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エルフの森2

 木漏れ日溢れる森の中を歩く。
 ここ半月ほど晴れや曇りの日が続いているも、雨の日というのは無かった。それは助かっているのだが、それも今日までかもしれない。
 微かに湿り気を帯びている空気を感じながら、森閑とした森の中をプラタと共に進む。
 もうすぐ昼ではあるが空気は冷たく、ずっと歩き続けていても少し熱いと思う程度に留まる。

「もうすぐ一年か」
「何の事でしょうか?」

 母さんに学園に行け、と言われた日からもうすぐ一年になる。
 色々あったが、正直長かった。家を出てからはまだまだ一年は経ってないというのに、もう長い事帰っていない気がしてくる。

「なんでもないよ」

 隣を歩くプラタが少し心配そうに見上げてきたので、心配ないよと笑ってプラタの顔を見返す。

「そうですか・・・」

 それでもまだ気にかかる様子ではあったが、プラタは視線を切って前を向いてくれた。
 それから暫く歩くと、急に森が深くなる。
 森の中に光が満足に届かなくなってきて、まだ昼過ぎだというのに薄暗い。もう少し奥に進めば昼でも暗いだろう。

「・・・・・・」

 それを想うと、少し楽しみになってくる。暗闇こそ世界のあるべき姿であろう。
 ただ、木の密度が上がってきたからか、地面から顔を出す木の根の数も増え始めて歩きづらくなってきた。

「ご主人様」

 そこでプラタがそう一言口にする。

「無謀だよねー」
「はい。自殺志願者かと」

 周囲から向けられる視線の数が一気に増える。まだ仕掛けてくる気配はないようだが、そう遠くないうちに襲撃する気なのだろう。逸る気持ちが微かに伝わってくる。
 それにプラタはどこか呆れたように言葉にする。実際、暗闇だろうと足場が悪かろうと狭かろうと、僕達には大して影響はないのだから。
 しかし、時間が経つごとに少しずつ増え始める視線の数に、僕は少しだけ苛立ちを覚える。視線は敵だ。
 それでも努めて無視する事にする。こちらから手を出す気はない。それはプラタも承知のようで、特に何か行動に移すような早計な真似はしない。
 そのまま夜も更けた頃に休憩を取る。最早明るさだけならば大して時間は関係ない程に周囲は暗い。
 エルフ達が大きめの円で僕とプラタを囲むようにして増えていく中、僕は休憩中に日課となったプラタのエルフ語講座を受ける。
 連日一定の時間を割いてプラタからエルフ語を学んでいたおかげで、大分エルフ語も修得出来たきた。
 それが終わると、僕は少し睡眠を取る。
 周囲を囲むエルフ達はまだ集結中らしく、数十分程して僕が目を覚ましてもまだ動いていなかった。

「さて、どうしようか?」

 折角襲撃しようと集結しているのだ、僕は待っているべきか移動を開始するべきか考える。動いても刺激しかねないしな。悩ましい。

「もう少しであちらの準備は整うようです」
「そうか・・・」

 そのプラタの言葉で、もう少し待とうかなという気になる。
 そろそろ監視され続けるというのにも疲れてきたところだ。監視するならプラタぐらい巧くなってからにしてほしい。下手な監視は無駄に精神的な疲弊を蒙ってしまう。それが目的かもしれないが。

「折角だし、もう少し待っておこうか」
「畏まりました」

 ただ待っているだけというのも暇なので、食事を摂る事にする。
 乾パンと水を背嚢から取り出し、さっさと食事を済ます。その間もエルフ達はまだ準備中のようだ。まだ集まるのだろうか?
 食事を済ませると、荷物を片付けて再度プラタのエルフ語講座を受ける。
 その途中。やっと準備が整ったのか、エルフ達は僕達を囲む円を緩々と慎重に狭めてきた。

「やっと動いたねー」
「そうですね」

 それを感じながらも、プラタのエルフ語講座を受け続ける。襲撃する気なら早くしてほしいものだ。
 そして、やっと有効射程距離にまで包囲を狭められたのか、エルフ達は何の予告もなしに攻撃魔法を一斉にぶっ放す。
 飛んでくる魔法は、足が速く生物に効果的な場合が多い雷系統。その中でも簡単に発現出来て数も放てる雷の矢だ。中には魔法を付与させた本物の矢も混ざっているが、全体的に雷の矢は一発一発がとても強力だ。これが精霊魔法というやつだろう。
 それが見事な曲線を描き、背にした木さえ迂回して全方位から一斉に襲い掛かってきたのだが、しかしそれは僕にとってはプラタの力を借りるまでもなく難なく防げる程度のモノでしかなかった。
 しかしあっさり防がれたのが予想外だったのか、ざわめく気配が周囲に広がる。おかげで隠密が完全に意味を成していない。まぁそれは元からだけれど。
 とにかく、どうあれエルフ達が僕達に手を出した事には変わりない訳で。

「さて、殺すつもりはないが、今ので覚悟は出来たと解釈しよう」

 そういうわけで、僕はまだ衝撃が冷めやらないエルフ達に反撃する事にする。相手の数は十八。三人一組で六方向に散っているようだ。
 それら一人一人の位置を精確に把握し、その座標に寸分の狂い無く魔法を発動させる。
 発現させる魔法は相手と同じ雷系統の魔法。ただし、雷の矢のように殺傷目的の魔法ではなく、雷雲の威力調整した捕縛目的の魔法。それに無系統魔法を密かに混ぜる。
 一人一人発現させた雷雲で丁寧に包み込むと同時に、混ぜた無系統魔法で各人が張っている障壁を侵食して壊す。
 障壁を取り除いた事で簡単に雷雲で痺れさせる事に成功すると、麻痺して木の上から落下してくるエルフ達を木の下に発現させた空気のクッションで優しく受け止めていく。
 そして、そのまま僕達の下まで空気のクッションで包んだままのエルフ御一行様を運んで来る。これにて一丁上がりである。実に簡単な仕事であったな。
 そうして自分達の下に全てのエルフ達を運んだことで、眼前には十八人の美麗なエルフの絨毯が敷かれていた。
 壮観ではあったが、狭い空間に十八人は流石に運び込み過ぎのようで、木の裏にもエルフが横になっている為に全員を視界に収めきれない。それに麻痺させているだけなので、十八人が小さく呻くような声を上げている様子は、少し恐かった。
 しかし、結局一歩もどころか指一本動かすことなく制圧してしまったな。

「どの方が指揮官だろうか?」

 一応襲撃理由を訊いてみることにする。その為にはこの中から指揮官を探さなければならないだろう。

「そちらの男性が指揮を執っておりました」

 僕の呟きに、プラタが少し離れたところで横になっている一人の男性エルフを指差して答える。

「ありがとう」

 プラタに礼を告げると、その男性を目の前まで運ぶ。狭いのでそれだけで少々苦労した。
 目の前まで連れてくると、首から上の麻痺を治す。

「貴様ら我らをどうする気だ!?」

 ほとんど白に近い金髪のその男性エルフは、舌が回るようになった途端にそう言い放つ。

「どうもしませんが?」
「嘘を吐け! 人間のそんな言葉が信じられるか!!」

 エルフ語で会話を試みる。分からない所はプラタに通訳を任せながら。
 それにしても、いきなりご挨拶ではあるが、確かにこの状況は奴隷としてのお持ち帰りコースまっしぐらだからな。
 とはいえだ、本当にそのつもりならこんな面倒な事はしないけどね。
 そんなこと言ったところで、今までの人間とエルフの関係を考えれば信じてもらえるとは思えない。
 エルフは最初、人間に対して友好的だったと伝わっている。しかし、人間は友好関係を築く前にその友好を捨てた。
 実際に何があったかはその時代に生きていない為に分からないが、人間側に残っている資料を学園の図書館で読んだ限り理由は単純で、そのあまりにも美しい容姿に欲を出したからだと言われている。要は人間は昔から本質は何も変わっていないという事だろう。
 しかし、これはあまり知られてはいないが、人間が魔法を扱えるようになったのは魔法の基礎をエルフに教えてもらったから、らしい。
 最近になっても、まだ底ではないのかと驚くほどにその関係は悪化しかしていない。襲撃理由もそのあたりだろうが、さてどうしたものか。
 そう僕が考えていると、プラタが口を開く。

「ご主人様が信じられぬと。あまつさえ嘘つき呼ばわりとは・・・」

 音量は呟くような小ささだが、口調も表情も変わらずいたって平坦なモノ。しかし、その雰囲気は背筋が凍る何かを纏っていた。

「に、人間なぞ信じられるものか! 詐術こそが人間の本領であろう!」

 恐怖に声を震わせながらもそう言い放った彼の目を見れば、芯の部分ではまだ怯えていない。気位の高い相手だ、眩しいまでに。

「・・・何故襲ってきたので?」
「この森を侵す人間を赦せと? しかも我らが弱っているこんな時に入ってくるような人間を! 先日も我らの英雄が戦いで弱ったところを攫っていったであろう! そんな畜生な人間のどこを許容しろと!?」
「なるほど」

 まぁ、道理だろう。正直人間はやりすぎた。
 大結界の内に籠り日々の営みを送る大半の人間にとって、エルフは空想の存在に近いだろう。だがしかし、ごく一部の人間にとっては嗜好品や芸術品に近いのが現状だ。
 学園で調べ物のついでに少しだけその実態を知ったが、同じ人間でも嫌悪感を抱くものだった。
 故に、エルフの憤りが少しだけ理解できた。

「私達は異形種達の動向を探りに来ただけです。それが終われば大人しく森を出ます。今まで通り監視を付けるならばどうぞご自由に。ただし、また攻撃するのは勘弁願いたいものですね」

 間違いが無いようにプラタを通じてそう告げると、全員の麻痺を綺麗に治す。

「それでは、私達は先を急ぎますので」

 エルフ達を踏まないように迂回して先を行こうとして。

「待て」

 当然ながらエルフの男性に止められた。
 クッ。何が人間の本質は詐術だ、上手い具合に納得してくれないではないか。最初から騙すつもりはなかったけどさ。

「何でしょうか?」

 そんな内心を隠しながらエルフの男性の方を向く。そこにはもう立ち上がっているエルフ達がこちらを見ていた。よく見るとほとんどが女性だった。

「やはり人間の言葉は信じられない。だが、危害を加えなかった事には感謝する。だから監視だけに留めておいてやる。努努(ゆめゆめ)おかしな行動は取らぬように」
「分かりました」

 僕は頭を下げると、その場を離れる。
 エルフ達と十分に距離を取ってから、プラタに質問する。

「何でさっきのエルフ達は女性が多かったのかな? エルフって女性社会?」
「いえ。身分差は在りますが、エルフに男女で地位が違うという事は御座いません。ですが、先程女性が多かったのは、男性が森の外に駐留している魔族との戦闘の主軸だからです」
「何故に男性が主軸?」
「外に集結している異形種はほとんどが男性ですから」
「ん?・・・ん?」

 昂る的なやつなのか?

「魔族はエルフを傘下に収めたいようですが、異形種の中には人間の価値観から見れば特殊な性癖の持ち主が多いですから」
「特殊な性癖?」
「例えば生きたまま食べるのを好むとか、嬲り甚振り恐怖を与えながら弄ぶことに快楽を得るなどですね。特に好まれる対象の多くは女性の場合が多いようです。肉が柔らかいとか、悲鳴は高音が好まれるなどが主な理由のようです。他にも異性の肉を好むとも言われています」
「な、なるほど」

 確かにそれは特殊だことで。理解できないし、したくはないけれど。

「ああですが、異形種側から見た場合、人間の方が少々特殊に見えるようですが」
「どういうこと?」

 異形種に知り合いは居ないから、プラタの言葉の意味がよくわからない。

「他種族に性的に興奮してそれを発散させるなど、異形種にしてみればそれは理解に苦しむようですね」
「そうなんだ」
「はい。食事や音楽などの娯楽としてならばいざ知らず、子孫を残すという行為を他種族となどと考える者は異形種にはごく少数しか存在致しません。というより、基本的に他種族に欲情はしませんから。ご主人様は例外としましても、人間という種族は劣った種族ですから、強い種族に本能的に惹かれているのかもしれませんが・・・それともこれは人間が特殊な精神構造をしているだけなのでしょうか? それとも異形種の方がおかしいのでしょうか? そういう内面について私はあまり詳しくないので気になるのですが。ご主人様」
「え? それは僕にも分からないけれど」
「ご主人様も人間ではありませんか。それでも分かりませんか?」
「う、うん」
「そうですか。まぁ外見だけでしたら他種族も似ていますからね。ご主人様がそちらに興味がおありでしたら、そう言う事になるのでしょうか?」
「さ、さぁ」
「そうですか。・・・ああ、私としたことがおかしな事を訊いてしまいました。申し訳ありません」
「う、ううん。大丈夫、気にしてないよ」

 唐突なプラタの答えずらい質問攻めに僕は一杯一杯になりつつも、プラタの疑問に反射的にそう返した。そんな状態だった為に、僕は続いたプラタの静かな言葉をろくに聞いてはいなかった。

「ご主人様が既にほぼ人ではない事を失念しておりました」





 エルフの集団を迂回した後、暗い森の中を木の根で転ばないように足元に気を付けながら先へと進む。

「あ」

 その途中、僕は思い出す。

「精霊視るの忘れてた・・・」

 折角森の中で本物のエルフと、しかも集団と遭遇したのに、居たかもしれない意思疎通が出来て精霊魔法も使えるという大人精霊(仮称)を確認しなかったとは。

「不覚! また機会があればいいなー」
「・・・・・・」

 それにどことなく隣で不機嫌な気配がしたのを感じる。

「ま、まぁ、僕にはプラタが居るからいいんだけどさ」

 実際、プラタと精霊魔法ならぬ妖精魔法こと同調魔法が使えるし、プラタは知識も技術も持ち合わせ、それを惜しげもなく提供してくれているのだから感謝している。というか、僕にはあまりにも過ぎた存在だと思う。

「いつもありがとうね。頼りっぱなしで申し訳ないけど、僕にはプラタだけが頼りだからさ・・・ああ、でも周辺警戒と戦闘面ではフェンも頼りにしているからね」

 今の僕が安心して背を任せられる相手は、自分よりも強いこの二人だけだろう。ぺリド姫達も強くはあるが、それでもどうしても実力差がある為に、対する相手によっては不安が残ってしまう。

「過分な評価感謝致します。それに驕ることなく、より一層ご主人様の御役に立てるよう努力致します」
『創造主のご期待にお応えできるように、層一層精進いたします』
「ふふ」

 二人からのそんな返答に、僕は思わず笑みを零してしまう。相変わらずお堅いことで。でも、忠誠と言えばいいのだろうか、その真摯な気持ちが純粋に嬉しかった。

「ありがとう、二人とも。本当に感謝してるよ」

 照れくさくはあったものの、それ以上に晴れやかな気持ちで二人にそう礼を告げられた。
 そのまま森を進むと、暗闇の中でも判るほどにより暗い部分が地面に現れる。それはまるで大穴が開いているようであった。

「あれは・・・」
「・・・湖のようですね」

 そこは静謐な森の中にあって、どこか清廉さを感じさせる空間であった。

「・・・相変わらず風変わりな精霊が居ますね」
「風変わりの精霊? ていうか、相変わらずって以前にもここに来たことが?」

 僕は精霊の眼で周囲を見渡す。しかし小さな精霊はいるものの、子どもサイズの精霊の姿さえ視えない。

「精霊の眼は必要ないですよ」
「え?」

 プラタ言葉に僕は首を傾げる。精霊は普通の方法では視えないはずではなかったのか。

「そこの湖の中に居るようですね」

 プラタの言葉に目を大穴のような湖面に向ける。
 しかし、そこには闇しかなかった。

「えっと・・・?」

 僕がプラタに疑問の目を向けると、何かが水中から浮上してくる気配を感じて、視線を湖面に戻す。
 その時、湖面中央辺りが盛り上がったかと思うと、そこから一人の全裸の女性が姿を現した。
 それはとても美しく若い女性だった。水中に隠れる程に長い髪は深い青のように視えるも、暗視は色を見分けるには心許ない為にはっきりとは判別出来ない。
 膝辺りまで湖面上に出したその女性は、どうやってか、深そうな水中に立っている。

「・・・・・・」

 肝心な部分には髪が張り付いているので視えないのだが、その豊かな胸や芸術的な曲線を描くくびれ、艶めかしい肉付きの太ももなどの体形はしっかりと分かってしまう為に、正直かなり目のやり場に困る。

「お久しぶりです。シ――」
「プラタです」
「え?」
「私の名はプラタです。ナイアード」
「・・・そうですか。やっと巡り合えたのですね。おめでとうございます」

 ナイアードと呼ばれた女性はプラタに深々と頭を下げる。そこには感慨深さと、とても深い敬意があった。
 状況が読めない僕に、プラタがこちらを向いて口を開く。

「彼女はナイアードというこの湖の精霊です」
「え? でも・・・」

 プラタがナイアードと呼ぶその精霊は、精霊の眼を使わずとも普通に視えていた。

「彼女は数少ない例外です。沢山の精霊が集まり長い時間をかけて実態を持った姿で、そうですね・・・幽霊のようなものと申し上げれば解りますでしょうか?」
「なるほど」

 幽霊は魔力が集まり形を成したモノ。噂には聞いていたものの、実態を持った幽霊には残念ながら未だにお目にかかれていない。その幽霊は言うなれば、魔物創造のように大量の魔力が何者かの意思でもって形を成したモノなのだろうが、いまいちよく解らない。
 とにかく、目の前の精霊はそういう存在なのだろう。

「理解した」

 僕の頷きに、プラタは軽く頭を下げた。

「その方がシ・・・プラタ様の良き方なのですね」
「ええ、そうです。素晴らしき御方でしょう?」
「はい。この上なく」

 そう言って微笑み合うプラタとナイアード。プラタは微妙に口角が上がったような気がしただけだったが。

「えっと・・・ナイアードさんはこの湖に住んでいるんですか?」
「気軽にナイアードとお呼び捨てください。プラタ様の良き御方にそのような畏れ多い話し方をされると、私が心苦しいですので」
「そ、そう・・・じゃ、じゃあナイアード。この湖には長いこと住んでるの?」
「はい。もうかれこれ千年程になりましょうか。長い事ここで暮らしている為に時間の感覚が曖昧で正確には覚えていませんが、おそらくそのぐらいです」
「千年・・・」

 それは一体どれだけ長い時間なのだろうか。人間が魔法を覚えて二百年やそこらぐらいだったか? 平原で暮らすようになってからなら千年以上は簡単に遡れるものの、それでも途方がなさ過ぎてよく分からないな。そして、ナイアードがここで暮らしだして千年ならば、プラタは一体どれだけの長い時を過ごしているのか。

「現在の森の状況は知っていますか?」
「勿論です。私は実態を持ったこの姿では湖から外には満足に出られませんが、それでも精霊は世界中に存在していますので。それに、エルフからも色々聞かされております」
「僕達はそれを直接確かめに行こうと思ているんだ。まぁこの湖から出られないならしょうがないんだけれど、一つ訊いていい?」
「なんなりと」
「この湖の水って飲めるのかな? ・・・そろそろ手持ちの水が心許なくて」

 背嚢の側面に釣るしていた水筒を取りと、それを振りながら告げる。ほとんど入っていない為にかなり軽い音が小さくしただけだった。

「大丈夫です。私がこの湖の水を浄化しておりますので、生物が口にしても問題ありません」
「そっか。それでお願いなんだけれど、この湖の水を採水してもいいかな?」
「勿論で御座います。ここは貴方様の湖と思ってお好きなだけお取りください」
「ありがとう。ああ、そういえば名乗るのを忘れていたね。僕の名はオーガストです。よろしくね、ナイアード」
「オーガスト様ですか。よろしくお願いいたします」

 ナイアードは僕に深々と頭を下げる。未だに慣れないそれに苦笑紛いの笑みを浮かべると、僕は背嚢を足元に降ろして中から空になった水筒の山を取り出した。





 取り出した空の水筒全てに水を満たす頃にはすっかり朝になっていた。とはいえ、葉によって日光が遮られている為に、森の中は暗いままだが。
 折角湖の前なので、食事と水分補給を済ませて、使った水も補充する。湖の水を少し飲んでみたが、とても滑らかでほのかな甘みのある美味しい水であった。
 情報収集ついでにナイアードと軽く会話をしながら一息つくと、先へと進む事にする。

「色々お世話になりました、ナイアード。それではまた・・・多分帰りに寄ります」
「はい。いつまでもここでお待ちしております」

 頭を下げたナイアードに手を振ると、湖を回るようにして先へと進む。

「湖の上を渡ればよろしかったのでは?」

 湖を迂回するようなかたちで移動している事にプラタが隣で疑問を呈する。
 まぁ湖の主であるナイアードの態度をみれば、それも許可されただろうけれど。

「いいんだよ、これで。時間はあるんだ、のんびり行こう。それとも僕との旅を早く終わらせたいの?」
「・・・差し出口でした、申し訳ありません。ですが、その言い方は少々卑怯です」

 どこか拗ねたようにそう言うプラタに「ごめんごめん」 と立ち止まって謝ると、その触り心地の良い頭を軽く撫でる。

「今は歩きたかったのさ。湖を渡るのは帰りにしよう」
「畏まりました」

 僕がにこりと笑いかけると、プラタはゆっくりと頭を下げた。
 歩みを再開して森の中を進む。どこまでも静かな森であった。しかし、魔物やエルフなどの外の世界に住む強者の気配が漂う世界でもあった。
 今まで森の浅い部分までしか入ったことがなかった為に、多分それが新鮮で、わくわくしているんだと思う。
 だからもう少しこの世界を探検して見たくなったのかもしれない。
 勿論調査の事は忘れていないけれど、一緒に旅するのがプラタとフェンという強者だし、時間もそこまで気にしなくてもいい。それに何より、プラタというこの世界の案内人が一緒に居るというのも少し観光気分を演出してくれて楽しい。
 それでいてこの森は暗く、空気は湿り気を帯びている。とても快適だった。
 そうやって僕が気分よく歩いていると、ポツリポツリと雨漏りのように上から雫が落ちてくる。

「雨か」

 日光を遮る木の葉も液体までは防ぎきれなかったらしい。
 僕は自分達の頭上に気流の傘を展開して濡れないようにしながら、森を西へと進む。
 まだ出口まで半ばを過ぎたばかり。ここまで急いだために驚異的なまでの短期間でこれたが、ここからは少し速度を落として進む。とはいえ、いつまでも魔族が出口で集結している訳ではないので、ゆっくりばかりもしていられないのだが。

「魔族軍の動向はどうなっている?」

 気になって僕がそう問い掛ければ。

「未だ集結中です」

 プラタは直ぐに答えを返してくれる。

「未だに集結中か、結構かかってるね」
「広域に偵察を出していた弊害でしょう。少し前に集結の通達が終わったばかりのようですし」

 疑問の答えも直ぐに返ってくる。相変わらず遠くまで視える眼ではあるが、やっぱり頼りすぎだよな。

「そうか、平原の外全体にまでもう魔族の手が伸びてるんだな」
「そのようです」
「・・・・・・」
「ご主人様?」
「いつもごめ・・・ありがとうな」

 きっとこれは謝る事ではないのだろう。だからここは感謝を示す。西門に来てから感謝しっぱしだな。

「私には勿体なき御言葉です」

 相変わらずのプラタ。だけど、うん。プラタと一緒というのも楽しいな。
 そのまま出口方面に向けて歩みを進める。雨脚が強くなってきたようで、葉から落ちてくる水の量が増えてきた。
 少し歩きづらくなってきたものの、元々固い地面だった為に何とかなっている。だけど、休憩の時どうしよう・・・。
 それから深夜になり、未だに雨は降っているものの、一度休憩をとることにする。

「・・・・・・」

 僕は少し考え、空気の層を地面に敷く。落下したエルフを怪我なく捕まえられるだけに、包み込まれる柔らかさがあった。

「・・・これから寝る時はこれでいいかもな」

 その包まれる安心感はとても癖になる。しかし、座るのが難しい為に硬さを調整して、僕とプラタは腰を下ろす。
 さっさと食事を済ませると、恒例のエルフ語講座を受けてから少し睡眠を取った。
 今回は少し長めに一時間眠ると、西進を再開する。
 それにしても、あの時のエルフの言葉通りに未だに監視が続いているのだが、ナイアードと会話してからというもの、伝わる感情は敵意や警戒から戸惑いに変わってきている。流石はおそらく千年この森で生きているだけあり、エルフにとっても特別な存在なのだろう。まぁ、エルフは精霊と共存している訳だしね。

「どうかされましたか? ご主人様」

 少し考え事をしていた僕に、プラタが声を掛ける。

「いや、ナイアードはエルフにとって特別な存在なんだなーと思ってね」
「そうです。ナイアードはこの辺り一帯において守護神のような存在でもありますので・・・いえ、エルフの守護神でしょうか」
「エルフの守護神?」
「ナイアードはあの湖から出れない代わりに強大な力を持っているのですが、昔この森にも様々な種族が覇権を争っていました。その時に圧され気味であったエルフに味方して、この辺り一帯をエルフの支配地域にした立役者がナイアードなのです。あの時ナイアードが味方していなければ、エルフはこの辺りの支配者には成れなかったことでしょう。そういう経緯がある為に、エルフはナイアードを守護神として神聖視しているのです」
「なるほどね」

 そんな自分達の神と言葉を交わしていたから戸惑っているのか。

「そういう訳で、現在監視しているエルフが困惑しているので御座います。そんなナイアードよりもご主人様は上位者なのですが」
「はは。プラタが、でしょ?」
「いえ。ご主人様が、で御座います」

 いつも以上に真剣な雰囲気のプラタに、僕は少々驚く。

「そういえば、プラタとナイアードは知り合いだったみたいだったけれど、どんな関係が?」
「・・・少し違いますが、簡単に説明しますとご主人様とフェンのような関係です」
「創造主と創造物?」
「・・・そう、解釈していただいて問題ないかと存じます」
「・・・・・・プラタって」

 何者? そう問おうとして口を噤む。プラタが何者かなんて既に知っているではないか。

「――僕の侍女だったね」
「はい。そうでございます。プラタは貴方様だけの侍女で御座います」

 万感の想いの籠ったその言葉の真意は僕には解らないが、それはきっとプラタにとって何よりも重要な意味があるのだろう。だけれども、それを重いとは思わなかった。むしろそれを僕が背負えることが光栄のような、そんな誇らしい気持ちになる。そういう悪くない空気の中、僕達は森の出口へ向けて足を進める。





 ある程度進んで休憩する。その休憩がてらエルフ語をプラタから学んで短時間の睡眠を取る。
 そんな繰り返しで出口へと進み、森に入って二十日が経過した。
 中盤から速度を緩めていた為にまだ出口に辿り着いていなかった。ただ、もう目と鼻の先に森の切れ目がある。
 そこまで来ると木の間隔が適度に空いてきた為に、森に光が射してきていた。

「まだ居るよね?」

 僕の主語の抜けた問いに、プラタは頷く。

「集結もあと数日は掛かると思われます」

 集結の報告をプラタから受けて約一月。異形種達の足の速さは知らないが、広域に展開していた事を考えれば早い方、なのかな?

「規模は?」
「およそ三十万程です」
「三十万!?」

 それは異常な数だった。これが本隊だというのならば納得がいくも、プラタの話を聞く限り、それらの大半はただの偵察部隊なのだから。この数は先鋒ですらない。

「異形種の大半は一度に生まれる数が多く、また成長も早いので数が非常に多いのです」
「なるほど。食料とか大変そうだな」

 それにしても数が多い。
 どれだけ広域に偵察を送り出していたのか。それに、それを一月強程で集結させられるのか。
 とりあえず陣容だけでも確認しなければならないだろう。しかし、そんなのをエルフは日夜襲撃を仕掛けているのか。
 気配を消しながら移動すると、森の終わりの手前で立ち止まる。
 森の先は、地面が見えない程に繁茂した、地を這うような大きな野草が一面に広がる荒野だった。しかし、そんな事よりも。

「うわぁ」

 眼前に露営する魔族軍。手前の野草以外にはその魔族軍しか見えない程の数が広域に展開しているその規模。圧倒され過ぎて正直引いた。
 そこに蠢く異形種の姿は概ね、人に似た体に獣の顔をしていた。ただし、小さい者でも大きさが人間の倍近くある。
 それにしても、前に見た異形種は獣頭ばかりではなく端整な顔立ちの者も居たが、今いる場所から見える姿はほとんどが獣のように獰猛そうな顔をしている。
 それをプラタに問い掛けると。

「現在は戦士だからですね」

 という、ちょっと意味の解らない回答が返ってくる。

「どういうこと?」
「異形種の多くは多少の変身能力を持っていまして、普段の顔立ちはそれこそ人間やエルフと大差ありません。ですが、戦士として戦う場合はああいう風に獣の顔になるのです」
「そうなんだ。だから今まで見た異形種には人間のようなのが混ざっていたのか。大きさはあんまり変わらないけれど」
「大きさまで変えられる程になりますと、種族内でも名の通った戦士級の実力者ですから」
「へー、そうなんだ」
「それと・・・」
「ん?」

 そこでプラタは少し迷うような素振りをみせる。それに僕が首を傾げて目を向けると、「いえ、なんでもありません」 と頭を下げた。
 気にはなったものの、僕は視線を魔族軍へと戻す。そこで、少し変わった存在が目に映る。
 人と同じぐらいの大きさのそれは、鳥のような羽を背中に生やし、頭に王冠にも見える角がある。顔は骸骨の様で、その背に一回り小さい何かが抱き付いているが、よく見れば身体は同化しており、肩のあたりに乗る小さな顔には九つの眼が並んでいた。
 まさしく異形のそれがその身に秘めたる魔力は、周囲の異形種とは比較にならないほどに圧倒的だった。オーガストはその姿にどこか見覚えがあり、記憶を探る。そして思い出す。蜘蛛の魔物を操っていた者を囲んでいた存在の一つであることを。

「あれは?」

 その存在を指差しプラタに問うと、プラタもそれへと目を向ける。

「ミミックですね。また珍しい魔物を連れてきたもので」
「ミミック? 魔物なの?」
「はい。魔物の中では比較的上位の存在で数は少ないのですが、変身や幻覚を得意としています。他の魔物と違い、肉食を好みます」
「魔力じゃなくて肉食なんだ」
「はい。特に生きたまま捕食する事を好み、変身や幻覚で相手を誘い、無防備に近づいてきた相手をそのまま捕食します。昔、魔族から独立した最初の魔物達の一匹はミミックでした。それほどに知能と実力があります」
「ほぉ。それは興味深い」

 プラタとこの森を少し探索しただけで、人間がいかに外の世界を知らなかったかを痛感させられる。世界は広いな。

「あんなの僕も創れるのかな?」
「可能でしょうが、あれは主人に牙を剥くタイプなのでおススメは致しません。同じ希少種の魔物ならばまだスライムの方がいいかと」
「スライム?」
「不定形の魔物で、魔力が意思だけを持って形を成さなかった存在です。ほぼ完全な変身能力を会得しており、大抵の攻撃は効果がありません。ただし、魔力の塊ですので、魔力に直接干渉される攻撃には非常に弱いです。まぁスライムが内包する魔力以上の存在でなければ意味はありませんが。スライムの食事は魔力で、本来捕食は必要としませんが、対象を取り込み魔力を吸い取る事で急速な魔力補充をする事があります。知性は創造主の力量次第ですが、最低でもそれなりに在り、変身する事で会話が可能です」
「ほぉほぉ」
「ですが、狙って簡単に創れるモノではありません」
「まぁ希少種だもんね。そう簡単にはいかないだろうさ」

 魔物にも色々居るのは知っていたが希少種という存在が居るのは初耳だった。

「・・・・・・」

 感心する僕に、プラタが何か言いたげに顔を向ける。

「ん? どうした?」
「いえ、なんでもありません」

 そう言うと、一瞬僕の足元へ視線を向けてからプラタは荒野へと視線を戻した。

「?」

 結局プラタが何を言いたかったのかは解らなかったが、とりあえず魔族軍の観察に意識を向ける。
 眼前を埋め尽くす魔族軍に圧倒されていたが、注意深く観察してみると、遥か後方にミミック以上の強大な魔力を持つ存在が居る事に気がつく。

「奥に居るのが魔族かな?」
「左様でございます。魔王の側近が一人ラジの率いる部隊の一つにこの辺りの異種族をまとめた部隊があるのですが、その副官の一人ですね」
「副官、ね」

 視るからに強いその存在ではあるが、それで地方軍の一副官止まりか。まぁ高い地位に就くのに強さが全てでは無いと思うが、あの強さなら人間界なら最強位を余裕で得ている事だろう。
 その副官以外にも周囲にはミミックのような魔物や魔族の強者が散見できる。異形種に比べると数は多くないのだが、これらがエルフを返り打ちにしている魔族という事か。

「んーミミックって魔物だよね?」
「? はい」
「ならエルフを追い払っている魔族には入らない?」
「いえ。ミミックは魔物ではありますが、現在は魔族として迎え入れられておりますので、魔族で問題ないかと」
「そうなの? 他の魔物も?」
「はい、そうです。現魔王は魔物でも強く、それなりの知性と忠誠があれば魔族として迎え入れていますので」
「それなりの忠誠でいいんだ・・・」
「魔王に謁見すればそれは絶対の忠誠に変わるようです」
「ん? 洗脳かなにか?」
「いえ。現魔王は・・そうですね、ご主人様に似ていると申しますか」
「???」
「圧倒的なのですよ。だから悟るのです。歯向かっても万が一さえ無いと」
「そうなのか・・・つまりプラタやフェンも僕に?」
「いえ、それは断じて違います。我らの場合は貴方様のその美しさに心服していますれば、恐怖の類いでは決して御座いません」
「冗談だよ。今の僕じゃプラタやフェンに勝てないから、そんな訳ないもんね」
「そんな事は・・・」

 そうプラタは口にするも、彼女は途方もなく強い。それは同調魔法で魔力を共有した事で確信出来た。少なくとも今の僕ではまだまだ足りていない程に。それこそプラタにかかれば三つ目のダンジョンに居たジーン殿でさえ瞬殺だろう。因みにフェンは予測ではあるが、多分僕より強い。どれぐらいかはまだ判らないけれど。本当に親に似ない子だよ。

「いつか君達が胸を張れるぐらいには強くなるから、それまで見捨てないでいてね」

 冗談めかして僕がそういうと、プラタは深々と頭を下げた。本当に、見放されないように今以上の努力をしないといけないな。

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