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(15)漆黒の旋風

 ソフィア達が邸内に戻る前、イーダリスの部屋に寝床を作って貰って、連日そこで休んでいたサイラスは、いつも通り蹲って寝ているふりをしながら、自分にできる最大限の警戒をしていた。その耳に窓の方から、微かな悲鳴が届く。
(何だ? 庭の方から声が聞こえた様な……。例の連中か!?)
 耳をピクリとさせた次の瞬間、サイラスは勢い良く立ち上がり、そのまま窓の方に駆け出した。更にその勢いそのままに身体を跳ね上げて出窓に飛び乗り、前脚でカーテンを開けてみる。

「ぎゃあぁぁっ!!」
「助けてくれぇぇっ!!」
 男達の悲鳴は先程よりは聞こえる様になったものの、まだはっきり聞き取れる程では無く、庭も暗闇に閉ざされて時折何かが一瞬煌めいて見えるだけで、サイラスには今一つ状況判断ができなかった。

(何なんだ? ソフィアが対応してるとは思うんだが、何をやってるのか……。とにかく、イーダリスを起こすか)
 そこでサイラスは一度床に飛び降り、イーダリスが寝ているベッドに駆け寄ってそこに飛び乗った。

「にゃうっ!! にゃにゃあ、にゃあにゃ~!」
 盛大な鳴き声を上げながら、皮膚を傷付けないように慎重に爪を引っ込めた前脚でイーダリスの顔を叩き続けると、さすがに覚醒した彼は、寝ぼけ顔でサイラスに目を向けた。

「……サイラス? どうかしたのか?」
「にゃうっ! にゅにゃ~あ?」
 窓の方に身体を向けながら精一杯訴えると、予めその予想が付いていた彼は、上半身を起こしながら苦笑いする。

「ああ……、本当に馬鹿な連中が来たんだな。サイラス、ちょっと騒がしいかもしれないけど、馬鹿な連中が姉さんにお仕置きされてるだけだから、放っておいて良いよ」
「にゃお~ん? にゃ、にゃあ!」
(薄々それは察してたが、なんでソフィアがそんな事をしてるんだよ?)
 サイラスがイーダリスを見上げながら尋ねると、彼はベッドの上に座り込んで、疲れた様に話し出した。

「はは……、サイラスには分からないだろうけどさ、世の中にはどうしようもない事とか、不条理な事が一杯あるんだよな……」
(なんだこの、いきなり暗くて重い空気は?)
 若干虚ろな目で乾いた笑いを漏らす彼に、サイラスは思わずたじろいだ。そして猫相手に大真面目に話をする構図が、既に正気を疑われかねない物だと気付いているのかいないのか、イーダリスが淡々と話し出す。

「我が家はファルス公爵家に大恩があって、姉さんは助けて貰った時から公爵に心酔してたんだ。それでまだ子供だったにも係わらず、侍女奉公を願い出てね。勿論両親は止めたし、公爵様も困惑してたけど、本人が押し切って」
(うん、それ位、やるだろうな)
 思わず素直に頷いたサイラスを見て、イーダリスが思わず小さく笑う。
「サイラスも、姉さんの気の強さは分かってるんだ」
 しかしそう言ったイーダリスは、急に沈鬱な表情になって独白を続けた。

「だけど、姉さんは侍女として仕えるだけでは満足しないで、『もっと公爵様のお役に立ちたいの』と切望して、当時ファルス公爵邸に仕えていたあらゆる人達に声をかけまくったんだ。それで皆さん快く、姉さんの指導をしてくれたんだけどさ……」
「なぅん?」
 そこで不自然に言葉が途切れた為、サイラスが首を傾げると、イーダリスがボソボソと話を続けた。

「剣術……、一体何があったのかは知らないけど、『才能が無いから諦めてくれ』ってはっきり言われたそうで……」
「……みゅ~ん」
 何か色々あったんだろうなと思いつつ、サイラスはただ大人しく頷いた。

「領地の管理官を目指そうとしたら……、姉さん頭は悪くないのに、金勘定だけは早いけど、他の計算能力が人並み以下だったんだよな……。管理官ともなれば計画を立てたり、運営上の補正をしたり色々と」
「なぅ!」
 なにやらずるずると話が長引きそうな気配を察したサイラスが一声鳴くと、イーダリスは我に返った様に正面のサイラスを見下ろした。

「あ……、ああ、ごめん。延々とこんな事を話してもつまらないよな? それから、『公爵様ご一家の健康管理に一役買うのよ!』って言い出して、調理長に弟子入りしたんだが……」
「にゃ? なぅ~ん?」
 再び説明が途切れた為、サイラスが続きを促す様に鳴いてみると、イーダリスは深々と溜め息を吐いてうなだれた。

「なんだかさぁ……、『もう才能の有無とかそういうレベルじゃない』とか言われたらしくてさぁ……。本当に、どういう事だよ!? ごく偶に公爵家にお邪魔する時に、事情を知っているらしい人に尋ねてみても、全員目を逸らして教えてくれないしさ!! 公爵様のお屋敷で、一体何をやらかしたんだよ、姉さん!?」
 些か投げやりに話し出したかと思ったら、話の途中でイーダリスが勢い良く顔を上げた。そして血走った目で自分を凝視してきたと思ったら、両手で身体を掴んで前後に激しく揺さぶりつつ訴えてきた為、サイラスは本気で悲鳴を上げた。

「にゃにゃ~っ!! うにゃあっ!! みぎゃあっ!」
(こら、落ち着け錯乱するな! 俺はソフィアじゃないぞ!!)
 サイラスの激しい抗議の声に、イーダリスはすぐに我に返った。
「あ……、サイラス、悪い。つい取り乱した」
(本当に、何なんだよ……)
 ぐったりしながら溜め息を吐いたサイラスだったが、気を取り直したイーダリスの独白が続いた。

「それで潔く諦めれば良い物を……。姉さんは影部隊の責任者のジーレスさんに『働かせて下さい』って直訴して……」
「なぅ~ん?」
 聞き慣れない単語を耳にしてサイラスが首を傾げると、イーダリスは人間に対する様に律儀に説明してきた。

「ファルス公爵家には勿論れっきとした私兵集団は存在しているんだけど、彼等とは別に秘密裏の探索とか、情報操作とか、護衛とか、時には襲撃や暗殺もこなす特殊部隊があるんだよ。それがさっき言った、影部隊って事。まあ、こんな事を言っても、サイラスには分からないと思うけどさ」
「にゃ、にゃ~っ!!」
(ちょっと待て!! その話の流れで行くと、まさか!?)
 動揺して思わず声を上げたサイラスだったが、イーダリスは淡々と話を続ける。

「まとわりつかれたジーレスさんは当時相当困ったそうだが、ファルス公爵から『暫く訓練させたら、さすがに音を上げるだろうから』と言われて、仕事の合間に手ほどきする事になったらしいんだ。そうしたら音を上げるどころか、めきめきと頭角を現してしまって……」
「うなぁ~ん」
(やっぱり、そうなるのか……)
 予想通りの話の流れにサイラスはがっくりと肩を落とし、イーダリスは益々沈痛な顔付きになって話し続けた。

「ジーレスさんからは魔術以外の探索技術と情報収集の手段を、オイゲンさんからは格闘技を一通りと、あらゆる暗器の取り扱いを。あ、暗器って言うのは、通常の剣や槍、弓とかの範疇に入らない、特殊な武器を纏めてそう言うんだけど」
「……みゃおん」
(猫相手に、丁寧な解説をどうも)
 真顔で付け加えてきた彼に、サイラスは心の中で思わず突っ込んだ。

「それからファルドさんからは、ありとあらゆる毒劇物の調合と取り扱いの手ほどきを……。今ではすっかりファルス公爵家影部隊『デルス』の一員で、『漆黒の旋風』なんて二つ名まで持ってて……」
(なんかもう……、何も言えない)
 サイラスが再び項垂れたが、イーダリスは惰性的に話を続けた。

「そもそも姉さんが王宮に派遣されたのも、シェリル姫様の身の回りのお世話と護衛の他に、あの偽物第一王子の騒ぎで不穏になってた王宮内の内偵と、公爵からの指示があれば、偽王子を即座に始末する役目を帯びてたわけだし」
「ふぎゃ!?」
(おいおい、ちょっと待て! するとまかり間違ったら、俺は彼女にざっくり殺られてたかもしれないって事か!?)
 とんでもない内容を聞かされて、サイラスは思わず叫び声を上げて文字通り飛び上がった。しかしここで、イーダリスが不思議そうな顔付きになる。

「でも聞くところによると、最近姉さんは当時偽ラウール王子を演じてたサイラスさんとは、最近王宮内で立ち話する程度には仲が良いらしいし。……あれ? そう言えば、お前の名前はサイラスさんから取ったのかな? 姉さんとどういう関係なんだろう?」
「…………」
 そんな事を呟いてイーダリスは真顔で考え込んでしまったが、もう何も言う気力が無かったサイラスは、このままベッドに突っ伏したい気持ちを気合いだけで堪えた。しかしイーダリスは彼以上に色々思うところがあったらしく、深刻な顔付きで誰に言うともなしに訴え始めた。

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