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(1)戻ってきた日常

「おはようございます! あら、サイラス戻ってたの? 昨日の今日で早いわね~」
 職場である魔術師棟に出勤して、王宮専属魔術師がそれぞれの机を置いている広い部屋に入ったエリーシアは、ここ暫く休暇を取っていたサイラスが隣の席に着いているのを見て、明るく声をかけた。対するサイラスは、机の上に山積みになっている書類に目を通して捌きながら、淡々と答える。

「……まあな。長々と休んだし、これ以上好き勝手はできないだろう」
「それはそうでしょうけど」
 手元から視線を動かさないサイラスに、エリーシアは若干不満を覚え、次に思わせぶりに笑いながら話しかけた。

「だけど、随分派手にやらかしたわね。レノーラ神殿での顛末は、昨日のうちに凄い噂になってたわよ?」
「そうだろうな」
「ところで? そもそもの情報提供者の私に、報告は無いの?」
「……何の事だか」
 一瞬、ピクッと顔を引き攣らせながらも、サイラスは無表情で応じたが、そんな事で誤魔化されるエリーシアではなかった。

「とぼけないでよ! 彼女の縁談を妨害しつつ、しっかり色々進めて来たんでしょう?」
「ああ。しっかり妨害して、ルーバンス公爵家を蹴散らしてきた。これであの家も、少しは懲りて欲しいな」
 変わらず冷静に述べた同僚に、エリーシアの顔付きが徐々に険悪さを帯びてくる。

「……サイラス? あんたまさか、彼女と大した進展が無かったとか、ふざけた事は言わないわよね?」
 そう彼女が凄んでみせると、サイラスは漸く顔を上げて、不本意そうに彼女を見上げた。
「人を猫の姿にしておいて、何をどう進展させると言うんだ、お前は?」
「だって途中から人の姿に戻って、駆けずり回ってたんでしょ? 昨日の一件にも、裏で大いに絡んでいた筈だし」
 小さく肩を竦めたエリーシアが当然の如く話した内容を聞いて、サイラスは慌てて問い質した。

「エリー、ちょっと待て。どうしてそれを知ってるんだ?」
「少し前にジーレスさんから、私に連絡が有ったのよ。『色々こき使われて、そちらに戻るのが遅くなりそうなので、エリーシア様の方から上司や同僚の方々に取りなして頂ければ助かります』って」
 平然と言われた内容に、サイラスは本気で驚く。

「は? なんだそれ。聞いてないぞ!」
「後見してくれているファルス公爵の懐刀に頭を下げられちゃったら、無碍に断る訳にいかないじゃない。しっかり皆にジーレスさんから聞いた事情を説明した上で、あんたの分まで頑張って仕事してあげてたのよ? 感謝しなさい」
「……それはどうも」
 うんうんと一人満足げに頷いたエリーシアに、気の抜けた感謝の言葉を述べたサイラスが改めて周囲を見回してみると、既に出勤している同僚達から例外なく生温かい視線を向けられている事が分かり、机に突っ伏したくなった。

(ジーレスさん、気遣いの方向性が違う……。ソフィアの情操教育云々の話が出ていたが、やっぱりデルスって、かなり問題がありそうだ……。と言うか、有って当然か)
 そこでがっくりと肩を落としたサイラスに、容赦なくエリーシアが突っ込みを入れる。

「それで? まさか本当に、ソフィアさんとは何も進展が無かったとか、間抜けで甲斐性が無さ過ぎる話になっていないでしょうね?」
「…………」
 その問いかけに黙って視線を逸らした彼を見て、エリーシアは思わず声を張り上げた。

「あっきれた! あんたこの間、一体何やってたのよ! 大体ね」
「エリー、ちょっと」
「こっちに来なさい」
「え? あ、魔術師長、副魔術師長、おはようございます」
 声を荒げた所でいきなり両脇から上司二人に腕を取られたエリーシアは、多少驚きながらも大人しく引っ張られる方に移動した。そして少し離れてから、クラウスとガルストが彼女に言い聞かせる。

「いいか、エリー。今日一日位は、サイラスを仕事に集中させてやれ」
「一番落ち込んでるのは、彼なんだからな」
「はぁ……」
 真顔での指示に、彼女が納得しかねる顔付きながらも頷くと、サイラスが思い出した様にエリーシアに声をかけながら、何か小さな物を彼女に向けて放り投げた。

「ああ、そうだエリー。これ、受け取ってくれ」
「え? ちょっと、何?」
 エリーシアが反射的に受け取った、手の中の半透明の水色の石をしげしげと眺めると、サイラスが説明してくる。

「昨日の神殿での一部始終を、それに記録してあるんだ。シェリル殿下がご所望だと、モンテラード司令官から要請を受けたからな。後からで良いから殿下の所に届けて、映像を映し出してくれ。俺が後宮に出向くと、色々手続きが厄介だから」
「分かった。預かってシェリルに見せるわ」
「頼む」
 特例として後宮の一角に部屋を得ているエリーシアにとっては、そんな事は全く手間では無いため、サイラスの申し出を快く了承した。

 それからエリーシアは上司二人に言い聞かされた為、サイラスに突っかかる事無く一日の仕事を終えて、住居である後宮に戻った。そしていつも通り義妹のシェリルと同じテーブルで夕食を食べながら、日中預かった物について告げた。
「シェリル、昨日の結婚式の一部始終を撮った録画石、サイラスから預かって来たんだけど、夕食後に見ない?」
 するとシェリルは途端に目を輝かせて、その提案に食いつく。

「あ、見る見る! 見たい! 途中まで参加してたけど、帰った後どうなったのか気になってたのよ。午後から出て来たソフィアから、簡単な経過は聞いたけど」
 それを聞いたエリーシアは、ちょっと意外そうな顔になった。

「ソフィアさんも、今日から復帰してたんだ。姿が見えないから、明日から出仕するのかと思ってたわ」
「色々あるみたいで、女官長の所に報告と挨拶に行ったきり、まだ戻ってきて無いのよ」
 そこで我慢できないと言った感じで、リリスがお伺いを立ててくる。

「シェリル様! 私も一緒に見せて頂いて構いませんか!?」
「ええ、勿論よ。皆で一緒に見ましょう」
「やった! 王宮内で凄い噂になってて、どんな状態だったのか詳しく知りたいと思ってたんです!」
 そして夕食を済ませると、エリーシアは早速録画石を起動させて、白い壁面に昨日の結婚式の映像を投影し始めた。

 最初は面白半分で見ていたエリーシアとリリスも、ルセリアが下級貴族やシェリルを馬鹿にする発言をした所で揃って憤慨し、シェリルが「あれは演技だから」と宥める一幕もあった。
 更にルセリアが倒れた後、シェリルを初めとする参列者が出て行った後のルーバンス公爵家の言動には三人とも憤り、特にロイがルセリアを蹴りつけようとした事に対して、盛大に非難の声を上げた。

「しかし何なんですか、あれは!? 無抵抗の女性を蹴ろうとするなんて!」
「許せないわね! 目の前に居たら、ズタボロにしてやるのに!」
「リリス、エリー、お願い、少し冷静に」
「二人とも、そんなに怒らないで下さい。ちゃんとあの馬鹿には、天誅を下して来ましたから」
 そこで女官長室から戻ってきたソフィアが、憤慨した二人を宥める様に背後から声をかけてきた為、皆慌ててそちらの方に視線を向けた。

「あ、ソフィア、お帰りなさい」
「天誅って、なんですか?」
「殺すわけにはいかないから、ちょっと殴ってきただけなんだけど。勿論、こちらの身元は分からない様にしてきたから、問題ないわ」
「はぁ……、そうですか」
 にっこり微笑みながらソフィアが説明した内容を聞いて、他の三人は(どうやって身元を知られずに殴れるんだろう)と疑問に思ったが、なんとなく深く考えてはいけない様な気がした為、敢えて誰もそれについて尋ねなかった。

 そして投影が終わって、エリーシアが録画石をしまい込んだと同時に、ソフィアが控え目に声をかけてくる。
「エリーシアさん、ちょっと良いですか?」
「あ、はい。構いませんが、何か?」
 すぐに応じたエリーシアに、何故かソフィアは控え目に尋ねてきた。

「その……、エリーさんの職場って、今は忙しいかしら?」
「確かに暇では無いですが、いつもの事ですし。どうかしましたか?」
「その……、今回サイラスに随分お世話になったから、今度夕食でも奢ろうかと思ったんだけど……。休み明けで仕事が溜まっているだろうし、忙しいわよね?」
 そんな事を言われて「はい、無茶苦茶仕事に忙殺されてます」などとは口が裂けても言えなかったエリーシアは、笑って手を振りながら否定した。

「そんな事ありませんって! 確かに忙しいですけど、定時上がりシフトならスパッと帰る人は多いですし、予め予定が分かっていれば、そこを空ける事位できますよ。遠慮無く声をかけてやって下さい」
「そう? それならそうしてみるわ」
 まだ幾分迷っている表情ながらも、ソフィアがそう口にした為、エリーシアは内心で快哉を叫んだ。

(よっしゃあ! ソフィアさんの方から動いてくれるとは、全然思ってなかったわ! だけどこれは、千載一遇のチャンス! サイラスにしっかり言い聞かせて、上にシフトを調整して貰う様に掛け合わないと)
 何となく考え込んでいるソフィアを横目で見ながら、エリーシアは早速翌日出勤したらしなければいけない事を、頭の中でリストアップしたのだった。

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