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1.不思議なことは唐突に起こる

タイトル 妻の様子がおかしいです。
質問内容 
結婚4年目30歳の男です。
子どもはいません。
最近妻(30)の態度がよそよそしくなっています。
我が家は共働きですが、妻は残業を理由に22時前に帰宅することはありません。
家に帰ってきてからも疲れた様子で、
ほとんど口も利かずにシャワーを浴びて寝てしまうため、碌に会話もありません。
食事も外で済ませてきてしまうのです。
言いにくいのですが夫婦関係もこの3か月まったくありませんでした。
誘っても疲れていることを理由に3回連続で断られてしまい、
その後は心が折れている状態です。
ひょっとして妻は浮気をしているのでしょうか?
このままではいけないと思い、話し合いの場を持とうとしたのですが、
「話があるならさっさとして」といった態度で、こちらも気が滅入ってしまいました。
なにか、上手に会話をする糸口のようなものがあれば教えて下さい。


 何度も文章を考え直して、20分もかけて質問掲示板のコメント欄にこのような文章を書いてはみたが、結局送信ボタンは押さずにブラウザを閉じてしまった。
普段ならインターネットの質問掲示板など決して利用しようなどとは思わないのだが、それくらい精神的な負担が来ているのかもしれない。
だけどその一方で、単なる気のせいじゃないかという自分もいるんだよね。
実際のところ絵美が浮気をしているという証拠は何一つない。
例えば、浮気をしている奥さんはスマートフォンを肌身離さなくなるなんて話を聞くけど、絵美に関していえばそんな様子は全くない。
ただ毎日、気怠そうで俺の相手をしてくれないだけだ。
もしかして俺が「かまってちゃん」なのか?
でも、夫婦生活が3か月間まったくゼロなのは辛いもんだよ。
絵美という奥さんがいるのに俺が風俗にいくのはこっちが浮気していることになってしまうと思うし。
浮気じゃなくて別の理由があるのかな?
俺に対する不満みたいな……。
でも、絵美の性格ならすぐに言うと思うし……。
と、このような思考のスパイラルをここのところ何周もしている俺だ。

時刻は20時10分。
絵美が帰ってくるのはもう少し遅い時刻だろう。
明日は土曜日なのでどこかへ出かけようと絵美を誘ったが、休日出勤すると断られてしまった。
なにか大切なプロジェクトを任されていると聞いてはいるが、どうにも腑に落ちない。
一人で家にいても気が滅入ってくるので泊りがけで出かけることにした。
 明日の登山で少しはリフレッシュできるかな?
中断していたパッキングを再開した。
学生時代から登山を初めて、社会人になった今でも年に何回かは山へ行っている。
75リットルの大きめのザックにチェックリストを確認しながら荷物を詰めていく。
今は冬なので雪山装備はそれなりに沢山の荷物になる。
雪山は一年ぶりだけど、体力の方は大丈夫だろうか。
ふと思った。
 俺が遭難したら絵美は悲しんでくれるのかな?
我ながらネガティブ!
明日は久しぶりの山なんだから楽しむことにしよう。
ボッチのソロ登山だけど……。

 21時30分まで絵美の帰りを待っていたが、戻ってこなかった。
メッセージを入れたが既読マークはつかない。
仕方がないのでメモと登山計画書を置いて家を出ることにする。
山に行くことは既に伝えてあるから問題はない。
山に行くことを伝えた時、絵美は心配するでもなく、興味もなさそうな返事をしていた。
 夜の高速道路を長野県へ向かう。
今からなら日付が変わる頃には目的地に到着できるはずだ。
向こうについたら自動車の中で仮眠をとって早朝から登り始める予定だった。

 翌朝は少し寝坊をして6時くらいから山に登り始めた。
最初はいろいろなことが頭の中をぐるぐる回っていたけど、そのうちにそれらのことを綺麗に忘れ、自然と一体になる感覚になっていた。
天気は晴れて雲一つなく、群青色(ぐんじょういろ)の空が目に染みる。
来てよかった。

 不思議なことって唐突に起こると思う。
それは雪道をひたすら歩いて登って、森林限界を抜けたあたりだった。

ここはどこだ?

何の脈絡もなく、俺は狭い石造りの部屋の中にいた。
ほんの一瞬前まであんなに晴れていて、雪が痛いほど眩しかったのにどうしたというんだ? 
サングラスを外してみるが目に入ってくる光景は何も変わらなかった。
手に持っているピッケルをぎゅっと握りしめて心を落ち着かせる。
ピッケルとは山道具の一つで、小さなツルハシみたいな形状をしたものだ。
杖の様に突いたり、氷を掘ったり、滑落時にストッパーにしたりといろんなことに使う。
きっと武器にもなる……。
今いる場所は八畳ほどの広さで窓などはない。
壁に掛けられたランタンが唯一の光源で、部屋の中をぼんやりと照らしていた。
まったくもって訳が分からないぞ。
くすんだ青色をしたドアが唯一の出口だった。
開けるしかないよな……。
ドア越しに耳を澄ませてみるが何の音も聞こえなかった。
他に選択肢も考えられなかったのでドアノブに手を触れた瞬間、世界が暗転した。

今度は暗闇かよ! 
まるで夢を見ているようだ。
とにかく落ち着くんだ俺! 
一歩も動かずに慎重にザックをおろして足の間に挟む。
|天蓋《てんがい》に入れたヘッドランプを取り出してスイッチを入れた。
LEDの白い光に照らされて辺りの様子が露わになる。
先程の部屋とは全く違う場所だった。
一体どうなってるんだよ? 
ここは……どこかの遺跡? 
慌ててスマートフォンを取り出す。
電波は圏外だ。
GPSも現在位置をロストしてしまっていた。
「マジかよ」
独り言でも呟かずにはいられない。
冬山に登るのだからある程度の不測の事態は想定していたし、そのための準備もしてきた。
だがこんな事態は完全に想定外だ。
 ザックを背負い直し、ヘッドランプを頭につけ、手にはピッケルを握りしめて、ゆっくりと通路を移動する。
何が起こったのか分からないがこの場所に留まっても救援は望めそうになかった。
せめて外に出て、電波の届く範囲に移動しなければ。
「△%$#!!!」
闇を切り裂いて女の人の叫び声が石壁に響き渡った。
俺以外の人がいるのか。
マイナーなルートを登っていたから期待していなかったが、仲間がいるのは心強い。
でも何を言っているかはわからなかったが、雰囲気から察するにトラブルのようだ。
今いくぞ! 
あれ? 
すぐに助けようと思ったのはいいのだが、なんだか違和感を覚えた。
俺ってこんなに勇敢だったけ? 
いや考え事をしている時間はない。
とにかく声のした方へ向かった。

慌てて駆け付けた俺の目の前に信じられないような光景が広がっていた。
青い髪をした女の子に巨大な蜘蛛が襲いかかっていたのだ。
尋常のデカさじゃない。
大型犬くらいのサイズだぞ。
女の子は石の床に組み伏せられていて、今にも蜘蛛の牙が白い肌を食い破りそうだ。
剣で蜘蛛の牙を受け止めていたが長くは持ちそうになかった。
後から考えると自分のどこにそんな勇気があったのか不思議だ。
普段の六倍は勇敢だったと思う。
とにかく女の子を助けなきゃいけないと思ったんだ。
ぎゅっとピッケルを両手で握りしめ、蜘蛛の背中めがけて思いっきり振り下ろした。
ピッケルの先端が蜘蛛の背中に突き刺さり青い体液が滲み出る。
巨大蜘蛛が痛みに体をよじり俺は床に投げ出されてしまった。
幸いピッケルにはリーシュという紐がついていて俺の身体に結び付けられている。
投げ飛ばされると同時にピッケルも蜘蛛の身体から抜け、俺のすぐ近くに音をたてて転がった。
反射的にリーシュを引っ張ってピッケルを手繰り寄せる。
この行動は何とか間に合い、肉薄してきた蜘蛛の頭にピッケルのスピッツェ(石突)を突き刺すことに成功していた。
蜘蛛の体重と加速が大きかったせいだろう。
ピッケルは深々と刺さり蜘蛛は自滅した。

「大丈夫? 怪我はない?」
大慌てで女の子の所に駆け寄る。
「エレバヌーラバセリアボレーゼ ルカルセ!」
言葉が通じない! 
考えてみれば女の子は見た目からして日本人ではない。
青い髪に抜けるように白い肌、瞳の色は灰色がかった青だ。
「ごめん、言葉がわからないんだ」
英語やフランス語じゃなさそうだ。
語学は堪能ではないがそれくらいはわかる。
でも、お礼を言っているということだけは頭を下げたり、手をワタワタしているジェスチャーでなんとなくわかった。
笑顔がとても可愛い。
俺は自分を指さして何度も名前を告げる。
「公太。俺はコ・ウ・タ」
「コウタ?」
「そうそう、俺の名前ね。コウタ」
すると彼女は自分を指さして、
「リア」
と名乗った。
たったそれだけのコミュニケーションでも通じるととても嬉しい。
俺たち二人で名前を呼び合い笑顔になった。
笑うと彼女は一層可愛かった。
 改めて彼女を見てみると不思議な格好をしている。
一言で言ってしまえばファンタジー系ロールプレイングゲームの中の登場人物のような格好だ。
革の鎧を身に着け、腰には剣を下げている。
頭にはヘルメットみたいな兜をかぶり、背中にはマントを付けていた。
腕を見ると負傷していて血が少し出ている。
あの蜘蛛にやられたのだろうか。
傷は深くなく少し切れているだけだ。
ザックからファーストエイドバッグを取り出した。
山に登る時は一応の備えとしていつも常備しているものだ。
傷薬やテーピング、三角巾など簡易医療セットが入っている。
傷口を水筒の水で洗って傷薬を塗っていく。
「ルカルセ」
それ、何回か聞いたな。
きっと「ありがとう」だろう。
「どういたしまして」
あれ? 
どうなっているんだこれ? 
薬を塗った端から傷が治っていくぞ! 
俺もリアも同じようにびっくりしている。
これは特別な薬じゃない。
街の薬局で売っている普通のステロイド系軟膏だ。
評判はいいけど魔法の薬なんかじゃないはずだ。
一体全体どうなっているんだ。
おかしなことが多すぎる。
蜘蛛は巨大だし、薬は効きすぎるし、結局ここはどこなのかも未だにわからない。
聞きたくても言葉が通じない。
やばい、猛烈に不安になってきた。
とりあえずこの建物から出た方がいいだろう。
ジェスチャーで建物から出たいと表現するがうまくリアには伝わらなかった。
次に現在位置を把握しようと地図を取り出す。
山に行くときに地図は必携だ。
地図を広げて、「ここはどこ?」って聞いてみる。
だがリアは穴があくほど丁寧に地図を見た後、力なく首を振った。
わからないようだ。
そして今度はリアが地図を取り出した。
荒い紙に印刷された地図だ。
版画? 
随分と印刷技術の低そうな地図で、ところどころインクが滲んでいる。
この建物の内部構造を表しているらしい。
なんかこれってゲームの中のダンジョンの地図に見える。
……まさかな。
リアは自分を指さした後、地図の中の一点を指さす。
なるほど、ここが現在地点だな。
縮尺がわからないから何とも言えないがこの建物はけっこう広いようだ。
都会の地下街か、それ以上に大きいんじゃないだろうか。
回廊の闇の向こう側から大型獣のような唸り声がして、俺たちはハッと顔をあげた。
さっきの蜘蛛だけじゃなくて他にもいるのか? 
リアは人差し指を唇にあてる。
このジェスチャーの意味は静かにってことだよな。
共通の身振り手振りもあるわけだ。
そのまま音をたてないように通路を移動して、小さな小部屋に入った。
6畳くらいの部屋だ。
扉に鞘ぐるみの剣を(かんぬき)がわりに掛けて開かないようにする。
念のために俺のピッケルも一緒に掛けた。
これでそう簡単にはこの部屋に入れない筈だ。

 何が何だかわからなくてどうしようもなく不安なのだが、リアがいるおかげで取り乱さずに済んでいる。
これで俺一人だったら泣きわめいていたかもしれない。
とにかく少し落ち着こう。
落ち着くためには飯だ。
登山用のガスストーブ(ガスコンロ)を取り出し、コッフェルと呼ばれる鍋で湯を沸かす。
リアは驚いたように黙って俺の動きをいちいち目で追っている。
カップラーメンとインスタントスープパスタ(トマト味)を出した。
「どっちがいい?」
2種類を交互に出して選んでもらう。
意味が分かったようで、リアはトマト味のパスタを選んだ。
絵があるから内容がわかりやすかったのかもしれない。
シーフード味のラーメンは外見だけじゃ味の想像はつかないだろうな。
お湯を注ぎ出来上がったものを、プラスチックの折り畳みフォークと一緒に渡してやった。
リアはカップの中身を見て驚き、しきりに匂いを嗅いでいる。
大丈夫だよ、毒なんて入ってないから。
そして食べてみて更に驚いたようだ。
「エブロ!」
美味しいって言ったのかな? 
夢中で食べているからきっとそうなのだろう。
俺もシーフードのヌードル的なものを食べた。
お礼のつもりかリアも乾パンのようなものをくれた。
あんまりおいしくなかったけど、貴重な食糧だ。
俺は異文化コミュニケーションを実践するために、
「ルカルセ」
と言ってみた。
ちゃんと通じたようだ。
リアはにっこり笑って、
「ドウイタシマシタ」
といってくれた。(おしい!)
その後、後片付けを済ませて廊下の様子を窺う。
先程の獣の声はもう聞こえない。
剣とピッケルを外し慎重に扉を開いた。
忘れ物はないかな? 
小部屋を振り返り確認して、前を見た瞬間にまた世界が暗転した。
ここは! 
いつの間にやら、俺は一人で先ほどの小部屋に戻っていた。

しおり