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VS謎の少年

「眠らせると……死ぬ、だって?」

 この少年は、一体何を言っているのだろうか。ネロには理解不能だった。獣人の兵士や女剣士との戦いを目にして、怯えも失神もしていないことから、ただの子供でないのは分かる。だが正体不明な魔法使いを脅す文句にしては、それは余りにも奇妙な言い回しだった。

「どこぞに雇われたのかは知らんが、オレ様に関わると後悔するぞ」

 大人びた、というよりは、横暴な口調。変声期も迎えていない、透き通るような声色。背丈からして、十二、三ぐらいの年頃であろうか。安値のローブとフードに覆われているが、外見上は子供のそれだ。

「ふぅん、そうかい。そりゃまあ、おっかねぇな」
 ネロは膝下の埃を払い、指先で杖を一回転させる。
「んで、俺が逃げた後は、お前どうすんの」
「そこの下女と、町の外へ出る」
「爆睡してんだけど、起こすのか?」
「……オレ様が担いで運ぶ」
「大の大人を、子供のお前が? なんか高そうな鎧着てるし、めっちゃ重いぜ、こいつ」
「う、うるさいっ」
「それと追われてるっぽいけど、もし他の兵士に見つかったら、どうするんだよ」

 問い詰めるネロの言葉で、ついに少年は怒りを叫んだ。まるで押し殺していた感情が、止めどなく溢れ出すかのように。

「関係ない! 貴様には関係ないだろう! 死にたいのか!?」
「いんや全然。出来るだけ長生きしたいね。それに死ぬ時は、温かい布団の中でと決めてるんだ。こんな寝苦しい路地裏でなんて、御免だな」

 ふぁ、と口を大きく開けるネロ。いつもなら、そろそろ就寝の時間帯だ。眠気を覚ますようにして、目尻に溜まった涙を擦る。

 この男は、何がしたいのだろう――まるで寄せては返す波のようだ。ぶれない無気力でありながら、お節介。少年は、この手の気質に出会ったことが無かった。言動からして、賞金稼ぎの類ではない。だというのに忠告を無視し、ここに留まり続けている。あまつさえ、少年から『助けてくれ』という台詞を引き出そうとせん口ぶりで。

 言うなれば、それは偽善だ。上辺だけの同情。さも善人であるかのような態度。ごく限られた、一時の迷い。とても信用できるものではない。
 世の中は、腹に一物を抱える連中ばかりなのだ。少年は短い人生において、そう判断した。

「…………」

 口を閉ざし、女剣士の元へと赴く少年。近付いてくるにつれ、ネロは少年の素顔を垣間見た。
 薄い褐色の肌に、黒い髪、澄んだ大きな真紅の瞳。女剣士と同じく、目の下には黒い縁。そして――どこか寂しげで、悲しげな面持ち。

「どこに行く気だよ」
「貴様には関係ない」少年は、うわ言のように繰り返す。「死にたくなければ、そこをどけ」
「……はぁ……お前ら、もう何日寝てないんだ?」
「っ、よせ!」

 寝不足で人が死ぬことはない。だが、何らかの形で精神に異常をきたすのは間違いない。それが過労へと繋がれば、それこそ死に直結する。それは事実として異世界では立証されていた。脳への負担が大きく、また思慮深い人間ほど長く睡眠を欲する。いつ命を奪われるとも知れない緊迫した状況下だ、気苦労は絶えなかっただろう。

 女剣士と交代で休んでいたのかもしれない。ぐっすり寝るに寝れない事情があるのかもしれない。それならば、睡眠不足の人間を前にして、眠らせてやらないのは睡魔法使いの名折れだ。

「何を焦ってんだか知らねぇけど」
「やめ――」
「今日ぐらいは眠っとけ」
「ば、か……も……の」

 至近距離での睡魔法は、少年の意識を根こそぎ奪い去った。まぶたを閉じ倒れ込む彼を正面から受け止め、ネロは女剣士の隣に寝かせる。

「死ぬとか、やっぱデマかよ。脅かしやがって」

 深く眠りについた少年の顔は、年相応の安らかなものだった。ネロは小さく笑って気を取り直し、少し離れた獣人兵の所へと出向いた。

(普通の兵士、だよな。私怨ってわけでもなさそうだし。変な物言いからして、あいつら名のある貴族か? 夜逃げでもしてるとか。それにしちゃあ国の兵まで駆り出して大掛かりだ)

 考えを巡らせながら、一つ一つ物事を整理していく。これも一人旅で身につけた生きる術だ。けれどもネロの場合、よほどのことがない限り、大抵は面倒臭がって終わってしまうのだが。

(仮に貴族なら、命まで取ろうとするか? まともな依頼主なら生け捕りを選ぶ。じゃあ指名手配犯か盗賊……って柄でもなかったよな、あの女剣士は。あー、分からん。眠い!)

 がしがしと頭を掻きむしる。
 ――と、その手が、無意識の内に止まった。やがて、小刻みに震えだす。

(地震、か? こんな時に)

 それにしては、地鳴りが聞こえない。ネロは手の平を目の前まで持ってきた。
 これは、違う。地震の類ではない。

 ネロ自身が、体そのものが、震えているのだ。

「褒めてつかわす」

 背後から、低く静かな声に混じって、ひりつくような殺気が()かれた。経験したこともない感覚がネロを突き刺す。まるで夜の闇が眼球へと姿を変え、一人の人間を睨みつけているかのようだ。

「っ、そ」

 万力に挟まれるような圧。だがネロは、かろうじて体を動かすことに成功した。自分の身に、どういった異変が起きているのかを確かめようと、後方を(かえり)みる。

 殺意の発生源。それを目にした瞬間、心臓は恐ろしく鼓動を速め、呼吸は信じられないほど浅くなった。

「良くやった、が」
「――ぉあ!?」

 まるで自重が何倍にも跳ね上がったかのように、ネロは地べたに膝をつく。

「頭が高い」

 文字通りネロを見下したのは、眠ったはずの少年だった。
 フードを取り払い、黒々とした髪をなで上げる。人より少し長い耳。ふてぶてしさと幼さが交じり合った顔立ち。その瞳には紅い狂熱が宿っていた。笑みは薄く、不敵であり不気味だ。ローブの下に覗かせた赤銅色の甲冑(かっちゅう)が、少年の気品さを際立たせた。
 あどけなさが消え去った、まるで別人。

「ようやく、余の思い通りに動かせる時がきた。本調子には程遠いが――」

 少年が宙に二本の指を滑らせると、ネロの真横にあった地表が、爆音を立てて“陥没”した。
 突如として現れた底なしの穴に、ネロは否応なく(すく)む。

「悪くない。クカ、クカカカカカカカカカカッ!!」

 少年は……いや、少年だった彼は、暗い路地裏に木霊するかの如く、ひとしきり笑った。片手で頭部を(わし)(づか)みにして。尊大に、凶暴に、喜ばしく、生まれ落ちた時のように。

 それとは対照的なまでに、ネロの胸中は得も言われぬ罪悪感に包まれていた。自分は何を起こしてしまったのか、と。一向に、ざわつきが収まらない。寒気が消えてくれない。

「さて」

 笑い疲れたのか、少年は指の隙間から、足元に眠る女剣士を見た。

「余の目覚めを妨げてくれた礼は、しなければな」

 最早そこに、哄笑(こうしょう)(うかが)えなかった。あたかも道端の虫を容易く踏み潰さんばかりの、無感情に怖気が走る視線。
 少年の指が、次なる獲物に狙いを定め。

「待った!」

 紙一重で絞り出した声が、ネロの口から発せられていた。

「そいつは、お前の仲間じゃないのか」
「不埒者。誰の許しを得て喋る」
「――っ、う、ぁ」

 またしても、ネロに得体の知れない外圧が伸し掛かる。両膝を着き、両手の甲は地面に打ち付けられた。くの字に曲がる背骨が、めしめしと(きし)んでいる。あまりの痛さに気絶しなかったのは、幸か不幸か。

「一介の魔法使い風情が問を投げるか。本来ならば口を利くことすら(あた)わない輩だが……良い、特別に許そう」

 少年が指を解くと、ネロに掛かった重圧は取り消された。思い出したかのように、ぜえぜえと呼吸を繰り返すネロ。

「命拾いをしたな。だが二度は無いぞ、魔法使い。余に無礼を働くのであれば、その拾った物は落とすと思え」少年は鼻を鳴らす。「興が削がれた。されど始末はつけよう」

 今度こそ、女剣士を殺す気だ。
 恐怖と激痛に歯を食いしばりながら、ネロは頼りない杖を握り締めた。
 やり合えば勝機は無いだろう。ネロが過去に経験した中でも、相手は類を見ない化物だ。酔っ払いや、そこいらの魔族とは次元が違う。

(チャンスは一度きりだ。奴が油断している、攻撃の瞬間しかない)

 今持てる最大限の――どころか、限界を超えた魔力を。ネロは自身に課した(かせ)を一つ解く。

(どんだけの化物だか知らねぇが、ありったけを、叩き込んでやる)

 加減は無用。ネロは王都に着き“初めて”、まともな術式を組んだ。

 体内の外来源(マナ)を練り、それを魔力へと換え、術を用いて(うつつ)を犯す法と化す。すなわち魔術とは魔法へと至る過程であり、より強く、より効果的に作用させる役割を持つ。人によって、それは詠唱や魔法陣という形になるが、このネムイ=ネロは、己に巣食う無尽蔵の睡眠欲によって、それを成していた。

 まるで、異世界に住まう彼の分まで、眠気を引き継いでいるかのように。

「消えるがよい」

 人差し指と中指が動く。ネロはそれを見逃さなかった。

「っ、二度寝しやがれぇええええええええええええ!!」

 杖を照準代わりとし、息が続くまで、喉が枯れるまで、咆哮(ほうこう)した。

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