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第1話頼りたくない男

 その日、日が暮れてもアラン・ローリングは家に戻らなかった。
 ローリング家の母親は、一人息子が帰らないことに不安を覚え、原因に頭を巡らせ、伝令を飛ばした。送り先は、都市部の屋敷で働く夫にであった。
 ――アランが帰ってこない。今朝方喧嘩したのが原因だと思う。お屋敷に行ったままなの!
 ローリング家のある田舎町は、都市部から四十五マイルほど離れたところにある森の奥だ。百に満たない家々と、広く深い湖に建てられた屋敷だけの町である。湖の中島にあるそれは、とある貴族のカントリーハウスであった。島に続く石橋は中程で破壊されている。船もなかった。

 鉄やアルミや真鍮でできたオウムが、歯車を回転させながら空を飛ぶ。夜でも明るい都市部の街を縫い飛んで、一件のアパートメントにたどり着く。窓枠の上部へとまると、頭を下げて窓を叩いた。嘴が鈍い音を鳴らす。部屋の主はまだ起きているようで、ランプの明かりがぼんやりと中を照らしていた。何度目かのノックで気づいたらしい。影が窓に近づいてくる。開け放たれたそこに、カラクリのオウムが舞い込んだ。
 ベッドサイドのテーブルに降り立ち片脚をあげる。部屋の主たる男はあげられた方の脚をつかんで、クルクルと回した。音もなく滑り出てきた紙を開くと、固かった表情からさらに眉根が寄せられる。眉間を二度揉んでから、手紙の裏に一言記した。
 ――すぐ戻る。
 そうして再びカラクリのオウムを夜空へ放った。

 返事を出した男は、スーツに着替えて夜の街に足を踏み入れた。アパートメントからほど近い大通りには娼館が立ち並ぶ。バーの中も外も、通り沿いでも、ありとあらゆる女が品定めを受けていた。ガス灯に浮かぶ女の顔を眺めながら娼館へ入っていく男たち。その合間を縫い歩き、女の誘いには無反応で、ただひたすらに目的地へ向かう。
 路地を抜けた正面にそれはあった。何年も前に没落した貴族が残したシティハウスだ。豪奢な見た目はそのままに、今では犯罪者の棲家となっていた。ひとつ息をついて、雄牛の咥えるドアノッカーに手をかけた。二回、三回、二回、一回、四回。叩いて、しばらく待つ。扉は開かない。二回、三回、二回、一回、四回。再び同じ数だけドアノッカーを叩く。ややあって、扉の向こうからくぐもった笑い声が聞こえてきた。聞こえるや否や男は乱暴に扉を開ける。蝶番が悲鳴を上げた。
「よお、ダッキー。ひさしぶりだな」
 にやりと笑った男の歯が、暗闇で白く不気味に浮かぶ。客人たる彼はかけられた言葉には返事もしないで「助けてくれ」と苦虫を噛み潰したように呟いた。

「アランが、お屋敷へ行ったまま帰ってこないらしい」
 扉を閉めたあとに男がこぼしたのは、そんな言葉だった。
「ガキの家出だろうが。そんなもんほっとけよ」
 少しくらい勝手にさせてやれ、と彼は言う。一人、階段に腰掛けた。あちこちからのぞく二人の様子をうかがう顔は、どれもこれも幼い少年少女のものだった。
「最近あいつに見合い話がくるんだ」
「あー……まあ、そんな年頃だろ」
 応答しつつ、廊下の先の暗闇に向かって小さく、大丈夫だ、と告げている。
「俺は見せない方がいいと言ったんだが、どうやらジャッキーが見せたらしく、喧嘩になったそうだ」
「お館様に頼ればいいだろ。ウェーバリー、だっけか。今のお前の雇い主」
「お前!」
 意気消沈していたかと思えば急に大声をあげた。咎めるようなそれに、男は肩をすくめる。
「リズお嬢様がどんな気持ちで」
「はいはい、わかってるって。しっかし、お前も律儀だなあ。解雇されたってのにお嬢様、なんて呼んでさ」
 あくびをして、立ち上がる。
「で?」
「飛空機、お前なら一つや二つ持ってるだろ。貸してくれないか」
「あるといえばある。が、貸すメリットは?」
 シャツの袖を、それぞれ二回ずつ折った。問われた男は何も言えないままでいる。そう言われるのがわかっていたのだろう。驚くことも反論することもなかったが、だからといってなにかいい案があるようでもなかった。
「あいつらの仕事、一人につき一回手伝うってのはどうだ?」
 見えないところからざわめきが押し寄せてくる。逡巡していた男は小さく、それでもしっかりと
「いいだろう」
 と答えた。それが合図だった。
「よし決まりだ」
 景気よく手を弾く。ひどく機嫌がよさそうだ。
「よかったな、おまえたち。ドナルドおじさんが手伝ってくれるってよ!」
 ざわめきが大きくなる中、ついてこい、と視線だけでうながして先に外に出た。
 裏庭の納屋をのぞくと、いろんなものが散らかっている。ガラクタに等しいものばかりの中で、ドナルドの求めていたものは確かにそこにあった。エンジンと噴出口と折り畳まれた翼が一対。背負って飛ぶタイプの飛空機だ。ガラクタを踏み分けて一つずつ持ち上げた。
「ここから飛んで、エンジンはもつのか?」
「バカ言え。そんな目立つことするわけないだろ。向こうのストリートには何がある? え?」
 吐き捨てるように言いながら納屋を這い出て、片手でスーツをはたいた。
「馬だろ」
 思わず手を伸ばすドナルドはしかし、すぐに拳を握って下ろした。
「俺を頼ってきたんだ。覚悟はできてんだろ」
 楽しそうに笑いながら路地を進んでいく。ストリートに出る手前、さきほどはなかったはずの馬車が停まっていた。

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