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第二百五十二話

『く、は、はははははははっ』

 ぬるりとガイナスコブラの締め付けから逃れ、更に飛び跳ねて一つ向こうの屋根に魔族は着地する。
 赤い口は、不気味な歪みだった。気持ち悪いわね。

『よもや人間風情が、この私に何を言うかと思えば。覚悟だと?』
「ええ、そうですねぇ」

 余裕を見せる魔族は威圧を放ってくる。けど、セリナに動じる気配はない。この胆力こそが、彼女の武器。これくらいの威圧ならはね除けてしまうわね。
 そして、それこそが罠。
 アイコンタクトさえなく、私たちの連携は成立する。

『笑わせる。魔族にそのようなこと!』

 口が怒りに歪み、両手が異様に伸びると共に、指先が鋭くなって伸びてくる!
 させないわよ!

「秘剣──《連空(レンクウ)》」

 私は一足飛びでセリナを庇う位置に着地。間髪おかずに剣を振るった。無数の斬撃が展開され、迫り来る十本の指を迎撃する。
 弾け飛ぶ指。
 出来た隙を逃さず、魔族の左右からウィンドフォックスとキマイラが襲いかかった。

『ははははははははっ!』

 耳に障る嗤い声。
 瞬間、屋根を打ち据える雨水がどす黒く変化し、魔族の盾となって攻撃を防ぐ!
 な、なんてこと!
 変化はそれだけじゃあない。私たちの足下もまたどす黒く変色し、不気味な魔力を漂わせる。即座に私は飛び退き、セリナもオオワシに乗って退避した。

『私は水の眷属! 今、この町に降り注いでいる雨は、紛れもなく我が化身も同然! その状況で、貴様らに勝てる道理などないわ!』

 うだうだと鬱陶しいわね。それくらい分かってるわよ。
 けど、それを口にしてはやらない。切り札は、最高の条件で切るからこそ効果があるのよ。
 勢いよく水が渦を巻き、魔族に集まっていく。加えて、別の魔力も集まる。これは――風ね。私の適性は風だから良く感じる。

 後は、タイミング。

 吹き飛ばされていたルナリーが近寄ってきているのが間合いで分かる。
 後は、時間稼ぎ。

「……――なんで、なんでこんなことをするのよ。そんなに私たちがチェールタに行くのを妨害したいわけ」
『ふん。帝国が復帰するためには、獣人の奴隷は欠かせないからな』

 え、コイツ、なんなの?
 私は呆気にとられてしまった。

 まさか魔族の口から帝国の文字が出てくるとは思わなかったから。もちろん、帝国と魔族が繋がっているというのは以前から疑っていたことだけれど、まさかこうもあっさりと認めるなんて。

『はっはっは。驚いたようだな? 何。我ら魔族が隠す理由などないし、そもそも貴様らも関与を疑っているのだろう? だったら尚更だ。それに――貴様らはここで死ぬのだから関係あるまい』

 なるほど。
 この思考回路からして、帝国に魔族が関与しているのは間違いなくて、帝国を利用して何かを仕掛けようとしてるってことね。そのために帝国の勢力を回復させないといけない、か。
 帝国は帝国で勢力を回復させるために協力しているってとこかしら?
 だとしたら人の風上にも置けないのだけれど、今、ここで詮索することではないわね。

「そんな言質を取って、生き残らなくちゃいけないことが増えたじゃないの」
『無駄だ。気負うな。死ぬ時、苦しいぞ?』

 魔族の周囲に、大小様々な水球が浮かび上がる。そのどれもが圧縮された水が渦巻いていて、どす黒い魔力が練りこまれている。
 炸裂したら、色々な意味でマズい。

「それは試してみないといけないわね? 案外、それを糧に切り抜けるかもしれないわよ?」
『有り得んな。この歯牙にもかけぬ強さの差、思い知るがいい!』

 まさにその刹那。
 視界が白に染まり、空白がやってくる。
 大量の水が暴風に乗って渦を巻き、魔族を中心に球体を描く。この感じ……たぶん、爆裂させて周囲に炸裂させるつもりね。しかも、黒い魔力がふんだんに練りこまれた水が、とんでもない速度で射出される。
 全方位への広範囲攻撃。
 対多数におけるまさに理想の攻撃ね。けど、そんなもの、させないわ。

 私は剣を片手で持ち、その刃の峰に指を添える。

 学園生活での三年。黄金世代と呼ばれる私は一番地味だった。成績は優秀、使える魔法も多く、特に風魔法は極大魔法まで習得。接近戦では《超感応》で即応。これだけ語れば強いのだろうけれど――。
 けど、学園で最強だったフィリオには及ばないし、グラナダには指一本触れられない。何より、兄さんにも近づくことが出来ない。
 だから、私は私だけの武器が必要だった。

「おいでませ。風の精霊――ウィンディア」

 粒子の光が収束する。やがてふわりと降り立ったのは、首回りだけ長毛なのが特徴の、しなやかな体躯を淡い緑の毛が包む猫。

 そう。彼女こそ、私が三年かけて手にした私だけの武器――精霊。

 風の斬撃を自在に操る《秘剣》も、この精霊のおかげで完成できた技術よ。

『なんにゃ? 我を顕現させてまで』
「あの魔族をどうにかしてほしいから呼んだのよ」
『ふーん。汚らわしいにゃ。まぁ構わないにゃ。お前の魔力が続く限りは』
「そういう契約だからね。構わないわよ」

 そう返すと、ウィンディアは鼻を鳴らした。

『精霊か……ちょうど良い、エキドナ様への供物にしてくれよう!』
『まったく。魔族は悪食だから困るにゃ。それと、断じて断るにゃ』

 嘲笑しつつ、ウィンディアが私の魔力を吸い上げる。

『ふんっ! とっとと終わるが良い!』

 魔族が声にならない咆哮を上げ、爆裂させる。
 直後だった。
 ウィンディアが「ふぅ」と息を吐き、その暴風を散らした。
 さらに、どこかで水が跳ねる音がして、魔族の周囲に集っていた水も《停止》した。

 どこか幻想的に、水玉が浮かんでいる。まるでその水だけ、時が止まったみたいだ。

 そんな現象に、何よりも魔族が驚愕した。

『な、なんだっ……!? 風と水の支配権が……奪われた!?』
「あんたは風の眷属じゃないから、そこまで風の操作は得意じゃない。だから、風の精霊には勝てない」
「そして、あなたは水の眷属での魔族すけど、この水の精霊は、水の神獣たるヴァータ様の僕。精霊としての格がかなり高いのです。故に、支配権を奪えます」

 正確に言えば、拮抗することで支配権の行使を妨害しているのだけどね。
 けどそれをわざわざ言う必要はないわ。心理的有利は、そのまま戦況の有利だもの。上級魔族は強すぎる相手よ。少しの油断も許されない。

 現に、私とセリナは今の妨害行為で動けなくなる。何せ、全神経を持って、魔力を注ぎ込んでいるのだから。

『舐めてくれる……! 力を使えなくさせた程度で、私に勝てると思ったか!』

 そう。魔族にはまだその肉体という武器がある。
 自在に身体を変化させられ、禍禍しい魔力で汚染してくる。けど、それも全部予想済み!

 魔族の両手が変化し、さらに髪の毛まで動員して攻撃を仕掛けてくる。
 その手数は多く、その一つにでも捉えられたら危険。でも。

『舐めてくれたものだ。その程度の脆弱な力で、夜の王たる吾が輩と渡り合おうと言うのか?』

 冷徹に皮肉を返し、その攻撃の全てを黒い手で受け止めたのは、オルカナだった。
 それだけに終わらず、オルカナは全身から覇気を放ちつつ、魔族へ向けて飛びかかり、ぬいぐるみの拳を叩きつける!

 風船が弾けるような破裂音。

 綺麗な右ストレートは、魔族の頭を穿った。

『ッガァァァァアア!?』

 苦痛の悲鳴。すぐに再生は始まるけれど、それを上回る勢いでオルカナは次々と紫に発光する拳を叩きつけ、大穴を開けていく。
 その一撃のたびに魔族は悲鳴を上げた。
 それでも魔族は髪の毛を束にさせたり、腕を増殖させたりして攻撃をしようとするけど、そのことごとくが妨害されて終わる。

『ば、ばかなっ……! どうして、何故だ! 何故、動きが先読みされているっ!?』

 一方的に押されながら、魔族は焦燥からか、疑問を口にした。
 オルカナは苛烈な攻撃を一切止めることなく、不敵に笑った。

『貴様と相まみえるのは二度目だ。故に、攻撃方法も分かれば、パターンもある程度は読める』
『……っ!?』
『貴様は確かに上級魔族だ。それに相応しい魔力を有している。これだけの期間、雨をずっと降らせ続けることから、良く分かる。だが、一度パターンが知れてしまえば、その実脆弱だ』

 それが、魔族が得意であろう水と風の魔法を封じ込め、物理依存にさせるというもの。
 この上級魔族は、もちろん魔族らしく物理攻撃力も不定形な部分から多種の攻撃を可能とするのだけれど、実はそこだけを取れば脅威じゃあない(オルカナからすれば、だけど)。
 私たちは一度戦ったからこそ、相手への対処方法を編み出したってことね。

『このっ……!! ふざけやがって! たかが一時的に優位になっただけだろうが! 貴様がいくら攻撃しようとも、私に与えるダメージは小さい! 私の耐久力を舐めるな!』
『ふむ。そうであろうな? 吾が輩はとにかく、人間の二人が、上級魔族たる貴様の能力をいつまでも封じ込められるはずがない。幾ら精霊の力を借りようとも』

 オルカナはあっさりと認めつつも、攻撃を加えていく。鮮やかな左右の連撃から、飛びながらの後ろ回し蹴り。その全ての威力が高く、次々と魔族の肉体が弾け飛んでいく。

『だが、私が無為に貴様の身体を傷付けているだけと思ったのか?』
『何?』

 魔族が疑問を口にした時だった。
 気配なく、本当に気配なく、ルナリーが魔族の背後に忍び寄っていて、無造作に腕を伸ばした。

 ずぶり、と、腕が魔族の黒い体躯に抉りこみ、何かを掴む。

 瞬間、魔族が激烈な反応を示す。散々再生していた肉体が、不定形の肉体が停止した。

『あはっ……!? や、やめろ小娘! き、貴様、何を……!?』
「あなた、幸せをころすひと」

 ルナリーの静謐な声が響く。

「幸せころすひと、きらい」

 ただそう告げて、ルナリーは腕を引き抜く。その小さな手には、虹色に光る玉があった。
 ――魔族の、コア。
 ルナリーは造作もなく、そのコアを握りつぶした。

『ヒャアアアアアアアアアアアアアッ!? き、きききききききき貴様、何をしてくれたぁぁぁぁああっ!?』

 魔族が叫ぶ。怒りか焦りか、その全身を使ってルナリーに襲い掛かるが、攻撃がルナリーに到達するよりも早く、身体が砂状に崩壊していく。

『くそ、くそくそくそくそくそっ! くそぉぉおおおおおおっ!!』
『愚か者め。ルナリーは仮にも吾が輩の主だぞ? 何の能力もないと思ったか』

 オルカナはとてとてと音を立てながらルナリーの足元に移動し、ルナリーに抱き上げられる。

『ルナリーは心と命に触ることの出来る能力者。この世界でたった一つの稀有な能力だ。それは貴様とて例外ではない。もっとも、十二分に弱らせた上で隙を作ってやらねばならないが……まんまとハマってくれたな』
『グッ……!』

 そう。全ての切り札は、ルナリーだった。
 俄かには信じがたいことだけど。でも、実際そうなったわ。ルナリーって、何者なの?
 疑問はでも、今は関係ない。とにかく、魔族は倒せたのよ。

『くそ、くそががあああああああああああああああああっ!!』

 魔族は悪態をつきながら消えた。
 同時に雨と風が止む。信じられない速度で雨雲は拡散し、晴れ間を覗かせた。

 ――勝った。

 私は安堵に、大きくため息をついた。

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