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第3話 犯行予告

 会場の中に入った瞬間、イザベルはあちこちから視線が来るのを感じた。
 まるで値踏みだ。知ってる人たちばかりなのに、と心の中だけで苦笑する。

 デイヴィスがイザベルを婚約者候補としてこの舞踏会で紹介するということ、いや、その紹介のためにこの舞踏会が開かれた事はこの会場にいる全員が知っているのだろう。

 国王夫妻や、王太子とその婚約者まで参加しているのを見て卒倒しそうになる。完全に場違いだ。コーシー家が用意してくれた高級ドレスを着てなければ、今すぐに逃走したいくらいだった。とはいえ、隣にいる男がさせてくれないだろうが。

 王族への挨拶の次に連れていかれたのはやはりデイヴィスの両親の所だった。

 デイヴィスは慣れた様子でイザベルを紹介する。イザベルは裾をつまんでかわいらしくお辞儀をした。

「こんばんは。お会いできて嬉しいです、コーシー侯爵、侯爵夫人」
「そうですか。あなたがデイヴィスの心を射止めたという……」
「まあ、かわいらしいお嬢さんね。仲良くしましょう、イザベルさん」
「はい、侯爵夫人」
「まあ、そんな堅苦しい。リラと呼んでくださいな」
「あ、はい! ……リラ様」
「そうだわ。今度わたくし主催のお茶会があるの。よかったらイザベルさんもいらっしゃらない?」
「ええ、是非ともお伺いします。とても楽しみです」

 楽しい。イザベルは素直にそう思った。夫妻は感じのいい人だ。侯爵は優しい顔をして、茶目っ気たっぷりの目をしていた。その目は本性を現している時のデイヴィスにどこか似ている。夫人は精神を病んでいるという噂があったが、とてもそんな風には見えない。きっと噂はデマなのだろう。

「イザベル、そろそろ」

 せっかく楽しくお喋りしているのに、デイヴィスが邪魔をして来る。イザベルは不満そうに彼を見上げた。

「え? もうですか?」

 反射的にそう言ってしまう。それほど侯爵夫妻との話が楽しかったのだ。

「そう。はやく」
「何をせかしているんだ、デイヴィス」

 デイヴィスの父親も不思議そうに聞く。

「……はやくイザベルと踊りたかったから」

 恥ずかしそうにそう言う。絶対嘘だ、とイザベルは思った。確かに踊る時は何故か二人の息は合う。が、それでもあのデイヴィスが彼の両親への紹介より、イザベルとのダンスを選ぶとは思えない。きっとただこの場から離れたいだけなのだろう。

「デイヴィス様?」

 わざと不思議そうな目をして尋ねてみる。

「何?」
「どうしたんですか?」
「どうもしてないよ」

 にっこりと笑う。そうしてからやさしくイザベルの目を見つめる。

「でもね、イザベル。これからイザベルをみんなに紹介するんだよ。それはわかってる?」

 もちろんわかっているのでうなずく。そしてデイヴィスの目を見てはっとする。
 デイヴィスは笑顔だ。ちゃんと目も笑っている。それなのに強く冷たい感情が宿っている。

「……デイヴィス……様?」
「だから踊るのはそれからって事。だったら紹介をはやく終わらせた方がいいだろう? イザベルもそう思うよね?」

 もうイザベルは何も言えない。後ずさりしたくてもできない。

 恐ろしいという感情だけがイザベルを支配していた。デイヴィスの声も、目も、オーラさえも、すべてがイザベルにひんやりと、そしてねっとりとからみつく。

 反論は許さない。うなずく以外の動作など今のお前には必要ない。黙って大人しく言う事を聞け。デイヴィスの全身がそう言っている。

 なのに表面上はにこやかにしているのだ。もちろんまわりから見れば談笑しているように見えるので誰も二人の状況など気にしない。

 デイヴィスはそれをすべて承知した上でそうしているのだ。何という男だろう。デイヴィスの恐ろしさを改めて感じ、イザベルは身震いした。

 イザベルが大人しくうなずくとデイヴィスは満足そうに笑う。その瞬間にイザベルの周りにねっとりと絡みついていた「何か」も消える。

「ありがとう。大好きだよ、僕のかわいいイザベル」

 そう言ってイザベルの耳に唇を当てる。はたから見れば耳に口付けしているように見えただろう。しかし、デイヴィスがあんなにてこずらしたイザベルを口付けで許すはずがなかった。
 そう。デイヴィスはイザベルに冷たい声で耳打ちをしたのだ、「いい子だ」と。

 再びイザベルは硬直してしまう。それに気づいたデイヴィスはイザベルの耳元から顔を離すその一瞬に小さく冷たい笑いを漏らした。その笑いがイザベルにしか聞こえなかったのは言うまでもないだろう。

 もう充分わかっただろ? お前みたいな小娘がこの俺様にかなうはずがないんだよ。降参するなら今のうちだ。

 イザベルに聞こえたのは笑いだけだったが、間違いなくデイヴィスはこう伝えたのだ。

「じゃあ行こうか」

 何もなかったかのようにやさしくイザベルの手を取る。

「今?」
「そう。はやく」

 少し名残惜しかったが、ここでデイヴィスに逆らったら今度は何をされるかわかったものではない。イザベルは丁寧に侯爵夫妻に挨拶するとデイヴィスと共にその場を離れた。いい人たちだったのにとても残念だ。そう言うと、一瞬だけ厳しい顔を向けられた。どうしたのだろう。

 デイヴィスの言う通り、挨拶する客は多かった。それだけならまだ良かったが、デイヴィスがイザベルを紹介している間ずっとイザベルを睨みつけてくる女性も何人かいた。きっとデイヴィスの事が好きなのだろう。改めてイザベルはデイヴィスを罪作りだと思った。

「少し休む?」

 もう何組に挨拶したのだろう。疲れてきたなと思った頃にデイヴィスが声をかけてきた。タイミングばっちりだ。だからモテるのだろう。

「あとどれくらい?」
「うーん。あと十組くらいかな」
「じゃあ……」

 その方達に挨拶してからにしましょう、と言おうとした瞬間に背後から声がかかる。

「デイヴィスさん、でしたか? 今日はお招きいただいてありがとうございます」

 振り向くと、三十代半ばくらいのがっしりした体格の男と、男より少し年下に見える優しそうな顔をしたみるからに美しい女性がたっていた。

——わりとがっしりとした体格の男だったな。顔はいかにも真面目そうで……ありゃ小細工なんてしなさそうだ。真剣勝負を挑んできそうだな。ま、そっちのほうが俺には好都合……

 一週間前のデイヴィスの言葉がよみがえる。間違いない。ホワイト夫妻だ。

 イザベルはホワイト夫人の美しさに圧倒されていた。 肌なんてもう真珠のようにすべすべで、結婚前はきっと男性の間で奪い合いになったのだろうな、と考える。

「……ってちょっとイザベル」

 デイヴィスの呆れたような声ででイザベルは我に返る。

「はい」
「イザベル。こちらがあの有名な賞金稼ぎのスティーブン・ホワイトさんと、奥さんのセオドアさんだよ。ホワイトさん、こちらは私の仮婚約者のイザベル・カースル男爵令嬢です」

 『あの有名な』、にさりげなく嫌みがこもっていたのは気のせいではないだろう。

「はじめまして。イザベル・カースルです」
「なんとかわいらしい。デイヴィスさん、こんな可愛い恋人を持てて幸せですね」
「いや、セオドアさんだって充分美しいではないですか。さっきイザベルがみとれていたのは知っているでしょう」
「ちょ、ちょっとデイヴィス様ったら!」

 デイヴィスにからかわれイザベルはついあわててしまう。

 と、その時会場の端から女の人のかん高い悲鳴があがった。驚いてそちらのほうを見ると少しぽっちゃりして、溢れんばかりの宝石をつけている女性が何やら小さな紙を見てわなわなと震えている。あれはスワンストン伯爵夫人だ。あれだけ派手な格好が出来るのは彼女しかいない。

「どうしたのかしら、スワンストン夫人は」

 隣にいるデイヴィスに聞いてみる。

「さあ、僕にも何が何やら……」

 わからないらしい。本当に何があったのだろうと思いながら、何気なくデイヴィスの目を見てはっとした。

 デイヴィスは確かに困惑顔はしている。でもその眼の奥は何か面白いものを見ているような喜びにみちあふれていた。
 確信した。デイビッドだ。スワンストン伯爵夫人が持っているのはデイビッドからの予告状なのだ。

 伯爵夫人はかん高い声で夫を呼ぶ。伯爵は予告状を見るとすぐにイザベル達のいる所へかけてきた。そしてスティーブン・ホワイトと、一緒に連れていってくださいと頼み込んだデイヴィスを伴って夫人の所へ戻った。

「デイビッド……なんですね」

 やっとイザベルはその言葉を口にする。セオドアも同意したようにうなずいた。

 スワンストン夫妻のまわりの人が予告状を読み上げるようスティーブンにせがむ。中にはデイヴィスに読んで欲しいと頼む少女もいたが、結局はスティーブンが読む事になった。デイヴィスが読めばいいのに、とイザベルも思う。デイビッド本人が予告状を読むのだ。きっと面白いに違いない。

「『親愛なるスワンストン伯爵夫人。明日の晩あなたのトルコ石のブレスレットをいただきに参ります。デイビッド』」

 ありきたりな文だと思った。

「あれ? 裏にもなにか……」

 予告状を見ていたスワンストン伯爵が小さな声をあげる。デイヴィスはそっとそれを取り上げ、それをじっくりと黙読する。内容なんかわかってるくせに、とイザベルは心の中で悪態をつく。
 読んで、と女の子達にせがまれ、仕方ないとデイヴィスはため息をつく。

「『追伸 スティーブン・ホワイト、それからディアブリーノ、お前達もちゃんと来るように。一生忘れられないような夜にしてあげよう』……だそうです」

 思いきり棒読みだ。当たり前の事なのだが、つまらないな、と思った。女の子たちはそれでも満足らしく、黄色い声を上げているが。

 それより本人にしっかりと念を押された。イザベルは心の中で苦笑する。

 きっとデイヴィスはこのためにホワイト氏を呼んだのだ。イザベル・カースルとスティーブン・ホワイト、両方を舞踏会に参加させ、挑戦状を叩きつけるために。

 勝負をしているのだから念など押さなくても行くに決まっている。最後に笑うはあなたじゃなくて私なんだからね、と心の中でデイヴィスに宣言する。

 デイヴィスはスティーブンと一言、二言話してからイザベル達の所へ戻ってくる。

「ホワイトさん、なんて?」
「スワンストン伯爵と相談するから戻っててって」
「そう……」

 その作戦会議を聞きたいなと思ったが、デイヴィスも聞けないのだ。自分がしゃしゃり出てはいけない。

 ホワイト夫人の所から離れ、挨拶を続ける。それも終わり、少し休もうか、などと話していた時、後ろから声がかかった。

「大泥棒のデイビッドに忍び込まれるなんて情けないよな、デイヴィス」

 振り返るとマーク・マディソン子爵が立っていた。わりとがさつなので、社交界でもあまり評判が良くない。喧嘩が大好きと言う性格は、猫かぶっている時のデイヴィスとは正反対とも言える。でも本性を出している時のデイヴィスとも違う。デイヴィスは実際に強いが、マディソン子爵にはその強さすらない。ただ威張って、強いふりをしているだけだ。

 その上いつもイザベルにちょっかいをかけてくるので、イザベルは彼を苦手にしている。イザベルはそっとデイヴィスの後ろにまわった。あとでデイヴィスにからかわれるかもしれないが仕方がない。

「別に屋敷に忍び込まれたと決まったわけじゃ……。どこで夫人が予告状を受け取ったのかまだわからないんですから」

 デイヴィスはおどおどとした態度を取る。マディソン子爵に責められて戸惑っています、というように見せかけるためだろう。

「でも絶対ここにいるはずだ。誰かに変装してるかもしれない。デイビッドだってターゲットがショックを受けるとこを見たいだろう。絶対に予告状送っておしまいなんて事はない!」

 デイビッドなら目の前にいるわよ、とマディソン子爵に言ってやりたいと思ったが、そんな事をしたら後でデイヴィスにどんな目にあわされるかわかったものではない。彼の事だ。どんなに疑惑を持たれたとしても、うまくごまかして切り抜けるに違いない。

「考えてみればそうですね。……でももう逃げてるかもしれないな。う、うーん。どうしよう……」
「探しに行けばいいじゃないか」
「それはホワイトさんや騎士団がやってくれるでしょう」
「他人に任せてていいのか。お前の屋敷なんだぞ」
「下手に動いたらデイビッドに殺される。それはマークにだってわかりますよね?」
「そうだな。お前みたいなダメ弱虫男には無理だよな」

 デイヴィスが大人しくしているのをいい事にマディソン子爵は調子に乗る。デイヴィスは静かに聞いているが、心の中では怒っているのがイザベルの方にも伝わってくる。

「何も反論しないのか、デイヴィス。だからお前はダメなんだよ。イザベル嬢だってうんざりしているだろ。こんなのが婚約者で気の毒だ。俺にしない?」

 いきなり自分に話が振られ、イザベルは戸惑った。思わずデイヴィスの服の袖をつかむ。きっとデイヴィスは気づいただろう。

 デイヴィスが小さくため息をついた。思わず出てしまったというように聞こえたが、明らかにマディソン子爵を挑発しているのだ。そしてマディソン子爵はその挑発に乗ってしまうほど単純な男だった。

「何だよ。そのため息は」
「みんなの前ですよ、マーク。少しは……」
「お前はいっつもそういうのを気にするよな。じゃあ場所を変えようじゃないか。それで満足か?」

 デイヴィスはしぶしぶといったようにうなずく。そしてイザベルの方に向き直った。

「イザベル、お前はここで待ってろ。すぐに片づける」

 小声でイザベルにだけ聞こえるように言う。イザベルはぞっとした。片づけるというのは殺すのだろうか。ここは舞踏会の会場なのだ。そんな事をしたらデイヴィスが犯人だとすぐわかってしまう。つまり騎士団に捕まってしまうのだ。

「いやよ!」

 思わず口からそんな言葉が出た。デイヴィスが面食らったのがわかる。

「い、嫌って……イザベル?」
「私はデイヴィス様と一緒にいるわ」
「ちょっと、イザベル、何を駄々こねて……」
「駄々なんかこねてないわ! 何よ! あなたが怪我するかもしれないのに、私は大人しく会場で待っていなければいけないの?」
「……イザベル」

 イザベルは涙を溜めてデイヴィスを睨む。

 会場にいる人たちが何事かとささやいている。マディソン子爵もイザベルの突然の涙に驚いて呆然としている。少し恥ずかしかったが、何故だか涙が止まってくれない。

「わかったよ。イザベル。わかったから」

 デイヴィスに優しく頭をなでられる。そうしてからデイヴィスはマディソン卿の方を向いた。

「女の子をこんなに泣かして。それでもあなたは私に外に出ろと言うんですか?」

 今度はデイヴィスは怒りを隠さなかった。まっすぐマディソン卿の目を見る。

 その目が怖かったのか、イザベルの涙に戸惑ったのか、マディソン卿は挨拶もそこそこにイザベル達のそばを離れた。

「ちょっと失礼しますね。イザベル、大丈夫? 泣かないで」

 ゆっくりと背中を撫でてくれながら、小部屋に連れて行かれる。そこでいつも通り防音を施すと、デイヴィスはがらりと表情を変える。いつもながら見事だと思う。でも怒っているせいでとても怖い。

「ったく。邪魔しやがって」

 思い切り睨まれ、何かを投げつけられる。受け取るとそれは白いハンカチだった。お礼を言って涙をぬぐう。

「すみません。ご心配をおかけしました」
「ふん」

 そっぽを向かれる。相当ご立腹のようだ。

「何で邪魔をしたの?」

 ぞっとするような猫なで声で問いかけられた。

「答えて、イザベル」
「だ、だってデイヴィスったらマーク様を殺しそうな勢いだったもの」
「それの何がいけないんだ? お前だってあいつは苦手だろ? ずっと俺の後ろに隠れていたくせに。あれで『本当は怖くなかった』なんて抜かしたりしたらぶっ飛ばすぞ」
「……だってマーク様を殺したらデイヴィスは騎士団捕まっちゃうでしょ? そしたら余罪だって……」

 もう会えなくなってしまう。それはイザベルにとってとても嫌な事だ。

「捕まらないで、お願い……」

 また涙があふれて来る。そして興奮していたイザベルは考えをばっちりと口に出している事に気がつかなかった。

 そしてデイヴィスがそれを聞いて、にたりと口角をあげたのも気がつかなかった。

 デイヴィスは優しい仕草でイザベルの頭を撫でる。

「大丈夫だよ。殺すとしても事故に見せかけるから。少なくとも正当防衛には見せる自信があるな。元々喧嘩をふっかけて来たのはあいつだし。それに……俺を誰だと思ってるんだ?」

 恐ろしいほどの笑顔で恐ろしい事を言う。なんて男だ、とイザベルは心の中で毒ずいた。

「それよりお前は自分の心配をしたら?」
「え?」
「言っただろ、無傷ではすませないって。心配してくれたお礼に予定よりちょっと手加減してあげるつもりだけど……」

 そこで言葉を切って、イザベルの顔を覗き込んで来る。

「それでも今のままじゃお前は無事じゃすまないだろうな。気をつけないと……さて、どうなるか」

 にやり、と笑い、ハンカチを取り上げる。

「あ、あの洗って……」
「こんなもの水魔術で一発だろ」

 あっさりと言って、さっさと実行する。あっという間にハンカチは綺麗な状態になっていた。あいかわらずこの男はすごい。

「……お前に預けたら返って来るかわからないしな」

 どういう意味だろう。イザベルは借りたものはきちんと返す主義だ。だが、文句を言う前にデイヴィスはさっさと結界を解き、表用の顔に戻ってしまう。

「そろそろ落ち着いたみたいだから戻ろうか」
「はい」

 イザベルはそう返事をしてデイヴィスが差し出して来る手をとった。

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