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運命の出会い

 気が弱くて流されやすいけど、善良な父親。少々見栄っ張りだが、家族には優しい母親。生意気な弟と理屈っぽい妹に囲まれた穏やかな生活が、このまま永遠に続くと信じて疑わなかったエルセフィーナだったが、ある晩その幻想が、いとも容易く打ち砕かれる事になった。

「ねえ、ベラ。何だか下が煩くない?」
 寝室で二歳年下の妹と共に、世話役の老女によって寝間着へと着替えさせられている最中、何やら屋敷内が騒然としてきたのを感じたエルセフィーナが、怪訝な顔をしながら尋ねると、相手も僅かに顔を顰めながら頷いた。

「そうでございますね……。私が様子を見て来ますから、お嬢様達は着替えていて頂けますか? 使用人達が酔って暴れているのなら、叱り付けてやらないと」
「あまり怒らないでね?」
 心根の優しい妹がそう言った為、エルセフィーナも無言で頷く。それを見たベラが、厳めしい表情を和らげた。

「お嬢様達がそう仰るなら、仕方がありませんね」
 そう言って出て行った彼女を、二人は完全に着替えを済ませて待っていたが、なかなか戻って来なかった。そして隣の妹が軽く欠伸をしたのを認めたエルセフィーナは、待つのを諦めて妹に声をかける。

「ベラ、遅いわね。ちっとも静かにならないし。先に寝てしまいましょうか」
「はい、姉様。そうしましょう」
 本当は寝る前に本を読んで貰うつもりだったのだが、二人は潔くそれを諦め、寝室へと続くドアに歩み寄って、そのドアノブに手をかけた。しかしその時、乱暴な足音が近付いて来たと思ったら、蹴破られる様にいきなり廊下に続くドアが開かれ、人相の悪い男が三人、部屋の中に踏み込んでくる。

「あなた達は誰ですか?」
 一瞬呆然としたものの、咄嗟に妹を背中に庇って問い質したエルセフィーナだったが、男達は足音荒く二人に詰め寄って、とんでもない事を言い出した。

「あんたの父親が借金している、ハーグマンさんの手のもんだよ。ハーグマンさんに、借金のカタにあんた達を連れて来いって言われてんだ。ほら、大人しくしてろよ?」
 そう言いながら、いきなり少女達を一人ずつ乱暴に肩に抱え上げた男達は、躊躇う事無く玄関ホールに向かって歩き始めた。

「っ! 何するのよ!?」
「きゃあぁっ! 姉様!!」
「ネリア! ちょっと! 離しなさい!!」
 恐怖のあまり泣き叫んでいる妹を見て、エルセフィーナも手足をバタバタさせて抵抗すると、彼女を抱えていた男が盛大に舌打ちする。

「ったく、うるせぇな。手と口を縛るか?」
「奥方と娘を捕らえたら、騒ぎになる前にとっとと引き揚げろって言われてんだ。急ぐぞ」
「分かった。しかしこんなガキ、五月蠅くて手間がかかるだけだろ。なんで連れて行く必要があるんだよ」
 まだ不満げに呟く男に、手ぶらで前を歩いている男が、嫌らしく笑いながら理由を告げる。

「そこはそれ、小娘じゃなきゃ駄目だって御仁も多いから、それなりに用途はあるのさ。これだけの容姿なら、それなりの金にはなるだろうな」
「ああ、なるほど。俺はごめんですがね。ガキ相手に何をしようってんだか」
 そんな会話を交わして下品に笑い合う男達に運ばれながら、エルセフィーナは混乱している頭の中で、必死に考えを纏めようとした。

(借金? 確かにうちは、他の家と比べたら質素な生活をしてるかもしれないけど、子爵家なのよ? 狭いけど、領地もあるのよ? それなのに、どうして私達やお母様が、借金のカタに取られる羽目になるわけ!?)
 真っ青になりながら答えの出ない自問自答を繰り返しているうちに、階段を下りて玄関ホールへと下りた。すると父親が自分を担ぎ上げている男に体当たりしつつ、悲痛な声で叫ぶ。

「待ってくれ!! 借金は必ず返す! だから妻と娘を連れて行くのは止めてくれ!」
「うっせんだよ、オッサン!!」
「ぐあぁっ!!」
「お父様!?」
 男の背中側に頭があったエルセフィーナには詳細が分からなかったが、何かの衝撃音と父親の呻き声に、殴られたか蹴られたかして床に崩れ落ちたのを察する事ができた。そして憤っている少年の声が、あまり大きくないホールに響き渡る。

「何をする!! お前達の傍若無人ぶりを、陛下に訴えるぞ!?」
 聞き間違えようも無い弟のイーダリスの声に、彼にまで暴力を振るわれるのではないかと、エルセフィーナは更に顔を青ざめさせたが、予想に反して周囲からは冷笑の気配が漂った。

「ほおぉ? 威勢の良い坊ちゃんだな。いいぜ? 訴えたいなら国王陛下に『借金で首が回らなくなって、土地を取り上げられかけてます』と、窮状を訴えてみろよ? もともと貴族の土地なんて、国王陛下から管理を任されてる様なもんだろ? そんな管理不行き届きな家に、大事な領土を任せておけるかって事になって爵位は取り上げられ、領地は王家直轄領になって、あんた達の借金が丸々残るだけだ」
「……このっ」
 如何にも悔しげな弟の声に、エルセフィーナは一生懸命首を伸ばして周囲の様子を窺ったが、十数人の用心棒風体の男達に剣を付きつけられている屋敷の者達は、顔を蒼白にしたまま黙っていた。それで彼女には、男の言葉が真実だと分かる。

「屋敷の中には、もう売っぱらえそうな目ぼしい物は無いし、どの道、今手っ取り早く金になるのは、この家では女子供だけだってことだな。利息すらもきちんと払えない、あんたが悪いんだぜ? ああ、今度はその坊主の買い手も探しとくから、次に来るまでにその生意気な口をマシにさせておけ。その方が高く売れる」
「何だと!? 無礼にも程があるぞ!!」
「若様! お止め下さい!」
「危ないです!」
 言いたいだけ言ってさっさと男が歩き出し、いきり立つ弟とそれを必死に抑える周囲の姿を、その前を通り過ぎながら認めたエルセフィーナは、とうとう我慢できずに泣き叫んだ。

「父様! イーダ! 助けて!!」
 その声を耳にしても、父親であるカールストは床に座り込んだままぴくりと僅かに肩を動かしただけだったが、イーダリスは血相を変えて男達に追い縋ろうとした。

「待て、お前達! 母様と姉様を返せ!!」
「イーダリス様!」
「お待ち下さい!」
「お前達、離せ!!」
 そして正面玄関のドアが閉められ、涙で滲んだ視界の中から揉み合っている弟達の姿が消えると、抱き上げられた時と同様に乱暴に地面に下ろされたエルセフィーナは、目の前の馬車に、いつの間にか恐怖の余り気を失っていたらしい妹が、押し込められるのを見た。

「ネリア!」
「アルメリア! 大丈夫!?」
「ほら、お前もさっさと乗れ」
 馬車の中から、母親の狼狽し切った声が聞こえてきたと思った瞬間、エルセフィーナも突き飛ばされる様にして、狭い馬車に乗り込んだ。すると予想通り、気絶したままの妹を抱きかかえた母親と対面する。

「ソフィア、怪我はしていない?」
「大丈夫。ネリアも気を失っているだけの筈よ」
 いつも通りの愛称で呼んでくれた母に、若干落ち着きを取り戻したエルセフィーナだったが、閉められたドアの外から、嘲笑する様な声がかけられた。

「一応言っておくが、逃げようなどと思うなよ? 馬車が走っている最中に飛び降りたりしたら怪我するし、周りに俺達の馬が並走してるから、踏まれたらその場であの世行きだからな」
 そこまで言われて抵抗などする気も無く、母娘は顔色を無くしたまま、身を寄せ合って馬車の床に座り込んだ。そして緩やかに動き出した所で、「待て!」と言う叫び声と共に、騒動が沸き起こる。

「このガキ! さっさと降りろ!」
「誰が降りるか! 母様達をここから出せ!」
「もういい、時間が押してる。このまま行くぞ。そのうち勝手に落ちる。ほっとけ」
 馬車の後方でのそんなやり取りの後、勢い良く速度を増して走り出した馬車の中で、この馬車の後方にイーダリスが取り付いているのだと悟ったアリーシャとエルセフィーナは、慌てて両側の窓に取り付いて声を限りに叫んだ。

「お願いです、馬車を止めて下さい! 息子が落ちてしまいます!!」
「イーダ! これ以上速くなる前に、降りなさい!!」
「嫌だ!! 誰が降りるか!!」
「イーダ!!」
 母娘が揃って本気で叱り付けたところで、リーダー格の男が馬で並走しながら、御者に向かって叫んだ。

「へえ? 貴族のお坊ちゃんにしては、なかなか良い根性してるじゃないか。褒めてやるぜ。おい、振り落としちまえ!!」
「そんな!」
「ちょっと、止めて!!」
 馬車の中から悲鳴が上がったが、御者はそんな事にはお構いなしにスピードを上げ、石畳の道を左右に馬を操りながら駆け抜ける。するとそれ程時間がかからずに、馬車の外から男達の歓声が伝わった。

「やっと落ちたか」
「まあ、ガキにしちゃあ、頑張ったか?」
「誰か踏んだか? 動かねえが」
「さあ、頭でも打ったか? でも俺達の責任じゃねえよなぁ?」
 そう言ってゲラゲラ笑う声にアリーシャはとうとう意識を手放し、エルセフィーナは慌てて再び窓枠に飛び付いた。そして険しい顔を窓から出して道の後方を眺めると、確かに弟らしき人影が石畳に倒れ伏していたが、丁度その時通りかかったらしい者が、馬から下りて様子を窺う為に屈んだのが目に入った為、幾らかは安心した。

(夜なのに、通行人がいて助かったわ。あの人がちゃんとイーダを介抱してくれるなり、屋敷に連絡を取ってくれれば良いんだけど……)
 取り敢えず弟の事は何とかなりそうだと安堵し、放心状態で母と妹の横で座り込んでいたエルセフィーナだったが、すぐにまた馬車の外で新たな喧騒が沸き起こった。

「何すんだてめぇ!?」
「悪いが、その馬車の中を検めさせて貰う」
「ふざけんな、皆、やっちまえ! ……ぐあぁっ!!」
「すまないな。我が主の命なのでね」
 何やら揉める声が聞こえてきた後、勢い良く馬車が止まり、エルセフィーナは何事かと顔を強張らせた。それから滅多に耳にした事が無い剣の打ち合う音や、雷の様な衝撃音が響いて来たが、それは男達の悲鳴が続いて聞こえてきた後、すぐに消えて辺りが静寂に包まる。そして母のドレスと妹の夜着を掴んでエルセフィーナが固まっていると、静かに馬車のドアが開けられ、二十代後半の男が姿を見せた。

「失礼します。ファルス公爵家に仕えております、魔術師のジーレスと申しますが、こちらにおられるのはステイド子爵夫人と、御令嬢お二人で間違いございませんか?」
「は、はい! エルセフィーナ・ジェスタ・ステイドです。初めまして。こちらは母と妹です。二人とも気絶しておりまして、申し訳ございません」
 丁重に尋ねられた為、座ったまま慌てて礼をしたエルセフィーナに、ジーレスは優しく笑いかけた。

「いえ、そのままで結構ですよ。弟殿はファルス公爵家で保護して、そちらの馬車に同乗して頂いています。幸い医師も同行しておりますので、すぐそちらのお屋敷に戻って治療致しましょう」
「あの、でも、あの人達は……」
「ああ、全員静かに寝て貰いましたから、心配いりません」
「え? 寝てって……、何で……」
 いきなりそんな事を言われても、咄嗟に状況が理解できなかった彼女が口ごもっていると、ジーレスの背後から身なりの良い、彼よりは年嵩の男が声をかけてきた。

「どうした、ジーレス。御婦人方に怪我でもあるのか?」
「いえ、公爵様。気を失っておられるだけとの事です」
(公爵様って……、まさかこの人がさっき言ってた、ファルス公爵様ご本人!? そんな大貴族が、どうしてこんな所に現れるわけ!?)
 先程までとは違った意味で動揺していると、そんなエルセフィーナの様子を見て勘違いしたらしく、ファルス公爵アルテスは、若干憤りながら彼女に言い聞かせた。

「随分怖い思いをしたね。でも、もう安心しなさい。君の弟から簡単に話は聞いたが、ハーグマンは元から評判が良くない男でね、私もこれまで水面下で色々調べていたんだ。ここで出会ったのも何かの縁。借金の事も悪い様にはしないし、きっちり始末をつけてあげるよう」
 急転直下の話の流れに、エルセフィーナの両眼が限界まで開かれる。

「……本当ですか?」
「ああ。その代わり、君のご両親には相当説教する事になるとは思うがね」
 そこでアルテスが苦笑いしたのに釣られて、エルセフィーナは満面の笑みで礼を述べた。

「はい! ありがとうございます!!」
「いい返事だ」
 そして満足そうに笑って自身の頭を優しく撫でてくれたアルテスに、今後一生忠誠を誓う事を、エルセフィーナは心の中で誓った。

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