バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

第八十二話

 ハインリッヒ・ツヴェルター。
 この王国で知らぬものはいない、押しも押されぬ英雄だ。世界最強の戦力としても有名で、世界を股にかけて活躍する人物だ。
 その上で品行方正、誰にでも優しく、誰にでも救いの手を伸ばし、そして悪を挫く。

 絵に描いたような英雄だ。

 まさに誰もが憧れる人物で、誰もが彼のようになりたいと願う。
 それでいて、近しいものたちは皆、彼に畏怖を抱く。あまりに高潔で、あまりに強すぎて。
 絶対に敵わない。そう思わせてしまう程の魅力が、彼にはあった。

 そんな彼を、通過点でしかない。

 フィリオはそう断言していた。
 この爆弾発言はどよめきを読んだ。明らかにビックマウスだからだ。誰もが呆れるくらいの勢いである。

「おいおい、フィリオ。幾ら何でもそれは言い過ぎだろう」

 さすがの担任も窘めるくらいだ。
 だが、フィリオは微塵も気にしている様子がない。まるで信じて疑わないのだろう。自分は選ばれた人間なのだ、という。

 そういえば、ヴァータが言ってたな。世界が引いたガチャがアタリで、その次に俺が出て来た、って。
 もしかしてそのアタリってのはコイツのことか?

 フィリオの年齢は俺と同じ十二歳だ。その可能性は高いと言っていいだろう。

「どうですかね。俺は自信を持って言えますけど。俺はハインリッヒさんを超えます」
「調子良いこと言ってんじゃないわよ!」

 どこまでも挑発的な言葉に激烈な反応をしたのは、アリアスだった。どうやら我慢していたものが噴き出したな。完全に頭に血が昇っている感じだ。
 アリアスは激昂の表情のままフィリオを睨みつけ、机を殴りながら席を立つ。

「あんた程度が兄様を超えられるはずないじゃない!」

 そこには、兄をバカにされたことへの怒り――だけではない。たぶん、劣等感もあるはずだ。
 ハインリッヒは誰も手の届かない領域にいる。近くにいるからこそ、余計にそう思うものだ。

 俺だって、ガチで全力でやりあっても、あの人に勝てる気がしないからな。

 だが、フィリオはそんなものどこ吹く風のようだ。

「何を怒ってるか知らないけど、ハインリッヒさんはそういう存在なんだぞ?」
「はぁ? ちょっとあんた何言ってんのよ」
「俺はこの世界を救う」

 アイリスの抗議を遮って、フィリオは言った。
 あれ、なんかコイツ、ひたすらにキモいぞ。どうした、いや、どうした?
 俺はとてつもない違和感に苛んで、思わず頭をかきむしりたくなった。何を言ってるんだコイツって感じだ。だってそうだろ? 世界を救うなんて、フツー言えるか?

「女神からそう言われたからな。俺は世界を救う存在になる、と」
「そんなの、転生者なら誰もが言われることだと思うけど? 兄さまもそうよ」

 アリアスの反論はもっともだ。
 この残念レアリティの俺にさえあのクソアホチビボケカス失敗レイヤー女神は言ったからな。まぁかなりおざなりだったけど。きっとアタリだったフィリオにはさぞや熱弁をふるったことだろう。
 思うとなんか腹立ってきたな。

 密かに中っ腹になっていると、フィリオは鼻でまたアリアスを笑い飛ばした。

「それはお為ごかしってヤツだ。リップサービスとも言えるか?」
「なんですって……?」
「心配するな。俺がこの世界を救ってやる。今回の事件だって、俺が限界突破するためのイベントみたいなものだからな」

 はぁ?
 俺は呆れを通り越して、もはや何も言えなくなった。
 周囲も絶句している。

「あ、あんた、それ、真面目に言ってるの……?」
「無論だ」

 フィリオは断言して、薄ら笑いさえ浮かべる。
 ま、まさか、まさかだけど……。コイツ、痛い勘違いしてるのか……?
 呆気にとられていると、フィリオも立ち上がった。

「俺は世界最強になる。これまでもそうやってイベントをこなしてきたし、これからどんどん強くなるためのイベントが起こっていく。俺はその全てを勝利で飾り、全て糧とする。心配しなくていいぞ、俺はいつだって勝つからな」

 フィリオの勘違い極まりない演説は続く。

「このイベントシナリオは、俺が勝つことを前提に組まれてるからな。まぁ巻き込まれたヤツは可愛そうだとは思うが……今回だって犠牲者はゼロだったんだろう? 俺がちゃんとクリアしたからだ」

 マジだ。ガチだ。
 こいつ、冗談抜きでこの世界をゲーム感覚で捉えてやがる。じゃないと、イベントだのシナリオだの出てくるはずないしな。

「もし死にたくないなら、俺の元に跪け。そうしたら、守ってやるぞ」
「あんたねぇ……!」

 限界が来たらしい。アリアスは殺意さえ滲ませた。

「フィリオ。そこまでにしておけ」

 担任が威圧感を籠めて言った。さすがに重圧を感じるほどのもので、フィリオはまともに食らって黙り込んだ。だがそれも僅かなことで、やれやれと言った様子の手振りをする。

 うわ、絶対懲りてないぞコレ。

 一方のアリアスも、担任からの無言の圧力を受けて着席するが、隙あらば仕掛ける勢いでフィリオを睨み続けていた。それは担任が皆への労いが再開して、今日は授業が早上がりだと伝えられるまで続いた。

 もちろん、そんなアリアスがそのままで終わらせるはずがない。

「フィリオ」

 さっさと帰ろうとするフィリオの前に、アリアスが仁王立ちで立ちふさがる。その全身からは敵意が漲っていて、今回の戦闘の疲れなど微塵も感じさせない様子だ。
 いや、疲れてるんだろうけど、怒りでオーバーフローしてるんだろうな。

 フィリオの言葉は、転生者の俺でも理解しがたいものだった。

 この世界に住む彼らなら尚更のことだろう。何せ、彼らは歴とした命であり、この世界でしっかりと根付いて生きているからだ。それを、たった一人の人間の、しかもその人間にとって都合の良いイベントが起きていく、なんて言われたらそりゃ腹も立つ。
 それでもアリアス以外の誰も声を上げなかったのは、フィリオのことを恐れているからだろう。
 実際、今回のフィリオの功績は、クラスで最強の立ち位置を揺るがないようにしたもんだしな。

「勝負よ。あんたの意味の分からない言葉、全部撤回させてやる」

 アリアスは堂々と指を差しながら宣言する。その表情にはもはや敵意しかない。
 あんな目つきで睨まれたら、確実に和解なんて出来ないだろうなぁって思うのだが、フィリオは何故かきざったらしく笑ってソフトモヒカンの髪を少しだけいじくった。

「撤回……か。良いだろう、やってやるよ」

 あー、これはアレだな。
 俺はフィリオの態度を見て断定した。アレは絶対に突発イベントとか思ってる。
 考えても見れば、フィリオからすれば超えるべき通過点たるハインリッヒの妹という立ち位置のアリアスは、間違いなくメインヒロインの一人なのだろう。そして最初は反目していたが、やがて認め合っていく、というのは、ツンデレヒロイン攻略の王道である。

 フィリオはそう考えたに違いない。

 だからこそあっさりと引き受けたのだろう。
 もちろんフィリオに負けるイメージなどないはずだ。きっとどう手加減して倒すか、頭を巡らせていることだろう。

「度胸だけは褒めてあげるわ」

 アリアスは顎でついてくるよう指示し、踵を返した。
 おお、やる気満々だな。

「これは、ついていくべきですねぇ」

 ふと後ろから声をかけてきたのは、セリナだ。
 面白がっているのかと思って振り返ると、意外なことに真剣な表情だった。何やら思うことがあるのか。

「ついていってどうするんだよ。俺が止めるのか?」
「ギャラリーは少なからず集まるでしょうから、それはマズいですねぇ」

 セリナは困ったように即答した。
 って、もしギャラリーがいなかったら俺に止めさせてたな、これは。
 もちろん、さすがに殺し合いにまで発展しそうだったら俺も止めると思うが。

「ですが、このまま放置も出来ませんねぇ。ハインリッヒさんの時と同じです」
「そうなのか?」
「ええ。あの時はもっと状況が悪かったのですけれどねぇ……」

 ってことは、ハインリッヒも似たような功績を上げたのか。それでやっかみを受けて絡まれたのか? それとも自分からやっかみを受けるようなことをしたのか?
 まぁどちらにせよ、戦う、という結論が同じだったのだろう。

「フィリオさんはかなり強くなりましたが、アリアスさんも相当な実力者ですねぇ。下手したら加減が出来ずに、どちらかが倒れてしまうかもしれません」
「そうなったらマズいってことか……」

 そして、アリアスに勝ち目はかなり薄い。
 やはりSSR(エスエスレア)は一度でも限界突破してしまえば、かなりステータスが上昇してるはずだからな。

「というわけで、ご足労願いますねぇ」

 半ば強制的に、俺は腕を掴まれて連れていかれた。

しおり