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第二十二話

 明朝、ようやく朝日が覗かせる頃、俺は森の近くにある野外訓練所で意識を研ぎ澄ませていた。
 周囲にはベオベアーが五匹。
 どいつもこいつも朝飯前で腹を空かせて凶暴具合が上昇している危険な状態だ。もし遭遇すれば間違いなく狩りに来るだろう。
 だが、俺は全身からフェロモンを放ち、五匹全員を屈服させていた。

 セリナから特訓を受けて一週間。

 俺はようやく《ビーストマスター》の持つ三種類のフェロモンを取得し、こうしてベオベアーなら五匹同時に屈服させることに成功させていた。

 ここまで来るのにめっちゃ苦労した。いやマジで。
 何回も失敗して何回も死にかけたし。《ビーストマスター》は楽じゃない。いや、特訓が厳しすぎるってのはあるけど。

 ともあれ、俺は《ビーストマスター》のアビリティを習得出来たわけだ。もしかしたら強力な魔物さえ従えることだって可能かもしれない。
 と思ってたら、セリナにきっちり釘を刺された。

「《主従》のフェロモンはもっと難しいですからねぇ。自分の魔法適性が関わってきますし、その適性図がそのまま主従させられる確率とかになりますし。あとレアリティ重要です」

 つまりR(レア)で光適性の俺はほぼダメダメってことか!
 ちくしょう! ここでも邪魔しやがって!

 内心で吐き捨て、俺はがっくりと肩を落とした。

「ご主人さまー」

 後ろから声をかけてきたのは、メイだった。
 俺はベオベアーに《威嚇》のフェロモンを放って追い出してから、メイを振り返る。
 まだ寝間着のメイは、目をこすりながら近寄ってきていた。あーあー、髪がはねてるし。寝癖だな。後で髪を鋤いてやらないと。

「どうした?」

 思いながら問いかけると、メイはそのままぎゅっとしがみついてきた。

「メイ?」
「あのね、あのね……メイ……強くなる……だから、メイを、見放さないで……ください」

 俺は理解した。
 俺がベッドにいなかったから不安になったんだな。それで探し回ってきたってとこか。
 最近になって気付いたことがある。
 メイが時々敬語になるのは、奴隷だった頃を思い出して言う時で、ひどく怯えている時だ。意識して使う時もあるみたいだけど。
 ともあれ、今回は完全にそうだ。
 そしてメイがここまで怯えながら懇願してくるには理由がある。

 この一週間、シーナと一緒に訓練していても、レベルがまったく上がらないのだ。

 フィルニーアに言わせると、あくまで簡易診断だが、やはりコークス中毒の可能性があるとのことだ。
 治療はもう始まってるが、コークス中毒は意外に厄介で、体外へ排出させるには少し時間がかかる。それまでレベルは上がらないわけだ。
 付き人になったメイとしては、これ以上とない不安要素だろう。もし使えないと判断されたら……と、想像が脳裏を過っても不思議はない。

「大丈夫だよ」

 俺は必死にしがみついてくるメイの頭を、ゆっくりと撫でた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 俺たちの見送りは質素なものだった。
 そもそも俺とメイは巻き込まれただけだし、フィルニーアは非公式での参戦だ。だからこそ大活躍した(大破壊とも言う)わけだし。

 見送りの場所は城の野外演習場。ただ広いだけのグラウンドで、領主とセリナ、シーナの三人が来てくれた。

 病床のはずの領主は無理してやってきたのだろう、かなり体調が悪そうだった。っていうか大丈夫なのかこの人。ガリガリだぞおい。
 と心配してたら、領主が俺と握手してくれた時に「お礼は言う。けど娘に手ぇ出したら殺す」と宣った上に俺の手を握りつぶすんじゃないかと思うぐらいの力が込められたので大丈夫だと思う。うん。
 帰りはさすがにドラゴンを使うわけには行かないので、フィルニーアの箒に三人乗りである。どうも隠蔽魔術で隠れながら移動するらしく、その術式が完成するまで俺とメイは待っていた。

「グラナダ」

 振り返ると、シーナがいた。

「今回は本当に世話になった。ありがとう、礼を言う」

 俺と目線を合わせるなり、シーナは頭を下げた。

「この恩は必ず返す。貸しとして覚えていてくれ」
「そんなこと思う必要ないよ。十分に恩は返してもらったと思うし、この数日で。褒賞金だって貰えたし、メイだってしっかりスキル鍛えてくれたし」
「いや、それだけでは返し切れない恩だ。グラナダ、君がいなかったら私もセリナも命が無かったかもしれない。君と初めて出会った日、セリナはすでに魔力を枯渇させていて、《ビーストマスター》としての能力も使えなかったからな」

 シーナは自分の力不足を悔やんでいるのか、顔をしかめながら言う。なんだか愚直だなぁ。

「だから、この恩義は必ず返す。もし君が今後、何かの危機に瀕した際、駆けつけて力になると誓おう。いつでも言ってくれ」
「それは心強いな、ありがとう」
「うむ」

 シーナは強い表情で頷いてから、手を差し出した。俺はしっかりと握り返す。

「グラナダさん」

 そのタイミングで声をかけたのは、セリナだ。

「もう、行ってしまわれるのですね」

 いつものように微笑んで、いつものようにキレーなセリナだが、今ばかりはどこか憐憫があるように見えた。

「せっかく同じアビリティを持つ仲間とも出会えましたのに。楽しかっただけに、寂しさも余計ですねぇ」
「あ、ああ」

 仲間? 楽しかった?
 思い出される鬼畜の特訓のオンパレードに、俺は微妙な相槌を返すしか出来なかった。

「しばしのお別れですが、王都でお会いすることを楽しみにしていますね」
「王都で?」

 怪訝になっておうむ返しに訊くと、セリナは頷いた。

「私はもうすぐ王立魔導剣師学園(グリモワール)へ入学します。グラナダ様は一つ下ですから、来年度入学されるのでしょう?」
「え?」

 俺は顔がひきつるのを止められなかった。
 王立魔導剣師学園(グリモワール)。大陸でも有数の大国である王国中から集められるエリートの巣窟のことだ。ほぼ全員がSR(エスレア)SSR(エスエスレア)という、俺なんかが行けば間違いなく鬱になる場所でしかない。
 基準能力値を満たすか、十二歳に達することで入学出来るようになるが、俺にそのつもりはない。

 俺は田舎村で平和に隠遁生活を送りたいんだ。

 転生者は世界を救うために動かないといけないとかあるけど、そんなのくそ食らえである。最初からレアリティとかアビリティとかスキルとかに恵まれてる方々の仕事だ、そんなもん。
 そういえば、そんな恵まれてる方筆頭の、現転生者で最強と謳われるハインリッヒ・ツヴェルターがつい先日、魔族でもかなり上位の存在を討ち滅ぼしたらしい。ニュースになっていた。この調子で是非とも頑張っていただきたい。

「だって、グラナダ様は転生者ですし、《ビーストマスター》という固有アビリティもお持ちでしょう? それにSR(エスレア)を倒せる程の実力もあるじゃないですかぁ」
「いや、そりゃそうだけど」

 正直言って、ヴァーガルを倒せたのはまぐれだぞ。こっちが裏技(ミキシング)を持っててぶちギレてたってのもあるけど、相手が油断してたのが一番だし。
 それにアイツは身体能力強化魔法(フィジカリング)に頼って身体を鍛えてなかったっぽいし。

 色々な条件が揃って、やっと勝てただけである。

「もしかして、入学されるおつもりがないのですか?」
「まぁ、正直なとこを言うと」
「あらあらまぁまぁ」

 そう言って、セリナは少しだけ困った様子を見せてから、俺の両手をぎゅっと握った。
 ──って、へ?
 セリナはさらにその握った両手を自分の胸に押し付ける。膨らみかけとはいえ、そこには確かに柔らかい感触があった。

「私、またグラナダ様と会いたいな」

 ──っ!?
 動揺して絶句するとセリナは少し顔を赤くさせていた。

「また、会えるのを楽しみにしていますね。それでは」

 何も言えないでいると、セリナはそう言って手を離した。
 幸か不幸か、そのタイミングでフィルニーアの隠蔽魔術の準備が終わった。

「ほら、いくよ」
「あ、ああ」

 いつもより柄の長い箒に腰掛けながらフィルニーアが読んでくる。メイは既にその後ろに乗って両手をフィルニーアの腰に回していた。
 俺は駆け足でフィルニーアのところへ行って箒に股がる。

 ふわり、と、独特の浮遊感がやってきて、俺たちは徐々に上昇を始めた。

 バランスが安定するのを感じてから、俺はセリナを見た。セリナはシーナの隣にいて、二人とも手を振ってきていた。俺はどこかぎこちなく手を振り返し、それは互いに見えなくなるまで続いた。
 雲が眼下に見えるくらいの高度に達してから、フィルニーアは加速を始める。

「なんだかセンチメンタルなやり取りをしてたね、グラナダ」
「え?」
「セリナとシーナさね。末端とはいえ、王族とそんなやり取りするなんて、隅におけないねぇ」
「な、な、何言ってんだ! そんなはずねぇだろ、俺もセリナもシーナもまだ子供だぞ!」
「シーナは十六だし、セリナだってもう十二だろ? 立派な女って生き物さね」

 反駁するが、フィルニーアはあっさりと返してくる。
 くっ、何故だ、何故俺の旗色が悪いんだ!?

「まぁいいさね。将来は将来考えな。さぁ、加速するよ」

 フィルニーアは嬉々としながら箒の方向を変える。向かう方角は北の方だ。俺たちの住む田舎村は東である。

「おい、どこに行くんだよ」
「決まってるさね。フィリストリアと言えば何で有名な国と思ってるんだい?」

 問われて俺は首を傾げる。
 すると、フィルニーアは鼻を鳴らした。

「アンテナ低いねぇ。そんなんじゃモテないよ! フィリストリアって言ったら王国でも美容で有名な国さね! 特に北の都は美の町とまで言われていて、最新の《えすて》とやらも受けられるそうさね。他にも温泉だってあるんだよ」
「そうなのか」

 エステとかどうでもいいけど、温泉には興味あるぞ。なんてったって俺は日本人だ。温泉大好きである。

「と、いうわけだ。せっかく来たんだから女として行かなきゃ恥さね! 美魔女になるための第一歩! ってやつさね。とっとと行くよぉー!」

 ……美魔女? 誰が??

 とてつもなく加速していく中で、俺は首をもう一度傾げた。

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