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謎の少女6

 お風呂から上がり部屋に戻ると、ベッドの上に腰掛ける。アガットは夜警に参加しているらしいので、今日は部屋で一人のままだ。
 とりあえず、先程のお風呂での続きを始めようと思い、入浴で上がった体温を下げる為にも、ベッドで横になりながら思考を始める。
 お風呂場でどこまで思考実験をしたのかを思い出し、その続きを再開させる。
 とにかく一つ一つ丁寧に魔法に手を加えていく。
 それにしても、必要ないと思って最初に一気に削ったきり手をつけていなかった部分に、思ったよりもまだ削れる部分が多いような気がするな。これは期待できるかもしれない。
 それから結構な時間を費やし思考すると、眠くなってきた。流石にもう朝も近いので、実際に組み込むのは後日にして、今日のところは寝ておこう。
 そう思い眠りにつくと、翌日は敵性生物の討伐であった。
 規定数には既に達したが、平原に出てくる敵性生物が増えてきたうえに、森の奥に生息している敵性生物が平原に出てきているので、討伐任務が済んでいようとも、手が空いている者は駆り出されているのだ。特に、ここ最近一定数以上の討伐を行った者は優先的に振られているような気がする。
 まあ現状の平原で十分に戦えるという事になる訳だし、当然といえば当然か。たまにここに来てまだ日が浅い学生との合同もあるらしいし。要は新人のお守りということだろう。
 北門前に集まると、三パーティーほどが既に集まっていた。見知った顔がばかりなので、ボクと同じ一定数以上の成果を出した人達だった。
 それから軽く言葉を交わしながら時間まで他のメンバーを待つと、全員で七パーティーにまで増える。その内、日が浅いパーティーは三パーティーであった。中にはジーニアス魔法学園以外の学園生のパーティーも居るので、アガットみたいに経験を積みに来たのだろう。
 監督役の魔法使いと共に大結界の外に出ると、討伐が始まる。とはいえ、規定数に達している以上急ぐ必要もないので、のんびり行くこととする。
 とりあえず、最近はまず向かう北側へと足を向けると、目的の反応まで歩いていく。他にも北側に進むパーティーも居るが、平原に居る敵性生物の数も増えたので問題ない。
 複数体を一緒に見かけることも、そう珍しい事ではなくなった。しかし、何故だか会敵する前からどこか必死な感じがするのだが、気のせいだろうか?
 ともかく、簡単に討伐数が稼げるようになっているので、今では楽なものだ。
 時たま見かける森の奥に生息しているらしい敵性生物も、平原では敵ではない。それでも周囲にはきついらしいく、特に新人には大変な相手のようだ。
 監督役が付いてはいるが、ボクは独りなのでその辺りを気にする必要はない。見つけたらすぐ排除すればいいんだし。
 それから日中の討伐を終えて駐屯地に戻ってくると、ボクは入浴などを終えて眠りについた。明日は休みなので、クリスタロスさんのところで魔法道具を一気に仕上げたいと思っている。そろそろ完成させないと、時間を掛け過ぎだと思うし。
 翌日はまだ暗いうちから動き出し、支度を終えて早々に駐屯地の外に出た。
 十分に離れたところで、人の目が無いのを確認してからクリスタロスさんのところへと転移する。転移後にクリスタロスさんと軽く雑談を交わしてから訓練所を借りる。これが終われば、天使語の勉強を再開させたいな。
 そう考えつつ、先日の思考実験の成果を実際に行ってみる。

「えっと、まずはこの辺りから削っていくかな」

 ボクは創造した大きな鉄塊を相手に、黙々と魔法を組み込んでいく。かなり難しい魔法なので、組み込む作業も集中力が必要だ。
 それでも、今まで以上に軽量で魔法が組み込めている。このままいけば、前回の半分程度までいけるかもしれない。・・・それでもまだ減らさなければならないのだが。

「・・・・・・」

 暫く集中して組み込んだ結果、とりあえず最初の組み込みが終わる。容量はかなり軽減できたが、それでも籠手程度では収まりきらなかった。

「さて、ここから更に減らすわけだが・・・」

 一応敵性生物の討伐をしながら考えていた事があったので、そちらを試してみる事にする。
 魔法が起動する部分をもの凄く狭くして、それに伴い発動する場面をかなり限定的なモノにする。更には一回限りの使い捨てにする事で、全体的に思い切った簡略化・軽量化に成功した。
 今回の組み込む魔法は一回限りの起動でも十分に価値があるので、これはかなり特殊な組み込み方だろう。
 思い切ったその見直しが済んだ後にもう一度見直して、開き直って他にも色々と削りに削った結果、籠手の半分程度の、腕輪と言えなくもない大きさの素体で何とか組み込めそうなまでに減らすことが出来た。後は素体と容量拡張を見直して、しっかりと起動するかどうかを見極めれば完成だろう。
 やっと完成間近まで漕ぎ着けたのだ、俄然やる気が湧いてくるというもの。
 そこからは素体の容量を僅かでも上げられるように思考錯誤を繰り返し、容量の拡張を少しでも行えるように見直した。それと並行して、組み込む容量拡張や素体の耐久性上昇、素体の大きさが変化する魔法の見直しも行っていく。
 そうした徹底的な改良を時間も忘れて集中して行い、気がつけば朝だった。幸いまだ急げば余裕がある時間なので、ボクは片づけを手早く行い、クリスタロスさんにお礼を言ってから転移して戻る。
 後は急いで駐屯地に戻り、宿舎には戻らず直接集合場所へと赴く。こういう時、全てを情報体として保管していると助かる。それにしても、次の休みで目的の魔法道具は完成しそうだな。今から楽しみだ。





 それから任務を無事に済ませて、敵性生物の討伐も行った。それらを一通り済ませると、待ちに待った休日が訪れる。
 まだ暗いうちにクリスタロスさんのところへとお邪魔すると、早速訓練所を借りた。それにしても、朝早くから来ておいてなんだが、クリスタロスさんは寝ているのだろうか?
 そんな考えが浮かびながらも、訓練所でいつものように腰掛け、魔法道具の製作を開始する。
 創っていくのは、任務中でも考えていた腕輪だ。
 圧縮して密度を高めた糸で編み上げ、更に圧縮してを繰り返して創り上げた腕輪全体を、薄緑に色を付けた水晶で薄く覆う。その水晶の中には、糸で編んだ様々な意匠を封じ込めた。この意匠を腕輪によって変える事で、それぞれのささやかな個性としよう。
 そんな腕輪を五つ創り上げると、それぞれに魔法を組み込んでいく。本来であれば、創り上げながら同時に魔法を組み込むのだが、こっちの方が楽だし簡単なので、こちらの方を採用している。ただ、少し技術が必要なのだが。
 その出来立ての腕輪に予定通りの魔法を組み込んでいき、目的の魔法道具を完成させていく。腕輪の創造から組み込みまで結構時間が掛かったので、気がつけばもう夕方も近い。
 その腕輪とは別に、小さな指輪を創造する。上の方に小さな色付き水晶を内包するように嵌め込んだだけの、簡素な指輪。
 組み込んだ魔法も、素体の品質保持系の魔法と大きさが変わる魔法のみという、普通の指輪よりは丈夫なだけの指輪だ。価値としては、単なる装飾品としてしかない。
 その指輪を創り上げると、腕輪を仕舞って訓練所の片づけを行う。それらを済ませると、クリスタロスさんの許まで戻っていく。
 クリスタロスさんにお礼を述べると、先程創った指輪を感謝の印として渡す。すんなりと受け取ってもらえなかったので、魔法道具作製の練習品という名目にしておいた。

「素敵な品をありがとうございます」

 そう言って、クリスタロスさんはようやく受け取ってくれる。
 この指輪にあまり魔法を組み込まなかったのは、クリスタロスさんの使う魔法とボク達が使う魔法では理が違うらしいので、念の為だ。よく知らないので、干渉しあって悪影響が出る可能性もあるからな。指輪にのみ作用する魔法であれば、多分大丈夫だろう。
 その後に少し会話を交わし、ボクは転移で戻る。外に出ると、地平が赤く燃えていた。
 一度周囲に人が居ない事を確認してから、プラタとシトリーに声を掛け、近くに来れるかを尋ねる。

「御呼びでしょうか? ご主人様」
「急にどうしたの? ジュライ様」

 相変わらず音もなく背後に現れたので、ボクは驚きつつも振り返る。

「ちょっと待ってね。今セルパンも呼ぶから」

 そう二人に伝えて、現在影の中に居るセルパンに出てきてもらう。フェンは離れているので、後日でいいだろう。

「主、御呼びですか?」

 呼びかけると、直ぐにセルパンが姿を現す。三人が揃ったところで、ボクは腕輪を三つ取り出して、それぞれに渡した。

「これは?」

 プラタの問いに、日頃の感謝の品である事を伝えた。

「そんな! 畏れ多い!」

 驚いたようなプラタの声に、他の二人も似たような表情を浮かべる。セルパンは判り辛かったが。

「まあほら、魔法道具作製の練習も兼ねてるから、貰ってくれるとありがたいんだが」

 クリスタロスさんにしたのと同じ説明を行う。日頃の感謝の気持ちではあるが、魔法道具作製の練習も嘘ではない。

「・・・・・・そういう事でしたら、有難く頂戴致します」

 恭しく両手で腕輪を持ち上げ、プラタは頭を下げた。

「私も貰うねー」
「恩賜感謝致します」

 そう言って、それぞれも受け取ってくれる。

「それにしましても、これはどのような魔法が組み込まれているので? かなり複雑な魔法が組み込まれているようですが」
「これ、凄いよねー」
「それはね、蘇生魔法だよ」
「蘇生魔法で御座いますか?」
「うん。一回のみの使いきりで、死ぬ直前の状態に戻るだけなんだけれど」

 本当は何度かは使えるようにしたかったが、それは無理そうだった。それに、最善の状態で復活できるようにしたかったが、長期での記録領域の確保が出来なかった。存在一つの状態の情報なぞ、それだけで膨大な容量が必要になってくるからな。それの長期保存・保管にも、容量がかなり必要になっていたのだ。
 そこを全て無くし、一瞬の保存だけに絞ったことでなんとかそこは乗り越えられたのだが、それでもそれだけで容量の多くが埋まってしまった。流石に蘇生は組み込むには向いていないようだな。達成感はあるが、集中し過ぎて少し頭が痛いし。

「はぁ・・・相変わらずジュライ様は凄いんだけれど残念だなー」
「? どういう事?」

 久しぶりに聞いたシトリーの言葉に、ボクは首を傾げる。

「蘇生なんて、本来限られた者しか行使出来ない魔法なんだよ? それを道具に組み込むとか、偉業なんて生やさしい言葉では済まないんだよ?」
「ああ、そういえばそんな事を言っていたな」

 昔の事過ぎて忘れていた。それにシトリーが呆れた様な顔をする。

「と、とにかく! それを着けていれば、一度は蘇生できるから。大きさも着用者の大きさによって変わるからさ!」

 そう言うと、プラタとシトリーが腕に腕輪を嵌める。セルパンはどうしようかと思ったが、一度小さくなって腕輪を頭の下辺りまで通すと、元の大きさに戻る。そうすると、腕輪の大きさも大きくなった。

「きつくない?」
「問題ありません」
「そっか。なら良かった。あとはフェンが戻ってきたら渡すだけだな。自分の分も創ったから、ボクも嵌めておこう」

 もう一つの腕輪を取り出すと、ボクもそれを腕に嵌める。付け心地は悪くない。
 そうして全員に腕輪を渡した頃には、とっぷりと日が暮れていた。

「もうこんな時間か」

 空を見上げた後、ボクは時間を確認してそう呟く。
 腕輪を渡して、説明を済ませて、無事に装着出来た事を見届けただけだが、元々時間が時間だったものな。

「そろそろ戻ろうかな」

 そうボクが思い、プラタとシトリーが去ろうとし、セルパンが影の中に戻ろうとした時、不意に心臓を掴まれたような感覚に襲われる。
 ボクがその感覚を抱いた方に急いで目を向けた時には、既にボクの前にプラタとシトリーが戦闘体勢でそちらに目を向けていた。
 それに気づいた時にはセルパンがボクを護るようにとぐろを巻き、周囲に身体で築いた胸の高さほどの壁を造っていた。頭上にもセルパンの身体があるので、何かあれば直ぐにボクの姿を覆い隠すことが出来るだろう。

「あらあら、随分な警戒ね。無駄な事をご苦労様」

 三人が警戒する先に居た、心臓を掴まれたような感覚を放つ存在は、呆れたようにそう話し掛けてくる。
 そこに居たのは、右半身と左半身で姿が異なる、まさしく異形と表現すべき存在であった。
 それは、右半身が(いわけな)い少女とも妖艶な美女とも見えるような顔立ちに、思わず目を向けてしまいそうになるほど魅惑的な体型をしていた。しかし、その髪は色素のほとんど抜け落ちた白色で、肌は氷塊のように青白いが、所々に鉛色の染みが斑に拡がり、どす黒い血管が身体中に浮かんでいる。その様は、死に瀕した病人の様にも、腐敗した死人の様にもみえた。
 反対側の左半身は、奈落の闇を凝集したように吸い込まれそうな暗闇で、目にしていると言い知れぬ不安に駆られてしまう。そんな深淵の闇が人の形をとっているような恐ろしい姿であった。
 そんな異形の存在が、地面から数十センチ上を浮遊して、これっぽちも温かみの感じられない瞳でこちらを見ているのだ。それにしても、それはいつの間に現れたのだろうか?

「あ、貴女は何者ですか?」

 その存在には恐怖を覚える。まるで死が形を持ってそこに現れたような錯覚を抱かざるを得ないのだから。

「おや、先に名乗ってはくれないのですか。まあ貴方方の事は知っていますので、いいですが。私はこの世の死を支配する者です」
「死を支配する者?」
「ええ。一応お尋ねしますが、貴方方は?」

 死を支配すると言い放った女性は、余裕のある態度で問い掛けてくる。

「わ、私はオーガストと言います」

 そうボクが名乗ったところで、初めて僅かに敵意の様なモノを女性から向けられた。

「先程貴方方の事は知っている、と伝えたと思うのですが? そんな私に、そちらの名を名乗るので?」

 そう言って見下ろしてくるその目は、試すような観察するような冷徹な目をしている。

「・・・失礼。私はジュライと言います。そしてこちらがプラタで、その隣がシトリー。私の周囲を囲んでいるのがセルパンです」
「そうやって無駄に偽らずに、最初から自分の名を名乗ればよいのです」

 女性は笑うように目を細めると、その感情の窺えない目を巧みに隠した。

「それにしても、躊躇わず瞬時に主人の盾になるとは、よい従者達ですね」

 その声は、見た目と異なり春風のように耳心地の良い声で、それがまるで自分達とそう変わらない存在のように思えてきて、余計に恐ろしい。

「ですが、意味がなければ無駄というものですね」
「・・・・・・どういう意味でしょうか?」

 そこで今まで黙って女性を警戒していたプラタが口を開く。

「私が貴方方四人を相手取ったとして、貴方方では一秒と保たないでしょう?」
「・・・・・・」
「死を支配しているというのは伊達ではないのですよ? たとえ、その多少は価値のありそうな腕輪を嵌めていようとも、寿命は一秒も延びないでしょう。それは貴方なら多少は理解出来るのでは?」
「・・・貴女は何者ですか?」
「それは貴方の主と同じ質問かしら?」
「いえ、死を支配している意味を問いたいのです」
「意味も何もそのままですよ? 私は常世の国を支配する女王なのですから」
「常世の国?」
「死者の国ですよ。貴方ほどの妖精でも知らないので?」
「・・・・・・」
「まぁ、あそこは人気のない場所に入り口がありますからね。それに、最近まで別の女王が統治していましたし」
「別の女王? どういう事ですか?」
「ヘル、と言えば貴方方なら理解出来るのでは?」
「「!!!!!!」」

 女性の言葉に、プラタだけではなくシトリーまでもが反応する。

「実在、したので?」
「ええ。常世を支配していましたよ。健気にも、忠実に役目をこなそうとしていましたね」
「その、前の支配者はどうしたので?」
「排除しましたよ? 死者を管理出来る程度の力で常世の国の支配者なぞ、滑稽でしかなかったので」
「・・・・・・」

 何を当然の事をとでも言いたげな女性の物言いに、プラタとシトリーは返す言葉を飲み込んだ。

「それにしても、期待通りと言えばいいのか、期待外れと言えばいいのか・・・」

 そんな二人を放って、女性は視線をボクの方へと移す。

「どういう・・・?」
「私が何故ここに来たと思います?」
「それは・・・分かりませんが・・・」
「わざわざ貴方を見に来たのですよ」
「え?」
「貴方がどの程度の存在か、この目で直接確認したくなったのでね」
「・・・何故でしょうか?」
「気になっただけですよ。貴方はそこそこ強いようですし」
「はぁ・・・それはどういう?」
「貴方が死んだら私の支配下に置かれるのですもの、有能そうな人材は確認したくなるものでしょう?」

 そう言って女性は笑みを浮かべる。それはとても慈悲深そうな笑みではあったが、見た目や雰囲気のせいか、思わず芯からの寒気を覚えてしまう。

「ともかく、これで目的は達したのだから、そろそろ私はお暇しようかしら」

 最後にそう言うと、女性はその場から姿をかき消した。

「一体何だったんだ・・・」

 先程まで女性が浮遊していた空間を目にしながら、ボクは困惑からそう呟く。よく見れば、彼女が浮いていた辺りの地面に生えていた草は、軒並み枯れ果てていた。





「ふぅ。やはり生き物の限られている砂漠は良いですね」

 誰も居ない砂漠の真っただ中に降り立った、子どもにも大人にも見えるその女性は、周囲に目をやり息をつく。

「あら?」

 そこで、足元に枯れた草が一つあるのに気がついた女性は、少し残念そうな表情を浮かべる。

「これは悪い事をしましたね。まだ完全に死を御しきれていないようです」

 そう呟いた後、女性は何処かへと向けて歩きはじめる。

「それにしても、思った以上に弱かったですね」

 先程までの事を思い出した女性は、砂の上を平然と裸足で歩きながら、そう振り返った。

「旧時代の王達もあの程度では、これから来る新時代を乗り越えることが出来るのかどうか」

 そこで女性は少し思案する仕草をみせる。

「さて、どう考えているのか」

 小さくそう口にした女性は、思惟しながら砂漠の中を歩んでいく。しかし、その女性の足跡は、砂の上に残ってはいなかった。





 宿舎に戻ったボクは、自室のベッドで横になって天井を眺めていた。
 あの後、訳が分からないままに戻ってきたが、プラタ達も同様に訳が分からないようであった。

「・・・・・・ふぅ」

 あの女性の事を思い出すと、あまりの恐ろしさに小さく震えてしまう。
 あれこそが死というものなのだろう。生きている限り本能で忌避してしまう程に強烈な存在。そして何よりも、それを別にして余りある強さを内包している圧倒的な存在であった。
 目にした瞬間から勝てない事を理解させられる存在など、兄さん以外に知らなかった。

「・・・いや」

 そこでボクは頭を振る。兄さんの異質さはあれ以上だ。何せ姿を目にする前から、存在を意識する前から、どこかで僅かにでも存在を感じ取った段階で鼓動を止めてしまいたい衝動に駆られる程なのだから。
 そう考えれば、あの女性から漂う濃密な死の雰囲気も霞んでいくのだから凄いものだ。

「・・・・・・」

 しかし、何故兄さんからはあんな異質な雰囲気を感じるのだろうか? ボクは現在兄さんの身体を借りている訳なのだから、ボクも同じような雰囲気を出していてもおかしくはないような気もするが、中身が違うから無理なのかな?
 では、あの雰囲気の正体は何だろうか? 残っている兄さんの記憶を思い出すに、昔は今ほどではなかった感じなんだよな。周囲は薄気味悪い子ども程度の認識だった気もするし・・・それも大概だが。
 それから少し考えるも、よく分からない。そもそも兄さんは何を見て何を考えているのだろうか? 近くに居るのにボクは何も知らないんだな。

「はぁ」

 腕輪の件で疲れていたところにあの女性と遭遇した事で更に疲れたが、今のでより疲れたな。今日はもう寝よう。精神的にもう限界だ。考えるのは明日に持ち越そう。





 それは何処かで交わされている、誰かと誰かの会話。その空間は周囲がろくに確認出来ないぐらいに暗いが、一つだけ光源が在った。二人はその光源に目を向けながら焦るように言葉を交わす。

「まだ準備はできないのか!?」
「そう急かすな。まだまだ掛かる」
「修正はそんなに大変なのか?」
「大変なんてモノではないな。これは多分、もう完全には直らない」
「なッ! ではどうするんだ! もうこちらの用意は出来ているんだぞ!?」
「このままでいくしかないだろう。幸い致命的な欠陥ではないから・・・おそらく大丈夫だ」
「おそらくでは困るのだが」
「ギリギリまで修正できるように努力はするが、期待はするな」
「・・・く。分かった。もう計画も行く所まで行っているんだ、ここでご破算では、俺らはみんな道連れで首が飛ぶからな!?」
「ああ分かってるよ。それにしても、何故修正どころか取り除く事も出来ないんだ? それに予定外の部分が急速に増えている・・・どこかで誰かが介入している?」
「何が介入しているってんだ? 俺ら以外の別の管轄からか?」
「分からない。でも、修正どころか取り除く事も出来ないのは異常だろう?」
「チッ、どうなってやがる! 折角ここまでこぎ着けたってのによ!!」
「まあ現状なら、本来の予定通りにやっても問題はないさ」
「本当か?」
「ああ。そこまで邪魔してくる気はないらしい・・・とりあえず最初の部分だけはな」
「それだけでも判れば、今は十分!」
「そうか」
「ああ。では、俺は行ってくる」
「今からか? もう遅いが――」
「それだけ時間がないんだよ! 当初の予定では、もう始まっていたはずだろ? 計画が狂い過ぎている! まったく、あいつらのせいで!!」
「・・・そうだな。とりあえず、近いうちに幾人かは試験の為に向かわせてみようか?」
「そのつもりだよ!」

 苛立ち気味にそう言うと、一人は足早にそこから去っていく。

「さて、それまで俺に出来得る限りの事はやっておくか」

 そう口にすると、残った一人は作業に取り掛かる。

「それにしても、この世界で今何が起こっているんだ? これではまるで本当に・・・・・・いや、そんなはずはないよな。はぁ、俺も疲れてんのかね」

 しかし、直ぐに残った人物は光源から目を離し、目頭の辺りを指で押さえて揉むように動かす。

「あと少し、もう少しで一応の完成だ。ここまで来たんだ、一気に完成させるぞ! そして、これが終わったら意地でも惰眠を貪ってやる!!」

 その人物は一度伸びをすると、肩を回しながら自分に言い聞かせるように大きな声でそう今後の予定を口にした。それが済むと、光源へと目を戻して作業を再開させる。





 あれから数日が経過した。
 その間、プラタとシトリーは情報収集を行っている。他にもフェンが戻ってきたので、ボクは腕輪を渡すのと同時に、先日の女性の情報を伝えておいた。
 見回りは東西共に相変わらず平和ではあるが、近くに敵性生物を確認する機会が増えた気がする。
 そんな見回りが終わり、敵性生物の討伐ものんびりやろうと思っていたのだが、何故だか他校生と合同にさせられた。それも、ボクを含めて全員単独行動していたらしいので、晴れて単独四人組の完成である。物好きがボク以外にも三人居たのに少し驚きつつ、一緒に行動する。
 最初は互いに様子見で動きが固かったが、何となく動きが見えてきた結果、一人は弱かった。残り二人はそこそこではあったが、判った事は、全員パーティーから離れた問題児ということか。ある意味ボクも同じようなものなので、それで組まされたのかも?
 それでも、この辺りの相手はそこまで強くはないので、ボクは基本的に、勝手に動く三人の補佐をする事にした。おそらくこれが期待されている、ボクの役回りだと思うし。
 三人共に楽そうだなあと思ったのも束の間、何を思ったのか、突然二人が二羽居た石化の視線を持っているニワトリへと元気よく突撃していって、仲良く石化した。
 その無計画な行動に頭が痛くなったが、監督役が慌てだしたのでそうも言っていられない。この監督役の魔法使いは、あまりこういった緊急の事態に接する機会が無かったのだろう。急な事態にあたふたするだけで頭が追い付いていない感じだ。
 残ったもう一人は、直ぐに怖じけた悲鳴を上げながら、北門の方へと一目散に逃げていった。もう無茶苦茶ではあるが、伝令として北門に行ったと考えよう。
 とりあえず、手早く石化持ちのニワトリ二羽を潰し、石化した二人を治療する。周囲には他の脅威は発見できない。
 それが終わる頃にやっと考えられそうなまでに落ち着いてきた監督役の魔法使いをもう少し落ち着かせて、休憩を挿む事を提案した。
 その提案を受け入れて貰えたので、石化した二人と共に休憩していると、北門の方から逃げ・・・もとい伝令に向かったもう一人が、他の魔法使いの兵士を二人連れて戻ってくる。
 やってきた援軍の二人は、前に敵性生物の討伐の際に監督役で就いてくれた、見慣れた魔法使いだった。
 のんびり休憩しているボク達に驚く逃げ・・・ではなく、伝令に赴いた生徒を他所に、ボク達に就いている監督役の魔法使いが事態の説明を行う。それで要領を得なかったのか、ボクが呼ばれて二人に説明を行った。なんというか、それで納得された雰囲気を醸されたのは何だったんだろうか? 少し気になったが、まあいいか。もう色々と面倒くさい。
 説明を終えると二人は帰っていった。それを見届けながら、休憩を終えて次の地点に向かって進む。
 それからも懲りずに無茶をする三人の生徒ではあったが、あれ以降は特に何事もなく敵性生物の討伐を終えられたので良しとしよう。
 北門前で解散後、自室に戻ってお風呂に入ると、ベッドで横になる。アガットは今日も夜警なので不在だ。

『ご主人様。今宜しいでしょうか?』

 そこでプラタからの連絡が入る。こちらから話し掛けようかと思っていたところなので、丁度いい。

『大丈夫だよ。どうしたの?』
『はい。現段階で判った事を少し』
『どんな感じ?』
『現在あの女性は世界各地に出没していますが、何を目的に行動しているのかは、残念ながら不明です。しかしながら、前に北の森に居た幽霊と接触していた事は確認出来ました』
『幽霊と?』
『はい。砂漠でですが』
『何をしていたの? というか、あの幽霊は森から出られるの!?』
『はい。可能だったようです。そして何をしていたかですが、申し訳ありません。詳細は不明です』
『幽霊は消されなかったの?』
『はい』
『・・・ふむ。他には?』
『その後にも、東西南北様々な地で目撃しておりますが、他に誰かに会ったという事はないようです』
『そっか・・・幽霊の方は?』
『幽霊は今でも砂漠に滞在しております』
『何をしているの?』
『様々な生き物を狩っております』
『狩っている?』
『はい。玩弄したり、あっさり息の根を止めたりと、様々な方法で狩っております』
『目的は?』
『不明ですが、幽霊は子どもなのではないかと愚察致します』
『子ども? ああ、そういえば』

 前に姿を確認した際、フェンと追いかけっこをしてたっけ。あのままだとすれば、未だに子どもなのは理解できる。ということは、子どもならではの残虐性という話なのかな?

『あの時は遊び相手を探している感じだったから、今もそうなのかな?』
『かもしれません』
『なるほど』

 それはそれで厄介なものだ。

『そういえば、あの辺りには魔族も居たなかった?』
『居ますが、狩られています』
『魔族でも無理、か。大分強くなってるんだね』
『はい。あらゆる魔法を吸収し、高速で移動しています』
『魔法を吸収? 幽霊は攻撃が効かないとは聞いたけれど、吸収するの?』
『いえ、おそらくですが、存在が安定したのではないかと』
『存在が安定?』
『憶測ではありますが、名を与えられたのではないかと』
『名を、ね。あの辺りに居るので、わざわざ名付けるとしたら魔族?』
『可能性はありますが・・・』
『ん?』
『いえ、あの女性が接触した際に名を与えた可能性もありますので』
『ああ、なるほど。それが目的だったのかな?』
『分かりませんが、名づけだけが目的とは考えにくい気もします』
『そうだね。なら、もし名づけを行ったのであれば、何かのついでかな』
『おそらくは』
『ふむ。謎は深まるばかりだね』
『はい』
『そういえば、常世の国の入り口は見つかった?』
『いえ、未だに』
『まあそんなにすぐ見つかるようなら、既に見つかっているか』

 人気のないところに入り口があると言っていたが、世界は広いものな。それでもプラタとシトリーでも見つけられない場所か、一体どこに在るというのだろうか。
 うーんと考えたところで、ボクに常世の国の所在地が分かる訳ではない。世界の眼もろくに使いこなせてはいないのだから。

『他に何か判った事はある?』
『御座いません。ですが、やはり死の支配者を自称するだけあり、あの女性の周囲には死が訪れるようです』
『あの枯れていた草のように?』
『はい。あの女性に近づくだけで命を取られてしまうようです』
『どれぐらいの距離で?』
『触れられるぐらいの距離の様です』
『なるほど』

 そういえば、あの時の草も女性の真下だけが枯れていたもんな。

『しかし、それが彼女の本来の力かどうかは判りません』
『そうだね』

 あの女性からは底知れなさが感じられた。少なくとも、目の前に現れた時が本気だとは到底思えない。

『現状では以上で御座います。引き続き調査を行います』
『よろしくお願いするよ』
『はい。御任せ下さい』

 そこでプラタとの連絡を終える。それにしても、死の支配者ね。どういう意味だろうか?

「うーーむ・・・分からん」

 与えるのではなく支配するのだから、単なる絶対的な強者という意味合いではないのだろう。まあ十分強そうではあったが。
 死を支配ということは、死を自在に扱えるという意味だろうか? ならば、与えることも奪う事も出来るのかな?
 それから暫し考えながら、ふと窓へと目を向ける。ベッドに横になったばかりの頃には空に在った気がする月が、目を向けた先にはもうなかった。代わりに随分と色の薄くなった夜空が広がっている。

「・・・・・・寝よう」

 その光景を少し眺めたあと、ボクは考えるのを止めて、僅かな睡眠を取る事にした。





「んー!」

 明るくなった空を背に、ボクはベッドで上体を起こして伸びをする。どうやら思った以上に長く寝ていたようだ。
 ベッドから降りると、朝の支度を済ませる。今日も敵性生物の討伐だが、明日は休みだから今日まで頑張ればいい。
 昨日みたいなのは勘弁して欲しいなと思いながら集合場所に到着すると、結構な数が集まっていた。それでも今少し時間には余裕があるので、遅刻ではない。
 顔見知りに軽く挨拶を済ませた頃に、監督役の魔法使い達がやってきた。
 そのまま大結界の外まで移動する。ぱっと見た感じではあるが、昨日合同で行動した生徒は確認出来なかったので、少し安心する。
 今回ボクは単独のままでいいらしく、今日は楽出来そうだ。
 討伐が始まって直ぐに北側へと歩いていく。獲物は捕捉しているので、そちらへとのんびりした歩みで移動する。
 移動した先では、獣型の四足歩行の魔物が三体固まって何かの動物を食べていた。あれでも魔力を吸収できるらしいが、やはりシトリーのように魔力だけを吸い取るというのは難しいのだろう。
 そのまま食事中の三体から離れた場所で魔物との距離を測り、そして丁度いい威力の風の矢を三本発現させると、一気にそれを放った。
 放った三本ともしっかり魔物に命中させて消滅させると、次の目標へと移動する。それにしても、随分討伐数を稼ぐのが楽になったものだ。
 それからも簡単に敵性生物を捕捉出来るうえに、向かえば複数体が一緒に行動しているのだから、のんびり討伐するだけで、少し前よりも手軽に戦果が上げられる。それに何か拍子抜けというか、ため息でもつきたくなるのをぐっと堪える。
 結局、一日で十五体も討伐してしまった。その結果が最近では普通なのだから、困ったものだ。
 ああそういえば、今朝方他の生徒から聞いた話だと、ここ数日は平原で確認されている、森の奥に生息している敵性生物の数が少し減ったらしい。やはりこれは幽霊が砂漠に出た影響なんだろうか? そうだとすれば、昨日は運が無かったという事になるのかな? うーん。
 そんな事を色々と考えながら、ボクは自室に戻っていく。





「やぁやぁ、何か楽しそうだね?」
「おや、これは珍しい」

 どこかの穴蔵の様な仄暗い陰気な世界に、そこに似つかわしくない、子どものように明るく陽気な声が響く。

「ちょっと様子を見にね」
「貴方自ら御足労願えるとは、光栄ですね」
「そう言ってもらえると嬉しいねぇ。でも、譲らないよ?」
「一つだけではありませんので問題ありません。それに、独占できるものでもないでしょう?」
「それもそうだねー」

 明るい笑い声をあげる片方に、もう片方は妖艶に微笑む。しかし、そこに和やかな空気はなく、笑い声もどこか空虚なものだ。

「それでどう? 掌握は完了したかな?」
「掌握などと人聞きの悪い。せめて支配程度に留めておいてください」
「どっちも一緒じゃないの?」
「似て非なるものですよ」
「そうなの?」
「相手の意思を尊重しようとする気持ちぐらい、多少は持ち合わせているつもりですよ?」
「ふーん。でも、結果は変わらないじゃない」
「印象は変わりますよ」
「それを抱かせる相手は居ないだろうけどね」
「分かりませんよ?」
「そう? まあいいや。それで、進捗状況は?」
「概ね予定通りです」
「そっか。順調ならいいや」
「遊んでいたとでも?」
「うん。まあね」
「ふふふ。相変わらず素直な方だ」
「完全に遊んでいたとは思っていないさ。何事にも息抜きは必要だからね」
「おや? 機嫌が悪いので?」
「そんな事はないよー」
「それならば、よかったです」
「ねぇ、ちょっとここら辺を見ていってもいい?」
「いいですが、特に珍しいものはありませんよ?」
「ぼくにとっては珍しいんだよ」
「そうですか。では、私が少し案内致しましょう」
「おお、それはありがたいね」

 二人は連れ立ってその仄暗い世界を移動していく。

「それにしても、こんなところが在ったなんてね。全く気がつかなかったよ」
「ここは見つけにくいでしょうが、ずっと近くにあったのですから、気づかなかったのは慢心ですよ?」
「そう言われると、何も言い返せないや」

 明るい声の主は肩を竦める。

「それにしても、ここは興味深いね」
「ええ。退屈はしませんよ」

 妖艶ながらも、どこか嗜虐的な雰囲気の漂う笑みを浮かべたその人物の案内を受けながら、もう一人も一緒に暗闇の中へと消えていった。

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