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オーダーメイドはいかがかしら?

 次の日、仮病で初めて仕事を休んだ。朝起きると、妻はもういなかった。会社に行ったのだろう。僕は、部屋にある一冊の本を手にし、凛々さんの所へ向かう。こんなに朝早く、彼女はいないかもしれないという不安はあったが、いなければ待てばいい、ただそれだけだ。そう思いつつ、窓から店内を覗き込む。

 そんな不安をよそに、彼女は店の中を掃除していた。凛々さんは僕の視線に気が付くと、少し驚くような素振りを見せ、すぐに店の入り口の鍵を開け、中に入れてくれる。

 「どうなさったんですか、物井さん。こんなに、朝早く」

 「好きです、貴方が」

 今の僕に、踏み出す一歩を妨げるものは何もない。

 「凛々さん、貴方が僕に手を差し伸べてくれたあの日からずっと、貴方が好きでした。妻には、男がいます。だから、僕はもう自由になれる。凛々…」

 彼女は僕の手を、そっと握った。その手は、微かに震えている。

 「物井さん、私も優しい物井さんを、ずっと想っていました。本当に、私で良いんですか」

 「貴方じゃなきゃ駄目なんです。僕は貴方の為に、プレゼントを選びたい」

 ほんの少し目尻に涙を溜めて、凛々さんは笑った。僕も彼女と同じように笑み、そして家から持って来た、一冊の本を手渡す。

 「三日後、××駅に、十時頃、来てくれますか」

 彼女はその本を見つめ、僕の言わんとしていることが分かったのか、こくりと頷いた。その後、ほんの少し、彼女と未来について語り、店をあとにする。いつものように名頃惜しい気持ちは、微塵もなかった。これからは、ずっと一緒にいられるのだから。

 彼女は三日後、僕の渡した本を持って駅にいる。あの本は、本ではなく、へそくりを隠す為の、本型の貯金箱なのだ。だが、中にはへそくりなんて可愛い額が入っているのではない。学生の頃から貯めていた分や、株で貯まったそのへそくりで、僕らは新しい日常を送るための、準備をするのだ。彼女とのこれからを考える僕の心は、鉛色の空とは正反対に、明るい色であった。




 とあるバス停のベンチに、女が座っている。ジーンズのショートスカートから伸びる、品が良く長い脚は、組まれながらもその形と美しさを保っていた。そして、セミロングの髪は少々きつめに巻かれ、色白の顔によく映える濃いグロスが塗られている。その唇は、ほんの少し、微笑みを浮かべているかの如く、緩んでいた。そんな女の背後に、成金のような匂いを撒き散らした男が忍び寄る。女の真後ろに近寄ると、耳元でそっと囁く。

 「凛々さん、今日、帽子屋さんはお休みですか」

 「あら、二人しかいない常連のヅラでない方の方じゃありませんか」

 数秒後、一人は下品に、もう一人は静かに笑った。男は笑いながら、四季沢凛々こと、花野凛の隣に腰を下ろす。

 「待たせちまったな、凛」

 「それで、幾ら稼いだの。物井の女房からは」

 「たんまり貯め込んでたぜ、あの女。旦那からのプレゼント売ったりしてよ。おまけに、旦那と同じように隠れて、株なんかもしてやがった。まぁ、落ち着いてしばらく暮らせるくらいは、稼がせて貰ったさ」

 その言葉を聞いた凛の唇が、はっきりと笑む。

 「にしても、夫婦揃って騙されるとはねぇ。

挙句、お互い株で、へそくりを貯めてたり…

妙な夫婦だぜ。俺だったらあんな傲慢な女、御免だよ」

 「いいんじゃない、高慢な夫に傲慢な妻。お似合いじゃないの。身の丈の違う相手と一緒になれるなんて、分不相応な考えを持つから騙されるのよ。良い気味だわ。今頃、お互い何も知らず、待ち合わせの場所へ向かっているのでしょうね」

 「あの夫婦、俺達との待ち合わせ場所で、互いに鉢合うんだ、どんな顔すんだろうな」

「さぁ。絞ったカモには興味ないもの。どうにでもなればいいわ。私はちゃんと、チャンスをあげたもの、砂仏というね」

 「今の奴には、分かんねぇさ」

 「あら、私の名前だってヒントなのよ。逆さから…」

 彼女の言葉に重なって、遠くから、「凛さん」、「平助さん」と呼ぶ声がする。名を呼ばれた凛と平助は、声の方へ顔を向けた。視線の先には、どこにでもいそうな三人組の男が、大量の荷物を抱え、二人の方に走ってくる姿があった。

 「おい、遅ぇぞ。」

 「「「すいません。」」」

 「平ちゃん、やめてちょうだい。彼らは、今回の花火の重要な役割を担ってくれたのだから、怒ってはいけないわ。それに、私たちの荷物を持ってくれているのよ。」

 平助は、そっぽを向きながら唇を尖らせた。

 「いや、俺たちはいいんです。それより、凛さん、平助さん。俺たち、ヅラ毟り取る役とか、本当辛過ぎましたよ。勘弁です。マジで。次はもっと、マシなのにして下さいよ。」

 三人組の一人がそう話すと、残る二人も「うんうん」と首を縦に振った。凛と、そっぽを向いていたはずの平助は、顔を見合わせ笑う。

 「あら、駄目だったかしら。私なら、人生に、またとない経験だから張り切っちゃうけどなぁ。」

 「だな、人のヅラ取るとか、絶対ぇ人生において無いもんに近いんだぜ。光栄に思えよ、三人共。」

 「ちょっと、凛さんも平助さんまで。」

 「心が嘆きますって、あんなことしたら。」と、口々に三人が騒ぎ出す。そんなことをしている間に、バスがやって来たので、五人はそれに乗り込み、各々が好きな座席に離れて腰を下ろした。ただ、平助だけは、窓際に座った凛の隣に座る。

 それと同時に、大きく車体を揺らしながらバスは走り出す。凛は、窓ガラス越しに、地面を歩く人間を見つめる。彼らは、一切の光も携えぬ瞳に、捕らえられていることに気が付きもせず、自らの目的の場所へと歩いて行く。 

凛は、そんな人間に飽きたのか、視線を動かし、窓に映った自分を見つめた。それには、何の表情も見られない。凛は、しばらくガラスの中の自分を見つめ、それからゆっくり微笑んだ。

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