーションできる。つまり、深層心理とのダイレクトなコミュニケーションを可能にする技術こそが、神社に伝わる神憑りの神事の正体であると考えられるのだ。

 神社で鈴を鳴らして手を合わせて神様に祈る時、人は自分自身の心に向かって祈っている。ここに西洋文化との神へのアプローチの仕方に決定的な違いがあり、これが神憑りに通じている。器物百年をして霊を為すという年を経た道具が化けるといった怪異や神格化に見られるように神は万物に存在し、心の中に存在して神格化され、森羅万象や世の事象に形を成して存在していると考える日本人的な思考がなければ、まず考えられない発想であろう。無論のこと、これは意識上でなく、深層心理の次元に存在している。

 そして、神憑りの神事を使えば、深層心理を自分の意識上に引き上げて顕現させ、己だけでなく他者とコミュニケーションを取ることさえ可能になる。心の文化は深層心理との対話が重要で、本来の二礼二拍手一礼などの作法に見られる神社の参拝システムはそのために存在しているものなのである。

 世界中に見られる古い時代の伝統的な祭りの中では、雰囲気に感化されて神憑りし、憑依現象を持った状態になるのは何もシャーマンだけではない。参加者の中にもトランス状態になる人がいたことは、文化人類学や精神分析学など、あらゆる方面の様々な研究資料に残されている。

 前述のように精神文化を理解できない西洋医学の視点に立っている精神科医達は、神憑りを病的な異常現象と解釈して薬による治療が必要と短絡的に考えてしまうようである。ところが実態は、深層心理と対話して心をメンテナンスし、心を浄化するセラピー上でも大切な精神文化的行為となっている。

 自己催眠によって心の中から深層心理の化身が現れるのは、夢の中にメッセージ性を持った象徴的な人格が出現するのと同じ意味を持っている。心の癒しが必要だと本人の深層心理が判断したからこそ、祭りの雰囲気を利用して表出してきているということである。

 長い論考となったが、ここまで読み進めてもらえれば、もうお解りかと思う。

 心のメンテナンスを求める反応を示している人々を無理解に精神・神経科病棟に送り込み、一方的に投薬療法だけをすることが正しい医療行為なのだろうか?

 脳内の神経伝達物質のバランスが崩れるといった物理的要因で起こっている精神疾患なら薬を用いた治療が必要だが、純粋に心因性(暗示性)の憑依妄想の場合、心をメンテナンスすれば済むことである。誤処方によって薬剤因性精神疾患の状態にしてしまうのは、とんでもない錯誤だと思われるのである。

 海外から多数の旅行客が日本を訪れ、その作法や日本の神道文化の素晴らしさが海外へと発信され、日本の神社仏閣等の文化的価値や万物に神が宿るというアニミズム的宗教観や八百万信仰など、精神的な心の拠り所や在り方や日本人的な宗教観が一時の偏った日教組教育が教える軍国主義の象徴といったマイナスイメージとは乖離し、改めて見直されてきていることは日本人として非常に喜ばしいことだと思うが、その反面、日本各地の神社に伝承されてきた神憑りの技法が近年、本質的な在り方を見失い、失われていきつつあるようである。

「昔は託宣があったらしいが、今ではほとんどそんな話は聞かなくなった」と話す神職の方々は多いようである。神社によって信仰形態や作法や考え方も大きく異なるので干渉は禁物とされているが、神社の巫女の一人として、それは内心寂しく感じるところである。

 神道には一般公開されない、部外者に見られてはならない非公開の神事も数多く存在している。実は重要なものはこの非公開神事に含まれていることが多いので、伝承されてはいても表に出ていない場合が多いのである。

 脳の研究や科学的考察が進んできたため、ミラーニューロンなどが働いてエンパシー能力によって受け継がれていくものだということが、ある程度分かってきたので神秘的な霊の存在など、もはや考える必要がなくなった。現実は既にそうした時代に入ってきているということである。近年では認識上の混乱を招くオカルト用語を排除する意味でも、マトリックスという言葉に置き換えて用いるようになった。

 日本の神社も、いずれはこうした脳のリミッターを解除する技術を神道の世界だけに閉じ込めておくのは些かもったいないので、もっと多くの人々が有用に活用できるようにしていく構想があってもよいのではないかと思う。日本の古き善き約款が完全に無用の長物となったとは考えたくないものである。

 いずれ神道文化が国際交流を通じて様々な国の人々に原理が知られるようになるその時には、神憑りや憑依妄想といったオカルト系の誤解を招きやすい言葉ではなく、キャラクターへの変身といった広く一般に流通している表現を用いていくことになるだろう。

 筆者は多分に夢想家である。いつか、神憑り現象に見られる心と体のメンテナンスやリミッターの解除が世間一般の人々の知るところとなり、あらゆるスポーツに新たな創造や価値観を生み出し、障害を抱える人々へのリハビリや精神的なケアにも役立つことを願いつつ、長い論考を終えることとしよう。

 神社の巫女 大学生 原口千晶
 自宅ノートパソコンのフォルダより抜粋

※※※

『生まれ変わる現代の見世物小屋』

今日は友人たちと靖国神社の例大祭へやって来た。御霊祭りである。

 この祭りは日本古来の盆行事に因み昭和22年に始まったもので、東京の夏の風物詩として親しまれ、毎年30万人の参拝者で賑わう。

 期間中、境内には大小3万を超える提灯や、各界名士の揮毫《きごう》による懸雪洞が掲げられ、九段の夜空を美しく彩り、本殿では毎夜、英霊をお慰めする祭儀が執り行われる。また、みこし振りや青森ねぶた、特別献華展、各種芸能などの奉納行事が繰り広げられるほか、光に包まれた参道で催される賑やかな光景は、都内で一番早い盆踊りであり、軒を連ねる夜店の光景は、昔懐かしい縁日の風情を今に伝えているのだ。

 僕の友人たちもバラエティー豊かである。アメリカはコロラド州出身のリチャードにタイ出身のグゥエン、台湾出身の楊《やん》に僕を加えた四人である。国際色豊かといえば聞こえはいいが、要は同じ大学の同級生なわけで、玉石混交の顔ぶれである。僕の親などは未だに外国人といて大丈夫なのかと余計な心配をするのだが、僕はまったく気にならない。同じ日本に住んで同じ大学に通っているのだし、慣れてみると案外お国柄や言葉というのは、お互いに気にならなくなるものであるらしい。悪友といってもいい。

 お祭りというものは、その地域の伝統をまさに表しているもので本当に面白い。海外が好きな僕だが、たくさんの伝統がある日本にも、まだまだ訪れたいところがたくさんあり、その日も異国の仲間たちと共に訪れる祭とあって新鮮な気持ちでワクワクしていた。テンションの高い友人たちを連れて歩くということで、多少は緊張してもいたのだが。

 いよいよだ。いよいよ始まるようだ。
 体の震えがどうにも止まらない。

 その狂騒と興奮の坩堝が気持ちを逸らせるものか、僕の目の前にはみるみる周囲が油染みて黄ばんだような、どこかけばけばしくも懐かしいような、ギラギラとした黄色い灯りにごちゃごちゃした字体がでかでかと踊り始めてきた。色とりどりの浴衣を着た女性達や子供を肩車しながらお面を被った父親達の姿もちらほら見かける。圧倒的な数の献灯の一つ一つに名前が書かれてある。このお祭りは提灯の祭りでもあるのだ。件の見世物小屋は今回の目玉であるのか、さらに奥の方にあるようで、派手な柄の幟も立っていた。

“迫害された者達の魂の叫び!”と書いてある。手書き風のフォントがそのまま毛筆体になったかのような、珍しいフォントだ。ところどころ僕でも読めない。辺りには祭特有の食べ物を売っている屋台のテントが、左右に延々と向こう側へと立ち並んでいる。こうした縁日の出店が二百も軒を連ねる光景は本当に珍しい。独特の匂いがする。グウェンはともかく、アメリカ人のリチャードは、しきりにこの匂いに閉口しているようだった。

 甘ったるいような辛いような、生臭いような甘いような、かと思えば何かが焦げるような匂いまで辺りいっぱいに立ち込め、ない交ぜになっているというのだ。友人曰く。

「何か腐ったものでも焼いているのかい?」

 このレポートは外国人留学生である友人達との共同レポートで記したサークルの会報誌であると同時に、彼らの日本のお祭り体験記とも呼ぶべき内容なので、どうか気を悪くしないで読んでもらいたいものである。

 すんすんと鼻をひくつかせてみても、こうごちゃごちゃと食い物が並んでいると臭さの原因はさっぱり分からないよ、とリチャード。

「台湾じゃ屋台はもっと多いよ。アジアによくある屋台村なんかじゃ統一感がないのは普通の光景だよ。香港には魚の塩漬けなんかが屋台で安く売ってる。中華鍋やフライパンでこんがりと焼くと旨いんだけど、これが凄く臭いんだ! 儲け第一主義だから、他人の店の匂いまで気にしてられないのさ」

「タイにはガパオやパッタイやトムヤムクンがあるよ。辛い味付けを好むし、ハーブも色々と使う。炒め物の味付けに魚から作る魚醤のナンプラーやベトナムのニョクマムとかがあるけど、アレは鉄板で焦げると凄く臭い! あの臭さが好きな人には堪らないんだけど、慣れない人にはキツいだろうね」

「そうそう。このない交ぜのカオス状態が楽しいんじゃないか!」

「そんなものなのかねぇ…」

 日本の屋台の店先で買った焼き鳥やソース焼きそばをムシャムシャ食べながら、懐かしそうに楊とグウェンが言った。リチャードは肩を竦めていたが、彼も日本のお好み焼きやたこ焼や焼き鳥は大のお気に入りのようで、僕らの中では一番食べていた。

 この四人が集まると、どの国に貧乏旅行しようとも、大概が食べてばかりいるような気がする。食事は旅の楽しみの定番だが、その国の文化に触れるには、その国の人々が食べている物を食べるのが一番というのは僕らの統一した見解である。だが、この大食漢の友人達のおかげで僕は今年に入って五キロは太った。今度は楊の国に行く予定があるので、それもまた楽しみである。

 ふと傍らを見ると黄色い屋根の下で、ローラーに巻かれた得体の知れない肉の塊があった。そこから切り取ったヤモリのような肉を串刺しにして、おかしな白い饅頭のようなものに包んでいる色の黒い男と目が合った。

 夜の闇と見事に一体化したような半裸の男はにっかりと笑うと、それを目の前で旨そうにむしゃむしゃと食って見せた。白い歯がやたらと光って眩しいくらいだ。

 夜の闇を照らす、ふしだらな黄色い明かりの下に篝火が焚かれている。ポールに立てられた粗末なテントは、向こう側の祭壇のような場所まで延々と続いている。その奥にも篝火が焚かれ、さらに奥には教会とも寺院ともつかない妙な建物が建っている。

 黒い男の隣では吐瀉物のような色をした、丸くて平べったい食い物を、ペタペタと黒い板にくっつけて焼いている女性がいた。

 当事者の、恐らくは韓国人の女性には大変に失礼な話なのだが、口の悪い友人達はしきりにその時の彼女のイントネーションが面白かったのか、今でも語り種にしては思い出し、大笑いするのである。

“シェラッシェー、シェラッシェー”と目の下が殴られたように赤く、キツネのように細くつり上がった目をした頬骨が張った女だ。声を枯らして、ひたすら“シェラッシェー、シェラッシェー”と叫んでいる女は、見たこともない生臭くて真っ赤な葉っぱを、その焼いた吐瀉物のようなものに載せている。頭がおかしくなりそうな臭いがした、とはリチャードの談である。

 異国から訪れる友人には本当に奇妙な光景だったのだろう。テントの途中にある辻は十字路に仕切られており、そこを右手に折れると大きくて粗末な小屋が見えてきた。
 
 僕にとっては靖国神社の御霊祭りは毎年、楽しみにしているイベントで年々観光客が増えているとは聞いていたのだが、今年も辺りはなかなかの盛況ぶりで家族連れやカップル連れも多く見かける。外国人の観光客にとっても相当にめずらしい光景なのか、写真に撮っている人や動画の実況中継を行っている人もいる。

 入口の辺りでは案内の警備員や警察官も交通整理にあたっているようで、既に黒山の人だかりである。その間を縫うようにして、昔懐かしのチンドン屋や派手な服装をした呼び込みの人も汗だくで大変そうだった。

「さあ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい、お触りは厳禁だよ!!」

 威勢ある口上が辺りに響き渡る。おかしな笛を吹いている音やおかしなドラムの音まで混じっている。

 ひゅうひゅうどろどろ。
 ひゅうひゅうどろどろ。

 おどろおどろしい、幟や黄色や赤の幕がごちゃごちゃと付いたおかしな小屋があった。

 恐る恐る中へと入ろうとすると、突如、受付台のようなところに首から頭が二つ生えている美少年が現れ、何やらお札のようなものを辺りにばらまいている。受付にいる耳のない男は紙切れのようなものを指差してきた。
金を払えということだろうか?

 ひゅうひゅうどろどろ。
 ひゅうひゅうどろどろ。

 小屋の中は妙に暑かった。何かが始まるのか、舞台には縁台のようなものが設えられていて次々と変な演者が現れるようなのだ。

 色っぽい女が蛇にかぶりつき、口からダラダラと血を流してニッカリと笑っている。

 その次には毛が一本もない裸の男が、一升瓶のようなものから透明な液体を口に含み、口から火を吹いている。その度に周りの客からは喚声がワッと上がる。

 客の中には子供を連れた親子や顔に変な仮面を着けた者や、頭に変な被り物を被った者もいる。やたらと狭苦しい粗末な小屋だ。異様な熱気とザワザワとした興奮が、汗ばんだシャツを通して伝わってくる。

 ひゅうひゅうどろどろ。
 ひゅうひゅうどろどろ。

「エイホー、エイホー、エイホー」

 舞台袖から滑るように、黒子が緋色の襦袢を着た女を戸板に乗せて運んできた。

 戸板の上にいる髪の長い女は、正座して客に土下座をするように顔を伏せている。長い髪で顔が完全に隠れて全く見えない。

 その女が突如顔を上げた。

 にっこりと笑って観客へと顔を向ける。顔が平べったくて人形のような、大層綺麗な顔立ちをした女だ。周りの観客から一際大きく下品な喚声がワッと上がる。

…一体、何が始まろうというのか?

 その時だった。獣のような大男が大声を張り上げ、縁台の奥の扉をバリバリと突き破って入ってきた。象のように大きな男だ。

 男は鉄の仮面を被り、巨大な斧を手にしている。大男は仮面の下から覗く血走った目をギョロつかせて観客を一睨みして、もう一度
うおお、と吠えた。足の下の部分が象のように垂れ下がって肥大化している。象のような大男は今しも戸板に載った女を、その巨大な足で踏み潰さんとしているかのようだった。

 象男は大きな斧を大上段に振り上げて緋色の襦袢を着た女の肩口に目掛けて、斧を降り下ろした。おかしな着物を着た者達からワッと喚声が上がった。

「きききききききききッ」

「ひひひひひひひひひッ」

 真っ赤な着物を着て派手な血飛沫を吹き出して真っ二つに分かれたはずの女から、突然にょっきりともう一つの体が生えてきた。血だらけの顔の女の顔は、もう一つから分かれた女の顔にそっくりだった。体から生えてきたせいか、頭の毛から肩まで真っ赤に染まって血塗れだった。一つの体から二つの体が分かれているのだ。血塗れの女はニタリと微笑んだ。

「きききききききききッ」

「ひひひひひひひひひッ」

 真っ二つに分かれた女達は、もう一度甲高い声で笑った。女達が奇怪な声を上げた途端に獣のような象男は、まるで何かに取り憑かれたように耳を塞いで苦しみだした。

「きききき、痛いかえ?」

 美しい顔立ちをした女はにんまりと笑って象足の大男に向かって言った。

「ひひひひ、辛いかえ?」

 肩口からはだけた緋色の襦袢から新たに生えた血塗れの女が言った。

『妾と共に冥府に落ちるかえ?』

 一つの身体から分かれた血塗れの女達が声を合わせて言った。

「うおおおぉおおお! グゥオオおおォ! 」

 大男は頭を抑えながら体を右に左によろけさせ、たたらを踏んで苦しんでいる。炎が下から吹き上がり、小屋が赤く染まっている。

 その時だった。

 突然、地響きのような轟音が響き、辺りが真っ白な霧に覆われた。

 辺りが暗転し、観客からザワザワとしたどよめきが上がる。不意に辺りがパッと明るくなると、檀上には二人の男女が抱き合っている。傍らには巨大な鉄火面と斧や血塗れの襦袢が転がっている。

 おお、という歓声が上がる。異形の男女が目も見張るような美男美女へと変貌したという構図なのである。

 そうなのだ。海外から日本にやって来た観客に解りやすいよう、間違いなく美女と野獣をモチーフにした興業だった訳である。

 聞けば、この見世物小屋の収益金の一部は難病を抱えた身障者や東日本大震災の被災者の為に使われるのだそうで、舞台に登場した象男も難病を抱えた患者であり、病床をおして残り少ない余命を役者として、悪役として舞台に立つことを選んだのだそうだ。

 舞台の幕が上がり、会場は拍手喝采の嵐である。狭い見世物小屋の中とは思えない熱気の中、瞳をうるうるさせている女性客までいる。リチャードはピーピーと口笛を吹き、涙脆い楊は袖で涙を拭いている。グウェンと僕はスタンディングオベーションである。

 鳴り止まない歓声の中で出演者だけでなく、受付台にいた人々まで舞台の袖からやって来て歓声を受けている。これぞ正に観客と一体になった舞台であったのだろう。

 この感動はちょっと言葉では言い表せない。はっきりと解ったことは、僕達四人は、今日というこの日に人生で最も得難い経験をしたのだという確かな思いだった。共に来場した人々も同じ思いだったのではないか。

 倫理観が発達し、厳しく表現を規制される現代に見世物小屋の灯りを消すまいと有志が集まって、このほど靖国神社という素晴らしき懐の中でこの見世物小屋が開催された。

 それは人権団体が主張する方向性とは真っ向から対立する形であったのかもしれない。しかし、真に障害を抱える人々の個性を認めた上で皆で楽しもう、受け入れよう、共にこの喜びや痛みをシェアしあおうとする姿勢こそが今の時代に必要ではないかとも思う。

 政治的な事情で開催が危ぶまれ、それでも続けていく事の難しさ。それに立ち向かうことの素晴らしさ。何よりも祭りという非日常の中で人種も国籍もない人々が同じ場所で、その非日常の風景を楽しみ、共に溶け込んでいることを僕らは素晴らしく思った。

 異国からやってきた仲間達と共に、今回の見世物小屋で感じたワクワクやドキドキ感は痛快ですらあった。悲劇とは感じさせない喜劇的な楽しさがある。お化け屋敷やホラー映画的な要素を取り入れ、演出も面白い現代風へとアレンジされるも、その口上、すし詰めで見る掘立小屋の風景や笑い合う観客は老若男女問わず、下は小さな子供達や上はお年寄りや女性達まで、会場全てに共有されたドキドキやワクワクしたあの一体感は、映画ともまた違う、誰かと秘密を共有するような背徳感と独特の暖かさで、とてもノスタルジックで懐かしい気持ちでいっぱいになった。

 江戸時代から続き、明日には絶滅するかもしれない興行に触れられた事を嬉しく思うし、こうして報告にしたためられることを誇りに思う。有志の皆さんの心意気が受け継がれ、新たに変わっていく伝統芸に敬意を払って、ありがとうと感謝の言葉を伝えたい。

 かつて日本中で、どこにでもあったお祭の中にある見世物小屋の風景。記録の中だけになる前に、皆さんも一度体験されてみてはいかがでしょう? 身障者も健常者も共に手を取り合い、笑い合える時代のヒントになるものが、案外そこには普通に転がっていたりするのかもしれませんよ?

 大学生 橘 伸彦
 自宅デスクトップのフォルダより抜粋

※※※

『残酷だけど教育になるマザー・グース』

 英米の子どもたちはみんな知っているマザー・グース(童謡)。実は非常に残酷な内容のものがたくさんあります。ミステリー作品などでは洋の東西を問わず、昔から見立て殺人などに使われたりしていますので知っている保護者の方もいらっしゃると思いますが、今回はその一部をご紹介しながら緑ヶ丘保育園からご父兄の皆様に、アメリカ・オハイオ州出身で当園の教員、児童心理学にも詳しいブレンダ先生が子供さん方への教育の一助としてご報告、ご紹介したいと思います。

○マザーグースと幼児教育
 マザー・グース (Mother Goose) は、英米を中心に親しまれている英語の伝承童謡の総称です。マザー・グースは、英米では庶民から貴族まで階級の隔てなく親しまれており、聖書やシェイクスピアと並んで英米人の教養の基礎となっているとも言われています。

 マザー・グースは子守唄、物語、数え唄、なぞなぞ、早口言葉など、様々な唄を含み、その数は1000とも2000とも言われており、欧米では子供達が最初に出会う絵本がマザーグースなのです。こんなマザーグースですが、実は残酷な内容がとても多いのです。

●『My mother has killed me』

お母さんが私を殺して
お父さんが私を食べている
兄弟たちはテーブルの下で私の骨を拾い
冷たい大理石の下に埋めたの

My mother has killed me,
My father is eating me,
My brothers and sisters sit under the table,
Picking up bury them under the cold marble stones

 このマザーグースは、親の言うことを聞かない子供に対する戒めのようです。言うことを聞かないからといって何も子供を食べなくてもよいだろうと思うところですが、これにも実は理由があります。

 それは子供の第一次反抗期、俗にイヤイヤ期と呼ばれる時期の教育と大きく関係しているのです。

 言葉や食事の習慣や自分の好きなものや嫌いなものを覚えるにつれ、子供たちは段々と「わたしが」「ぼくが」という自己主張が出てくる時期です。魔の2歳児と言われている時期(イヤイヤ期)がまさに、この段階です。

 イヤイヤ期は、子どもが成長していくうえで大切な発達段階の1つです。今までママとのやり取りに受け身だった子どもが、しっかりと自分の意思を持つようになります。そして、その自分の意思を伝えようとしているのですが、上手に相手に伝える事がまだできない状態なのです。そのせいで「イヤイヤ」が起こってしまいます。

 児童心理学では、この第1次反抗期をどう過ごすかで、第2次反抗期の現れ方や子どもの人格形成にまで影響を及ぼすことが分かっています。

 そこで、第1次反抗期を少しでも理解できるように、詳しく紹介していきます。

○第一次反抗期の時期

 第1次反抗期が始まる年齢や時期は、1歳半〜3歳頃が一般的と言われています。子どもの自我意識が強まる時期です。けれど、第1次反抗期は子どもによって個人差が大きいです。早くて1歳頃から第1次反抗期に突入する子供もいれば、4歳を過ぎてもなかなか第一次反抗期がなく、小学校に入る頃になって急にイヤイヤが出始める子どももいます。

○自己主張が強くなる
 親や大人の言うことに「イヤ! イヤ!」と反抗し、思い通りにならないと癇癪を起こすようになります。

 具体的には大人の食べている物をほしがり、自分の物は食べない。食べている最中に遊び始める。眠る時間になると「眠くない」と言って遊び始める。眠いのに眠れなくて、ぐずる。おむつを履かないで笑って逃げ回る。何でもかんでも口癖のように「いや」や「やだ」と言う。一人で遊んでいて急に泣く。友達のおもちゃを取るなどといった行動があります。

○自主的な言動が増えてくる
 できないことでも何でも自分でやりたがるようになります。

 具体的にはスプーンを使っていて、思いどおりに行かなくて投げる。さっき食べたばかりなのに、すぐに「おやつ食べたい」と言う。お出かけの際に自分で服を着るように言うとできなくて泣く、怒る。

 服の着せ替えをママがやってあげようとすると怒る。何かをママがしてあげようとすると泣く、怒る。ママと同じことをやりたがるのですが、させないと泣く。

 ここに書いていないことでもママの提案に対して拒否をするようになります。わざと、ママがとってほしくない行動を取るようになるというところが特徴といえます。

 具体例に当てはまることが多い場合は、すでにイヤイヤ期に入っているかもしれません。一度、お家でもお子さんの毎日の生活を振り返って確認してみてください。

○イヤイヤ期は成長過程
(乳児期)
 子どもは赤ちゃんのうちはパパとママからずっと付きっ切りで、お世話をしてもらって生活しています。そして、それに満足しています。乳児期には、パパやママからの愛情いっぱいのお世話をしてもらうことで、親子の間に着実に愛着や信頼が出来ていきます。

(幼児期)
 子どもが幼児期に入ると、自我が芽生えます。パパやママと自分は違う感情や意思があることに気付き始めます。パパとママとは違う存在なんだという意識を持ち始めて、自分の意思で行動するようになります。

(自我の芽生え)
 自我が芽生え始めると、自分の意思で大人の真似をしたり、パパやママに褒められるように振る舞ったりする行動を始めます。

 ところが急に何でも嫌だと言ったり、思い通りにならないと駄々をこねるといった行動も目立つようになってくるのです。赤ちゃんの頃とは違い、自分でできることが増えるにつれて、「自分の思っていることを何でも自分でしたい」という気持ちが強くなっていきます。けれど、自分がやりたいことや伝えたいことを子供はまだ上手に表現できません。

 大人ほど上手に言葉が話せませんし、大人ほど器用に物事がまだできません。そして、それがまだ自分ではできない事だという認識ができていません。そのため、自分ができないことでも自分で挑戦しますが、思うように上手にできないと、そこで葛藤が起こってしまうのです。それが「イヤイヤ」の表現や駄々をこねる事に現れます。

 そこだけを見てしまうと「イヤイヤ」は、わがままの様に見えてしまいがちです。しかし、本当は子どもがみんな経験する「自我の芽生えと精神的成長」でもあるのです。子どもが赤ちゃんを卒業して自分の意見を主張することや自主性が出てきたという成長の確かな現れなのです。そう思うと、なんだか嬉しい気持ちになれますよね。

「第1次反抗期」というと子どもがママを困らせようとして反抗的な態度をしているように聞こえますが、本当は何でも自分でやりたがる様になるのは、子どもに意思が出てきた証です。せっかくの我が子の成長なので身支度やお片づけやお手伝いなど、できる限り自分でやらせてあげてみて下さい。

 どうしても上手くいかない時は、「一緒にしよう」や「お手伝いしてあげるね」と優しく声かけしてあげて上手く「イヤイヤ」と付き合っていって下さいね。

●『She saw a dead man on the ground』
(床の死体を見た彼女)

She saw a dead man on the ground.
And from his nose unto his chin.
The worms crawled out, the worms crawled in.

Then she unto the parson said,
Shall I be so when I am dead?
O yes! O yes, the parson said,
You will be so when you are dead.

彼女は床の死体を見た
鼻から顎に蛆虫が這っている

女は聞いた
私も死んだらこうなるの?
ああ!牧師は言った
お前も死ねば腐るのさ

 蛆虫の出てくる童謡という変わったものがマザーグースにはあります。これも不衛生で汚いと眉をひそめず、大人と子供の違いをきっちりと教えて、子供にいつか人が死んでしまうのだということや、死は忌避できない絶対的なものであるということ、死にはどんなイメージが伴うものなのか、誰かの死を通して自分とどう向き合うのかという自立心を養う為の大事な教材になっています。

 上記の事例のようにわざと困らせて相手の愛情を図る「試し行動」。それは子供特有のママを困らせる行動で、時にそれは子供の心からのSOSでもあります。試し行動とは、子どもが自分をどの程度まで受け止めてくれるのか探るために、わざと困らせるようなことをする行動のことを言います。

「虐待を受けた子=大人を信頼していない子供」には、特に強く見られる行動といわれています。2歳くらいの子供だと物を投げる、泣き叫ぶ、かみつく、といった度の越えるワガママなどです。4歳くらいになると、直前に叱られたことを再度繰り返す。前にも注意されたことを敢えてする。ママの顔を見ながら、アピールするように注意されそうなことを敢えてしてしまう、などが挙げられます。

 ポイントは子ども自身が「悪い」とわかっていることを、大人の顔色を見ながら気を引くように、あえてするところにあります。これは大きくなったから自然に消滅するというものではなく、親の愛情が確認できるまで形を変えて表現されたりします。

 何度伝えても伝わらない時は、悲しい気持ちになったり、感情的に怒ってしまった時には自己嫌悪に陥ったり、罪悪感に包まれママの心も揺れますよね。そこにさらに子どもが揺さぶりをかけてくる。正に親としての在り方が試されている瞬間かもしれません。

●『There was a man,a very untidy man』
(一人の男が死んだ)

一人の男が死んだのさ
すごくだらしの無い男
頭はごろんとベッドの下に
手足はバラバラ部屋中に
ちらかしっぱなしだしっぱなし

There was a man,a very untidy man,
Whose fingers could no where be found
to put in his tomb.
He had rolled his head far underneath the bed:
He had left his legs and arms lying
all over the room.

 これも後片付けをきちんとしない子供への戒めで、どう見てもバラバラ殺人のような物騒な記述なのですが、人としてのとても大切なことを教えている歌なのです。

 怖さや危機意識という人間の持つ原始的な恐怖心を子供のうちに覚えるということは、実は幼児期の子供の教育において、とても大切なものです。いざという時は自分で考え、行動する、こうすればこうなるから危ないという将来の自分自身の危機管理にも繋がる大切な過程であるといえます。

 マザーグースにはこうした死や危険を暗示する事柄がとても多いのですが、だからといって不吉だ、子供の教育によくないと考えるのは却って子供に残酷なことや人が悲しむことや恐怖を通して慎重さを身に付け、教える機会を逸しているともいえるでしょう。

●『Ring-a-Ring-o' Roses』
(バラの花輪だ 手をつなごうよ)

Ring-a-Ring-o' Roses,
A pocket full of posies,
Atishoo! Atishoo!
We all fall down.

バラの花輪だ 手をつなごうよ,
ポケットに 花束さして,
ハックション! ハックション!
みいんな ころぼ。

 世の中には病気という怖い事象がある、ということを子供たちに教えてあげる唄がこのマザーグースです。「バラ」はペストの症状の赤い発疹、「花束」はペストを防ぐための薬草の束、「ハックション」は病気の末期症状、そして最後に「みんな ころぼ」で死んでしまう。

 こんな明るい歌に、死の病の象徴であるペストが入っていたというとショックですが、感染症やバイ菌の概念を教える為に存在しているものなんですね。

●『上空の黒いワシ』

“上空の黒いワシたちが向きを変え
いきなり飛びかかってきて
小さな我が子がさらわれた
眠っておくれ、幼な子よ、どうか眠って”

“上空の黒いワシたちが舞い上がり、
 真珠の王冠が後に残された
 おまえの愚かな父親はいびきをかいている
 眠っておくれ、幼な子よ、どうか眠って”

“上空の黒いワシたちが飛び交い
 幼い我が子につかみかかった
 世界中が見ている
 眠っておくれ、幼な子よ、どうか眠って”

“上空の黒い鳥たちが高く舞い上がり
 我が子の肉が引き裂かれる
 世界中が加担している
 眠っておくれ、幼な子よ、どうか眠って”

 日本でも五木の子守歌や島原の子守歌などは曲調も歌詞も怖いと言われていて、子守唄が怖いというのは世界共通のようです。スペインの詩人ガルシア・ロルカによると、子守唄の多くが怖い理由は、母親の哀しみの表れであるといいます。子育てに対する不安を知らず知らずのうちに子守唄として吐き出し、知らず知らずのうちにストレスを解消しているというわけです。

 これも子供を怖がらせることが目的なのではありません。子供達へ悪いことへの潜在的な恐怖を与えることで踏み込んではいけない場所への警鐘を促したり、危機意識を教え込むというのは世界共通のようで、子供達へのアプローチの仕方も国によって様々です。

●『My mother has killed me』
(母さんが私を殺した)

“母さんが私を殺して”
“父さんが私を食べている”
“兄弟たちはテーブルの下で私の骨を拾い”
“冷たい大理石の下に埋めたの”

“My mother has killed me,”
“My father is eating me,”
“My brothers and sisters sit under the table,”
“Picking up bury them under the cold marble stones.”

●『Lizzie Borden took an axe』
(リジー・ボーデン)

“Lizzie Borden took an axe”
“And gave her mother forty whacks. ”
“And when she saw what she had done ”
“She gave her father forty-one.”

“リジー・ボーデン斧を取り”
“母を40回 滅多打ち”
“自分のしたことに気がついて”
“父を41回 滅多打ち”

 このとても残酷な童謡は、実在の事件をモチーフにしています。1892年8月4日にアメリカで起きた、リジー・ボーデンの実父と継母の惨殺事件です。リジー・ボーデンは結局無罪とされ、真犯人は未だ解っていません。

 保護者の皆さんも、小さい頃に虫で遊んだりしませんでしたか? トンボの羽をもいだり、蟻の巣をつぶしてみたり…。

 子供は純粋であると同時に残酷とも思えるくらい自分の感情に素直に従った行動をとるものです。大人から見ればやや残酷とも思える一面が、こうした残酷なマザーグースを流行らせたという見方もできます。

 世界的に有名な童謡集『マザーグース』には、子供たちが社会を通して見てきた残酷な事実や恐ろしげな話が歌いこまれています。大人の世界や社会のなかに潜んでいる残虐性や、恐ろしげな空気を敏感に感じとった子供が唄いつづけていることで、私達はそこに影を落とした人の心の闇を見るが故に、暗さと美しさを同時に感じるのかもしれません。

 こんな歌もあります。

●『鍵と錠前』

 I am a gold lock,
 I am a gold key.
 I am a silver lock,
 I am a silver key.
 I am a brass lock,
 I am a brass key.
 I am a lead lock,
 I am a lead key.
 I am a monk lock,
 I am a monk key!

 私は金の錠前です。
 僕は金のカギです。
 私は銀の錠前です。
 僕は銀のカギです。
 私は真鍮の錠前です。
 僕は真鍮のカギです。
 私は鉛の錠前です。
 僕は鉛のカギです。
 私はモンクの錠前です。
 僕はモンキーです。

 愉快な言葉遊びの歌です。錠前を女の子、鍵を男の子にたとえているのは、一種の性教育ともいえるかもしれません。最後にモンク(お坊さん)がでてくるのは、モンキー(お猿さん)を引き出すための洒落でしょう。

●『ロディーおばさんに言っといで』

“Go tell Aunt Rhody, ”
“Go tell Aunt Rhody, ”
“Go tell Aunt Rhody ”
“The old gray goose is dead.”

ロディーおばさんに言っといで
年取った灰色のガチョウが死んじゃったって

“The one she's been saving, ”
“The one she's been saving, ”
“The one she's been saving ”
“To make a feather bed.”

おばさんがガチョウを飼ってたのは
羽毛のベッドを作るためさ

“She died in the mill pond, ”
“She died in the mill pond, ”
“She died in the mill pond ”
“From standin' on her head.”

水車小屋の池で 頭から突っ込んでたって

“The goslings are crying, ”
“The goslings are crying, ”
“The goslings are crying, ”
“Because their mother's dead.”

ガチョウのヒナ達が泣いてるよ
お母さんが死んじゃったから

“The gander is weeping, ”
“The gander is weeping, ”
“The gander is weeping, ”
“Because his wife is dead.”

オスのガチョウも泣いてるよ
奥さんが死んじゃったから

 これは日本の歌でいうところの『むすんで ひらいて』です。日本では仲のよい子供たち同士が軽快なリズムに乗せて互いに手を叩き合う手遊び唄ですが、英語ではどこか切ないメロディーでホラー映画のエピローグにも使われそうな歌です。


『口づけをしておくれ。 そして君のその古臭いジョークにもね。
 君に必要な忠告を あげよう。
 死者たちの声が君に届くまで 何年もかかったんだ。
 彼女は本当に奪ってはならないものを欲しがるが そのことに気がつく日は来るのだろうか?
 冷たい洞窟だって知っているんだ。
 気が狂ったり死んでしまった人達を お月さまはいつも見てるっていうことをね』

 緑ヶ丘保育園 児童保育士 ブレンダ・ルイス・ステファニー
 自宅デスクトップのフォルダより抜粋。

※※※

『頭骨と呪術』

 とかく後進国や未開というイメージが未だに先行しがちでファッショナブルな現代の服を着てスマホなども普及してきたナイジェリアであれど、人間のパーツが治療や呪術に効果があるという思い込みは、なかなか払拭できないものであるようだ。

 こうした新興国の文化や風習は多くに誤解があると筆者は考えている。血がしたたる頭部や手などを平気で持ち歩けるのは、ニワトリやヤギなどの動物を自宅でさばいて食べるせいもある途上国の背景もあるのだが、それをして野蛮であると断じることはできない。日本も戦国時代など、討ち取った敵の首を運んだりした首級の事例も多く、呪術としての頭骨という呪物は単純に死体とは切り離して考えるべき部分が多いと感じるところなので、今回はこの頭蓋骨と呪術と文化的な変遷について述べていきたい。

 死体といっても用いるのは頭蓋骨であるから、これは人間も動物も大差はないが、本邦の場合は人間の頭蓋骨を用いる。これは多くが外法や左道と見なされる。真言宗系の失われた立川流に源流が求められる場合もある。しかし、立川流はあくまで密儀宗教の一派であり狭義では信仰の範疇に収まる訳であるから位置づけとしては外法ではない。

  外法に対しては正法があるが、その正法が外法を包括して一つの体系を成している場合、これは密教などでは顕著なのであるが、完全に正法に組み込まれない全く文化が異質とでもいうべき外法がある。このカテゴライズや分類については、実際にはどこでどう線引きするかの判断は本邦でも非常に難しい。日本に伝わった時期の特定が難しく、様式が混ざり合っている物も多く、日本土着か大陸や半島経由のものの可能性もあるからだ。

 外法頭《げほうがしら》という様式では髑髏《どくろ》語りというものが比較的有名である。死者の頭骨に術をかけると髑髏が喋りだし、その知識を得られるというもので、類似した呪術は世界中にある。インカの村では先祖のドクロと会話する為の儀式というものもあり、日本のドキュメンタリー番組で取り上げられたこともあるほどだ。なぜ頭骨を用いるのかについては、やはり容器としての意味合いが強い。元々が脳を保護する為の骨である。 かの織田信長は浅井長政の髑髏で酒を飲んだという逸話もあり、これを覇王の剛胆な人物像としてあげたりもするようだ。

 ここで、その喋るドクロについて少し触れておく必要がある。幽霊や降霊術や憑依などと同様に、馬鹿げた怪異に過ぎないと一蹴できない程度には類例があるのである。

 憑依では本邦にはイタコがある。イタコは古来より日本の北東北で口寄せを行う巫女であり巫の一種であり、旧仙台藩領域ではオガミサマ、山形県でオナカマ、福島県でミコサマと呼ばれ、福島県・山形県・茨城県ではワカサマとも呼ばれている。このイタコや沖縄県のユタなどは、死者の霊と交信して生者と話をする憑依現象としてはよく知られているところだが、声帯も内臓も腹筋も筋肉すら朽ちた、生命活動が一切停止した人間の脱け殻で物質であるところの、しゃれこうべ―髑髏が喋るというのは、霊魂や憑依と比べてみても現象としては荒唐無稽で、まずあり得ないという印象は受ける。

 しかし、事の信憑性はともかくとしても、この頭蓋骨が人語を話す髑髏語りというものは記録には幾つか残されている。

 落語の方では『野ざらし』という噺があり、これにも髑髏が出てくる。しかし喋るのはこれも元であった人間の幽霊の方であり、髑髏自身が喋る訳ではない。

 では、そんな馬鹿げた例などやはり一切ないのかと言われれば、そんなことはなく、『今昔物語集』には、「僧の死にて後舌残りて山に在りて法花を誦する語」という髑髏が喋る話がある。

 ある僧が山の中を歩いていると、どこからか、何やらこの世のものとは思えぬ声が響いてくる。僧侶が耳を澄ませて聴けば、

“南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経…”。

 何者かが『法華経』を延々と唱えている。

「はて、斯様な深き山奥で読経とは―」

 僧侶は不思議に思い、その声の方に向かって近づいてゆくと、草の中に一つの髑髏が転がっており、その髑髏の中で、赤い舌だけがちろちろと動いて延々と『法華経』を唱えていたという。

 これはその昔、山中にて修行していた僧が死んだもので、死して後も修行への執念で、舌だけが生き残り『法華経』を唱えていたというものである。大概は人の一念、凝《こご》り固まれば、このようなこともあるやもしれぬと死者の念について言及するところである。

 もう一つは俗に『あなめあなめ』と呼ばれる六歌仙の在原業平が遭遇した怪異というものがある。

 ある夜、とあるあばら家で業平が宿を借りていた時のこと。鬱蒼とした叢《くさむら》から歌を詠《よ》む声が聞こえてきた。

「秋風のふくにつけてもあなめあなめ」
(訳:秋風が吹くたびに目が痛い痛い)

 業平はその声に驚き、辺りを見回すが、誰もいない。それだけでなく、今聞いた歌が上の句だけだったことも気になった。

 しかし夢か幻聴かとその夜は眠りに着いた業平は、翌朝気になって、もう一度声のした辺りを探してみることにした。すると、なんと目からススキの生えた一つの髑髏が転がっていたのである。

 皆目、その正体はわからないが業平はその故も解らぬ髑髏に手を合わせ、祈ることにした。すると業平のその姿をみとめ、丁度通りかかった村の男が言う。

「それは小野小町の髑髏でしょう。都で名をあげた絶世の美女だったそうですが、恋にも疲れ、ここに戻ってきて死んだのです」

 業平はその話に悲しみ、涙を流し、その死者を弔うように下の句を残す。

「をのこはいはしすゝき生けり」
(訳:小野小町の最後とは言うまい。ただススキが生えているだけだ)

 史実では在原業平も小野小町も共に六歌仙であり、大層な美男美女であったとされるが、業平は下の句を昨晩の句に付け足し、世の無情を感じつつ、また旅を続けたというものである。

 余談ではあるが、このあなめあなめの髑髏の怪異に限らず、小野小町に纏わる伝説や逸話は全国的にかなり多く、また伝説に依っては関わる人物との時代がズレていたり生没年と出生地が全国に広範囲に跨がっているなど錯綜が著しい。和歌集などから実在した可能性は高いものの確たる証拠が無く、美女であったかも怪しいという説もある。

 その為、美女の代名詞に用いられる他にも、「つかみどころの無い、よく解らない存在」や「美は刹那的で執着するものではない」というニュアンスで小町の名が使われることも多い。この髑髏伝説からも感じられる「どんな美女も老いるのだ」という教訓は、多分に仏教文化にいう、諸行無常や盛者必衰の理と小野小町自身が残した句と関連付けて巷間に語られているようである。

「花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに」

 この有名な句は色あせた桜に寄せての、容色の衰えと憂愁の心を歌ったもので、歌意は「花の色は色あせてしまったことよ、長雨が降り続く間に。むなしく私もこの世で月日を過ごしてしまった、物思いにふけっている間に 」となる。

 法華経を誦する髑髏や、「あなめあなめ」の小野小町の歌詠う髑髏が髑髏語りの一つの淵源にあると考えられるが、これら妙経の徳や歌徳が頭骨に籠もって髑髏語りが起きるといっても良いのかもしれない。

 またも、やや論点がずれるが、狐や狸も術を使う時に、頭骨を頭に乗せて北斗を礼拝する。 狐狸の類は北斗の化身である妙見の眷属であるとされるが、これは彼ら四足の狐狗狸が古くは天狗などに代表される箒星、彗星の化身であり、星神の使いとされていたことによる。本邦の狐狸妖怪談義や御伽噺に見られる数々の特徴から、古来より彼らはパワーソースをきちんと確保した、れっきとした呪術を行う存在とされてきた。 これが日本の絵本に見られる狐や狸は化けるというルーツにもなっている。

 狐狗狸と星神に共通する概念で研究者が妙に納得するのは、狐狸を一種の外法呪術者の暗喩であるとする考え方である。

 妙見イコール尊星といえば尊星曼荼羅にも獣が取り巻いている。獣たちと法の照応は儀軌類にもあるので、これらを関連付けていくことも可能である。妙見信仰と玄武信仰と眞武帝君信仰における十二神将の変遷的な部分である。十二神将は干支と関連づけることも可能で干支は獣に通じているのである。

 頭蓋を用いた呪術については、なぜか外法としてオカルトの範疇に含まれているが、本来は正式な儀礼や祭礼が大きく関係している様式で忌まわしいものという負のイメージは多分に死体から連想されるものが大きい故であろう。なぜ頭蓋骨を用いるのかという様式の主旨には、大きく二つの側面がある。

 まず一つは、いわば頭蓋崇拝とでもいうべきもので、霊力や魂は人間を代表格として頭蓋骨にこそ宿るという思想である。 死者の脳髄を食したり、干し首を作ったりするのもこういった思想の一つのパターンであり、最終的には死者の力を我が物としようとする考え方による。これが呪術という式になる。

 外法使いが頭骨をコレクターのように執拗に収集するのは、そうした自己強化的側面が強い。そうした頭蓋に執着する行為そのものが、ある意味で霊威を授かろうという儀式の前段階ともいえるからである。こうした傾向は術者が常に頭蓋から得られる霊の力なり呪いの影響を受けやすい体質になっていくからであり、そうした信仰が霊力を高めるからだと信じられているからである。

 二つめは奇形信仰とでもいうべきものである。特別な人間は骨格も特別であり 、それらの骨は特別な力を有しているという信仰で類例として釈迦の遺骨である仏舎利、仙人骨、仙骨などが代表格というところである。中でも尊い立場の人間や徳のある人物のものが貴重とされ、 それらの人物の骨がある種の奇形であれば、さらに呪術的に好ましいともされる。

 この二つの思想が組み合わさり、呪具や術具としての頭蓋骨というのは、魔術や呪術では一種の定番となる。現代では頭蓋骨を大量に保持していると犯罪者になりかねないので、収集においては苦労するようである。

 髑髏はまた生首とも無関係ではない。首級の御霊といえば本朝なら東京は大手町にある首塚で有名な平将門、天竺ならラーフの話がある。鹿島の悪路王の首級(レプリカ)も連想される。元は本物だったが朽ちたとか、水戸黄門に奉納されたという逸話があるのである。この鹿島の悪路王であるが、レプリカにしてもなかなかの出来で髪の毛は人毛で出来ている。首級や髑髏に籠もる力への認識は洋の東西を問わないといったところであろうか。 これについて少し言及しておく。

 岩手県水沢市埋蔵文化財調査センターに保管されている悪路王(アテルイ)の首像は、かの水戸黄門である徳川光圀が鹿島神宮へ奉納した首像の複製という事が解っている。

 江戸前期。徳川光圀はかの『大日本史(=本朝史記)』編纂のために史局員を日本各地へ派遣して史料蒐集を行った。これが水戸黄門漫遊記に繋がっていく訳だが、光圀自身は鎌倉遊歴と藩主時代の江戸と国元の往復や領内巡検をしている程度で、多くの逸話を残してこそいるが、実際に諸国を漫遊した訳ではないようである。光圀の死後も『大日本史(=本朝史記)』の編纂は水戸藩の事業として継続され、明治時代にようやく完成した。水戸藩では史学(国学)が下級武士から百姓(名主)まで大流行する。

 それが水戸学となり幕末には天皇重視の尊皇思想となっていくのだが、石岡市八郷の佐久良東雄などもその一例である。水戸藩内では遠い昔、阿弖流為(アテルイ)という原日本人が勇敢に戦ったという事がよく知られており、社殿を東北地方(アテルイの故郷)に向けている鹿島神宮に奉納したと推察されている。これは京都清水寺にアテルイ・モレの顕彰碑を建てた事からも推察されうる。

 奇形信仰と頭骨には浅からぬ関係がある。 簡単に解りやすい事例も幾つかある。

 テレビのドキュメンタリー番組などで牛の頭蓋骨をかぶっている肌の黒い呪術を行う原住民などはよく見られるところだが、実際に獣の頭蓋骨を仮面や帽子のようにかぶる民族や文化というのは存在するのである。

 動物の頭蓋骨を頭に載せているのは、多くがシャーマン(祈祷師)である。日本の遺跡では類例は見られないが、海外では農耕文化が起こる前の狩猟民族によく見られる風習である。動物の頭蓋骨が、動物の霊を引き寄せるアンテナのような役割を果たすのである。

 狩猟民族の神話では、動物の集団のリーダーが人間に近い姿で現れて、人間と約束を交わすことで狩猟を許可されるのである。そこにはこうした思いが込められている。

「私たちを捕まえて食べるのは許そう。しかし、必要以上に殺してはならない。生きとし生ける命に感謝して次世代へ命を繋ぐ為に食べて欲しい。殺された仲間たちのために復活の儀式をして欲しい」

 彼らの儀式では、シャーマン(祈祷師)が動物の頭蓋骨を被って、動物の霊を引き寄せる。動物の霊が憑依したシャーマンは動物そのものとなり、動物の霊が復活し動物たちが天国へ生まれ変わる儀式を執り行う。これは世界各地に見られる輪廻転生の考え方に非常に近しいものであることが解る。

 輪廻転生、いわゆるリインカネーションの思想は転生輪廻(てんしょうりんね)とも言い、死んであの世に還った霊魂(魂)が、この世に何度も生まれ変わってくるという考え方でヒンドゥー教や仏教などインド哲学・東洋思想において顕著だが、古代のエジプトやギリシャ(オルペウス教、ピタゴラス教団、プラトン)など世界の各地に見られる。輪廻転生観が存在しないイスラム教においても、アラウィー派やドゥルーズ派等は輪廻転生の考え方を持つ。

「輪廻」と「転生」の二つの概念は重なるところも多く、「輪廻転生」の一語で語られる場合も多い。この世に帰ってくる形態の範囲の違いによって使い分けられることが多く、輪廻は動物などの形で転生する場合も含み(六道など)、転生の一語のみの用法は人間の形に限った輪廻転生(スピリティズム、神智学など)を指すニュアンスで使われることが多いといえる。

 頭骨を被る呪術的衣装の他にも、原住民が肌に描くボディペイントなどにもその傾向が現れており、これもたくさんの種類がある。ただ単純に灰などを塗った物や彩色したものや刺青(タトゥー)やピアシング(ピアスの穴を開ける行為)などが有名である。

 これはスカリフィケーションという用語で知られるところだが、文化人類学・民族学等の用語としては瘢痕文身《はんこんぶんしん》とも呼ぶ行為であり、皮膚に切れ込みや焼印を入れてケロイドを作り、文字や文様を施す行為である。ネグリト、メラネシア人、アボリジニ、インディオなどの肌の色の濃い民族の間で見られる。瘢痕文身が施される部位は顔面、胸部、腹部、背中、陰部、手足など民族によって様々である。苦痛を伴うので、成人式の通過儀礼として行う場合が多い。

 さらなる類例として、この頭蓋骨と呪術から派生した驚くべき発見にトレパネーションがある。これは頭蓋骨に穴を空けるという外科的処置により、大人になってから感じるようになった倦怠感や精神的苦痛を大きく緩和し、意識が明瞭ですっきりした状態が続く。または第六感が芽生え、霊的なものが視えるようになる。とにかく幸福でエネルギッシュ。まるで子供の頃に戻ったかのような気分になるというもので、歴史としてはかなり古い外科手術である。

 手術は簡単なものである。まず頭皮を切開し、トレパンを用いて頭蓋骨に穴を開ける。そして頭皮を再び塞ぐ。数日後に包帯を取り去ると、小さな刻み跡が残るのみである。そこにはいかなる効果が発生するのだろうか。

 医者は簡単な道具を手に取ると、生きた人間の頭蓋骨に穴を開ける。そして、砕けた頭蓋骨の欠片をほとんど綺麗に取り除く。現代のような麻酔や滅菌技術を用いない手術で、なんと患者は回復したのある。

 思わず身震いするようなこの手術は、古代の医術である穿頭術(トレパネーション)の一例である。

 米テュレーン大学の形質人類学者ジョン・ベラーノ氏は古代の穿頭術を徹底調査し、5人の共著者と共に『Holes in the Head:The art and Arceology of Trepanation in Ancient Peru(頭に開いた穴:古代ペルーの穿頭術の技術と考古学)』を出版した。

 数千年前はヨーロッパや南太平洋でも、この穿頭術が行われており、アフリカ東部では1990年代まで続けられていた。だが、この治療が最も盛んだったのは、14~16世紀のペルー…つまりインカ帝国である。

 その証拠に、この地域で穴の開いた頭蓋骨が数多く見つかっているほか、骨が治癒した跡から、手術後の生存率が高かったことがわかってきた。

では、古代ペルーで穿頭術はどれくらい普及していたのか? これは実際には驚くほど広い範囲で行われていた。全盛期には、インカ帝国のほぼ全域で行われていたのである。インカ帝国で見つかった穴開き頭蓋骨の数は、国外で見つかったものの合計をはるかに上回っている。

 なぜ、古代ペルーで穿頭術がそれほどに盛んだったのだろうか?

 世界の多くの地域では、弓矢、剣、槍などが武器として使われていたのに対し、ペルーでは戦いに投石器や棍棒などが使われていた。そのせいで、頭部の骨折が起こりやすかったということが挙げられる。弓矢や剣、槍では投石や棍棒ほど頭部に傷を負うことはない。

 では、ペルーの外科医はなぜ、このような大胆な治療を始めたのだろうか?

 おそらく、当初は部族間の抗争などで打撃を受けた頭皮を綺麗に洗い、折れた骨の破片を取り出すといった、ごく簡単な外科処置から始まったと思われる。

 その患者は死んでしまったであろうが、これが命を救いえるだということに間もなく気づいたのであろう。穿頭術は、意識を高める神秘的な力を得るために行われたり、純粋に儀式として行われたりしたのではなく、頭部に重傷を負った、特に頭蓋骨を骨折した患者に施されていた。これについては膨大な数の物証がある。

 この研究を始めた時には、インカの穿頭術の生存率が高いとは認識されていなかったが、実際には70%超という高水準だったという。

 最初期の穿頭はペルー南岸のパラカス文化でみられるが、生存率は40%しかない。しかし、当時頭に開けられた穴はかなり大きいので、その大きさから考えれば、かなりの生存者がいたといえる。

 なぜ頭蓋骨にこんな大きな穴を開けたのかは今もってわからないのだが、パラカスの例については、シャーマンの試みによる特殊な施術と考えられている。

 即ち頭骨を使った術である。

 日本では、信仰や占いにシカの骨を使うのが主流であった。権現の骨には奉納というポジティブな意味合いがあるが、裏を返せば霊力のある動物の骨はネガティブな作用も及ぼすことがある。一見、猟奇的とも思える頭蓋骨に関係する意味不明な事件がまま起きていることを鑑みると、呪いが関係していると思われる事件は現代にも起きていることは大いに考えられるのである。

 長野県の諏訪大社の御頭祭《おんとうさい》もシカのあたまを供物として捧げ、五穀豊穣を願う。現在は剥製の頭だが、かつては75頭ものシカを狩って捧げたことがあった。動物と骨が関係する呪物は少なくないのである。

 室町から江戸時代に存在した『歩き巫女』は猿やキツネの骨の入った箱を首からぶら下げ、占いや口寄せ、、呪いに使う霊力を高めていた。歩き巫女の系譜であるイタコも師匠から『お大事箱』という動物の骨入りの箱をもらうのである。

 呪術の中でもおぞましいのは『狗神』という呪いで中国由来で四国に伝わったものである。生きた犬を土に埋め、首だけを出す。犬の首が届かないところに餌を置き、ヨダレを垂れ流す犬の『食べたい』という念が最高潮に強まった時に首を切り落とすという呪術である。

 その首は恨みを持つ相手に危害を加えたり、殺すほどのパワーがあるのだという。また、これと同様にキリスト教圏やアフリカでは、ヤギの頭は悪魔崇拝や黒魔術と密接な関係がある。

 このような事例の数々から、生き物の頭というのは呪具としての意味合いが殊更に強い。それは世界中に見られるDNAに組み込まれた呪いの方法を、人間が知らず知らずのうちに体得している証拠といえるのかもしれない。

 今後はさらにこうした事例を収集しつつ、頭蓋骨による呪術を類型化、体系化できれば差別や偏見の払拭にも大いに寄与するところではないだろうか。

 大学生(現在休学中) 中島明
 自宅デスクトップのフォルダより抜粋

◇◇◇

 3月10日(月) 晴れのち曇り

…駄目だ。

 今さらこんな論考をだらだらと原稿にして書いてみたところで、一体何が変わるというのだろう?

 頭の震えが止まらない。

 知らず知らずパソコンの近くの卓上カレンダーに目をやる。日付にバツ印をつける習慣など、両親が存命中はついぞなかったことだった。

 明日は特別な命日だ。

 多くの人々が、また今年も黙祷を捧げ、震災の犠牲者に祈りを捧げるのだろう。

 2011年3月11日14時46分18秒…。今や3.11《サンテンイチイチ》で通じてしまう。

 あれからもう3年か。

 あの大地震の日だけは今でもありありと目に焼き付いている。忘れられるわけがない。一生かかっても消えない痛みとして残された。

 あの日、僕はすべてを失った。

 切断された自分の左腕を右手で掴みながら、壊れた世界でひたすら訳もわからず泣き叫んだのを覚えている。

 何もかも失くした。

 帰るべき家も。故郷も。

 そして、家族も…。

 父も母も死んだ。

 地元にいた友達も多くが死んだ。

 震災で失った左腕はそこにないはずなのにズクズクと痛んだ。外科手術の甲斐もあって奇跡的に何とか繋ぎとめたが、思い出す度に左腕に走る痛みは今、正にそこにあるかのごとくズクズクと蘇り、頭の震えが止まらなかった。

 そこに存在しないのに痛む。存在しているのに、また痛む。生き残った僕に対する無間地獄という名の罰なのかもしれなかった。
 
 高圧の電流を流した万力でゆっくりと押し潰されているような、この耐え難い痛みと頭の震え…。これが幻肢痛《ファントム・ペイン》と呼ばれる現象だということは、つい最近になって知った。

 一体、僕たちが何をしたというんだ?

 どうすれば癒される?

 どうすれば救われる?

 いつか見た幻の女神に問いかける。

 あの真珠ナメクジの女神に。

 何度儀式を続けようとも。何度も遺物に念を籠めようとも、未だに記憶の中に眠る彼女は、現れてはくれなかった。

 ああ。頭の震えが止まらない。

 僕の世界は死んだ。

 ならば。

 もう、いっそこのまま…。

 
挿絵



 

 

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