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14.ビタースウィート エモーション

 それは口に入れた瞬間に薔薇色の快感(エクスタシー)を私にもたらした。
小さな黒い塊が私の心を鷲掴みにした瞬間だった。
「んっ」
思わず微かなため息がこぼれたのも致し方あるまい。
生まれてこの方、このように甘く香り高いものを初めて食べたのだ。
チョコレートか……天上の食べ物のようだ。
「コウタ……本当にこれが100マルケスで買えるのか?」
聞かずにはいられなかった。
私にとっては信じられないことだ。
王都でチョコレートは非常に高価なお菓子と聞いている。
原料が南国から船でもたらされるために希少であるからだ。
コウタたちがその気になれば資産を増やすことなど容易(たやす)いことだろう。
そのことに思い至った途端に私は不安になった。
だって私は僅か600マルケスでコウタを雇っているのだ。
「コウタ……本当にまた私と契約してよいのか?」
「どうしたんですかクララ様? そういう約束じゃないですか」
コウタの声に安堵(あんど)の思いが広がっていく。
思わずコウタを抱きしめたくなってしまった。
そして、どうしてコウタが側にいると安心できるのかが今わかった。
コウタは私が少女時代に飼っていた犬のヴォルケにそっくりなのだ。
父上との特訓の後、母上がお亡くなりになった時、辛い時はいつだって私を慰めてくれたヴォルケ。
コウタを見ているとまるでヴォルケが再び私の元へ来たような気がするのだ。
「……これからもよろしく頼む」
「はい」
いつもと変わらないコウタの笑顔にほっと胸をなでおろす。
でも、本当にコウタがヴォルケに似ているだけか?
それだけの感情なのか?
モヤモヤする思いを消すように、私はもう一つチョコレートを口に運んだ。
甘く切なくほろ苦く、チョコレートの味は舌の上で次々と変化していった。



 ユッタさんたちに吉岡を紹介したり、屋敷の仕事をしたりで午前中があっという間に過ぎていく。
「先輩、薪はどこに運びますか?」
「納屋の軒下(のきした)に積んどいてくれ」
線の細い吉岡が頑張って働いている。でもアイツってあんなに体力があったか?
「吉岡って意外とタフだよな」
「いやぁ、さっきからちょいちょい回復魔法を使ってるんですよ」
そういうことか。便利そうで羨ましい。
「先輩にもかけてあげましょうか?」
「やってみてくれ」
吉岡の指先が緑色に光ったと思ったら、スッと身体が軽くなった。
「すげぇ! お前、これだけで食ってけるんじゃないか?」
「この世界なら高位の神官ですよ。日本でもカリスマ教祖になれますね」
ゲームの世界ではありふれた魔法だけど、目の当たりにするとそのすごさがよくわかる。シャレじゃなくて本当に高位神官にだってなれそうな気もしてきた。

 夕方になってようやく暇が出来たのでリアたちにお土産を渡しに出かけた。みんなすごく喜んでくれたぞ。特にゾットはナイフを貰って大喜びだ。この世界でナイフは一人前の男の証みたいなものらしい。2800円のモーラナイフだけど頑丈でよく切れるいいナイフだ。大切に使ってくれ。
「コウタさん、こんな高価なナイフはいただけません!」
はしゃいでいるゾットからリアがナイフを取り上げてしまう。途端にゾットが泣き出した。
「いや、俺の世界じゃそんなに高いものじゃないんだ……」
「たとえそうであっても、ザクセンス王国では5万マルケスは下らない品です。とてもいただくことはできません」
そうなの? ナイフや包丁を売るのもありな訳ね……。
「困ったな……だったら俺が使っていたナイフをゾットにやる。俺は新しいナイフを手に入れたから古いナイフをゾットにやるんだ。それならいいだろう?」
「ですが……」
「まあ、いいじゃないか」
俺は少しだけ使い込まれたナイフをゾットに手渡してやった。
「こっちの方が手入れしてある分よく切れるぞ」
ゾットの耳元でそう囁いてやると、ゾットは再び笑顔に戻った。
 ノエルにも可愛い飾りのついたブラシをあげたぞ。いつも変わらずニコニコしているノエルだが、普段よりニコニコ度が上がっていた気がする。喜んでくれたのだろう。

帰り道、ニヤニヤした吉岡が話しかけてきた。
「先輩が子ども好きなんて知りませんでした」
「そんなことないぞ。まあ嫌いじゃないけどな」
懐いてくる子は可愛いもんだ。もし絵美との間に子どもがいたら子煩悩な父親になっていたのかな?
「さてと、俺の用事は全部済んだけど、この後どうする?」
「自分は村の中を探検してから帰ります。先輩は先に帰ってもらっていいですよ」
「村から外にはいくなよ。モンスターが出ることもあるからな」
「了解です」
吉岡と別れて一人で屋敷へと帰る。今度来るときは連絡用に無線機を買ってきた方がいいと思う。確か吉岡はアマチュア無線機の免許を持ってたはずだ。
 吉岡はかなり遅くに帰ってきた。俺がバイクのヒートグリップをつけ終わってしばらくたった頃だ。
「ずいぶん遅かったな」
「いやぁ、村人との触れ合いを楽しんでいました」
そんなに社交的な性格をしてたっけ?
「珍しいな」
「異世界に来たせいでしょうかね? なんか知らない人とも平気で話せました」
「まあいいことなんじゃないか。明日は早朝に出発だから早く寝た方がいいぞ」
ついに王都への旅が始まる。明日は日の出時刻である6時30分に出発することが決まっていた。既に荷造りは終わっている。俺たちは早々にベッドへ潜り込み目を閉じた。
「先輩……」
暗闇の中で吉岡が話しかけてくる。
「どうした?」
「寒いです」
部屋には薪ストーブがあるのだが隙間の多い建物なのだ。窓ガラスなどはない。そんなものは都会の富豪の家にしかないそうだ。それも透明なものは少ないらしい。
 吉岡は冬山用の寝袋に包まりようやく落ち着いた。異世界といっても楽しいことばかりではない。
「先輩」
「ん?」
「金を貯めてこっちでの拠点を作りましょうよ。とりあえず隙間風のない部屋に住みたいです。羽根布団も持ってきたい」
「そうだな」
肯定の返事をしたけど俺は結構今の生活に満足していた。元々アウトドアライフが好きなんだよね。だから吉岡ほどには困っていないのだ。でも、ちょっとくらいの贅沢はしたいよね。それにこっちで稼いで日本円に換金すれば、あっちでもいい暮らしが出来るはずだ。それどころか趣味だけの生活だっておくれるかもしれない! 
「吉岡」
「はい?」
「資産運用とか詳しい?」
「任せといてください! 二人で資金を稼ぎましょう!」
流石は吉岡、本当に頼りなる男だ。
「やべえ、興奮して眠れなくなってきた」
暗闇の中で吉岡がごそごそしている。明日は50キロ以上移動するそうだから早く寝た方がいいだろう。大きく伸びをしてからもう一度目を閉じた。

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