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第4話 商人の懊悩

予想外にもオルが賛意を示した。
驚きを禁じ得ない。

「オル、お前、何言って……」
「検問であれこれ余計な手続きを増やして、長時間足止め食らうよりはいいだろう。夜までに回廊を抜けられなくなっていいのか?」
「ぬっ……」
「向こうにはおおよその便着時間は伝えてあるし、向こうもそれに合わせて貨物を一時保管するための倉庫を手配する。
到着が遅れればそれだけ倉庫の賃借料も増してくる。
まぁ、それは大した額にはならないかもしれないが、約束を守れないという評判は商人にとっては結構痛いぞ?
今回は特殊な事情があったから、と言い訳をすれば見逃されるかもしれないが、それは商人としてはあまり良い印象は持たれない。
その上で、ちょっとした失敗を何回か繰り返せば、以降は大したことない失敗でも、その実態より少し大げさに囁かれるようになっていく。
失敗しない人間なんていないというのは皆頭では分かってはいるだろうが、やはりどうしても不信感というものは出てくる。
そのわずかな積み重ねが続けば、余計な悪評を被ることになる。それは出来れば避けたい。
いや、そんなことは些細なことだ。回廊内で夜を越すことに比べればな。
それこそ、痛手どころか、致命的になる可能性が出てくる。
だが、この件の解決法は至って単純だ。避けたいと思えば容易に避けられる。
彼女を隠し通して平和裏に運んでしまえばいい。
もし向こうで降ろしたあと捕まったとしても俺たちには何の関係もない。
密航者を引き渡して時間に遅れ、最悪、夜を回廊内で過ごすか、あるいは黙って通り過ぎて契約を守るか。
どちらかを選べと問われれば、俺は後者を選ぶぜ」

……確かにそうだ。

回廊内では、夜になれば極端に見通しが悪くなり、周囲を確認できるようになるほどの照度の高い照明がないこともあり、山の斜面などに激突する危険性も高まる。
回廊が一直線ではなく、山の谷あいを縫うように曲がりくねりながら通っていることも、その危険性を更に高める結果になっている。
そのため、夜間に回廊内に存在する艦船は機関を止め、停泊することが常識であり、多くの国家間の協定でも明記されている。
また、他に停泊している船があれば接触し損壊、最悪、構造の破壊を引き起こし、墜落する可能性もある。

まだ問題はある。
回廊内へは基本的に出入り口に存在する全ての国の軍は入れない。
回廊内に軍を進めるということは宣戦布告に等しい行為だからだ。
狭い谷間で艦隊を広く展開できず、さらには回廊内特有の気流に正常な進行を妨げられ、お互いに無駄な損耗を増やすだけの泥沼に陥りやすいのも理由の一つと考えてもいいだろう。
そのために、特に国境間の回廊では治安の維持が非常に難しい。
そのような情勢下で、数はそう多くはないが、どこからか回廊内に侵入してくる盗賊……一般には空賊と呼ばれる者達がいる。
彼らは夜間に襲撃を仕掛けてくることがほとんどで、回廊内で夜を越すことの危険性を高めている一因になっている。
多くは静かに事を進めるが、初めからそのつもりか、あるいは成り行きでかは分からないが、派手な襲撃になる場合もある。
仮に近くに民間の船が存在し、襲撃されている音や光を確認できても、下手に動けないために通報が遅れる。
ようやく夜が明け、動けるようになっても、そのように派手に襲撃を受けた船のほとんどは墜落していることが多い。
船内を完全に制圧されて何事もなかったかのように通過していくという話も聞いたことがある。
いずれにせよ、積荷を奪われたり、身代金をふんだくるための取引材料にされるだけならまだマシな方で、最悪の場合は急ぎ働きで全員殺される可能性もある。
それらの治安撹乱要因が回廊内へ侵入することを防ぐために、検問所を設置し、中に進入する航空艦を選別しているのだ。
しかしそれでも、中には検問を上手くすり抜けて侵入する連中がいるというのだから恐ろしい。

以上のような理由から、回廊内で夜を過ごすことになるのは極力回避したがるのが人情というものだろう。
前提がそうなのだから、検問所も必要最低限な歩哨だけ配置して閉鎖されるし、通報を受けても動くに動けない。

それらを踏まえて考えると、徐々にピオテラを検問で引き渡すことは悪手のように思えてくる。
しかし、ピオテラという不安要素を抱えたまま飛ぶというのもいささか気が進まない。
どうするべきか……。

「ぐぬぬぬ……」

頭が痛い。

「そうだよ!」

おそらく事情はまったく理解できていないのだろうが、我が意を得たりとばかりに便乗して来る。

「そう!そうなんだよ!えーっと……よく分かんないけど、約束を守らないのは人として最低の行為だよ!だから連れてって!ね!?」

やっぱりよく分かってないんだな。

「法という約束を守らない人間が、どの口でそんなことを言うのか……」
「ぐっ……」

ピオテラは悔しそうに口をつぐむ。
しかし……と考え込む。

「ほ、ほら、悩んでる場合じゃないよ。時間ないんでしょ?帝国まで送ってくれたら、あとは自分でなんとかするからさ。ね?ね?」
「……ちょっと黙ってて……」
「う、うん」

急かすな!
間違った選択をしてはダメな場面だ。
どっちがいい?
どうすればいい?
引き渡せば商人としての約束を破ることになるし、密航を許せば法の民としての約束を破ることになる。
前者を選べば、商会の評判に傷はつかないだろう。
ただ、商売の遅滞は免れ得ない。
さらに、悪手だと言われて至った考えだが、引き渡す様子を見取られて、ピオテラを狙ってきた民警ではない誰かに彼女から“話”を詳細に聞いたと疑われてしまったら……命を狙われることになりはしないだろうか?
……いやいや、さすがに考えすぎだろう……とは思うが、完全にその可能性を否定できる材料は皆無だ。
後者は、発覚すれば一発でアウトだ。
だが、逆に言えば、発覚しなければ何も問題はないし、オルの言うとおり、その方法は容易で、成功する確率も高いだろう。
うーん……そっちの方がいいのかも……いやいや……。
いずれにせよ、どちらを選んでも、先ほどピオテラに叩きつけた「約束を守らない人間」という言葉が、綺麗な弧を描いて俺に跳ね返ってくる。
あああぁぁぁぁ~~!
頭が痛い!割れそうだ!
……彼女の言うとおり、時間がない。
早く決めなければ……くそぅ……。

「あー、そうだ。言い忘れていたが、話し合いがどれだけ時間がかかるか分からなかったから、機関長に言って船速を落としてもらっている」

肘掛を使って頬杖をつきながら、オルはそう話す。

「よくやった!」
「ちょ、ちょっと!余計なことしないでよ!」

時間を守ることの重要性を説きつつ時間を引き伸ばす手を打つのは、何やら矛盾している気がしないでもない。
だが、現状を鑑みるに、結果的にではあるが、その判断は正しいことになる。
この状況になることを見越していたのか?
未来に生きてるんじゃなかろうか。

「だが、稼げる時間はごくわずかだ。そう悠長に構えてはいられないぜ。長引けば、検問で引っかかろうが引っかかるまいが回廊内で夜を越すことになるかもしれんぞ。焦らせて判断の過誤を誘いたいワケじゃないし、それは本意じゃない。ただ、商売をする以上、速度というものがどれほど大事かというのを思い出してくれ。今までも何度かあっただろう?」
「…………ぐぅ…………」

ぐぅの音は出たが、返す言葉は出てこない。
むむむむ……。

「……はぁ……仕方ない。降ろさずに通過する……」

観念する。

「いぃぃぃぃやぁったぁぁぁぁぁ!!」

瞬間、ピテオラが喜びを爆発させる。
ソファの間にあった机に飛び乗り、俺を抱きしめる。

「ありがと!本当にありがとー!大好き!愛してる!あたしのこと奴隷にしてもいいよ!ハフハフ!ハムハム!」
「また禁制品を押しつけようとするな!」

顔中に唇を押し付けながら感謝の気持ちを伝えてくる。
頬、額に何度も口付け、さらには耳を唇で噛んできたりする。

「あひっ」

変な声が出た。

「もー!ホント大好きー!ハフハフ!れぇー……」

遂には舌で眼球に狙いを定めてくる。

「やめっ、やめろ!」

両肩を掴み、引き剥がす。

「お、お前……俺を恩人だと思うなら失明させようとするなよ……」
「おぉ?あっ……んひひひっ、ごめんごめん。はしゃぎすぎちゃった」

白い歯を見せて無邪気に笑うピオテラ。

「よかったね、ピオちゃん」
「うん!ありがとう!ラフナ!」

ピオテラはぎゅーっとラフナに抱きつき、彼女も優しく抱き返す。
やはり女性同士、相通じ合ったのか、二人は気さくに言葉を交わす。
ピオちゃんって……。
まぁ、どうせあと少しの付き合いだ。
思う存分喜ぶといい。

「さて、じゃあ、ピオテラの扱いについてだが……どうする?」

オルが尋ねてくる。

「乗員名簿にピオちゃんの名前を書き加えれば済むんじゃないですか?」

ラフナがそう提案して来るが、それはまずい。

「それじゃダメだ。検問が同盟側なら、そこから所属組織の方へ照会が行われる。まぁ、実際は全部が全部されるわけではないが、もし照会されて、そこで『誰だ』ってなれば、不審人物を運んだ奴として同盟側に戻る際に止められる。そうなると当然、商会も関与が疑われて、どの程度かは分からんが評判に傷がつく」
「そりゃまずいな」
「ああ。だから、このまま密航し続けてもらう」
「ま、それしかない。……しかし、詳しいな」
「俺が軍にいたのは知ってるだろ……」
「ああ、そうだった。忘れてたぜ。ははは」

同僚として一緒に仕事をし始めて……つまりは軍を辞めてから既におよそ5年になる。
忘れられるのも無理はないと思わなくもない。
あの時よりさらに5年長く平和が延びたのだ。
そのせいで規定が緩くなっていればもう少しやりようがあるかもしれないが、今となってはそれは知りようもないことだ。
リスクは避けるに越したことはない。

「で、結局、あたしはどうすればいいのかな?」
「……要するに、最初からしてたように隠れててもらえばいい。というか、この部屋から……いや、ラフナの部屋の方がいいか。そこで大人しくしててくれ。船員の私室は基本的には覗かれない。……が、念のため、ベッドの下にでも潜んでろ」
「分かった!……今から?」
「今から」
「……もしかして……ずっと?」
「ずっとだ」
「えー!?暇じゃーん!初めて船に乗ったんだから色々見させて……」
「これ以上、ワガママ言うなら……」
「あ、うん、分かった。あたし、かくれる。ベッドの下、だいすき。帝国、つれてけ」
「……大変結構」

なぜ急にカタコトになるんだ。
うーん、やっぱりなんか不安だなぁ……。

「よし、決まったなら急いで進もう。遅れた分を少しでも取り返そうぜ」
「ああ、そうだな」

オルに促され、首肯する。

「ラフナ、ピオテラを部屋へ。オル、各所に指示を。俺はここで必要書類の確認をしたあと、艦橋に行く。ピオテラ……くれぐれも余計な真似をしてくれるなよ」
「はい、わかりました」
「わかった」
「はぁい」
「よし、解散」

俺を残し、3人は部屋を出て行く。
最後尾にいたラフナがこちらに一礼し、扉を静かに閉めていってくれる。

しばらくするとプロペラが風を切る音が高くなってきた。
いくら速度を落として進んでいたとは言え、あと半時もかからずに検問に着けるだろう。

さぁ、とっとと通過してしまおう。

しおり