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コウテイ③

次の配達先はメインストリートから少し路地へ入った所にある茶房だ。
メインストリートと打って変わって、やはり路地は穏やかだ。同じ街であるはずなのに、空気が全く違う、澄んでいるような気がする。
目的地の茶房は、そんな澄んだ空気の中にホコリっぽさを調和し、上手い古さをまとわせている。簡単に言えば、「古き良き」茶房だ。

入口の扉を開けば、その扉に付いている小さな鐘がカランカランと心地よい音を響かせ、一層良き古さを増させる。
路地と同じ静けさを保つ店内には、席に座りくつろぐ2人の爺とカウンターの向こう側で黒に近い茶色の水を小さな器へ注ぐ若い男がいた。雰囲気を乱さぬよう、僕は慎重にカウンターへと向かう。

「お届け物です」

そっと話しかけると、ちょうど注ぎ終わったようだ。振り返り、先ほど注いでいた小さな器をカウンターへと置いた。

「ありがとう」

「受取証に印を」

「はい……、これでいいかな?」

「大丈夫です。それでこれは?」

カウンターに置かれたそれは、明らかに僕への贈り物であるが、如何せん器に入った黒に近い茶色の水を知らない。失礼だが、少し怪しい。
ただ物事に興味が出るのは自分でも思うが珍しい。大抵、興味を持った物事は吉である可能性が高いと今までの経験上思っている。
普段ならあの「異世界」というワードのように気にせずスルーだが、これはどうも僕の何かが気になっているようだ。

「珈琲と言ってね。他の街では出回っていないヨナだけの飲み物なんだ。遠い世界から仕入れているんだけど、少し値が張るもんでね、ヨナだけとは言ってもウチ以外に出すところはないね」

「いくらする?」

「一杯で1枚。袋で買えば、最低でも50枚はかかるね」

「それでこれは?」

「おもてなしさ。その様子だと飲んだことがないでしょ?一度試してもらいたいんだ」

「……じゃあ遠慮なく」

店主の厚意に甘え、小さな器をゆっくり持ち上げる。
入れたてなので湯気がうっすらと立ち上り、一緒に香ばしい香りを鼻へと運んでくる。その香ばしい香りは鼻腔をくすぐり、不思議と心を和ませる。
口に含めば、酸味のある苦みが広がり、しかしその苦みを不味いとは感じない。むしろそのテイストにマッチした味であると、一度も飲んだことがないのに認識してしまう。
茶水のような甘さはどこにもないが、しかしそれは僕を虜にした。

「……美味い」

「ふふっ、いい笑顔だね」

知らぬ間に口角が上がっていたようだ。食べ物や飲み物で口角があがるのはルロ肉だけと思っていたが、一つ増えたみたいだ。

「どう作るんだ?」

「珈琲は豆から出来るんだ。焙煎してブレンドして、そして粉末にする。そこにゆっくりお湯をかけて抽出する。手間がかかるけど、その分美味いってわけさ」

「面白い。豆はあるのか?」

「あるけど、粉末のほうが楽だしね。欲しい?」

「あぁ、お金を持ってきてからで……」

「はい。これ、持っていきな」

どう工面するか思考しようとすると、カウンターに皮の袋が3つ置かれた。口は閉じられているが、ほんの少しだけさっきの香りがする。

「今日はいいからさ。気に入ったなら持って行ってほしい」

「えっ……」

「全然知らていないから在庫が貯まるばかりなんだ。廃棄するの勿体ないし、かと言って買ってくれるお客さんも少ない。……それに男の子だけどあんな笑顔を見られたらそれで充分さ」

「……」

「ま、それが無くなったらまたヨナにおいでよ。今度は買ってもらうけどね」

冗談っぽく笑う店主に少し微笑みながら、小さく礼をして袋を受け取った。受取証を再度確認して、またカランカランと音を鳴らし、外へ出た。
手綱を引きながら、もう片方の手に珈琲の粉末の入った袋を下げる。メインストリートとは反対方面へ路地を進み、茶房が見えなくなったところで、僕は袋の中身を道端へ捨てた。
その粉末は最初はあの珈琲と同じ黒に近い茶色だったが、その下は白い粉だった。

「……バレバレだよ」

痺れ粉か、毒薬。間違いなく、そのどちらかだろう。店主、もとい娼館のオーナーの一瞬の下卑た笑みに気づかなければ、娼婦にさせられるところだった。
3つの袋を全て捨て終わったところで、袋も捨てた。

後ろにいる下卑た笑みをまた浮かべるあの店主から逃げるように、僕は馬に跨り、路地を駆けていった。

□■□■□■□

「あと少しだったのにね、残念だよ。あの男の子は売れると思ったのにな」

いい男娼をようやく見つけ、内心ほくそ笑んでいた。この男の子さえ手に入れば、また娼館は立て直せるだろう。
ヨナの男どもは可愛い男の子に案外ご執心のようだ。こんな真昼間だが、いまの娼館ではニヤニヤと笑う爺どもが快楽の声をあげているのだろう。
相手をする若い男娼も同じように喘いでいるだろう。

「戻るか」

店内にいた爺に賄賂を手渡し、娼館への帰路につく。喘ぐ爺と同じように私も帰れば喘ぐだろう。その快楽をもう忘れることはできない。

大袈裟に言えば、「蜘蛛の糸」。
あの通りプツリと切れてしまった。
それでも私はめげずに、快楽のため明日もあの喫茶店で配達屋を待つ。
もう何年も前からとち狂った私の感性と精神は、私を毛嫌うことなく、いつも私を擁護する。たとえ世間からみて間違いだったとしても、それを私の行くべき道であるかのように示す。

もし個人の自由が存在する世の中なら、きっと私は正解だ。

しかし、たった一つの間違いを、私は未だに気づけないでいる。

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