バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

2.カチヤの好きなパトリツィア

「伝説の騎士にお仕えできること、こ、光栄です!」
 パトリツィアの再就任が決まった翌日、ガチガチに緊張した様子で彼女の前に並んだ五人の若い騎士達。その内の一人が進み出て、胸に拳を当てる騎士の敬礼を行って、震える声を上げた。
「我ら五名、アルブレヒツヴェルガー様の手となり足となり、身命を賭して任務に励みます!」

「参集。御苦労さま。私たちの任務については?」
「はっ! 王都警備が主な任務であると伺っております!」
 目を合わせずに、同じ人物が返答する。
 まだ十代半ばだろうか。短く刈り込んだ髪は黒混じりの濃紺で、同じ色の瞳は意思が強そうだが、今は怯えの色が濃い。

 それだけ金騎士となると雲の上の存在であり、騎士訓練校や地方での訓練から職業騎士になったばかりらしい彼らには、緊張しない方が無理というものだろう。
 だが、パトリツィアにしてみれば今は銀騎士に降格しているうえ、借金を背負って城内に敵ばかりという身の上。もう少し精神的に図太くて頼れる部下が欲しかったと言うのが正直なところだった。

「一応聞いておくけれど、戦闘に自信はある?」
 戦端を開いている戦場が無い状況ではあるが、遊んでいる騎士がいるわけではなく、新たに編成されるパトリツィアの部隊には、新たに叙任された騎士達から選ぶ以外、選択肢は無かった。
 尤も、どこまでの人物が夫の件に関わっているかも不明な以上、しがらみの薄い新兵から選んだ方が安全という考え方もある。

 そうして新騎士の資料の中から、家柄的に中央の高位貴族たちと関連の薄い出身の者だけを選び出したのだ。
 全員が何故指名されたのかは知らされておらず、ただ「訓練校の教本で幾度も名前が出てくる伝説の騎士の部下になる」ことだけを知らされていた。
 騎士として最初に配属されたのがパトリツィアの部隊であることを喜ぶ者も、女性である彼女の戦果を今一つ信用しておらず、不満を抱えている者もいる。

 だが、ここにいる誰もが騎士爵や準男爵の子息で、半数は嫡男でもない。貴族として生活するためには騎士として身を立てなければ後が無い見の上だ。
全員が初めて城内に足を踏み入れてまだ日が浅く、訓練をしながら配属先が決まるのをまっていた。彼らのように中央の貴族たちに伝手が無いと、中々配属が決まらず、成果をあげることも難しい。

「まずは腕前を見るわ。私のあとについて来なさい」
 そう言って、若い騎士達を連れたパトリツィアは室内の訓練場へと向かう。
 彫刻が歩いているかのようなプロポーションを、ぴったりとした騎士隊服に身を包んだ彼女の姿は、城内を移動している間でも注目を集める。
 すぐ後ろにいる若い騎士達も例外では無く、細い腰の動きに合わせて揺れるお尻に視線が集まる。

 パトリツィアも気付いていたが、いちいち指摘するのも面倒だと放っている。独身時代は勘違いした男たちが近づいてきたこともあったが、それぞれが自分の愚かさに応じた運命を辿った。
 城の文官や武官たちの注目を集めた一行は、ほどなく訓練場へとたどり着く。そこには、エプロンドレス姿で直立したまま待っているカチヤの姿があった。

「お待ちしておりました、お姉さま」
「準備は?」
「問題無く整っております」
 蒼薔薇をつけたカチヤの存在に驚いていた部下たちだが、それ以上に、訓練城内で待っていた三名の騎士達を見て目を見開いていた。

「お久しぶりです。騎士パトリツィア」
 そこに居たのは、薔薇騎士とは違うエリートの騎士たち。
 着なれた様子の鎧は訓練生でも見覚えがあるもので、胸と腰回りのみで最小限の重さで構成されたそれは、帝国の首都を守る第一騎士隊独特の装備だった。
 ずらりと並んで敬礼している彼らのうち一人が、顔見知りのように声をかけた。

「久しぶりね。レオンハルト・ベーア。わざわざ来てもらって申し訳ないけれど」
 慣れた様子で答礼をしながら答えたパトリツィアに対し、レオンハルトと呼ばれた男は柔らかなブラウンの髪を掻き上げて笑う。
「“蒼薔薇”に呼ばれては、従わざるを得ません。しかし蒼薔薇を使って伝令とは、相変わらずとんでもない御方だ」

 ですが、とレオンハルトは同僚たちと視線を合わせてニヤリと顔を歪めるような笑みを見せた。
 それは嘲笑である。
「よろしいのですか? 銀騎士が皇帝陛下の侍従を使うような真似をして。“また”降格になりかねませんよ?」

 眉を顰めてみせたパトリツィアの反応を図星だと受け取ったのか、レオンハルトは笑みを深めた。侮蔑を含めた、嫌な笑みを。
 降格というのは正確では無い。一度引退して再度叙任されたのだから、どちらかといえば特例で高位の格を与えられた形なのだが、騎士たちの一般的な認識は彼と同じなのだろう。
 隣にいる彼の同僚たちもにやにやと笑っていた。

 しかし、パトリツィアは動じない。表情を変えたのは、自分が居ない間に騎士のレベルがここまで落ちたかという落胆によるものだ。
「何も問題は無いわ」
 短く答えた彼女は、部下たちへと振り返る。
「さて、あなた達の実力を見せてもらう前に、“目標”を見せておかないといけないわね」

 なるほど、手本を見せるために騎士たちは呼ばれたのか。パトリツィアとカチヤ以外の全員がそう納得した直後だった。
「全員まとめてかかって来なさい。とりあえず武器は使わないでやりましょう」
「なんと……」
「そのような卑怯な真似が出来るはずないでしょう!」

 唖然としているレオンハルトの両脇で、騎士たちは慌てたように声を上げた。
「い、いくら過去の英雄とはいえ、一線を退いて長いのでしょう? しかも今日復帰されたばかり。しかも女性を相手に三人がかりというのは」
「自信が無いのかしら?」
 わかりやすい挑発の言葉だったが、それだけにレオンハルトの癪に障った。訓練校上がりの新人たちの前で、|虚仮(こけ)にされたと感じただろう。

「……良いでしょう。そうまで言われるのであれば、我々にも帝国騎士としてお受けせざるを得ません。ですが、せめて鎧くらいは来てください。怪我をしても知りませんよ?」
「不要な心配をしている時間があるなら、さっさとかかって来なさい」
「ちっ……では!」
 剣を置いた騎士たちは、鎧姿のままで前方と左右から反包囲の状態に持ち込む。対して、パトリツィアはシンプルな騎士隊制服のまま悠然と立っている。

「どうかしているぜ」
 じりじりと距離を詰めていく騎士達を見ていた部下たちの中で、一人が呟いた。
「いくら英雄でも、女が男三人に敵うわけが無い。どうせやらせだろ」
「そうは見えないが……。これも勉強と思って見ておこう。その後で我々の実力を見せれば良いだけだ」

 二人の会話に、他の三人も頷いていた。
 初の出仕で緊張こそしているが、彼らとて騎士訓練校で必死に腕を磨いてきた者たちだ。いずれ実力で成果を挙げ、うまくやれば昇爵だって夢では無い帝都への配属が決まったのだ。誰もが目をギラギラとさせている。
 しかし、彼らには一抹の不安があった。

「これでもし、昔の英雄が衰えていたら。真実はお飾りの女騎士でしか無かったら」
 その下にいる自分たちに栄達の道は残されていないだろうという思いがある。戦場に出してもらえない、あるいは貴賓を守ることも無い騎士となれば、戦果など望めないのだから。
 期待と不安を綯交ぜにした視線が、パトリツィアの背中に集中する。

 その感覚を、当人は懐かしく、そしてくすぐったく感じていた。
「思い出すわ、騎士になったばかりのことを」
 叙任した直後、女性騎士を快く思わない連中のたくらみによってパトリツィアは皇帝の御前で試合を行うことになった。それも単純な腕力で不利になる素手での試合を。
 その時の対戦相手も、目の前にいるレオンハルトのように彼女をなめきった顔をしていたのを思い出す。

 しかし、愚か者どものたくらみは、結果として彼女の実力を皇帝に示す結果となった。
 丁度今から、新人たちに伝わるのと同じように。
「では!」
 最初に向かってきたのは彼女の正面に居たレオンハルトだった。
 両脇にいる二人は、余裕と見ているのか、まだ動かない。

 初手は足払い。
 パトリツィアは下がることで躱す。
「正面からの打ち合いは苦手ですか?」
 そう言って距離を詰めるレオンハルトに、パトリツィアは笑みで返した。
「そんなわけないでしょう」

 彼女の後退が誘いであることにレオンハルトが気付いた時には遅い。
「うっ!」
 前のめりに飛び込んできたレオンハルトの首元に細い指が掛かる。
自らバランスを崩していた格好だった彼は、撫でる程度の力で簡単に引き倒されてしまった。

 どよめきが新人たちから聞こえてくると、パトリツィアは会心の笑みを浮かべた。
「力づくだなんて、乱暴ね」
「くっ……」
 訓練開始早々、一度引退した相手に、それも女性相手に土を付けられたのが余程悔しかったのか、顔をあげたレオンハルトの表情は険しかった。

 いや、これが『悔しい』という感情であればまだ救いがあるとパトリツィアは思った。
 悔しさをバネにして強くなるとか、力を認めて教えを乞うようならまだ見込みはある。だが、虚栄心だけで騎士を語り、失敗を他者の責任だけで考えるのであれば、最早どうしようもない。
 パトリツィアは、彼を見捨てることにした。

「まとめて来なさい。貴方達の実力なら、それくらいでようやくつり合いがとれるかどうかよ」
「許さん!」
「許しを乞うつもりなんて、毛頭ないわよ」
 レオンハルトは両脇の同僚と示し合わせて、三人同時に動き出す。

 遅い、とパトリツィアは彼らよりも先に前へと進みだしていた。
「あっ?」
 レオンハルトの間抜けな声を聞きながら隣をすり抜けながら、右手を同僚騎士の襟首に引っかけて引き倒す。
「あうっ!」
 まともに受け身も取れずに転倒した騎士は、後頭部を痛打して悶絶している。

「情けないわね」
 慌てて振り向いたレオンハルトのさらに背後をすり抜けながら、せせら笑う声が聞こえる。
「うわっ、このっ!」
 自分へと迫ってきたことに驚いたもう一人の同僚騎士は、するすると滑る様に近づいてくるパトリツィアに対し、遮二無二腕を振り回して殴りつけようとする。

 そんなものに当たる彼女では無い。
 身体を斜にして腕の横を通り過ぎると、相手の膝に裏側から手を当てて掬い上げた。
 ぐるりと天地がひっくり返った騎士は、そのまま昏倒する。
「ちっ!」
 あっという間に二人の同僚を沈められ、レオンハルトは明らかに焦っていた。

 戦闘において冷静でなくなった者ほど御しやすい相手はいない。
「さて、ここからが本題だけれど」
 一度目の拳を退いて躱し、二度目の拳を横に逸らして、背後へと回って羽交い絞めにする。
「ぐっ……」
「聞きなさい」

 膝を押して跪かせた直後、パトリツィアの足がレオンハルトの片腕を絡め取り、もう片腕諸共首を締め上げる。
 腕を固定したむっちりとして柔らかさと硬さを同時に感じる腿や、鎧越しでも背中に感じる豊かな胸が、レオンハルトの集中をかき乱す。
 しかし、当のパトリツィアは気にもしていない。

「夫の……騎士ベネディクトについて聞きたいことがあるわ」
「っ!」
 ささやきにレオンハルトが目を見開いたことで、パトリツィアはカチヤの情報が正しかったことを知る。
 この男は、ベネディクトの災難について何かを知っているのだ。

 口の端が吊り上ったパトリツィアの笑み。
 それが見えたのは角度的にカチヤだけであった。獲物を見つけた時のパトリツィアの癖を久しぶりに目にしたことで、カチヤは嬉しそうに微笑む。
「帰ってきたのね、帝国の女騎士が。“敵”は全て消す。一人残らず始末する、あの恐怖の女騎士が」

 命が惜しければ早く根を上げて、洗いざらい喋ってしまいなさい。
 カチヤはパトリツィアの囁きに顔をひきつらせているレオンハルトに向けて、声にならないエールを送った。

しおり