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材料は整いました。

 とてつもないタイミングで、とんでもないお誘いをしてしまった僕を、彼女は、さらっと受け入れてくれた。本来なら月曜日は、妻の為にあるのだが、とうとう僕は、その鎖を解いたのだ。しかし、凛々さんを誘ったことは良しとして、妻に何と説明して外出すればいいんだ…。

前日の夜に、それを思案していると、「明日、出掛けてくるから、貴方もゆっくりすれば」と、幸運にも妻の方から言ってきた。そういえば、妻は最近よく、誰かと外出することが多いようだ。僕が仕事を終えて帰っても、妻はいないことがある。それから服も、露出が高い物を着るようになった気がする。

 だが、今の僕にはそんなこと、どうでもいい。僕の頭は凛々さんで一杯だった。

 こうして、凛々さんと出掛けることができ、当日は、二駅向うにある百貨店へ行った。本音は、男女のお出掛けに定番な、動物園や水族館、遊園地等が良かったのだが、僕にはそこには行けない理由があったのだ。それは、凛々さんに、妻の誕生日プレゼントを、一緒に選んで欲しいという口実を用いて、外出を誘ったからである。よくある、駄目男の誘い文句だ。それも、あのタイミングで、こんなことしか言えない。僕はその程度の人間なのだ。こんな僕が彼女に釣り合うはずがない。けれど、僕なら彼女を幸せにできるとも、思ってしまう。妻のプレゼントを真剣に選んでくれている彼女を、自分の妻に見立てては、僕の為に、プレゼントを選んでいるという妄想だってしてしまうし、二人でレジに並んでいるその姿が夫婦に見えていないだろうかと、考えてしまう。ただ僕には、それを成す為に、一歩を踏み出す力が足りない。夢のような一日を過ごした日から、僕の頭から、そのことが消えなくなった。

 「物井さん、どうなさったんですか」

 凛々さんは、心配そうな面持ちで、僕を見つめている。彼女と出掛けてから、久々に店へ足を踏み入れた僕は、いつものように、中央の椅子に腰掛け、二人でお茶をしていたが、凛々さんの話が何も頭に入ってこないでいた。

 「あの、もしかして、私のお話は退屈ですか」

 「いや、そうでなくて」

 「でも、私がオーダーメイドの帽子屋を始めた理由を聞きたいと仰ったのは、物井さんですからね。つまらない話をしているのは、私のせいじゃありませんよ」 

凛々さんは、ほんの少し頬を膨らませながら、ティーカップを口に運ぶ。あぁ…ティーカップになりたい。僕が羨まし気に、彼女が持つそれを見つめていると、

「あっ」と、凛々さんは小さな声を漏らした。踊る心臓が口から飛び出さないように、僕は生唾を飲み込む。もしかして、僕のいかがわしい妄想を、彼女に悟られてしまったのではないかと、胸中には不安が渦を巻く。

 「やっぱり、お気に召されなかったんですか。私が奥さんに選んだネックレス」 

彼女のこういう所が、僕が女性に求める唯一である。凛々さんの言葉を聞いた途端、潮が干いていくように、心が平穏で満たされた。

 「そんなことありませんよ。妻の誕生日は今日なので、帰ったら渡すつもりなんですが、絶対に喜びますよ、妻は。だって、凛々さんが見立ててくれたような雰囲気のピアスとか、付けてますし。それに、僕がああいった雰囲気の物が好きなので、大丈夫ですよ」

 僕は彼女が自信を持ってくれるように、精一杯励ます。そんな僕を、いつかの悲し気な表情で見つめながら彼女は、いいな、とつぶやいた。

 彼女が言った言葉の意味を理解できず、彼女を見つめ、フリーズしていると、凛々さんは、すみません、と笑った。それは、弱弱しい笑みだった。

 「凛々さん、今のって、どういう…」

 「…。物井さんの奥さんが、羨ましいと思っていたら、つい、言ってしまって」

 「僕なんて、たいしたことしていませんよ」

 「私も…、物井さんみたいな奥さん思いの人と…一緒になりたいな」

 なれますよ、と僕は彼女に、言葉のボールを返せなかった。喉元に大きな、重い石のようなものが詰まって、言葉が出せない。

 僕はこの石を飲み込んで、言わなければならないことがある。けれど、どうしても一歩が踏み出せない。

 「御免なさい。変なことを言ってしまって」

 「いえ、別に気にしていませんよ」

 結局、僕は石を飲み込めなかったし、足を前に出すことも出来なかった。暫くすると、凛々さんは、何かを思い出したかのように席を立ち、店の奥に入って行く。少しすると又、戻ってきたのだが、その手は、妙なものを持っていた。彼女は、その妙なものをテーブルへ置き、先程と同じように、椅子に腰を下ろす。

 「変なことを言ってしまったお詫びというのも、どうかと思うようなものなんですけれど」

 「えっと…これは何でしょう」 その奇妙なものは、小皿の上に立ち、お盆に乗せられている。高さは文庫本程度しかない。ちなみにそれは、砂で作られているようだ。ご丁寧に顔なんかもあるのだが、見覚えのあるような表情であった。

 「あれ、ご存知ないんですか」

 「はい。流行っているんですか、これ」

 「仏様です。土仏ならぬ砂仏。お店に来る常連さんに頂いたんですよ。占いができるとかで」

 仏様と言われて、成程、だから見覚えがあるのかと納得した。僕は占い等には、興味がないが、砂でできた仏様を使ってどんな占いをするのか、不思議である。そんな気配を察したのか、何やら楽しそうにその砂仏占いについて、話始めた。彼女も女の子だから、占いの類が好きなんだなと、思いながら、僕は彼女に教わった通り、仏様をバケツに入れた。これが占いらしいのだが、水によって分解した仏様の面影もない、ただの土を見て、何が分かるのだろう。凛々さんは、嬉しそうにそのバケツを覗き込んでいたが、結果は教えてくれなかった。正確に言うと、教えてくれたのだが、一週間以内に分かりますよ、という曖昧なことで、僕には意味が全然分からない。だが、彼女が喜んでいるので、特に気にせず、寧ろ満足げに店を後にする。

いつもならもう少し、彼女との時間を過ごすのだが、なにせ今日は妻の誕生日。毎年恒例の誕生日祝いを、二人で行わなければならない。妻は結婚してから、僕があげた物を、一度も嬉しげに開けたこともなければ、使っているところも見たことが無い。溜息でも聞こえてきそうな顔で、機械のように、有り難うと、毎年繰り返す。

 凛々さんが選んでくれた、折角のプレゼントも、どうせ気に入らないのだろう。気に食わない者に貰った物なんて、どんな物でもその程度にしか、思えないからだ。

そんなことを考えながら、僕は玄関の鍵を開ける。ドアを開く前に、腕時計に視線を向けた。この時間だ。例年通りならおそらく、ケーキも花束も出前も全て、リビングのテーブルに並べられており、妻はどのワインを飲もうかと、悩んでいる頃だろう。一切を振り切る為に、勢いよくドアを押し開ける。

 だが、玄関はおろか、入口から奥に見えるリビングにさえ、明かりが付いている様子はみられなかった。




 玄関で物音がする。壁時計に目をやると、日付が変わってから、もう三時間以上は経っていることが分かった。ソファに座ったまま、後ろを振り返る。廊下とリビングの境目に、妻が立っていた。小馬鹿にしたような目が、じっと僕を見つめている。そんな冷めた顔と体を繋いでいる首には、真新しいネックレスが、ぶら下げられていた。僕の嫌いな派手で下品なデザインのそれを、妻が持っているのを見たことが無い。……誰かに貰ったのだろう。

 「それは」 

違うのだ。今、こんなことを聞くよりも先に、別の言葉をかけてやるべきなのに、僕にはそれができない。

 「貰ったのよ。誕生日のプレゼントに」

 「男か」

 妻は何も言わなかった。僕も薄々は気が付いていた。凛々さんと出会った頃くらいから、妻の雰囲気が変化していったことや、仕事からの帰りが遅かった理由も、本当は分かっていたのだ。だが、僕は気付いていないフリをした。けれどそれも、もう限界だ。気が付かなければならない時が、やって来たのだ。僕は何も話そうとしない妻をそこへ残し、自室に行った。その足は自分でも驚く程、軽い動きをしていた気がする。

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