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向かいの庭

  
  
 新築マンションへの引っ越しに伴い、妻に禁煙を約束したものの、私は三日ですでに我慢の限界に来ていた。
 買い物に出かける妻の目を盗み、洗濯物がはためくベランダで煙草をくゆらせる。
 三階に吹く夕刻の秋風は心地よかった。
 深く吐き出した紫煙の向こうに透ける下界を眺める。
 道路を挟んだ向かいの一軒家が目に入った。
 長い間手入れしていないのか草がぼうぼうに生えた庭の片隅に、その家のご主人か、しゃがみ込んで草むしりしている人物がいた。
 何人もの焼け焦げた人たちが彼を取り囲み、うつむいてじっと見つめている。
 赤黒く爛れた皮膚に、燃え残ったぼろぼろの衣服、全身が真っ黒い煤で汚れ、こちらまで肉の焦げたにおいが漂ってきそうだった。
 明らかに生きている者たちではない。
 どんな表情で見つめているのだろう。うつむいた顔はこちらからは見えない。
 もし彼がアレらに気付いたらどうなるだろうかと興味を持ったが、まったく気付いていないようだ。
 霊感があり怖い思いをすることが多い自分からすれば、見えたり感じたりしない人がうらやましい。
 そう思いながら二本目の煙草に火をつけ長い煙を吐く。
 視線を戻すとご主人がこっちを見上げていた。
 あっ――
 赤く焼け爛れた顔をして、真っ黒な眼でじっと私を見つめている。
 ヤバい。この人も生きた者ではなかったか。
 慌てて足元に視線を落としたがもう遅い。
 手足の自由が利かなくなっていた。
 焼け爛れ、煤で汚れた何人もの足が自分の周囲を取り囲んでいる。
 咥えた煙草を消すことができない。
 火がじりじりと唇に近づいてくる。

「あなたっ、何やってんのっ! 洗濯物に臭いがつくでしょっ。ったく、何が禁煙してるよ、三日坊主も甚だしいわっ」
 いつ帰ってきたのか、ベランダを覗き込んだ妻のえらい剣幕で金縛りが解け、自分を取り囲む足も消えていた。
 慌てて携帯灰皿で煙草をもみ消し、向かいの庭を見下ろす。
 だがそこには家などなく、鬱蒼とした木々に囲まれた古い墓地があるだけだった。

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