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1.

 山越えのバスで車酔いに苦しむこと一時間、私達は目的地についた。
 私は河東奏(かとうそう)、一応、職業は漫画家ということになっている女だ。
 理由あって長めの休暇が確保できた私は、友人の山奈涼香(やまなりょうか)と共に、埼玉県のある村にやってきた。

 車酔いで呻く私に荷物を押しつけながら涼香が言う。

「着いたわよ。打ち切り漫画家」
「打ち切りじゃねぇ。雑誌が廃刊しただけって言ってるでしょ」
「最悪じゃないのソレ。これからどうやって生活するの?」

 言うな。深く考えると全身震えるんだ……。

「……それを考えるための旅行よ。あんただって彼氏とまた別れたんでしょ」
「今度はストーカーと化して引っ越しを余儀なくされなかったらから穏便よ。警察呼ばなかったし」
「相変わらず凄い世界に生きてるわね……」

 乗り物酔いとは無縁らしい涼香は私とは対照的な軽い足取りでバスをおりていく。
 胸の谷間やら太ももやらが眩しいスタイルの良い23歳。
 女同士の旅行で『プチ白川郷』と呼ばれるノスタルジーが売りの観光地(もちろん田舎だ)に相応しくない露出度高めの出で立ち。「蚊の栄養分になりにきました」と言えば多少は説得力があるだろうか。

「うぅ……仕事無くなったし、車酔いだし……」

 暗い気分になるだけの呟きをしながら、私はノロノロとバスから降りていく。学生時代、同人イベントのために無茶をしてボロボロの状態で学校を徘徊する姿から『怪奇同人ゾンビ女』と呼ばれていた頃に近い挙動だ。

 バスの外にでると、むわっとした蒸し暑さが押し寄せてきた。
 時刻は夕方だが、標高が高いわけでも無い山間の村はやっぱり暑い。ひぐらしの鳴き声が山に反響して怖いくらい響き渡っている。
「あっつ……でも、景色はいいわね」
「でしょ。なかなか頑張ってる」

 涼香に追いつき、そこから見える光景を見て、一言そんな感想を漏らす。
 バスが到着したのはちょっとした丘の上で、これから泊まる場所が一望できた。
 目に入るのは一面の田んぼと小川の水車小屋、古民家、温泉を初めとした施設と神社、あとは豊かな山々だ。
 
 合掌造りとはいかないが、昔話に出てくるような田舎の風景。東京生まれ東京育ちの私にすら謎の懐かしさを抱かせる見事な出来だ。
 
「よく作ってあるわね。元々は普通の住宅があったんでしょ?」
「田んぼとか川はそのままだけどね。普通の家は全部引っ越して、古民家っぽい建物を建てたの。来る途中、今風の家が建ってる住宅地を通ったでしょ? 住民は基本そっちにいて、ここは働く場所」

 車酔いで景色を眺めるどころではなかったが、言われてみればそんな気がする。

「よくそんなお金があったわね。この田舎に」
「この村出身の政治家と官僚がいたらしくて、上手くやったらしいわよ。で、そこそこ成功してる」
「生々しいけど説得力のある説明ね。ちょっとスローライフ気分に浸るにはいいところだと思うわ」

 何より東京に近いのがいい。見れば、私達と似たような理由で訪れた人々が、バスから出てそれぞれ荷物を持って歩くのが見える。人によっては送迎付きだ。
 私達は徒歩である。

「で、ここから歩いてどれくらい?」
「丘を下る途中だから、十分かからないわよ」
「ちょ、待ちなさいよ。私、荷物が重いんだから」

 そう言って軽やかに歩き出す涼香。
 対照的に大荷物な私はよたよたと進む。
 荷物の中には仕事道具が色々入っているのだ。
 休暇ついでにこの村の取材をして、次の漫画の題材にするのだから。

○○○

 涼香のとってくれた宿『おたがいさま』は丘の途中にある古民家風の建物だった。見晴らしの良さが売りの一つらしい。
 古民家風。そう、私達の泊まる宿は建材の一部を解体する民家から流用しつつ、現代の建築技術で作られた観光用の宿なのだ。
 色々と文句もあるようだが、私はこういうのは気分が大事だと割り切ることにしている、快適だし。

「いらっしゃいませ。お二人でご予約の山奈様ですね」

 玄関を開けると出迎えてくれたのは、淡い若草色の着物を着た少女だった。中学生か高校生くらいだろうか。前髪ぱっつんの綺麗な長い髪と、優しげな眼差しの可愛らしい子だ。
 それを見た涼香のテンションが上がる。

「これこれ噂通り。女の子が着物で対応してくれるから選んだの。あ、写真とっていい?」
「え、ちょっとそれは、困ります……」
「いきなりは無理でしょ。まずは荷物……あと休憩を」
「あ、はい。こちらに記帳をお願いします。……どうかされたんですか?」

 質問には涼香が答えてくれた。

「車酔い。少し休めば良くなるわ」
「ああ、なるほど。先ほど連絡を頂いたのでお部屋、冷やしてあります。飲み物もお持ちしますね」
「あら、サービスいいのね。ありがとう」

 私がバスの中でぐったりしているうちに連絡を入れてくれていたのか。
 涼香は私より大分コミュ力が高いので頼りになるのだ。

「あ、そうだ。あなた、名前は? 学生さん? ここの人?」
「あ、はい。互井桜子(たがいさくらこ)といいます。高校生です。この宿、家族経営でして」
「偉いわねぇ。それに若くて可愛くて」
「そんな。山奈様こそ美人で……」
「桜子ちゃんか。あ、涼香でいいわよ。短い間だけど宜しくね」

 さっそく仲良くなろうとしている。流石だ。
 友人の対人能力を尻目に、私はノロノロと古いようで新しい宿の中へ入っていくのだった。

 部屋は桜子ちゃん言うとおりクーラーで良く冷やされていた。蒸し暑さでジワジワと体力を削り取られていた身としては有り難い快適さだ。
 テーブルと座椅子の置かれた畳の部屋からは田畑と山が広がるザ・田舎が見渡せる。このために地区を再整備しただけはあり、なかなか悪くない。
 
 荷物を置いて、少しばかり涼んだ辺りで、「失礼します」という可愛らしい声がした。
 扉の向こうでは、女子高生の桜子ちゃんが、麦茶らしい液体が入ったコップをお盆に乗せていた。

「麦茶ですけど、良ければどうぞ」
「ありがとう。助かるわ」

 涼香がお茶を受け取る。

「…………」

 何故か、桜子ちゃんは部屋の前から去らなかった。
 明らかに、何か言いたいが言い出せない顔だ。
 私も大人だ。こういう時、話をしやすいように促すべきだと知っている。

「どうしたの? 何か用でも?」

 私の方を見て、おどおどした様子になる桜子ちゃん。この短時間に恐れられるようなことしたかな……。ゾンビ的な動きしてたのがいけなかったか。
 次に桜子ちゃんの口から出たのは見た目に似つかわしくない単語だった。

「あの……あの……『ふんどしタイフーン先生』ですよねっ!!」
「んなっ!!」

 驚く私。何かいう間もなく、桜子ちゃんはどこかに隠していたらしい色紙を出して、続けて言った。

「あ、あの私、先生のファンです!!」

○○○

 『ふんどしタイフーン』。それが私の漫画家としてのペンネームだ。かつて、原作キャラを極端に壊したギャグ系二次創作漫画を描いていた時に考えたものだ。
 デビュー時にペンネームを変えようと思ったのだが、デビュー作がギャグ系萌え四コマ漫画だったこともあってか、編集さんに「このままの方がインパクトがあって売れますよ! ガハハ!」と言われ、私も納得してそのまま通したのである。

 正直、失敗だった。デビュー作の連載終了後、ラブコメを描くことになりペンネームを変えようと思ったが、そのときにはすでに『ふんどしタイフーン先生』の名前はそこそこ売れていて手出しできなくなっていた。

「しかし、私が漫画家だって良くわかったわね」
「雑誌のインタビュー記事で見ましたから。お化粧が違うけど、すぐわかりました。ファンですから」

 一度だけ受けた雑誌インタビューのことだ。あの時は涼香にも手伝って貰って気合いの入った化粧をしていたので評判が良かった。「ペンネームとギャップありすぎ」とネットで話題になったほどだ。
 ただ一度のインタビューの結果、花の女子高生にふんどし発言させてしまったことに罪悪感を感じながら、私は桜子ちゃんの出してきた色紙にサインを描いていた。

「一回しか出てないインタビュー記事で顔を覚えてくれてるなんて。嬉しいわ」
「はい。先生の漫画の恋愛要素が好きなんですっ」
「そ、そう。ありがとね……」

 色紙を渡しながらちょっと引く私。
 桜子ちゃんが言っているのは先日雑誌と共に終わったラブコメ漫画だ。最初は明るくちょっとエッチな内容を狙っていたのだが、人気が今一つで、試しにカップルを入れ替えてみたりしたらいつの間にかドロドロの愛憎劇になって、そこで人気が出たという複雑な気持ちにさせる作品である。

「ほんと、人が多いところの恋愛ってこんななのかなって、凄くて……」
「あ、あはは。ありがと」

 あの作品、途中から私と編集さんが誰と誰がくっついてるかわからなくなってきたくらい人間関係が混沌としていたのに。それを好きというとは……。

「ち、ちなみにどのキャラが好きかな?」
「あ、タカシとクオンです。特に後半からの流れが凄く良くて……」
「そう。楽しんで貰えたみたいで良かったわ」

 タカシとクオンというのは作中唯一の純愛カップルと呼ばれていた二人で、私と編集さんが修羅場続きの勘違いでキャラを間違えちゃって、同時に浮気が発覚するという怒濤の展開になってしまったカップルである。……あの時は全方面に炎上したなあ。
 しかしこの子、清純そうな見た目の割になかなかの逸材な気がする。

「雑誌無くなっちゃって平気なんですか?」
「旅行できるくらいには今のところは平気。でもそのうち危なくなるから取材で来たの」
「そっか。それで写真……。あの、私で良ければいくらでも撮ってください」

 そう言って、明るい笑顔になる桜子ちゃん。うむ。かわいい。

「良かったじゃない。資料いっぱいとれるといーねー。あ、お夕飯は何時からかな」
「あ、はい。六時半からです。す、すいません。お時間とらせてしまって」
「桜子ちゃんの方こそ、お仕事大丈夫?」
「だ、だいじょぶじゃないですっ。お二人ともごゆっくりお過ごしくださいっ」

 慌てふためきながら桜子ちゃんは部屋から出て行った。
 廊下に消えていく着物姿を見送って、私は呟く。

「……埼玉に魔物が住んでいるとは」
「その魔物。あんたの漫画が育てたんじゃないの?」
 
 涼香が半目で余計なことを言った。。

○○○

 夕食は囲炉裏のある部屋で川魚と山の幸三昧だった。
 端的に言って、おいしい。

「うん。美味しい」
「外の温泉も良かったしね。思ったより満足感あるわここ」

 ここが良さそうと紹介してきた本人がビール片手にちょっと感心していた。涼香が私を旅行に誘う旅行は非常に当たり外れが大きいのだけど、今回は当たりだ。
 あの後、外を散策がてら日帰り温泉施設を楽しんだりと観光客らしいことをした私達であった。

「明日は別行動ね。私は取材するけど、涼香は?」
「んー。どうしよっかな。ゴロゴロしててもいいけど……ん?」
「どうしたの?」
「あれあれ、外」

 そう言って涼香は窓の外を指さした。
 そこには桜子ちゃんと同年代らしい男の子がいた。
 声は聞こえないが、桜子ちゃんの表情からちょっと緊張した様子を感じる。男の子の方は自然体だ。
 私の漫画家としての洞察力にピンと来た。
 この手のプロに意見を聞こう。
 
「……涼香さん、これはホの字ですかな?」
「……左様」

 私は静かに、涼香はビールを飲み干してニヤニヤと笑いながら立ち上がる。
 玄関に向かい、ちょうど帰ってきた桜子ちゃんを出迎えた。
 ちなみに二人とも酔っ払いである。

「桜子ちゃん、今の男の子彼氏? お友達?」
「詳しく話を聞こうか……」
「あ、あの、私、お仕事が」

 いきなりのことに慌てふためく桜子ちゃん。これは押せばいける。

「じゃ、終わった後で。少し歩けばお店あったよね。食べ物と飲み物、用意するから」
「こちとらラブコメ漫画家(泥沼系)と経験豊富な都会の女(修羅場系)よ。きっと貴方の力になれるわ」

 その後、部屋に訪れた桜子ちゃんから根掘り葉掘り聞いた。
 男の子の名前は相上孝徒(あいがみたかと)。桜子ちゃんの同級生で、勉強のできるそこそこのイケメン。学校では同じクラスで、同じ村内の幼なじみとのことだった。
 そして何より、明後日の夏祭りで桜子ちゃんは告白するつもりらしい(涼香が見事な話術で聞き出した)。

 これは面白いことになりそうだ。いや、別に若い子の恋路を玩具にしたいわけではない。多分……ちょっとだけ。

○○○

「す、凄い格好ですね」

 翌日の朝、出かける準備を整える私を見て桜子ちゃんは驚いていた。
 それもそうだ、今日の私は登山靴に登山用の上下、日帰り登山用のリュックと昨日と全く出で立ちを異なるものにしているのだから。ちなみに全身モンベルである。

「取材でこの辺歩き回るからね。それなりの装備をしておかないと」

 次の漫画を描くためにこの村の風景をできる限り写真に収める。それが今日の私の仕事である。予定では軽く山に入ったりもするので決して大げさな装備ではない……はずだ。

「あの、遭難とかしないでくださいね……」

 桜子ちゃんが心配してそんなことを言ってくれた。

「山といってもこの辺を見下ろすために軽く入るだけだから。大丈夫……いや、何かあったら迷わず警察呼ぶわ」

 何事も油断は禁物だ。うっかりすると変なペンネームで漫画を描き続けることになったりするのだ。

「涼香さんは一緒に行かないんですか?」
「わたしは漫画家じゃないからねー。せっかくだから色々とぶらついてみるわー」

 私と涼香の友人関係が続いている理由の一つに、さっぱり別行動できることがある。変にべったり行動せずに、それぞれ好きに出来るのが気楽でいい。

「夕飯までには帰ってくるから。もし深夜になっても音沙汰がなかったら警察に連絡してね」
「あ、はい」
「ガチすぎるお願いに桜子ちゃん引いてるわよ……」
「じゃ、行ってきます」
「お、お気をつけて」
「いってらー」

 二人に見送られて、私は村内の取材へと出かけるのだった。

○○○
 
 取材は滅茶苦茶順調に進んだ。暑さと湿気には辟易したが、私は十分に写真を撮影した上で、夕方には宿に戻り、温泉で汗を流した。
 そして夕食の時間。涼香が少し遅れてやってきた。

「ただいまー。いやー、何とか夕飯に間に合ったわー」
「どこ行ってたのよ。私は取材して温泉入って一服してたって言うのに……」
「あんたと同じく私も充実してたのよ。ほれ」

 そう言って涼香が見せてきたスマホの画像。
 そこには、にこやかに笑う涼香と照れている桜子ちゃんの想い人、孝徒くんが写っていた。
 若干だが、孝徒くんの視線が涼香の胸の谷間に向いているのが特徴だ。
 その他にも意味ありげな写真が数十枚。当然、昨日までなかったものだ。

「ちょ、どうしたのよこれ」
「軽く挨拶して一日案内して貰った。若い子って可愛いわー」

 今日ほどこの女のコミュニケーション能力を恐いと思ったことはない。

「それで、なんでこんなことしたの?」
「あの子に策を授ける」

 夕食後。私達は片付けを終えた桜子ちゃんを捕まえて、部屋に連れ込んだ。

「悪いわね。すぐに終わるから」
「いえ、少しくらいなら大丈夫ですけど。なんですか?」

 訝しみながら聞く桜子ちゃんに、涼香がスマホを突きつける。

「桜子ちゃん。これが今日一日のあたしの仕事の成果よ」
「……っ。これ、凄い。どうすれば一日でこんな顔を引き出せるんですか……」
「大人の魅力ってやつよ」

 スマホの画面をスライドさせながら、声を震わせる桜子ちゃん

「あの、それでこの写真。……いくらですか?」

 なるほど、そうきたか。

「いや、そういう話じゃなくてね。ほら涼香、策を授けるんでしょ」

 私が促すと、涼香は咳払いを一つしてから堂々と言う。

「この素晴らしい宿のお礼に貴方に切り札をあげる。もし告白に失敗して、あの子が別の誰かとつきあい始めたら、この写真をSNSで共有して『これ浮気じゃないの?』とコメントつけて流しなさい」
「おいおい……」

 なんてこと言うんだこの女。純真な女子高生に。
 桜子ちゃんはお前みたいな汚れた大人じゃないんだぞ。
 そう思って現役女子高生の方を見ると、彼女は固唾をのんで聞き入っていた。

「そして、浮気修羅場で双方疲れ切って別れたところで、貴方がパクッと頂く。これが極意よ」

 悪魔かこの女は。
 私の漫画が歪んだのは、こいつの恋愛を間近で見てきたことが原因だと思う。かなり真剣に。

「……なるほど。勉強になります」

 桜子ちゃんはこのアドバイスを真剣に受け止めてしまった。

「では、この写真を其方に授ける。一応、できれば使わないで済むことを祈ってるわ」
「はい。ありがとうございますっ。先生っ」

 こうしてここに、なんだかろくでもない師弟関係が誕生した。
 多分、私のせいじゃない。
 なにはともあれ、明日は桜子ちゃんの決戦の日。夏祭りである。
 

○○○

 私達の宿から見える田んぼばかりの平地の中にある神社。これは観光で地域が整えられる前から存在する由緒ある神域であり、夏には村人総出の祭りが行われていた。
 観光化によって予算がついた現在、それは派手になった。
 神社までの道に店が出て、道は灯籠で飾り立てられ、神楽舞が奉納された後は花火が上がる。この村の夏のメインイベントだ。

 私と涼香は、出店を冷やかしながらその祭りの中を歩いていた。
 私はデニムにシャツという適当きわまる格好で、涼香の方も今日はそれに近い。彼女は昨日までの露出大目の服装を控え、背中には小さめのリュックを背負っている。

「思ったより人はいるけど、大混雑ってわけじゃないわね」
「そこがいいのよ。じゃ、行ってくるわね」
「後で見せてね。資料にするから」

 返事もせずに、涼香は祭りの中心へと消えていった。
 涼香の特技はカメラである。腕前はかなりのものだ。学生時代、何度も賞をとっていた。多分、その道を志せば今からでもそれなりの結果を出せると思う。 
 しかし、彼女は安定した道を選び、そこそこの大学に進学し、いい就職先を見つけた。

 それでも、カメラへの情熱は捨てきれなかった。こうしてたまに撮影し、賞を貰ったりしている。
 これから彼女は私の見えないところでごついレンズのついたカメラを振り回し、田舎の夏祭りをこれ以上なく魅力的に写した写真を生み出すのだろう。
 
 一方で私はその写真を楽しみにしつつ、祭りを楽しむだけである。こういうところで食べるご飯とお酒は妙に美味しい。
 出店を冷やかしながら、神社に向かって歩くと、そのうち和楽器の音が聞こえてきた。神楽舞の奉納が始まったようだ。
 
 神楽舞の後に花火があることを知る私は神社の敷地と人混みから離れることにする。
 これまでに買った食べ物と飲み物を手に、人が少ない場所を探すと、ちょうど花火見物用にシートの敷かれたスペースを見つけた。 適当な場所に荷物を置いて、涼香に居場所を伝える。

 花火の始まる直前、涼香がやってきた。別れた時と違い、首からカメラを提げている。顔に疲れが見える。飲まず食わずで撮影していたはずだ。

「はい。買っといたよ」
「ありがと。ここに来る前に、浴衣着た桜子ちゃん見かけたよ」

 私から受け取ったたこ焼きを食べながら、そんな報告をしてくれた。

「じゃあ、これからだね」
「そうそう、これから。青春よねー」

 地面に座って缶ビールを開けながら、涼香が楽しげに言う。

「家に籠もらずここに来て良かったわ」

 私もビールの蓋を開ける。実を言うと、雑誌の休刊で割と本気で凹んでいたのだ。
 何をするでもなく、部屋で無気力に過ごす私を見て、涼香がここに連れ出してくれた。
 そのことに、ちょっとだけ感謝した。

「お、始まるみたいね」

 神社のスピーカーから花火大会の開始を知らせる放送があった。東京のそれに比べると規模は小さいが、それが悪いわけではない。 そして、最初の花火が上がり、周りから歓声があがった。

「これはいい漫画が描けそうだわ」

 ○○○

「駄目だったか……」
「みたいね……」

 花火(とビール)を堪能して宿に帰った私達が見たのは、泣きながら帰ってくる桜子ちゃんだった。
 別に彼女の告白の結果を聞きたかったわけではない。
 何となく飲み足りなくて、縁側で飲んでいたら、彼女の姿が目に入ったのだ。
 
 私達を見つけた桜子ちゃんはこちらにやってきた。どうやら、失礼のショックで家に駆け込むタイプではないらしい。

「桜子ちゃん、大丈夫?」
「ほら、元気だしな。男なんていくらでも……」

 私達が穏やかな笑みを浮かべて迎えると、桜子ちゃんが泣きはらした目で一気にまくしたてて来た。

「脈無しどころか最悪でした。もう別の子と付き合ってる上に『お前みたいないつも着物着て家の手伝いしてる地味子なんて嫌だね』って……」
「…………」

 ぐしゃり、と金属の歪む音がした。涼香が缶ビールを握りつぶした音だ。
 友人はそのまま無言でスマホの操作を始めた。
 私はできる限り優しい表情を心がけながら、桜子ちゃんの肩にそっと手を置く。

「貴方の心のままに行動なさい。…………今すぐよりも時間を置いてからやった方がいいわよ」
「あ、私、しばらくの間、あの子とLINEでやりとりするわ、いいネタあったらすぐ送るね」
「ふぐぅぅぅぅ。ありがとうございますぅぅ!」

 この日、一人の修羅が生まれた。

 その後、私は田舎を舞台にした日常系漫画の新連載を新しい雑誌で始めることができた。
 そして連載から半年後、都会からの転校生が登場すると同時にドロドロの恋愛劇に発展。『ふんどしタイフーン先生』の作風を確固たるものにしたのだった。

 私達と桜子ちゃんは、今でも連絡をとっている。

しおり