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第5話 デイビッド

「では、もう一カ所行きましょうか?」

 フィオナを返してしばらくするとデイヴィスがそう提案して来た。

「どこですか?」
「それは着いてからのお楽しみ。そうだ! せっかく馬車の姿を隠してありますし、空から行きましょう」

 そう言ってさっさと馬に鞭を打つ。途端にふわりと馬車が浮いた。こんな経験は始めてだ。イザベルは純粋にワクワクする。

「……レディ・イザベル、聞いていますか?」
「え?」

 夢中になって窓の外の景色を見ていると、デイヴィスが話しかけて来た。

「えっと……すみません、窓から見える景色に見とれてました」
「お気に召しましたか?」
「はい!」
「そう……。それならよかった」

 その笑みがどこか黒いのは気のせいだろうか。

「それよりもうすぐ時間ですね」

 その言葉でイザベルは現実に戻される。楽しい時間はもう終わったのだ。あとはいかにデイヴィスを巻き込まないようにするか、だ。

「デイヴィス様」
「何ですか?」
「大事な話があるんです」
「僕もです、レディ・イザベル。いいや……」

 そう言ってデイヴィスは嘲るように口角を上げる。そして素早く手を動かした。

「ディアブリーノ、と言った方がよさそうですね」

 黒い物がイザベルの頭を覆う。手に取るとそれはディアブリーノのヴェールだった。
 あの時、目を合わせたのはやはりわざとだったのだ。

「知っていたんですね?」
「逆に聞きたいですね。僕が知らないとでも思ってたんですか?」

 底冷えのする声が響く。今の言葉は本当にデイヴィスが言ったのだろうか。
 呆然としているとデイヴィスは突然馬車を止めた。

「さ、着きましたよ」
「え? えっと、ここは?」
「下をごらんください」

 言われるがままに下を見て唖然とする。見覚えのある場所。数日前、イザベルがデイビッドから『サンセット』を奪った屋根の真上だ。

 この場所の事は二人しか知らない。一人はディアブリーノの正体であるイザベル。そしてもう一人は……。

 慌ててデイヴィスの方を振り向く。デイヴィスはしてやったり、と言うような顔でにやりと笑った。

「まさか……」
「さて、僕が正式に『デイビッド対策』に加わらない理由はもうわかりますよね? それにしてもすげえ間抜け面だな」

 デイヴィスは呆然としているイザベルをを見て楽しそうに嗤う。

「もう一度聞こうか。この俺がお前の正体に気づいてないとでも思ったのか? ディアブリーノ」

 いつの間にか、頬に短刀を当てられている。

「で、でもデイビッドは金髪で……」
「俺が魔術師だという事を忘れた? 髪色くらいいくらでも変えられる」

 それもそうだ。そう納得してから、はた、と気づく。

「え? 今、デイヴィス様、『俺』って言いましたか!?」
「言ったよ。残念ながら俺の本性はこっちなんでね。社交界では特大の猫をかぶっていた、というわけ。さあ、どうする? 表でも裏でも俺を完全に敵にまわしてしまった愚かな小娘」

 邪悪さをむき出しにして嗤っている。これが本当にあのデイヴィス・コーシーなのだろうか。

「さあ、約束通りもてなしてあげましょう」

 デイヴィスがそう言った次の瞬間視界がぐるりと回る。気がつくとイザベルはどこかの建物の中に立っていた。見た所、元は何かの倉庫だったのだろうが、掃除が行き届きとっても過ごしやすい住処になっている。ここはデイビッドのアジトなのだろう。

 きょろきょろしていると腕をきつく引かれる。そのままその腕をひねられ、気がついた時には腕と足を縛り上げられていた。デイヴィスはその腕を掴んだまま耳元で嗤い声を立てる。

「敵地で油断は禁物っていうのは常識だよ。ま、俺にとっては好都合だが?」

 背中を蹴飛ばされ、イザベルはデイヴィスの目の前に無様に倒れ込んだ。何をするのだ、と思い顔を上げようとしたがその顔はすぐにデイヴィスの足に押さえつけられる。

「ようこそ俺のアジトへ、小さな悪魔さん」

 デイヴィス・コーシーは、いや、大泥棒のデイビッドは、無様な姿になってしまったライバルを見て満足そうににんまりと笑った。

****


 というわけでイザベルはデイビッドのアジトに監禁されている。

 デイヴィスはそんなイザベルを気にする様子もなく、先ほどから目の前の椅子に座ってとてつもなく分厚い本を読んでいる。といってもイザベルを放置しているわけではない。悪あがきで縄をほどいてみようかと少しでも動こうとすると、デイヴィスは本に目を落としたまま小さく指を動かす。そうすると縄がまるで生きているかのようにぎりぎりとイザベルを締め上げてくる。おまけに彼の唇がゆっくりと弧を描いていくのだ。こんな事は想定内だ、と言われているようで恐ろしい。

 思い切って大声で助けを求めてみようか。そう思い、そっと息を吸い込んだ途端。

「猿ぐつわも追加してやろうか?」

 これである。イザベルはため息を吐いた。

 暇なのでデイヴィスが読んでいる本を見る。少しだけ見えたタイトルはイザベルの知らない文字だった。

 イザベルだって端くれとはいえ貴族令嬢だ。この国の言葉であるイシアル語だけではなく、アイハ語、レトゥアナ語、ヴェーアル語くらいは問題なく読み書き出来る。だが、本に書かれているタイトルはなじみのアイハ文字でもヴェーアル文字でもなかった。

「何だよ?」

 デイヴィスが怪訝そうにこちらを見て来る。

「え?」
「俺に何か言いたい事でもあるのかって聞いてるんだ」
「あ、えっと、その本、私の知ってる文字じゃないから気になって……何語?」
「ミュコスの魔術書だよ。お前が読むにはまだはやい」

 それだけ言って本に戻る。

 ミュコスとは国民全員が魔力を持っているという不思議な国だ。そこでは当然魔術が発達している。『本格的に魔術を修めたければミュコスに行け』、という言葉まであるくらいだ。
 そのミュコスの魔術書に手を出している、というのはデイヴィスはそれほどの魔術の実力があるのだろう。

 そのデイヴィスは本から顔を上げ、つまらなさそうにイザベルの方を見る。

「で? お前はいつになったら『私が悪かったです。許して下さい、デイヴィス様!』って泣きわめいてくれるんだ?」
「……え?」
「俺、ずーっと待ってるんだけど。まだ?」
「はぁー?」
「怖いんだろ? はやく命乞いでも何でもしろよ。『デイヴィス様、ごめんなさい。何でもしますから許して下さい』。はい、復唱」

 そう言って手を一つ叩く。これは完全に馬鹿にされているとみていいだろう。自分の眉が潜まっていくのがイザベル自身にもわかった。

「ずっと放置されてた原因ってそれなの?」
「俺は自分より明らかに弱い小娘をいじめて喜ぶ趣味はないんだよ。さっさと降参しろ、っていうのが本音だけど?」

 ついジト目で見てしまう。相変わらずもめ事が嫌いなのか。
 そんなイザベルを見てデイヴィスは意地悪そうに笑う。

「それとも俺がここでナイフを振り回し、お前のその白く美しいお肌を傷だらけにしたら満足なのかな? それとも密かに闇に葬って欲しい?」
「え?」
「いいんだよ。そうしても」

 笑いながら脅して来る。しかも手にはいつ出したのか先ほどの短刀型の魔剣がしっかりと握られている。思わずイザベルは「ひっ!」っと声をあげてしまった。

 デイヴィスは楽しそうにイザベルに近づき、ぺちぺちと短刀でその頬を叩く。

「俺の言う通りにしておいた方が身のためだよ、レディ・イザベル」

 それでも降参なんかしたくはない。
 デイヴィスはその気持ちを見て取ったのか、ふぅ、と小さくため息を吐く。

「まったく。しぶとい小娘だな」

 仕方がない、とつぶやき、指を鳴らす。あっという間にイザベルは椅子に座らされていた。縄は縛ったまま。いや、体を縄で椅子に固定されてしまっている。おまけに夏なのに何故か周りをひんやりとした空気が漂っていた。

 拷問でも始まるのだろうか、と身震いする。さすがのイザベルの心にも恐怖というものが沸いて来る。

 デイヴィスはそんなイザベルを部屋の空気よりずっと冷たい目で見下ろしている。先ほどまでの笑いのかけらもない。

「あ、あの……」
「何でしょう、レディ・イザベル」

 虫けらを見る目だ。

「何か僕に言いたい事があるのですか? もっとも、謝罪か命乞い以外は受け付けませんが」

 いつものデイヴィス・コーシーの口調だ。だからこそいつもとは違う冷酷な声が怖い。

 デイヴィスはもう一度短刀をイザベルに当てる。今度は首に。それも刃先はイザベルを切り裂こうと待ち構えてる。

「少しでも反抗的な事を言ったら消しますよ。黙って僕の話を聞くんです。いいですね?」

 自分の歯がかちかちと鳴るのがわかる。

「返事は?」

 悔しいので黙っていると、デイヴィスが薄く笑った。途端にイザベルの周りにある冷気がゆっくりと足先からまとわりついてイザベルの皮膚と同化していく。冷気は首の真ん中、デイヴィスがナイフを突きつけている所で止まった。

「返事は?」

 もう一度聞かれる。イザベルにはもう『はい』と言うしか選択肢が残されていなかった。そうでなければデイヴィスによって氷像にされてしまうだろう。

「『デイヴィス様、ごめんなさい。何でもしますから許して下さい』。復唱」
「えっ」
「復唱」

 先ほどの言葉だ。言わなければどうなるか、もうイザベルにはわかっていた。

 悔しい。悔しいが、言う通りにする他ない。

 イザベルが復唱するとデイヴィスはにっこりと笑って術を解いてくれる。魔剣も首から外れた。なのに目はデイヴィスから離れてくれない。

 デイヴィスは満足そうにイザベルの頬をなでる。

「ふふ。いい子ですね。ごほうびとして僕から一つ素敵な提案をしてあげましょう。乗ってみますか?」
「え?」

 呆然とするイザベルに対してデイヴィスは楽しそうに笑っている。

「僕の出した条件をクリアし、正式に謝罪するなら、今までの事はすべて水に流してあげてもいいですよ。どうしますか? レディ・イザベル」
「すべて?」
「ええ。『デイヴィス・コーシー』に対する無礼も、『デイビッド』から物を盗んだ事も、すべて帳消しにしてあげますよ」

 いつも通りに微笑んでいるのに、この威圧感は何だろう。うなずかないと、また、あの拷問が待っていそうだ。

「条件って何ですか?」
「僕から盗んだものをすべて返却する事です」
「え!?」
「約束していただけますね? ディアブリーノ」

 そう言いながらこの国一番の大泥棒は、そのライバルに優しく微笑んだ。

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