第二十二話
「そ、それじゃ、触ったりするの、嫌かしら?」
伺いつつも、しゃがみ込んでおれっちと目を合わせる体勢でいるベリィちゃん。
「こらベリィっ、がっつ……そんな、はしたないですわよ」
どうもクリム君は、ベリィちゃん関連で地が出るようだ。
最も、声は完全に少女のものなので、妹ちゃんのような蓮っ葉な口を利いているようにしか見えないが。
「……おしゃが、いいって言うなら」
それはつまり、もふもふしても良いと言うことですねっ。
常日頃欲望に忠実なおれっちは、お許しの言葉を言い終えるよりも、ベリィちゃんが手を伸ばすよりも早く、首筋に爪立てるがごとく突貫する。
実際おれっちは、猫技を使わない限り子供猫なもので、立てられるような爪はないのだけど、
そこは勢い、というやつである。
「きゃっ!? も、もう。びっくりするじゃない。あーでも、ふわふわ、ちっちゃーい!」
悲しいかな、つっかえるものがなかったのでそのままずり落ちそうになったが、それでも落ちる前にその瑞々しい腕に抱かれる。
新しき楽園に鼻を寄せれば、かいだことのない花のようないい香り。
香水とも違うようだが、これはこれで新鮮ではある。
「ベリィ、ちょっと。わたくしもお願いしたいのだけど」
「え? ははーん。ようやくあなたも、可愛いものの魅力に気づいたのね?」
意地悪そうに、どこか嬉しそうにからかいの声をあげるベリィちゃん。
クリム君はクリム君で、そんなんじゃないですわ、なんて言って赤くなっている。
どうやら、おれっちを置き去りに勝手に話が進んでいるようだ。
何て言うか、熱々の恋人同士だけの異空間を感じてしまう。
当然、おれっちはその空間から逃げるように、身体を震わせた。
伸びてきたクリム君の腕を巧みに掻い潜り跳躍。
あっと二人が声をあげる中、おれっちが飛び込んだのは、桃をも超えうる母なる大地。
「あら、ほんとにふわふわねぇ」
おれっちの直接攻撃に、満更でもなさそうなウェルノさん。
「それに……これは『光(セザール)』の魔力かしら? この子を守るように覆ってる。これのおかげで大怪我しなくてすんだのね」
別に隠していたわけではないのだが、ウェルノさんもおれっちを包む光の衣の事に気づいたらしい。
額を、首元を撫でられ、条件反射でごろごろしつつも、そんな事を考える。
「『光(セザール)』? そっか。あんまり感じたことのない魔力だから気になってたけど、光の使い魔だったら、光の治癒魔法を使えばよかったんじゃ?」
続くベリィちゃんの言葉は、純粋な疑問。
それにごしゅじんは、眉根を寄せて頷いて。
「『光(セザール)』と『水(ウルガヴ)』の魔法は使えないんです……」
治癒、回復の魔法と言えば主にその二属性だと言われている。
その辺りは、この世界でも相違ないようだが。
内包する魔力の四割が『火(カムラル)』、もう四割が『闇(エクゼリオ)』な魔人族のごしゅじんは、その種族柄『水(ウルガヴ)』や『光(セザール)』を苦手としていた。
だからこそ、その身を構成するのが『光(セザール)』属性四割、『月(アーヴァイン)』四割なおれっちは、ごしゅじんにくっついて面倒見てもらっているのだ。
おれっちを守れとヨースは言い、ごしゅじんはそれを罰として受け入れたのだ。
ごしゅじんがその身に在る闇を存分に振るうことあれば。
おれっちの命の灯火など、簡単に消えてしまうことを、重々承知で。
「『光(セザール)』の使い魔でしたのね。初めて見ましたわ。わたくしにも、お手を触れさせていただいても?」
おれっちは、クリム君の真摯な言葉で、はっと我に返る。
そこまで丁寧に言われると、紳士な猫としては応えてあげるのが猫情と言うものだが。
おれっちの心的外傷は深いようで、無意識に身体が震え、拒絶の意を示す。
だが、ごしゅじんもウェルノさんもそんなおれっちにお構いなしに頷いてるからさあ大変。
「ふふ。くすぐったいわ」
逃げ場は深い深いやわっこい谷間のみ。
顔を突っ込む勢いでそこへ潜り込み、掴まらないようにはっしと丘陵にしがみつく。
「ははっ。やっぱりクリム嫌われてんじゃない。見る目あるわ。おしゃちゃん」
「ううぅ~っ」
本気で笑うベリィちゃんに、本気で悲しそうなクリム君。
さすがに良心が咎めたが、猫は自由気まま、もふもふは自らの意思で選ぶのだ!
なんて調子に乗って身をくねらせていると。
「みゃっ」
お馴染み猫持ち点(首のうら)を、ごしゅじんの冷たく細い指につままれる感覚。
おれっちはその瞬間、だらりと力を抜き、ぷらんぷらんとされるがまま持ち上げられ、地面に降ろされる。
「おしゃ、クリムさんも」
浮気なおれっちに対するいつもの愛(しっと)かと思いきや、発せられたのは有無を言わせない簡潔なもの。
簡潔な言葉だが意味は深い。
彼らは、ごしゅじんが理解する……本当の意味で仲良く、友達になれる存在かもしれない。
なまものとは言え、おれっちはごしゅじんの所有物。
ごしゅじんの事を考えれば、おれっちは受け入れるべきなのだ。
そもそも、避ける理由に、彼の落ち度はないのだから。
「みゃっ」
「わわっ」
かといって。
男子に抱かれるのは簡便してもらいたい。
代わりに一声鳴き、おれっちの方から飛び掛るように、そのすね毛すらない足に前足だけで取り付く。
それは、おれっちとしての、よろしくの合図。
「うう。悔しいですけど、可愛いですわ」
「でしょう、でしょう」
捉えた意味は多少違えど、ご満足いただけたらしい。
たっしたっしと二度ほど軽く叩くと、おれっちは身を翻し、だだだっと我が往生地、ごしゅじんの腕の中へと帰ってゆく。
「ふふ。それじゃあ挨拶もすんだことだし、案内するわね。ようこそ、ティカさん、おしゃちゃん。ロエンティ王国、レヨンの港町へ」
意味深長だけど、心底楽しげな笑み。
ウェルノさんが、そう言って手を広げる先には言葉通り、潮の香りの中……町並みが広がっている。
話したりもふもふしているうちに、到着していたらしい。
「みゃうん」
頷くごしゅじんと、言葉返すおれっちは。
こうして、ジムキーンと呼ばれる世界で訪れる最初の港町、レヨンへと足を踏み入れたのであった……。
(第二十三話につづく)