第三十話
一瞬、訪れるは静寂。
続いて、何故か弛緩したような、戸惑っているかのような空気が広がる。
「……あー、一応そのつもりだったんだけどね。この国の王様に止められちゃって。私は国の代表者として来たわけじゃないって言ったんだけど」
気を取り直して、とばかりに肩をすくめ、クリム君の方を見やるレンちゃん。
まさか、クリム君って王様なのかな? とも思ったが。
クリム君はそれを、説明を求めているのだと思ったらしく、少し慌てた様子で説明してくれた。
それは、要約するとこう言う事らしい。
何でも今現在、ロエンティ王国は海へ続く運河を挟んで反対側にある国、イレイズ国と、運河の利権をめぐって揉めているそうで。
海の魔女の件もあり、今のところ戦争に至るほどではないにしろ、何かきっかけがあればたちまち火がつきかねない状況なのだという。
一昔前までは、それこそ『魔王』と呼ばれる共通の敵はいたらしいが。
今はこれといった敵もなく、遅かれ早かれお互いが睨み合うことは分かっていた、とのことで。
そしてそれは、二カ国間だけのものでは留まらなかった。
二国を挟む運河を利用する国も、当然関わってくる。
その運河は、この世界においても重要なもの、と言うことなのだろう。
そんな中、のこのこやってきてしまったレンちゃんたち。
本人らにその気はなくとも、スパイか何かと疑われるのは最早必然。
運河を航海する船の持ち主である、イアット家に近づくなど、何か企んでいるのではないか。
そう思われてしまうことを懸念して、彼女たちは必要以上にイアット家に近づけなかった、とのことで。
それならばロエンティの王城に泊まるのは大丈夫なのか。
といった話題になったわけではなかったが。
「ボクたちはギルドの宿でいいって言ったんだ。それなのに王が帰るまでここにいろって煩くて」
どうやらキィエちゃんが憮然としていたのは、そう言う事情も少なからずあったらしい。
すると、それに答えたのは心なしがつり目のつり上がったベリィちゃんだった。
「王族の自覚があろうがなかろうが、あんたたちがこの国に来たのは事実でしょ。それを会いもせずもてなしもせずなんて、こっちの品位が疑われるわ」
言葉の割には、まったくもって敬っていない様子。
それがあまりに堂に入っていたから、もしかしてベリィちゃんが王なのか?
なんて思ったりしたけど。
「あー、そう言われると、そうかもね。家では私なんて、みそっかすみたいなものだったからさ。王族の自覚、なんてこれぽっちもなかったや。反省だね」
「でもさ、海の魔女の問題はこっちの国だけの問題じゃないでしょ。だからさ、こんなわたしたちでも、できることないかなーってこっちに来たんだよ。何せうちの国じゃあ、そんな依頼なかったから」
ギスギスしているのは、キィエちゃんとベリィちゃんばかりで。
レンちゃんとジストナちゃんは、のんびりというか何と言うか、そこまで卑下することもないと思うよ、うん。
そしてそれが、キィエちゃんにも伝播したらしく、ほとんどため息に近い深い深い息を吐いて。
「そういうわけだから、ラウネちゃんに上手く言っておいてくれない? そもそも助けたのはあなたで、ボクたちは何もしてないようなものなんだし」
肩をすくめ、始まりの話題に戻るキィエちゃん。
「……うん。分かった」
ごしゅじんは、少しだけ考える仕草をして見せた後、そう言って頷く。
ごしゅじんも王族と呼ばれる地位にいたので、その不都合さ不便さに感じ入る部分があったんだろう。
ただ、ラウネちゃんのことを思ってか、その眉は下がりっぱなしであったが。
「ええと、それから後なんだっけ……あ、そうそう。パーティの件ね」
「あ……うん、パーティ組むって、約束したから……」
そして、改めてのベリィちゃんの言葉に、一層眉を下げておずおずと切り出すごしゅじん。
どうも、人より感情の起伏が激しいらしく、そんなごしゅじんに対し瞠目しているキィエちゃん。
顔がもう、何をいきなり世迷言を言い出すのか、って感じ。
「あの……駄目ならそれで」
当然それに気づいたごしゅじんは。
悲しげに、それでも分かっていたさ、とばかりにそう呟く。
それに焦ったのは、キィエちゃんの方で。
「た、確かにそう約束したわ。明日の依頼でいいなら、組みましょう」
「ふふ。偉そうだなぁ、キィエってば」
楽しげにほんわか笑みを浮かべ、レンちゃんはそんなちゃちゃを入れる。
キィエちゃんはそれに、いろんな意味で顔を赤くして、言い返す。
「あんたはもって偉ぶんなさいよ! だからボクがこんな役回りを……まぁいいわ。あんたについてく以上覚悟してるし。パーティ登録ね。確か代表者の立会いがいるんでしょ。ボクが行ってきてあげるから」
「あ、ありがとう」
「ふ、ふん」
完璧な笑顔で頭を下げるごしゅじんに。
ツンとしてそっぽを向くキィエちゃん。
あぁ、思いを素直に表現できない娘なんだねぇ。
おれっちはもしかしたら、とんでもない思い違いをしていたのかもしれない。
ごしゅじんが魔人族だと気づいて、あるい海の魔女の仲間だと知って、冒険者を差し向けた。
証拠もないのに、そんな風に思い込んで。
でも、そうしたら、あのたくさんの冒険者たちは何だったのだろう?
あれがごしゅじんと無関係だとは思えないんだけどなぁ。
それとも、その態度や言葉は嘘なのかな。
だとしたら、やっぱり女の子は怖いよね。
そう言う部分は、極力見なかったふりをしていたんだけど。
率先して人と触れ合いはじめているごしゅじんが傷つくようなことはなるべく避けたい。
おれっちはそう思い、鼻をひくひくさせる。
おれっちのトラの子七つ技、猫の嗅覚【サーチ・スーミール】。
既に何度も使っている能力。
それは、今となっては女の子の居場所を特定できるものになっているが。
元々、対象を指定し、深く深く嗅ぐことで、その魂の色、あるいは感情の機微まで読み取るものであった。
玄人で黒髪な友人との事件があり、その事に関しては信を失っていたが、やらないよりはましだろう。
読み取ると言っても結構曖昧で、考えていることとかが分かるわけじゃないんだけど。
できるのは、隠し事、嘘の匂いを嗅ぎ取ることで……。
「……っ!」
そんな事を考えつつ、さりげなく力を使用してみて。
よりにもよって、誰も彼もから漂ってくるその匂いに、絶句する。
と言うより、ごしゅじんの『嘘』の匂いが一番強かったからいたたまれない。
魔人族であることを隠しているから?
いや、それは聞かれないから答えないだけだろう。
楽器演奏の仕事も迷ってはいたが、やる方向ではあったので、それは違うと思える。
だとすると一体?
まさか、おれっちにも何か隠し事をしている?
思い立ち、意識してごしゅじんに鼻筋を寄せると。
ごしゅじんの思いだけを嗅ぎ取ろうと、集中すると。
それを証明するみたいに、『嘘』の匂いが強くなったような気がして。
おれっちはそれを、振り払うようにぶんぶんと首を振った。
第一、ただの愛玩動物に、敢えて隠し事をする意味なんてないじゃないかと、自嘲しながら。
そして、そのまま丸まるようにして深く深く考え込む。
言わなくていいことまで、信じてもらえないようなことまで正直に口にしてしまうごしゅじんが。
それでも隠そうとしていることって、一体なんなんだろうって……。
(第三十一話につづく)