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#03-07

 おはようとも、こんにちはとも。
 時間的にも状況的にも、それらのあいさつはいささか間違っていると言えるだろう。
 だからこそ、俺はそう言ったのだ。
 悪戯をした子供をしかりつけるように、または怒るように。
 ではなく、淡々と、冷静に。
 静かに怒れ。
 自身にそう言い聞かせた。
 一昨日もそうだったが、こいつはどうも人の感知というものが苦手らしい。
 なので俺が声をかけて、やっと気づいたようにこちらを向いた。
「・・・おかしいな。黒田君が起きるのは、もう少し先だと思ってたのに」
 そして彼女はいつものように、独り言をつぶやく。
 ただそこに、あの時見た彼女の儚さというのは、存在していなかったが。
「どういうことだ?俺が起きるのが、もう少し先だって」
「・・・まぁ、いっか。教えちゃっても。黒田君のスマホ、私が壊したんだよ」
 それがさも当たり前のように、非常識なことを言ってきた。
 これは何だ、殴っていいのか?
 俺が他人に暴力を振るうことなど、それこそ彼女のように道を外れたことをしない限り、めったに見ないことだ。
 だからこそ、俺が切れそうになるということも、また珍しい。
 そんなことはどうでもいいとして、いややはり触れておくべきか否か。
 そもそもの話をするなら、一体いつ壊したというのだろうか。
 昨日は確かに画面は発光していたし、今朝にはすでに壊れていた。
 なら必然的に俺が寝ている間。
 それも2時から7時までの5時間の間で、だ。
 まあスマホを二つに切断するぐらい、一分で可能だろうが。
 とはいえ深夜で、そこは密室だ。
 奴らといえど、密室に侵入することは不可能だし、ならばどうやって・・・



 あ――――――――――――
 そこで、やっと気づいた。
 ほんの数十分前に見た、違和感の正体を。
 俺はいつも寝る前に、雨戸を閉めるのだ。
 それだけ聞くと、アラームを信用している人間なのだなと思われるかもしれないが、決してそうだとは言い切れない。
 もちろんアラームは信用している。
 がしかし、それ以上に俺は、朝日というものが嫌いなのだ。
 眩しくて、暑くて。
 寝起きにそんなものを喰らってしまっては、後々の生活に支障が出てしまう。
 そんな病気とさえ思えるレベルで、俺は嫌いだった。
 だから今日も、あまり良い一日ではないのだ(遅刻している時点で、良いも悪いも関係ないが)。
 だとしたらなぜ、日差しが入ってきた(・・・・・・・・・)のだろうか。
 雨戸はちゃんと、昨日も閉めたはずなのに。
 答えは簡単。
 そこから、天野は脱出したのだろう。
 だとしたならば、これはすごいことだ。
 なぜなら、俺は今までずっと――――騙されていたことになるのだから。

 あの時、彼女は、俺の部屋から逃げ出したりなどしていなかった。
 通りで、すぐに消えたように見えたはずだ。
 実際は飛び降りていないのだから。
 どこかは知らないが、おそらくそのあと、どこかに隠れていたのだろう。
 姉の部屋か、親父の書斎か。
 いや、たしか姉の部屋は掃除したはずだから、書斎の方か。
 ともかくそこで丸一日以上、待機していた。
 なんて簡単なトリックだろうか。
 簡単すぎて、気づかなかった自分に反吐が出る。

「じゃあ、弁償ぐらいしてくれるのか?」
「う~ん、どうだろうね」
 背中に生える無数の蛇が、宿主の動きと連動して首をかしげる。
「それよりもさあ、知ってるんでしょ。この蛇のこと」
 その体勢のままで、彼女は背中を指さした。
 もちろん、知っているといえば知っている。
 けどまあ――――
「教える義理は、ないか」
 廊下が生徒で騒がしくなってきた。
 そんな事なんかは気にせず、鞄を手放すと廊下を大きく蹴り飛ばした。



「なんだ、お前は。黒田?ああ、あいつのことか。別に教えてやってもいいが、まず金を払え」
「・・・黒田 真矢(くろだ しんや)。それがあいつの名前だ」
「あいつは二ヶ月ほど前、悪意に取り憑かれた」
「と、まず悪意が何たるかを説明してやろう」
「なに、サービスだ。これはタダで勘弁してやる」
「悪意というのは、その名の通り人の悪意が具現化した、いわば化け物だ」
「奴らは人知を超えた力を宿主に与え、その代わりに宿主は、怒り、妬み、恨みなどの、奴らの元となる負の感情を、餌として与える」
「といっても、実際に具現化することなんてのは、そうそうない」
「それは、人にもちゃんと善意(ストッパー)が存在するからだ」
「だがたまに、それすら飲み込むほどの大きな悪意が生まれることがある」
「それが奴らの卵だ」
「・・・話がそれたな。たしかにあいつも悪意に飲まれた」
「しかしその悪意は、実を言うとあいつが生み出したものではない」
「ごく稀だがあるんだ、そんなことが」
「あいつは、他人の悪意に飲み込まれた」
「他人というか、あいつにとっての姉に」
姉が悪意となって(・・・・・・・・)、あいつを包み込んだ」
「レアケースもレアケース」
「俺が生きたこの四十年と少しでも、一度しか見たことがない事例だった」
「だが、あの時の俺は未熟で、あいつの|悪意《姉》を完全には祓えなかった」



「だからこそ、俺はあいつを発見できたのだがな」

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