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2話 『1人暮らしとは自由なものだ』

 見ず知らずの土地をただひたすら歩き続ける悠馬は紗乃の後ろをついて行かなかったことを今更になってひどく後悔していた。

「明らかに学校なんだよな、これ。オレ制服着てるし。なのにどうして人っ子一人いないのか、いじめなのか!?」

 この学校の敷地は土地勘もなしに歩くには少しばかり広すぎた。
 完全に迷子状態の悠馬は改めて周囲を見回すが、やはり誰もいない。
 いっそのことドッキリかなにかで隠れていた学生全員が出てきて、不安そうにキョロキョロしてるのクソ面白かったわ!とか言われる展開の方がマシだった。
 これまでの経験でそんな卑屈な想像をしながらも尚、トボトボ歩き続けること数分。

 遂に悠馬は学園の事務室を発見した。
 悠馬にはそれが砂漠の中のオアシスのようにみえたことだろう。
 すぐさま走り寄り、ドアを開け楽しそうに談笑する事務員2人へ声をかけた。

「すみません!」
「はいっ!?」
「あ……すみません……」

 興奮のあまり大声を出してしまい、会話の最初が謝罪の言葉で埋まってしまう。
 傍から見ればかなりの変人だった。

「今日からでイマイチよく分かってないんですけど、なんか教えてもらえませんか?」

 悠馬のアバウトすぎる物言いに事務員の2人も思わず顔を見合わせて苦笑している。

「とりあえず、落ち着いて、名前を教えてもらってもよろしいですか?」
「柊崎 悠馬です。高1?」
「少々お待ちくださいね」

 そう言うと事務員はなにやら部屋の奥から1つの小さな箱を取り出し、悠馬へと渡してくる。

「柊崎さんが、在学中に利用できるプライベートルームの鍵です。必要な荷物、マニュアルなどは全てお部屋に届いていますので、一先ず今日はご自宅へお帰りになられては?」

 優しげな歳上のお姉さんにそんなことを言われてしまえば、年頃の男子に文句は言えない。
 それは悠馬とて同じ、簡単に場所を聞くと事務室を後にし、用意されているという自宅へと向かうことにした。

 学校の敷地を出て、少し歩くと辺りは住宅街へと景色を変えていく。
 そして豪邸を横目についさっき教えてもらったマンションへと足を運ぶ。

「602号室……、ここの1番上だな」

 悠馬は比較的新しい6階建てマンションのロビーを抜け、エレベーターへと乗り込むと最上階である6階のボタンを押した。
 ゆっくりと上がっていくエレベーターに揺られ、1人暮らしという高校生には妙に魅力的なワードへ思いを馳せる。
 そんな悠馬を妄想の世界から現実へと引き戻すようにエレベーター内のアナウンスが6階へと到着したことを知らせてきた。
 エレベーターの扉が開かれ、沈みかける陽の光に赤々と染められた通路が現れる。

「なんだか、ただの夕陽がすごく綺麗に感じるな」

 自室の前で夕陽に向かってキメ顔でウインク。
 100人いればその100人がイタイもしくはキモイと言うであろうそんな姿も見る者がいなければ何の問題もない。
 1人暮らし、それは自由そのものなのだから。
 そんなウキウキの悠馬はついさっき事務員に貰ったカギで自室のドアを開け、力強く

「たっだいまー!」

 と帰宅のご挨拶。

「あら、早かったわね。おかえり柊崎くん」

 本来返ってくるはずのない言葉が返ってきたことで悠馬の時が止まった。

「近所迷惑だから大きな声は控えてくれるかしら。それと、右の部屋に荷物が届いているから夕食までの間に確認しておくといいわ」

 制服にエプロン姿で鍋を手に持ちながら玄関を振り向いていた紗乃がキッチンの方へと消えていく。
 そこまで来てやっと悠馬の時間の流れが現実に追いついた。

「ちょぉぉぉっと待てっ!」
「なにかしら? 大きな声は控えるよう言ったはずだけれど」
 一般的に考えて、夕方自分の家へ帰ると黒髪ロングの美少女が夕飯の支度をしながらおかえりと言ってくれるシチュエーションは男性陣の夢だろう。
 もちろんそれも悠馬とて例外ではない。

「それでもだ! どうしてお前がオレの部屋にいる!?」
「愚問ね、そんなことパートナーなら当たり前でしょう?」

 それだけ言うと悠馬の叫びに反応してぴょこっと壁から出ていた紗乃の顔がキッチンへ引っ込んでしまう。
 部屋に響く包丁がまな板へと当たる周期的な音をしばらく聞き、仕方なく悠馬は紗乃曰く自室らしい右の部屋へと進んだ。

 部屋には簡易ベッドと机が1つずつ、それに大きめのダンボール箱が3箱。
 特にすることもなく悠馬は箱の中身を確認する。
 中には制服が夏服冬服それぞれ3セットずつ、授業で扱うであろう教材、何に使うか分からない黒色の全身タイツが数着入っていた。

「最後のタイツはよく分からんが……、必要最低限のものって感じか」

 中身を一通り確認した悠馬が机に教材一式を並べ、収納スペースへ制服と全身タイツを掛け終わったところで部屋に慎ましやかなノック音が響いた。

「夕食の準備、できたから」

 短い言葉だったがどうやら夕飯をいただけるらしい。
 夕食という言葉で初めて意識した料理の匂いが空腹に刺さって辛い。
 そんな辛さを耐えれるほど我慢強くもなく、タダ飯をいただけるなら行かない手はないと悠馬は紗乃が待つ食卓へとついた。

「匂いで分かってたが、カレーか」
「なにか文句があるなら別に食べなくていいのよ」
「文句言ってないだろ……。いただきます」

 悠馬は目の前のカレーをスプーンですくい、口へと運ぶ。
 カレーはその家庭ごとの特色が色濃く出る料理だ。
 辛さはもちろん、隠し味に醤油を入れたりりんごを入れたり様々な方法でその家庭の味というものが確立される。
 それ故に他人の口に合う合わないが極端に分かれるものなのだが、紗乃の作ったカレーは程よい辛さと具材の旨みが共存している万人受けする味だった。

「うまいな……、金取れるレベルだ。ジャガイモが崩れてないところもポイント高いな」
「あなたに上から採点される筋合いはないけれど、口に合ったようでよかったわ」

 もはやお馴染みとなりつつある掛け合いが行われる。
 それきり特に話す話題もなく、2人は黙々と向かい合ってカレーを食べ続けた。

「ごちそうさま。いやー、うまかった」
「お粗末様」

 悠馬が食べ終わったのを確認して、紗乃は食器を下げていく。
 そんな彼女の後ろ姿へ悠馬は勇気を出して口を開いた。

「なあ、九条。色々聞いてもいいか?」
「食器を片付けなければならないのだけれど」

 彼女の中でオレ<食器という式が成立していることについて、異議申し立てしたい所だったが機嫌を悪くされても困る。
 そう自分に言い聞かせた悠馬は皿洗いを引き受けるという交換条件で彼女への質問の場を確保した。

 食後のコーヒーを淹れ、カップを2つ持ってきた彼女はその片方を悠馬の前へと置き、正面へと腰掛けた。

「最初に聞きたいのは──」
「少し待って」

 悠馬の言葉を遮ると紗乃は急に身を乗り出し、悠馬の顔の方へと手を伸ばしてくる。

「な、何がちょっと待てだ。待つのはお前の方だろ!?」
「動かないで、やりづらくなるから」

 一体彼女は何をしようというのか。動くとやりづらいこととは何なのか。不安と少しの期待を胸に、目を閉じた悠馬の耳にカチッという妙な音が聞こえてきた。

「へ?」
「端末の電源を切ったまま任務(クエスト)に臨むなんて、あなた救いようのないバカなのね」

 そんな何度目か分からない紗乃の呆れた声とは別に、抑揚のない無機質な声が悠馬の脳内へ直接響く。

「システムオンライン。データバンクとのリンクを確立。ユーザーデータをダウンロード。初期設定を開始します──」

 けたたましく脳内へ直接届く声がようやく途切れた所で目を開いた悠馬の視界に、つい数分前まで存在しなかった様々なウインドウが表示されている。

 眼球の微かな動きに同調(シンクロ)し、複数のウインドウが視界の中を右へ左へ移動する。
 その中の1つに意識を移せば他のウインドウは視界から消え、目の前に座る美少女へと意識を移すとその全てが消える。

「何これ、すげぇ便利」
「それは多目的ARデバイス。この学園にいる間はその端末が様々な役割を果たすわ。そして、任務(クエスト)時の戦闘補助(バトル・アシスト)機能も含まれているわ」
「この学園の技術力ってどうなってんだよ……」
「詳しくは知らないけれど、政府直属の特務機関として民間に訳あって開示されていない技術の使用が特権的に許可されているのだそうよ」

 紗乃の話を聞きながら悠馬は眼球運動で視界に表示されている複数のタブを淡々と処理していく。
 やがて全てのタブを綺麗さっぱり処理した悠馬は視界の右上に、消すことの出来ない情報が映っていることに気づいた。

「なあ、この右上のMP、RPってのはなんなんだ?マジックポイント、ライフポイントとか?」

 ゲームでよくある類の表記かと悠馬はふとそんなことを口にする。

「ライフの綴りは『L』から始まると思うのだけれど」
「あっはは……、違うのね」

 そもそも悠馬の表示にはMPは100,000、RPが0。
 仮にRPがLPであり、ライフポイントであるならばLP0は死を意味しているのだから検討違いもいいところだろう。

「MPはマネーポイントの略称。この学園で任務(クエスト)をこなしたり、学内行事での成績などによって支給されるお金代わりになるものよ。そのMPを用いて食べ物を買ったり、衣服を買ったり、装備を整えたり様々なことが出来る。毎月初めにランクに応じて基本給が与えられる以外は原則努力しないと手に入らないから気をつけて」
「ランクって?」
「人の話は最後まで聞けと幼い頃に習わなかった?」

 一瞬、部屋に緊張が走る。
 最悪この質疑応答の場がお開きになってしまうのではないかという悠馬の懸念に反し、紗乃は話の続きを事務的な口調で始めた。

「RPはレーティングポイントの略。これもMPと入手方法は同じ、このポイントの量によって生徒個人のデュナミスランクが決定される。ランクは下からC.B.A.S.SS.SSS。CからAはさらにC3.C2.C1のように3段階に分けられているわ」
「RPが0のオレは最弱のC3ランクってことか」
「そういうこと。ランクによって受けることが出来る任務(クエスト)の難度も変わる。当然、難度が高いほど得ることができるMPもRPも増えるわ。そして、Aランクを越えるとあらゆる特権が与えられる。失礼、これはまだ柊崎くんには関係ない話だったわね」

 露骨にバカにしてくる紗乃を悠馬が睨む。
 そんなことなど全く気にする素振りも見せず、紗乃は話は終わりと言わんばかりに最後にこう付け足した。

「そうね、他に聞きたくなりそうなことで必要なことは端末内の学内パンフレットに載ってるはず。だから自分で確認しておいて、明日から学校が始まるから朝7時には起きておくこと、じゃあおやすみなさい」

 コーヒーを飲み干した紗乃は自室へと戻っていく。
 リビングへと取り残された悠馬は約束通り皿洗いを敢行した。
 丁寧に手洗いした皿の水気を拭き、棚へと直しリビングの電気を消した悠馬は自室のベッドへと身を沈める。
 しばらくウトウトしていると紗乃の部屋のドアが開く音、そしてシャワーの音が聞こえてきた。

「風呂か……、あいつの後に入るのはさすがにまずいよな……」

 悠馬は年頃の女子の話としてよく聞く、父親と風呂の話を思い浮かべた。
 この話は有名なあれだ。
 お父さんの入ったお湯に入るのは嫌だし、私の入ったお湯にお父さんが入るのも嫌というやつである。
 苦渋の末、世のお父さん方は1度湯を抜き再度新しく湯を沸かすというあまり地球と家計に優しくない案を提案するが、それもお父さんと同じ空間の時点でムリという心無いワンフレーズによってバッサリと切り捨てられる。
 そもそも、お父さんと呼んでくれるかさえ危ういところだ。
 つまり、何が言いたいかというと年頃の女の子の風呂に男が近づくのは禁忌(タブー)なのだ。

「かと言って、風呂入らないのもな……。この辺銭湯あんのかな」

 そんなことを呟くと視界に銭湯の場所にご丁寧に印がつけられた周辺地図が表示される。なんとも便利な端末だ。

 マンション1階に併設されたコンビニで売られていた外泊用パジャマと下着一式のセットを買い、MPという制度がしっかりと利用できること確認した悠馬は端末のガイドに従い、近場の銭湯へと向かった。
 まだ飯時ということもあってか、意外にも客はまばらだ。
 ゆっくりと湯に身を沈めながら、悠馬は今日1日を振り返る。

「まあ、色々とあって理解の追い付かないことも多いが……悪くないか」

 誰に言うでもなく、そう呟いた言葉こそ彼の本心だった。
 風呂上がりの定番である瓶ジュースの自販機の前で牛乳かフルーツオーレかコーヒー牛乳かを選ぶのに数分を要し、結局フルーツオーレを選んで乾いた喉を潤す。
 そんな悠馬の視界の右端に2件の新着メッセージを表す、黄色のアイコンが現れる。
 1件は学園から明日の朝、まず初めに教務室に来いというもの。
 もう1件は紗乃から自宅の風呂を使うか使わないかの確認のメールだった。
 どうやら彼女の後に利用しても問題なかったらしい。

「考えすぎ、とんだ杞憂だったわけね」

 慣れない眼球運動による文字の打ち込みに手間取りながら、近場の銭湯を利用した旨を伝え、帰宅するとすでに紗乃は寝てしまっていた。
 彼女を起こさぬよう静かに寝る前の支度を済ませ、自室へと戻りベッドへと死人のように倒れ込む。
 そして明日から始まる学校生活のことを考える暇もなく、悠馬は数秒で意識を夢の中へと手放す。

 こうして柊崎 悠馬史上一番濃い1日が終わりを迎えた。

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