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第二百三十話

 ぼとり、と、スライムが落ちてくる。それを皮切りに、次々とスライムが落下してくる!

「《エアロ》っ!」

 俺は強風を発生させ、落ちてくるスライムどもを吹き散らす。
 スライムは密着さえされなければ攻撃能力を持たない。動きも遅いし、半透明のコアさえ潰せばあっさり死ぬ。
 故に脅威はないんだけど──この数はどうなんだ!?

「《風神剣》っ!」

 メイが一歩飛び出し、大剣を振るって暴風を撒く。それだけでスライムたちが飛んでいくが、少しも減った気がしない。
 くそ、室内じゃあ大技使えない!

『数百は固い、か』

 ポチがその純白の身を舞わせ、這いよってくるスライムどもを蹴散らしながら分析する。

『しかもこの辺りだけではないぞ。中々の広範囲で発生しているようであるな』

 オルカナもメイの影を借りて手を出現させ、薙ぎ払いながら嘆息をつく。
 ってことは、ある種のスタンピード状態か。厄介な。
 一気に追い払うことが出来ない以上、ちまちまと蹴散らしていくしかなく、しかも下手に動けば迷う仕様だ。とことんこっちに不利なフィールドである。

「この……っ! 《エアロ》っ!」

 俺は風を放って弾き飛ばす。
 とにかくスライムは近寄らせないことだ。ぶっとばし続けて突破しかないな。でも、それだと道が分からなくなる。
 くそ、ジリ貧か?

「あんたら、何をやってるんだい」

 内心で焦燥していると、黒の魔女帽子が呆れた声を放つ。

「スライムの弱点は膜だよ」
「膜?」
「スライムの表面は粘着性の高い膜で覆われていて、内側はほとんど水と弱い核しかない。だから膜を壊せば簡単に潰れる。だから粘着性を支える水分を蒸発させる炎は弱点さね」

 逆に、打撃や斬撃には強いってことだ。

「ほれ、こんだけヒントやったんだ、どうにかしな」

 黒の魔女帽子は俺を睨みながら挑発してくる。つまり、俺になんとかしろって言ってるのか。
 あれか、フィルニーアの息子なら、ってか。上等だ。

 俺は即座に魔術を組み立てる。

 確かに火炎で乾燥させれば効果はある。乾燥効果のある熱風を送り込んでやれば良い。けど、それだと、風に晒された部分でしか効果がない。
 ここまで密集されてると、ただの《エアロ》と殺傷能力が多少上がるくらいでしかない。
 それじゃあ意味がない。だったら。

 俺は足元に広がる水路――水に着目する。コイツを上手く使えれば。 

 組みあがった術式は、当然のように複雑で、消費魔力も大きい。だが、強力だ。まぁ、対スライム特化の魔法にしかなってないんだけど。
 まぁいい。俺は早速使うことにする。

「《オスモティック・プレッシャー》!」

 生み出された魔法陣は水面に刻まれ、波を起こす。ばしゃっと音を立てて水はスライムにかかり――。

 ぱぁん、と音を立ててスライムたちが弾けた。

 目論見通りの現象に、俺はほくそ笑む。
 波はさらに起こり続け、次々とスライムたちにかかっては弾けさせていく。あっという間に、スライムのいない空間が出来上がった。

「水を被っただけなのに、スライムが……!?」
「浸透圧だよ」

 驚くメイに、俺は端的に説明した。
 俺が魔法で操ったのは、水の浸透圧だ。これによってスライムの膜を越えて水を染み込ませ、スライムを内側から崩壊させているのだ。
 威力はまさに見ての通り。

「メイ、風を!」
「はい! 風神剣っ!」

 呼応し、メイが大剣から風を放ち、水を弾き散らす。渦を巻くように水は周囲に撒き散らされ、次々とスライムたちを崩壊させていった。
 さすがに恐れをなしたか、スライムたちが次々と逃げていく。
 あれだけいた大群が、一気に波が引くように消え、静寂がやってきた。

 ふう、と俺は息を吐き、魔法を解除する。

 この浸透圧を操作する魔法は、常時魔力をバカみたいに吸われるから辛いな。それに、スライム以外には効果なさそうだし、完全にその場限りの死に魔法だ。

「なんとか撃退したな……」
「……あ。ご、ご主人さま……」

 汗を拭って息をついていると、メイが顔を青ざめさせながら指さした。
 そこはちょうど曲がり角で、俺がつけたはずの印が、ほんの僅かだけ残っていた。って。数字も矢印も消えてるじゃねぇかっ!?

「い、一応、訊くけど」
『私も矢印を頼りにしていたぞ』
「やっぱり……?」

 予想通りの返答に、俺はがっくりと肩を落とした。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ――キリア――

 外の光が、見える。星明かりだ。
 今日は新月で、月明かりがない。だからこそ、いつもより星明かりが目立ち、どんな小さな星でも見つけることが出来た。

 そっと窓から空を見上げながら、私はため息をつく。

 すぐ傍の大人用ベッドには、ルナリーとシシリーが肩を寄せ合ってすやすやと眠っていた。この二人は小さいからか、あっという間に(というかシシリーが一方的に)仲良くなってしまった。
 子供とは無邪気で最強だ。
 幸せという言葉を凝縮させて顕現させたような二人の様子に微笑んでから、私は部屋を出る。

 この屋敷に幽霊として住むようになってどれくらい経っただろうか。少なくとも一〇〇年は固い。
 王子がその間、一度たりとて家に帰って来れていないのだという事実が脳裏をよぎり、私は胸の痛みを覚えた。うずくまってしまいそうになるが、この疼痛は所詮まやかしだ。
 そう言い聞かせて、階段を下りる。

 リビングに入ると、何代目かの伯父上が政務に励んでいた。今日はここが政務室らしい。
 テキパキと仕事を片付けていくのを観察して、私はタイミングを見計らいつつキッチンに立つ。淹れてあげるのは紅茶だ。この伯父上は甘いのを好むので、ハチミツもいれる。
 付け合わせはクッキーだ。
 何種類かピックアップしてからリビングに戻り、一息つけそうなところで紅茶とクッキーを出した。

「おお、ありがたい」

 少しだけ疲労の見せていた伯父上は、笑顔を浮かべた。
 仕事を小休止し、伯父上は紅茶とクッキーを楽しむ。この美味しいものを食べる時の無邪気さは小さい頃と変わらない。

「相変わらずキリアのクッキーは美味しいな」
「あなたもすっかり伯父上らしくなって」
「それは老けたと言いたいのか?」

 苦笑する伯父上。ええ、そうですとも。あっという間に私の年齢を越えてしまったんだから。
 でも口にすると確実に落ち込むので、私はそっと笑ってごまかす。

「帝国に関する書類が多いですね」

 ちらりと山積みになった書類を見て、私は訊ねる。
 中には見てはいけないものもあるのだろうけれど、この人たちは基本的にそういう類には疎い。もっとも、本当に重要なものはそもそも持ち出しては来ないのだろうけれど。
 伯父上はお茶をすすりながら小さく頷いた。

「経済制裁をしてから、情報収集は欠かしてないからな」

 帝国は現在、大国でありながらどことも国交を持っていない状況で、完全に孤立している。
 そのおかげで経済的にかなりの打撃を受けている様子だが、だからって国が亡びる程の影響でもない。何せ帝国は屈指の大国で、自活できるぐらいの体力はある。

 故に、クランブールはまだ取り戻せない。

 クランブールは帝国に呑みこまれていて、しかも手放すつもりはなさそうだ。そうなると独立運動を起こすことになるのだけれど、それだけの体力もない。
 だから王子は王国にやってきて、私とシシリーは王族に名を連ねることになった。
 いつか神獣になって国へ帰還し、クランブールを復興させるために。

「それにしても、帝国は何を考えているのかしら」
「知らん。知りたくもない。いや、知らない方が良い。我々はまだ戦争できるだけの体力を有していない」
「大国同士が疲弊すれば、それこそ魔族の思うつぼね。あっさりと漁夫の利を取られちゃう」

 伯父上は大きく頷く。
 結局、人類の敵は魔族だ。

「それにしても、遅いな」
「まだ出掛けて半日くらいですよ?」
「グラナダ殿ならもう解決していても不思議はない」

 伯父上は真顔で本気だ。

「どこからその自信が……まぁ確かに色々と規格外ですけど。伯父上をしばこうとしていたり。ふふ」
「あれは本気で死ぬかと思った」
「ふふ。でも……──!?」

 電流が駆け抜けた。
 感知だ。この気配は──グラナダ様たちと……間違いない!

「王子っ……」
「なに?」

 伯父上の怪訝を無視し、私はリビングから飛び出し、慌てて玄関へ向かう。すると、シシリーも起きてきていた。

「キリア!」
「ええ、間違いなく」

 互いに頷きあって、私たちはドアを開け、正門まで走っていく。
 ああ、出迎えなければ、王子を。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ──グラナダ──


 ああ、やっと着いた。
 俺は見えた屋敷に、安堵をつく。もう夜も遅い。新月のせいかいつもより暗いし(そのぶん星明かりは綺麗だけど)、何よりもう足が重い。

 スライムを撃退した後、俺たちは案の定迷いまくった。

 途中でまたもやスライムの群れと衝突して戦うはめにもなったし、とにかく疲れた。
 ぐったりと背中を折りながら歩いていくと、屋敷から気配が生まれた。たぶん、キリアとシシリーだな。ぼんやりと考えていると、王子が飛び出した。

「おいっ!」
「この感じ……っ!」

 思わず咎めるが、王子は止まらない。周囲の安全はポチとオルカナの気配探知で確保できているが、それでも用心は大事だ。
 俺は自分の体に鞭打って走り出す。くそ、幽霊だけあって早いな!

 なんとか追い付いたけど、正門前に着いていた。

 王子はそのまま正門へ向けて思いっきりダイブする。って!
 俺は慌てるが、すぐに気付いた。待ち構えていたのだろう、キリアとシシリーが受け止めていたのだ。

「キリア! シシリー!」
「「王子っ!!」」

 互いに強く抱きしめ合い、そして涙を流す。

 その様子を見て、俺はほっとした。なんか、疲れも吹き飛びそうになる光景だな。
 もう顔をくしゃくしゃにして、言葉にならない声を上げて。

 そっと傍に寄って来たのはメイだ。俺は自然とその頭を撫でてやる。
 今はそっと見守ってやるべきだ。
 何せ、百年近い年月を経て、やっと再会できたのだから。

「良いですね、ああいうの」
「ああ、そうだな」

 雰囲気を壊さないように小声で言ってくるメイに、俺は小声で返した。

「あ、ごめんなさい。待っててくれてありがとうございました」

 一頻り泣いた後、ようやく落ち着きを取り戻したキリアが冷静さを取り戻した表情で言った。その隣には、目元を真っ赤にしたシシリーと王子もいる。居住まいをただし、しっかりを俺を見ている。

「いや、待ってるのは大丈夫なんだけど、一つ確認したいことがある」
「はい」
「俺はちゃんと王子を連れ戻してきた。ってことは、俺は完遂したんだよな?」

 しっかりと答えるキリアに、俺は問う。

「はい。王子がここへお戻りになられた以上、呪いは解除され、私達は正式にあなた様を主として迎え入れることができます」
「そっか、それは良かった」

 俺にとってこの屋敷はもう自分の家だからな。手に入って本当に良かった。

「あ、えーと、グラナダ……さん。本当にありがとう」

 胸を撫で下ろしていると、王子がぺこりと頭を下げた。

「ずっと帰りたい場所に帰してくれて、ずっと会いたい人に会わせてくれて。本当に嬉しい」
「王子……」
「その、その上でこういったらワガママなのは分かってるんだけど、もう少しお世話になって良いかな? 成仏するには早い、というか。成仏できないからさ」

 それもそうだ。王子の中には金眼銀眼の神獣が眠っている。成仏なんてまず無理だ。

「うん、問題ないさ。せっかくキリアとシシリーもいるんだし」

 俺はあっさりと許可した。
 そもそも拒否する理由はないからな。もちろん帝国のエージェントたちが狙ってくる可能性はあるが、その辺りはキッチリと王様になんとかしてもらう。
 それに、キリアとシシリーもいるしな。シシリーはとにかく、キリアは上級魔族なみの力がある。まず近寄ることさえ出来ないだろ。

「ありがとう! ありがとう!」
「グラナダ様、本当にありがとうございます」
「ありがとう!」

 また涙する王子を両脇から抱きつつ、キリアとシリアも礼を言う。そこまで言われるとちょっとこそばゆいな。
 俺は苦笑しながらメイを見る。メイも同じ様子だった。

「さて、それじゃあ屋敷に戻ろうか」

 俺がそう提案した刹那だった。

「うぐっ……!?」

 黒の魔女帽子が、いきなり苦しみだした。

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