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第3話 宣戦布告

 イザベルは馬車の中であくびをした。これから夜会なのだが眠くて仕方がない。

「眠そうだね。寝てないの? イザベル」

 隣でデイヴィスが呆れた声を出す。夜会前なので猫かぶりバージョンだ。

「……誰のせいよ」
「魔術文字もろくに覚えていないイザベルのせいですね」

 涼しい顔で言い返される。イザベルは返事出来ずに黙り込んでしまう。本当にその通りなのだ。

 昨日デイヴィスに出された大量の宿題を必死にこなしていたせいで寝不足になってしまった。おまけに朝には魔術の授業が、昼間はお茶会があり、もうくたくたなのだ。つい船を漕ぎそうになる。

「……仕方がないね」

 その声と同時に肩を抱かれる。体の中にデイヴィスの術がゆっくりと展開していくのがわかる。実はデイヴィスの授業を受けるまでそれすら分からなかった。というか分かるようにデイヴィスが調整してくれているのだろう。

「どうやらこれは理解したみたいだね。えらいえらい」

 頭をよしよしと撫でられる。幸せだ。とても温かい。

「おやすみ、僕の可愛い人」

 口づけが耳に落ちる。幸せな気持ちのままイザベルは眠りに落ちた。


****

 目が覚めた時、最初に見たのはデイヴィスのにこにこ顔だった。

「おはよう、イザベル。もうすぐ着くよ」

 その言葉通り馬車の窓からは今日の会場であるファルストン邸が見えて来る。

 それにしても妙に頭がすっきりしている。

「デイヴィス様、私に何をしたの?」
「睡眠補助の術を少々」

 睡眠補助の術は話だけは聞いた事がある。三十分で六時間ほどの睡眠が取れるその術は魔力消費が半端なかったはずだ。借りを作ってしまったと青ざめたい気持ちを必死に抑える。

「ありがとう……ございます」
「いいえ。イザベルの助けになったのなら何よりだよ」

 表向きの笑顔のはずなのに何故か怖く見えるのは気のせいではないだろう。

「貸し三ってとこかな?」

 ぞっとするような声でイザベルの耳にそっと囁く。そしてごまかすために頬にキスをされる。これはよくやられるので社交界では『二人はラブラブ』という事になっている。

 それにしても『貸し』が多い。やはり相当魔力を使ったのだ。

 そんな事をしているうちに馬車は門をくぐる。
 デイヴィスは丁寧にイザベルをエスコートしてくれる。今日も頑張ろうとイザベルは気合いを入れた。


****

 会場に入るとそこは大さわぎだった。

 何があったのだろうと騒ぎの中心を見ると大泣きしているイブリン・フランキッティーが目に入る。やっぱり、とイザベルとデイヴィスは同時に思った。

 そのイブリンを慰めているのが、この間、彼女と正式に婚約したティルランド伯爵令息、ゲイリーだ。

「イブリン、イブリン、泣かないで。あんな泥棒など私の剣で討ち取ってあげるよ。だから泣き止んでくれ」

 そういえばゲイリーは騎士団のエースだった事を思い出す。それにしても凄い自信だなと感心する。そしてイザベルの隣で、彼女にしか聞こえないほど小さな声で、でもとても低い声で「ほう……」とつぶやいている男が怖い。

「あら、デイヴィス様にイザベル、こんばんは」
「こんばんは、レディ・ミュリエル。本日はお招きありがとうございます」
「ごきげんよう、ミュリエル様」
 学友のミュリエル・ファルストンが話しかけてくれたので安心して会話をする。
「楽にしてもいいわよ、イザベル。それにしても相変わらず仲いいわね、あなた達。それより聞いた?」
「何?」
「今朝イブリンの所にデイビッドから予告状が来たんですって。明後日にイブリンのイヤリングを奪うって」
「ああ、それはあの様子からわかりますよ」
「まあ、あれでは、ねえ」

 ミュリエルも苦笑している。

「両親や兄弟まであの輪に入ってるんですもの。信じられないわ。主催者が何をやっているのかしら」
「それでミュリエルが回ってるの? 大変ね」

 本当にこの空気を一体どうするのだろうと遠い目をしてしまう。まだ夜会は始まったばかりなのに。

「そうだわ! イブリン! ディアちゃんがいるじゃないの」

 イブリンを慰める輪の中心から聞こえて来た声にぎょっとする。

 他力本願? っていうか私!? それよりその呼び方やめて! と心の中で突っ込んでしまう。

「でもディアブリーノだって泥棒じゃないの」
「大丈夫よ。ほら覚えてない? ザヴィアー子爵家の……」

 やーめーてー! と心の中で必死に叫ぶ。

「ディアブリーノねえ……」

 デイヴィスも苦笑している。その時に軽い殺気が飛んで来た。素知らぬそぶりをしているが、隣にいる大泥棒のものだろう。警告しているのだ。腹が立つ。

「そうね! 今回ももしかするかもしれないわね!」

 デイビッドを挑発するような言葉を発する。先ほどよりも強い殺気が飛んで来るが無視をする。

「そ、そんなうまくいくかもわからない確率にかけたくないわ。あたくしのイヤリングが……」

 イブリンがさらに大泣きを始めてしまった。

「まったく。イザベル、無神経な事を言うものじゃないよ」

 デイヴィスが厳しい声でたしなめて来る。

「どうかしら。『話をすればその人が横から現れる』ってよく言うじゃない。私はそれにあやかっただけよ」

 そう嘯く。

「来るとは限らないよ。前回だって来なかったじゃないか。ほら、イザベルが見せてくれた『デイリー・ルッキンググラス』に書いてあったでしょう?」

 この前の事をほのめかされイザベルは怯む。意味する事はただ一つ、『同じ目に遭いたいのか』である。でもここで負けるわけにはいかない。

 というか見せたのはあなたの方じゃない、と声を大にして言いたい。

「不在って書いてあっただけじゃない。本当は不在じゃなかったかも。だってただの投書でしょう? 誰かの悪戯かもしれないわ」
「そうかな? その投書って確かデイビッド本人からじゃなかったっけ?」
「え!?」

 その言葉に会場がざわめいた。

「な、何を言ってるんだね、コーシー侯爵の若君!」
「あの投書がデイビッドからだって? そんな馬鹿な!」
「デイヴィス様、どうしてそんな……」
「証拠はあるのかい? マロリー伯爵」

 みんなにつめよられデイヴィスが怯んだ。絶対に演技だ。

「え? ど、どうしてって投書にさりげなく彼の紋章? がついてたでしょう。それを知ってて『デイリー・ルッキンググラス』もそれをそのまま印刷したんでしょう」

 みなさん気がつかなかったんですか、と驚いたように言う。

 それにはイザベルも気がつかなかった。イザベルがそれがデイビッドからの投書だと知ったのは本人から聞いたからだ。俺に逆らうとこうなるぞ、とわざわざ新聞を見せてきたあの勝ち誇った顔は忘れたくても忘れられない。

「ああ、俺も見た。予告状についてたのと同じマークだったよな」
「名前が『マーク』だけによく気がつくんだね」
「はぁーーーーー!?」

「おい、誰か『グラス』持ってるか?」
「持ってるはずがないじゃろう。懐に古新聞を持って夜会に来る奴がいるか。そりゃアホのする事じゃ」

「わたくしの書斎にありますわ。ケイト、持っていらっしゃい。ちょうど先週の号よ」
「かしこまりました、奥様」

「はぁー。そんな細かい所に気づくなんてさすがデイヴィス様よねえ」
「やっぱりステキよね、デイヴィス様って」

「なあ、母上。まだ来ないの?」
「そんなすぐ来るはずがないでしょう、可愛い坊や。ファルストン夫人の侍女が戻ってくるのを待ちましょうね」

「ねえ、そんなものついてたかしら」
「ついてたわよ。私も見たもの」
「だったらどうして黙ってたのよ、意地悪ね」
「それくらいみんな気づいてると思ったのよ。デイヴィス様と同時に同じ事を心の中で言ったもの。『気づかなかったの!?』って」

「デイビッドの投書を確認出来るのか。楽しみだなあ」
「本当にねえ」

 大さわぎである。

——さあ、どうする? 次にしゃしゃり出たらディアブリーノ死亡説でも出してあげよう。

 頭の中にデイヴィスの満足そうな声が響いて来た。卑怯だと思う。

——『卑怯』ねえ。先に俺に喧嘩売って来たのはディアちゃんじゃなかったっけ? ん? どうなのかな?

 心の声にさらっと返事される。つまりデイヴィスはイザベルの心の声を聞いているのだろうか。どうやっているんだ、と疑問に思わなくもないが、デイヴィスなら当然出来るのかもしれない、とも思う。

——で? どうするつもりだ? このままなら俺様への宣戦布告と受け取るぞ

 腹が立つ。そのまま宣戦布告してやろうと考える。それで心の中で『それで構わないわ』と答える。

——そうか……。その言葉忘れるなよ。お前がそう来るのならこちらもそのつもりで準備させていただこう。容赦はしない。覚悟しておけ。さて、どうしてやろうかな。ふ、ふふふふふふふふふふふ……

 笑い声がゆっくりとフェードアウトしてついにデイヴィスの声が聞こえなくなった。デイビッド、と心の中で呼びかける。返事がない。どうやら通信が切れたようだ。

 ほっとする。宣戦布告もしたし、今のうちにある程度作戦を立てておこうと考える。何故か今日はいい考えがいろいろ浮かぶ。いつもは地図を広げるはずの道順もしっかり覚えている。慣れたのだろうか。
 あらかたまとまった所でデイヴィスに肩を叩かれびくっとする。

「な、何? いきなり肩叩かないでよ。びっくりするじゃない」

 驚いたのをごまかすために笑いながら何気なくデイヴィスの右手を見て違和感を覚える。白手袋の甲が赤く光っているのだ。

 思わず二度見するが、手袋は普通になっている。気のせいかな、とイザベルは首をかしげた。

「新聞が来たみたいだけど。行くでしょう?」

 デイヴィスにそう言われ顔を上げると確かにみんなが集まって『グラス』を見ている。

「ええ。行くわ」

 そう返事をするとデイヴィスの手を取り輪の中に入っていった。

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