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1.堕ちた令嬢 Ⅰ

この世界には様々な英雄の伝説が歌い継がれている。
狂った竜を単身で殺した英雄に、巨人の群れをたった一人で追い返した英雄。
さらには国の危機を知謀と機転により納めた賢者。
そしてそれらの伝説は実際にあった真実で、英雄のその後は例外はあるが、後の名誉を確定されている。
それだけのことを英雄は為し、その対価として未来は約束される。
それが英雄と呼ばれる偉業を成した人間。

「本当に、惨め」

そしてその英雄と同等の偉業を自分が為しているという事実に、私、アリスの口に浮かんだのは自嘲の笑みだった。
何故なら私の今の生活は正に英雄のものとは天と地ぐらいの差があるのだ。
英雄の煌びやかな生活に及ばずとも、ではなく何とか生きていける、その程度の生活。
偉業を成し、かつて国を救った賢者がいたという。
そしてその賢者はその後煌びやかな生活を手にしたと言われているが、その賢者と為した偉業だけが張り合えるなど、もはや笑い事でしかない。

「アリス!ボヤっとするな!」

だが私が再度浮かべようとした自嘲の笑みは固まる。
思考に耽っていた私に対して鋭い怒鳴り声が響いたのだ。
我に帰り振り返ると、そこに居たのは私の教育係である中年の下女、ハリスだった。

「私の分は終わったのですが……」

私は一瞬その怒鳴り声に身体を震わせたが、直ぐに自分に課せられた分の掃除を終えたことを主張する。
今回の清掃の仕事は分担制で、自分の持ち場を終わらせたものから帰っていいことになっている。

「待った!ここの汚れはまだ取れていないよ!」

だが、私は未だ帰れないだろうことを悟っていた。
私の掃除の速さに一瞬ハリスは驚愕を顔に浮かべたが、直ぐに我に戻り確認すると告げた。
そして確認を初めてすぐ彼女が指摘したのは絵画の額縁に付いた汚れ。
それは専門の業者でしか行ってはいけないもので、つまり下女が掃除した後も汚れているのが当たり前のものだった。

「アリス、確かにあんたがボンボン育ちだったことは知ってるよ。だけどあんたは今、婚約破棄された、唯の家政婦なんだ。いい加減に仕事を覚えてもらわないと教育係である私に迷惑だとは思わないのかい?」

だがハリスはさも私の不手際であるかのように私を嘲笑する。

「っ!」

そのハリスの態度に私は激情が胸の奥から湧き上がってくる。
確かに私が最初下女になった時はあまり手際が良いとはいえなかった。
しかし今では違う。
掃除に関してはハリスよりも丁寧に、しかも手際よく出来るようになっている。
それは下女になってからの私が必死に努力した証で、そして結果だった。
ハリスはそのことを嘲笑ったのだ。

「……すいません」

だが、そのことを分かっていても私が口に出来たのは謝罪だけだった。

「ふん、あんた私の分もやっときな。仕事に慣れるために必要だろう?」

そして私はハリスに仕事を押し付けられても、それでも唇を噛み締め文句を言うことはなかった。
何故ならハリスに刃向かったとしても私自身に同情してくれる人などこの王国には存在しないのだ。
王子の軽率な行動により起こった、国を二分しかねない危機。
それは私がすべての罪を被り、婚約破棄を認めることにより免れた。
それは真実を知る者にとっては英雄にも劣らない偉業。

ーーだが、真実を知るものはほんの一握りしかいない。

アストレア家の中でさえ、私が堂々と罪を認めたことで、本当に私が虐めを行なっていたのだと思うものは多い。
そしてそんな状況で私の罪が冤罪だと思う人が存在する訳がなく、

私は堕ちた令嬢、性悪の悪役令嬢と世間に罵られるようになった。

もし、私がアストレアの名を未だ持っていればその名が広まるのはまだましであったかもしれない。
しかし私はもう家名を捨て、ただの平民に落ちぶれていて、そんな人間を罵ることを世間が躊躇する訳が無かった。
今や私はこの国で最も嫌われている人間なのだろう。
つまり知名度に関しては偉業を除いて英雄と匹敵しているかもしれない。

最悪の人間としての。

「本当に、笑い事でしかない」

私は自嘲の笑みを浮かべながら、ハリスの持ち分であった場所を清掃し始める。
本当は自分の持ち分でないことを知るながらも黙々と、丁寧に。

「あ、アリス私達の分もお願いね」

「そうそう、あんた下手くそなんだしさ」

「これもあたし達の思いやりだからさ。今度は婚約破棄されないようなそんな尽くせる女を目指しなよ。まぁ、そんな機会もうないけどね!」

だが、そんな私の様子を見ても手伝おうとする者が存在する訳なく、居るのは更に私に仕事を押し付けようとする下女達ばかりだった。

「はい、」

しかしその要求を私は断れない。
断れないことを知って、下女達は私に仕事を押し付けているのだ。




それから数時間後、後に残ったのは黙々とどう考えても一人でするには広範囲な場所を清掃する私の姿だった。
そしてそれこそが、今の私の惨めな姿だった……

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