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第四話




 それは、七色の濁流。
濡れもせず、呼吸を奪うこともない。
それでも水……あるいは川にのまれるような感覚はあった。

虹泉を使うのはこの時が初めてだったに違いない。
どちらかと言えば水が苦手なごしゅじんは、最初は混乱し、ひどく暴れるような仕草を見せたが、すぐに大人しくなってしまう。
おそらく、防衛本能で意識を失ったのだろう。

だが、おれっちを抱えるその力だけはしっかりと残っていて。
相も変わらずの極上の感触。
我死に場所を見つけたり、なんて毎度の思いをかみ締めていると。
気付けばおれっちたちは、入った場所と同じような薄暗い、虹泉の光だけが頼りの岩場へと放り出されていた。


「……んぅ」

そこに水があるわけではないので、ごしゅじんへの衝撃はそれなりだったのだろう。
すぐに目を覚まし、何よりも早くおれっちの細い胴を掴んだ。

「てぃ、ティカっ。強いって、あんまり力入れると中身出るっ」
「あ……ごめん」

おれっちは見かけで言えばひ弱な子猫であるが、人ではない魔精霊という種族である以上、
そこいらの有象無象よりは頑丈な自信はある。

だが、おれっちたちオカリーの一族は、脆さの象徴でもあった。
今となってはこうしてごしゅじんばかりにくっついているけど、元々は『雷(ガイゼル)』の根源を信仰する人間達に代々仕えてきた種族で、力の有り余っている彼らの力の制御のためにおれっちたちはいたのだ。

おれっちにもずっとつるんでいた腐れ縁の幼馴染みがいたんだけど、おれっちよりもよっぽどか弱くて可愛い彼女さんができたことで、おれっちはお役御免となった。

それで、これからは好きに生きようということで、ヨースのお願いなんぞ関係なしに、ごしゅじんの愛玩動物の席に勝手に居ついていたわけだけど。

それにあたって、一つだけ問題があった。
赤仮面の妹ちゃんがひどくおれっちを恐れているのもそのせいなのだが、おれっちという存在は、魔を秘めし獣を表す『月(アーヴァイン)』の魔力と、彼女たち魔人族が特に苦手とする『光(セザール)』の魔力で構成されている。

『光(セザール)』の魔力に幼き頃からの心的外傷を持っている妹ちゃんならともかく。
陽の下を平気で闊歩するごしゅじんならば平気のような気もしたけど、念のためにおれっちはその魔力を極力外に出さないようにしていた。

あるいは、ごしゅじんの力の半分を占める、対なす『闇(エクゼリオ)』の魔力と反発し合わないようにしているのだ。

よって、所謂光の衣を着ていない今のおれっちの状態は見かけどおりの弱弱しい子猫程度の耐久力しかない。
まぁ、ごしゅじんの胸の中にいる以上、それでも危険はほどんどないのだが。

ごしゅじん自身、自分の力を自覚していないことが多々あるからなぁ。
それも、武器得物をあまり使うことのないお嬢で引きこもりの魔法使いなごしゅじんならではなのだろうが。


「ま、おれっちを一番に優先してくれたことに文句を言う筋合いはないんだけどね」
「……っ」

初めての虹泉での、異世界への旅行。
その過程で意識を失ったのにも関わらず、ごしゅじんはまずおれっちを探して心配してくれた。
それが嬉しかったから、おれっちはすかさず口に出す。
言葉の足らない彼女のぶんまで。

するとごしゅじんは、照れた様子でおれを抱え直してくれる。
内心では、おれっちなんかの言葉でもそういう素直な反応をしてくれるんだね、なんて自虐的なことを考えていたけれど。



「さて、見た目はあまり変わっていないけど、ジムキーンって世界に無事来られたのかな?」
「……」

改めてのおれっちの言葉に倣い、辺りを見回すごしゅじん。

「たぶん……魔力の質が違うから」

それは、それぞれの世界を構成するものが、という意味だろう。
おれたちの故郷であるユーライジアの場合、十二の根源……魔力で世界が創られていると言われている。
魔人族は、生まれながらにしてそれら魔力の感知、識別に秀でていた。
おれっちには世界に漂う魔力の差異なんてちぃとも分からないが、ごしゅじんが言うならそうなのだろう。


「そか。んじゃ、とりあえずここから出よう。まずは人のいるところへいかなくちゃ」
「……う、うん」

人のいるところ、という言葉だけで早くも伝わってくるごしゅじんの緊張感。
こりゃついてきて正解だったなって身に染みて思いつつ、おれっちは再び強くなった愛しき抱擁から泣く泣く逃れると、ととっと冷たい石の地面に降り立ち、すぐ目の前に見える階段を先行してゆく。


「……っ」

慌ててごしゅじんのついてくる気配。
おれっちはつかず離れずでずんずん階段を上がってゆく。

するとすぐにおれっちの鼻を刺激したのは、潮の香りだった。
単純に考えれば海が近いのだろう。

おいしい魚、まだ見ぬ珍味と出会えるかも、なんて思いつつうきうきで階段を上りきると、しかしそこは虹泉の明かりも届かない暗闇が広がっていた。

いきなり行き止まりか、なんて思ったけど。
耳を済ませばその闇の奥のほうから水の滴る音が聞こえてくる。


「ティカ、この先真っ暗だから明かりを灯そうと思うんだ。ちょっと目つむっていて」
「うん」

暗闇を照らすならば、ごしゅじんの得意な『火(カムラル)』の魔法という手もあるのだが、ごしゅじんの魔法の威力ときたらこういった非戦闘に向かないものばかりであることをお互いによく分かっていたので、おれっちは返事を待ってすぐに魔法詠唱を始める。

明かりの魔法程度ならば、天才猫のおれっちにしてみればその魔法そのものを表す『魔法名(タイトル)』だけで十分発動できたのだが、順を踏んで魔法行使をしたのには訳がある。

果たして異世界に来ておれっちたちの魔法がちゃんと発動し使えるのか。
基本的に人災天災レベルの魔法が主体のごしゅじんのための、試し撃ち、というやつである。

「……光の魔精霊セザールよ、わが身を糧にその力を顕現せよ! 【ライト・ウーラ】っ!」

実のところおおれっちが一番得意なのは月属性の魔法なのだが、それはある意味一番異世界で通用しないかもしれない魔法と言えた。

『月』。ユーライジアの世界における、夜を席巻する一番大きな星を指す古代の言葉。
その存在がなければ、魔法の発動は当然不可能だろう。
よって、二番目に得意な『光(セザール)』の魔法を使うことにする。

まぁ、魔法が発動するかどうかは、その魔法でさえ五分五分くらいに思ってたんだけど。
結果的に言えば、魔法は成功した。

いや、成功しすぎたといったほうがいいかもしれない。
おれっちの鼻先に突如として生まれたのは、おれっちの身体を余裕で覆い尽くすほどの光球。
それは予想以上の熱を持ち、おれっちのひげをよれよれと焼こうとしてくる。


「わわっち!」

というより、既に一本もっていかれてしまった。
なんとも言えぬ喪失感とともに、慌てて後退ったのがまずかったらしい。
おれっちの統制から逃れた光の球は、風に吹き散らされるみたいに闇の向こうへと飛んでいって……。


ドゴゥンッ!

まるで、ごしゅじんが一番得意な爆発の魔法を繰り出したみたいな炸裂音が辺りに木霊する。
それによって生まれた爆風になすすべなく吹き飛ばされていると、おれっちのわきの下に滑り込むは、冷たく華奢なごしゅじんの手。

そのまま手繰り寄せるようにして、おれっちはいつもの極上の柔らかさを誇る定位置へと戻される。


「ありがとう、ティカ。助かったよ……って、あれ? ティカ、その髪」
「……いつものだと、目立つから」

いつの間に魔法を行使していたのか。
暗がりに映えるごしゅじんの髪色は、いつもの煌びやかで特徴的な三色ではなく、黒水晶のごとき黒一色になっていた。

それはあるいは、ごしゅじんの背に隠されし翼と同じ色。
顔を上げそう言えば、着込んでいた複雑な魔法式の編みこまれた黒いローブで身を守っていたごしゅじんは、ぽつりとそんなことを呟く。

「そっか、そういや、初めて会った時もそうだったっけ」
「……うん」

今も昔も、魔人族という種族は色々な意味で生きにくい。
普段から、嵩張る翼を隠しているように、髪の色を変えるなどお手の物らしい。
ごしゅじんの魔法は攻撃にしか使えないなんていってごめんよ。

ちなみにその高そうなローブは、旅立つ前……ではなく、結構前に妹ちゃんからお誕生日のプレゼントとしてもらったというシロモノだ。

魔人族の弱点とも言える、『光(セザール)』属性や、『火(カムラル)』の名を持つものとしてどうしても相性の悪い、『水(ウルガヴ)』属性(敵対しているというより、単純に苦手)の魔法などから身を守ることのできる手作りの魔法の品である。
 

「でもおかしいな、何でこんな魔法の威力が高いんだ?」

もしかして、そのローブがなければ少なからずごしゅじんにも影響があったかもしれない。
そんなことを思いつつも、おれっちは悪びれずにそう呟く。

それは、迷惑をかけて当たり前、なんて傲慢不遜な自分でなければ、お互いがお互いを遠慮するようになってしまうからに他ならない。
簡単に言えば、ごしゅじんの傍にいるためには、手のかかる子猫でなくちゃいけないということなのだ。

今、こうして一歩を踏み出せたことで、もう大丈夫だろうとは思ってはいるけど。
今まではそのことだけが、ごしゅじんにとっての存在している価値に等しかったから。

おれっちは未だに恐れているのかもしれない。
ちょっと目を離した隙に、おれっちの手の届かない遠くへ行ってしまいそうになるごしゅじんのことを。


「たぶん……この世界の人は、根源の名前を知らないから……呼ばれたのが嬉しくて、たくさん集まってきたんだと思う」

ごしゅじんにしてみれば饒舌な言葉であったが、それでも一見すると曖昧な台詞。
だけど、おれっちにとってみればそれだけで充分理解できてしまった。

ようは、こういうことなのだろう。
このジムキーンと呼ばれる異世界は、どうやらおれたちの故郷であるユーライジアと世界を構成するものが同じらしい。

だが、何故かは分からないが、この世界には十二の根源のその御名が広まっていないのだろう。
ユーライジアの世界では、魔法を扱う時それぞれの属性の根源、あるいはその下に付く魔精霊の名前を魔法名に添えるのが基本だ。
それは、上級なものになればなるほど、顕著になる。

しかし、ジムキーンと呼ばれるこの世界には、その習慣がないのだろう。
おそらく根源以下諸々の名を口にせずとも魔法を発動できるのに違いない。
そうなってくると……。


「なるほど。へたに魔法を行使するのは控えたほうがよさそうだな。おれっちたちの世界の魔法は」

必然的に力を隠す必要性が高まってくるわけだが。

「大丈夫。こっちの魔法も教えてあげる」

すかさず返ってきたごしゅじんの言葉は、珍しくもどこか誇らしげだった。
それは、とっても悪くない傾向ではあって。

「それは頼もしい。世界屈指の魔法少女に教えを請えるとは。無敵猫になっちゃうね」
「ふふ」

そんな言葉に、ぽんぽんと、おれっちの額に触れつつ笑みをこぼすごしゅじん。
やはり、この世界は、ごしゅじんにとって馴染み深いものなのだろう。
思えば、ユーライジアで初めて出会った以前のごしゅじんのことを、おれっちはあまり知らなかった。
せっかくの機会だから、この旅を機にそのことをちょっと聞いてみようかな、なんて思う。

ただ、ごしゅじんの過去を知ることをそれほど重きに置いてはいなかった。
余計なことをがっついて詮索して、ごしゅじんに嫌われたくないって気持ちがあったからかもしれない。

それを、もっと早く聞いておけばよかったなんて思う羽目になるなんて。
その時は当然気付けるはずもなくて……。


           (第五話につづく)



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