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第百八十話

 その日は、朝からポチの様子がおかしかった。
 元気に走り回る、まではいかずとも、庭を歩いたり、温泉を楽しんだりしていたはずのポチが、部屋のすみっこでくるまって動かなくなってしまったのだ。
 これはいよいよか。

 俺は早速中居さんに事情を説明し、必要なものを揃えてもらった。同時にアレンがやってきて、「今日の訓練は中止やな。じっとついてやりよし。まぁ訓練もほぼ終わってるし構へん」と言い残して姿を消した。
 うん、こういう時、即断出来る上司は強いよな。
 従業員から慕われている様子を度々見ていた俺は、アレンがオーナーでいられる理由を察した。

「ポチ、寒くないか? 大丈夫か?」
『……うむ、大丈夫。すまん』

 毛布をかぶせてやり、震える身体を撫でて言うと、ポチは少し遅れてから返事を送ってきた。どうやらかなり億劫らしい。
 メイも心配そうにしていて、ずっと寄り添っている。寝間着でも良いのに、何かあればすぐ動けるようにとワンピース姿だ。
 ちなみにフィリオたちは別室で大人しくしている。先の模擬戦で掴んだものがあるらしく、ずっと話し合いもしている様子だ。時折庭に出てお互いに何かを教え合っている。

 まぁ、特にアマンダとエッジは強くなったもんなぁ。

 フィリオとアリアスは予想通り強くなっていたが、セリナが魔法をしっかりと覚え始めていることに驚いた。キッチリと回復魔法系の習得も開始しているらしく、そうなれば凶悪な戦力になる。
 冒険者になれば、間違いなく躍進していくことだろう。

 俺としても嬉しい限りだな。
 担任曰く、俺たちの世代は黄金世代になり得るのだとか。まぁSSR(エスエスレア)が五人も集まるという状態からしてそれは確定的なのだが、成長率からしてハインリッヒ以来の出来事なのだとか。
 そうなれば、ハインリッヒの負担も減っていくことだろう。

 今まで以上に王都も平和になっていくはずで、同時にそれは魔族との激しい戦いも意味するが。

「あっ」

 思考が現実に引き戻された。
 見やると、メイが腹を少し不快そうにさすっている。確か、奴隷紋が刻まれた辺りだ。

「どうした、メイ」
「あ、いえ。ちょっと違和感があるだけですから」
「大丈夫なのか?」

 俺は念押しで訊ねる。
 もしここで嘘を吐いたら咎めるぞ、という意味を込めて。だが、メイは本当に苦笑するだけだ。

「はい。ちょっとくすぐったいような、そんな気がするだけです。少しだけ不安なので、落ち着いたら魔力反応とか確認していただきたいとは思ってますけど」
「それはもちろんだけど、自分では確かめたのか?」

 腹をさするメイに俺はなるべく優しい調子で訊く。
 メイのお腹には奴隷紋が刻まれてある。もし不調を起こしたとなれば、即刻命に関わる部位だ。体調を確かめる時、奴隷紋は特に注意しなければならない。

「はい。一応、異常は感じられないのですけど」
『主。診てやってくれ。すまんが、今の私では……』
「分かってるよ。おいで」

 弱々しいテレパシーを送ってくるポチを撫でてやってから、俺はメイを呼び寄せた。
 ちょこん、とメイは俺の前に立つと、ワンピースをめくりあげてお腹を出す。禍々しい色で刻まれた奴隷紋に俺は直接触れて、微弱な魔力を流し込む。
 すぐに返って来たのは、正常な反応だった。
 確かに異常らしい異常は見受けられないが、魔力に敏感になっているようだな。たぶんポチから漏れる膨大な魔力に当てられてくすぐったいんだろう。

「うん、大丈夫っぽいな」
「そうですか、良かった」

 メイも奴隷紋は気にしているようで、胸を撫で下ろしていた。っていうか、不安ならすぐに言えば良いのに。別に診るぐらいすぐに出来るぞ。
 俺はメイの遠慮に少しだけ息を吐いた。
 とはいえ、魔力に敏感になってるってことは、魔力の影響を強く受けやすいってことだ。気を付けないとな。魔法攻撃に弱くなるって弊害も出るかもしれん。

『む……そろそろ、だ……』

 ポチが苦しそうに身体を更に丸める。
 ドキ、と心臓につっかえを覚えるが、ポチの全身が明滅を始め、魔力の循環が不安定になる。

『離れてくれ。巻き添えがあっては困る』

 ポチの指示に従い、俺とメイが離れる。
 部屋の端まで移動したところで、ポチがひと際強く光った。

『ぬうぅぅっ…………っ!』

 低い唸り声の直後、ポチの身体から白い光が二つ、離脱した。
 同時に光が衝撃波となって周囲に広がる。そんなにキツいものではないが、魔力だけはやたら濃い。もし間近で浴びてたら、魔力中毒を起こしたかもしれないな。
 自分の周囲に魔力を展開して衝撃波を弾きながら、俺は光を目で追いかけた。
 ばちん、ばちん、と、不安定な音量で弾ける音を立てながら、光はポチの周囲を飛び回っている。

 って、光? え、えーと……?

 困惑していると、ポチは鼻をスンと言わせて顔を上げ、光を呼び寄せる。
 つまりあれか、この光がポチの子供……?
 メイも意外過ぎて放心、というか、ちょっと涙目だ。たぶん小さくて可愛い子犬が出てくると思ってたんだろうな。俺も思ってた、力の限り。

「う、産まれた、のか……?」
『うむ。元気な女の子だ』

 さいですか。
 俺から見れば単なる寿命が尽きそうな電球って感じなんですけど。女の子に見えませんけど。
 満足そうに表情を緩めるポチを見て、俺はそんなツッコミを全部捨てた。

『だが見ての通り、まだ不安定だ。しばらくはこの子たちへ注力したいのだが、構わないか?』
「それはもちろんだけど。まだここに滞在するってことなら大丈夫だぞ?」
『いや、それは有難いのだが、この子たちに注力するということは、主へ力の供給が出来なくなるということだ』

 ああ、そういうことか。《シラカミノミタマ》というか、《カミニエノノリト》の効果が消えるんだな。
 合点が言って、俺は頷いた。

『その石そのものに宿った力は引き続き主へ力を与えるが……効果は知っての通りだ』

 それでもめちゃくちゃ貴重なアイテムには違いないんだけどな。
 申し訳なさそうにするポチに、俺は鷹揚に手を振った。

「気にすんな。許可するよ」

 主が俺にうかがいを立てたのは、俺とポチが《ビーストマスター》の能力で主従関係にあるからだ。

『すまん』

 フッと俺から力が抜けていく。仕方ないって分かってるけど、ステータス値が落ちて身体が重くなる感覚はどうも嫌だな。微妙に不安にもなるし。
 とはいえ、今は子育ての方が大事だ。
 あの光が今後どうなるか分からないが、大事な時期には違いない。

『その代わりと言ってはなんだが、この子たちの名前を考えてやってくれないだろうか』
「名前?」
『そうだ。名前は言霊になる。この子たちの行く末を決めるものだからな。主にお願いしたい』

 おいおい、随分と責任重大だな。名前辞典とかで調べるべきか?

「なんか、お父さんになった気分ですね?」
「滅多なこと言わないでくれ……」

 メイの言葉に俺はげんなりした。まだ俺は十二歳だぞ? 父性の目覚めには早い。と思う。前世の十七年間はチャラだチャラ。

「まぁ、名前考えるのはいいけど、しばらく時間はもらうぞ?」
『もちろんだ』

 了承を得て、俺は少しだけ安堵した。ハッキリと言うが、俺にネーミングセンスはないからな。ここはじっくりと冷静に活かせてもらうぜ。

「おー、いたか。今日は元気そうだな」

 そのタイミングで入ってきたのは、担任だった。
 うわー、しっかり武装していらっさる。これってつまり、そういうことか。

 思わず顔をひきつらせていると、担任は意地の悪そうな笑顔を浮かべた。

「この感じと……そこの魔獣の様子からして、無事に産まれたみたいだな?」
「え、ええ、まぁ」
「容態も安定しているな?」

 やや引きながら肯定すると、担任はさらに質問を重ねてくる。これはつまり、確認作業だ。もちろん気遣いというのもあるんだろうけど、本音、すっけすけ。
 間違いなく俺と模擬戦したがってるな。
 アレンから挑発くらって以来、ことあるごとに視線を送ってくれてたしなぁ……。

「まぁ、安定してます、ね」

 力の限り嘘をつきたかったが、ここでやっても意味はない。
 それに安定しているのは事実だし。

「よし、じゃあ少しくらい抜けても大丈夫そうだな。グラナダ、地下いくぞ、地下」
「模擬戦ですか?」
「おう。その通りだ。今を逃すとしばらく使えなくなるそうだからな。だからやるぞ」

 担任はあっさり認めて急かしてくる。これはたぶん、無理矢理アレンを説得したんだな。
 色々と言い訳を思案するが、どれも上手く行きそうにないので諦めた。どのみち学園が始まればイヤと言うほど模擬戦を繰り返すのだ。

 それに、たった数日だけど自分がどこまで強くなったか気になるしな。
 普段から学園での模擬戦では、わざと《シラカミノミタマ》の機能は制限している。目立ちたくないってのも大きい理由だけど、やっぱり自分の本来の力は知っておきたい。

「ポチ、構わないか?」
『無論だ。良い報告を待っているぞ』

 つまり勝てってか。メイもサムズアップ送ってくるし。たまらず俺は苦笑した。
 まぁ、勝つつもりで挑みけど。

「分かりました」
「よし! じゃあ早速行くぞ!」
「はい」

 意気揚々と大手を振って歩き出した担任の後ろについて、俺は地下まで向かった。
 時折すれ違うギルドメンバーだろう冒険者と挨拶をしながらフィールドに辿り着くと、アレンが待ち構えていた。俺と担任を認めるなり、微妙な表情になる。

「なんや、断ると思ってたのに。案外血気盛んなんやね」

 ため息を漏らしながらアレンはそう言うと、腕を組みながら俺の方へ歩いてくる。
 すれ違いざまにぽん、と肩に手を置いてくる。

「本気でやってや。あんたさんに賭けたんやからな?」
「……――賭け?」
「街にある、お高い店の飲み代や」

 なんじゃそりゃ。
 俺は辟易して睨み返すと、アレンはいやらしい笑みを浮かべた。

「まぁ、頼んますわ。ええか、ワイの教えたことを全部やるんやで。あんたが買ったら、もっとエエこと教えてやるさかい」
「エエこと?」
「せや。もう一つ、新しい技を教えてあげる。とびっきりやで?」

 言ってからアレンはウィンクし、俺の後ろに回った。

 ――とびっきり、か。これはやる気出て来たな。

 俺は好戦的な笑みを浮かべて、フィールドの中央へ向かう。

「おーおー、やる気になったみたいだな」

 担任も野性的な笑みと魔力を浮かべて言う。既に両手には得物が握られていた。
 短い刃付きのメイス。それが担任の武器だ。
 リーチが短いからこそ取り回しが良く、それでいて打撃と斬撃の両方を与えられる。しかも超攻撃型だから一度苛烈な連続攻撃を受けると捌き切れなくなる。
 そこをどう処理するか、がカギだな。

「ほな、始めよか」

 アレンは言ってから、コインをトスした。
 くるくると綺麗に回転しながら、コインは放物線を描いて落下し――

 地面に金属音を響かせた。

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