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【4時限目】カタルシス学習法

 姫からのエキセントリックな告白は終わった。

 塾講師を始めて以降、何百人と生徒の悩みを聞いてきたが、今回のような悩みは当然初めてだ。正直、面喰らっていないと言えば嘘になる。
 ただ、驚いてばかりもいられない。悩みの解決への糸口を掴むため、告白の最中から思考を巡らせていた僕は、ふと姫の悶えぶりを思い起こすと、彼女が持つ『才能』とも言うべき可能性に気がついた。

 ……全く、可能性というものはどこに転がっているか判らないものだ。

「姫様が900年もの間、長きに渡って苦しまれてきたことは理解しました。それを踏まえた上で、その苦しみを解消し、かつ志望校に合格するための解決策を今、思いついたのですが……」

「……解決策ですって?そんな簡単に思いつくはずがないでしょう。冗談は止めて……」

「あなたの、フェチ……いえ、その特殊な性的嗜好……それを、そのまま受験に活かしましょう!」

「……は?ですから、冗談は止めろと……」

「お話を聞いた限り、姫様が抱える性的嗜好には2つの側面があると感じました。……まず、先程仰っていたM気質の面ですが、いわゆるMにも『2つの側面』がある、ということはご存知ですか?」
 僕が勤務していた進学塾では心理学研修というものがあり、年に数週間ほどその研修を受けていた。どうやら、近年のストレス社会の余波は受験生にも暗い影を落としており、生徒への定期的なカウンセリング=心のケアをすることも職務の一部になっていたからだ。そんな事情もあり、受験のモチベーション維持のため心理学の知識を持ち出して生徒と対話することには、僕にも一日の長があった。

「ふ、2つの側面?」

「はい。1つは『反転』のM。そして、もう1つは『真性』のMです」

「まず、1つ目の『反転』のMについてですが……平常時、支配者階級である姫様はSMで言えば『S』の立場です。そういった人が、性的場面では反転してM気質になる現象……これを反転のMと言います」

「反転の……M……?」

「そうです。普段支配下にある平民に、逆に隷属することで快感を得る……という感覚になるかと。恐らく、姫様は『平民に弾劾される』という感覚を『試験問題が早く解けよと迫ってくる』形に脳内変換しているのでしょう」

◆姫の脳内イメージ◆

 
挿絵



「……確かに、問題が強迫観念のように迫ってくる感覚は、あるかもしれませんわ……」

「問題は、解答を要求するものです。これが『弾劾=罷免の要求』に姿を変え、平民に自分が虐げられているかのように発想変換し、Mとしての快楽を得ているのでしょう。そういう意味では、姫様は『問題への従属』をしていると言えます」

「と、いうことは……どういう事ですの?」

「この従属は、つまり『問題が解答として要求しているものを正確に察知する』という能力に通じます。
言わば、問題を解く上でベースとされる能力です。この才能が姫様には十二分に備わっている、ということなのですよ」

「才能……ですか。何だか、あなたの口から初めて殊勝な言葉を聞けた気がしますわ」

「それで……もう1つのMとは何ですの?」

「もう一つは『真性』のMです。問題の要求を察知したら、もちろん次は解答を出すことが必要になります。そこで問題を解くことができず『なんだ、俺を解けないのか?この無能め!』と問題に責められることによる、快感……これは説明するまでもなく、普段姫様が感じている感覚でしょう」

「……素直に『はいそうです』とは言いたくありませんが、確かにその感覚は、私が先程お話ししたものと同義ですわ……」

「ですが、残念なことに姫様はまだ本当の快感をご存知ありません。……そう、『Mを越えたM』の存在を!」

「え、『Mを越えたM』……!?」

「だってそうでしょう?最も問題に責められるのは問題を解いている最中ではなく、解いた時です!問題を解くこと=自分を丸裸にされること、それは問題にとっては不敬に映るはずです。『お前如きが俺を解くのか?分をわきまえろ!』と怒りを買い、更なる責め苦が姫様を襲うでしょう」

「しかし、それを味わった時に姫様は『Mを越えたM』を知るのです!」

「っ……!!」
 この瞬間、姫に僕の言葉が刺さったようだ。
 高揚感からだろうか、姫の意識がふわっと浮上したのを感じる。

「どうです……ワクワクするでしょう?2つのM気質を併せ持つ『ハイブリッドM』の姫様にとって、責め苦は二重の愉悦……そして、その至上の快感は問題を解くごとに姫様を襲います。つまり……至上の快感をより多く味わうためには『全問正解』することが必要なのです!!」

「ふ、ぐふふふふふふ……私ともあろう者が、胸の高揚が抑えきれなくなってきましたわ……!」
 思った通りだ。妄想力……いや、想像力が圧倒的な姫であれば、僕の発言を瞬時に脳内で具現化することができると思っていた。
 ラストチャンスの受験へ挑む第一歩として、999年という超破格の浪人歴を持つ姫の自信を取り戻し、かつモチベーションを最高潮に上げさせるため、荒唐無稽な話であっても本人に唯一無二の才能があることを認識させ、それを活かした学習法こそが合格への最短距離だと示すことで、姫の自己肯定を限界を超えて促しておきたかったのだ。

「そうでしょう!多種多様な問題=言わばご主人様が、あの手この手で責めてくるのを思いきり味わえるのですよ!さぁ、もう遠慮することはありません。快楽に身を委ねましょう!!」

「あ、あああああああああああああああ」
 もの凄い欲望のオーラが、姫の身体の内側から爆発的に溢れだしたのを感じる。

「あ、あの………姫様!?」

「ご、ご主人様あぁ!!!!!!!」
 ………どうやら、やりすぎたようだな、僕は。
 姫の咆哮する姿を見て、つい目を背けてしまった。現実とは常に残酷なものだ。

「ひ、姫様、落ち着いて!!気持ちは分かりますが(いや全く分からないけど)、今は、お戻りくださいっ!!」

「……はっ!!わ、私としたことが、思わず取り乱してしまいましたわ……」

「……とはいえ、試験中はそのスタンスでいいのですよ、姫様。それこそが、受験において姫様の能力を最大限に引き出してくれるでしょう。それに、私が思うに『頑張って勉強する』という生物として不自然なスタンスでは、決して最高の成果は出せません」

「対して、『自然なスタンスで勉強する』というところでは、勉強の習慣化というものがありますが、それは訓練で不自然を自然に近づける行為。しかし、姫様には習慣を超える『本能』を活かした勉強ができるのです。あなたは…最強の受験生になる!!」

「私が……さ、最強……!?」

「そうです。快楽欲という本能のまま、貪るように問題を解く『カタルシス』への道。それを正しく育むことが重要です!」

「ほ、本当にいいんですの……?私が、そんな道を歩んで……」

「やれやれです……ここまで言っても理解されないとは、姫様の脳味噌はゴブリン並ですか?」

「何度も申し上げた通り、私は『講師』です。免罪…いえ、生徒の合格のために最適な学習法を伝授することが仕事です。姫様の場合、それが『本能』を活かした学習法だった…それだけの話です」

(よくも、こんな荒唐無稽な話を自信たっぷりと…でも、今までと同じ方法では不合格は目に見えている…それなら、未知の可能性に懸けてみるのも…)

「…いかがしました、姫?すっかり黙り込んでしまわれて…私の言っていることが高尚すぎて、ついてこられませんでしたか?さすが、ゴブリン並みの脳味噌…ある意味、感服致しました」

「こ、ここにきてまた馬鹿にするのですかっ、あなたはっ!!」

「……わ、わかりましたわ!!今回に限り…んっ!…あなたを信じて差し上げますわ!!せ……んっ!……せ……!!」
 一見悶えているようだが、時折、彼女は僕のことを気恥ずかしそうな目で見てきた。

「姫様、何か?」

「……………せ、先生!!!!!」

「……ふっ」

「悶えながら人を呼ぶとは全く仕方のない方だ……ですが、ようやく私のことを『先生』と言えましたね。……いいでしょう。では、過去問はこれまでとし、明日より本格的に『授業』を始めます!!」

 こうして、姫にようやく『先生』と認められた僕は、モチベーションも新たに本格的な受験計画の作成に取りかかった。





 ……そう、僕たちの受験戦争は………これからなのだ!(まだ終わりません)

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