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2.戻ってきた日常

「おっはようございまーす!」
 ドアを勢い良く開け放つなり、室内に向かって大声を張り上げたエリーシアを見て、既に出勤していた同僚達は揃って笑顔になった。
「よう、エリー、おはようさん」
「うわ……。副魔術師長から話は聞いてたが、随分バッサリ切っちまったな……」
「久しぶりだな。ゆっくり休めたか?」
 肩より短い髪になったエリーシアを見て、安堵したり驚いたりしながら口々に声をかけてきた面々に、彼女は力強く宣言した。

「はい、完全復活です。今日からまた宜しくお願いします!」
 そう言って頭を下げた彼女に、周囲の皆は温かい視線を送った。
「復帰早々、元気良いな」
「頑張れよ?」
 そして一人一人に礼を述べつつ、自分の机に向かったエリーシアだったが、隣の席の同僚が前傾姿勢で、静かに机上の書類に目を落としているのが目に入った。

「サイラス、おっはよーう! ……え?」
 勢い良くサイラスの背中をど突きつつ、朝の挨拶をしたエリーシアだったが、「痛いだろうが!?」と盛大に食ってかかるかと思いきや、サイラスの上半身がそのまま前方に勢い良く傾ぎ、目の前に積み重ねてあった分厚い魔術書山に額を打ちつけた。そしてゴスッと鈍い音が響いた直後、その山が向こう側に崩落し、その場に気まずい沈黙が漂う。

「え、ええと……、ごめん、サイラス。ちょっと力を入れ過ぎたわ」
「……ああ」
 殊勝に頭を下げてエリーシアが謝ると、サイラスはそれ以上怒りはせず、ゆっくりと上半身を戻して黙々と魔導書を積み直した。その間に隣の自分の机に荷物を置いて腰掛けた彼女は、少ししてから声を潜めて問いかける。

「ねえ、具合でも悪いわけ?」
「いや、いたって健康だ」
「それにしては、随分暗いじゃない。三日前のソフィアさんとのデートで何かしくじって、まだ引きずってるわけ?」
 エリーシアがそう囁いた途端、サイラスは目を見開き、もの凄い勢いで彼女に向き直った。
「おい! どうしてそれを知ってるんだ!?」
 動揺著しいサイラスに、エリーシアはニヤリと嫌らしく笑いながら、事情を説明する。

「一昨日、ファルス公爵邸にシェリルが私の見舞いに来た時、その前日にソフィアさんが休みを取って、あんたと出かけたって話の合間に言ってたのよ。シェリルは詳しい内容までは、さすがに知らなかったみたいだけど」
「そうか、そっちのルートがあったか……」
「それで? 勿体ぶらずに、さっさと教えなさいよ」
 本気で頭を抱えた同僚を、エリーシアはからかう気満々で小突いたが、サイラスは心底嫌そうに呟いた。

「……あれはデートなんかじゃない」
「またまた~。そんな照れなくても。らしくないわよ?」
「俺はデートのつもりだったが、相手はそうじゃなかったってだけの話だ」
「え? 何よそれ?」
 なんとなく雲行きが怪しくなって来たが、ここで話を止める訳にはいかず、エリーシアは話の続きを促した。するとサイラスが、暗い顔でボソボソと説明を始める。

「『頑張って従軍してきたんだから、美味しい物を奢ってあげる』と言われて、繁華街に繰り出したんだが……」
「十分デートじゃないの。何が不満なわけ?」
「何か、おかしいとは思ったんだ。待ち合わせ場所で顔を合わせるなり『ちょっと雰囲気を変えたいから、今日一日だけ魔術で、エリーシアさんみたいな銀の髪にしてくれない?』って頼まれた時には」
 それを聞いたエリーシアは、さすがに面食らった。

「は? 何よそれ? あんたそれでどうしたの?」
「髪を銀色に変える魔術を、その日一日持続する様にかけた」
「……馬鹿って言っても良い?」
「黙って話を聞け」
 エリーシアが(そんな訳が分からない要求、突っぱねなさいよ)と目線で叱りつけたが、サイラスは視線を逸らしながら文句を言った。それで彼女もそれ以上余計な事は口にせずに、続きを促す。

「じゃあ黙って聞くから、さっさと話を進めて」
「そして食事して、お礼にちょっとした小物を買って贈って、お茶を飲んで別れて帰ったんだが……。次の日には、俺がお前似の別な女とデートしてたって噂が、王宮内で広がってた」
「はい?」
 全く意味が分からなかった彼女が首を傾げると、サイラスが忌々しげな顔付きになりながら、補足説明する。

「お前が行軍中に髪をバッサリ切った事は、近衛軍内から広まった噂で知られてたからな。俺は今現在、王宮内でお前を口説いてるにも関わらず、街で違う女にもちょっかいを出してると思われてるんだ」
「ちょっと待って。それって……」
 漸く事の次第が読めてきたエリーシアが顔を引き攣らせると、サイラスが疲れた様な表情で詳細を告げた。

「慌てて彼女の所に確認しに行ったら、『全く! エリーシアさんが髪を切ってた事を最初に言わないから、変な事になったじゃない!』とひとしきり怒られてから、『でもまあ、賭けの行方が益々混沌としてきて、別な意味で盛り上がってるから良しとするわ。『あんな女誑し野郎共には負けられん!』とか言って、エリーシアさん獲得レースに新たに名乗りを上げた人も出てきたしね』と、もの凄くいい笑顔で言われた」
 咄嗟に目の前の同僚にかける言葉が見つからなかったエリーシアは、先程の彼の台詞で、気になった箇所について尋ねてみた。

「サイラス? さっき『女誑し野郎共』って言ってなかった? どうして複数形なの?」
「彼女は銀髪のまま、街で買い込んだ食べ物をディオンの所に差し入れに行ったり、夕飯はアクセス殿と食べに行ったらしい。そして二人にも、俺と同様の噂が立ってる。どうやら彼女は上手く噂を誘導して、停滞気味の賭けを盛り上げるつもりだったらしいな。結果的には成功しているようだ」
 あらぬ方を見ながら淡々と状況説明したサイラスを見て、エリーシアは涙を禁じ得なかった。

「サイラス、あんたって……」
「何も言うな」
「…………不憫ね」
「だから、何も言うなって言ってるだろうが!? これ以上一言でも余計な事を口走ったら、窓から放り出すぞ!?」
 そっと指で目尻を拭いつつエリーシアが感想を述べると、サイラスは盛大に机を叩きつつ、紛れもない怒りの声を上げた。それに仰天した周囲が、慌てて二人の所に寄って来る。

「おい、サイラスどうした!」
「落ち着け! 何があったのかは分からんが、短気は損気だぞ!?」
「分かったわよ。ぶっ飛ばされるのは御免だわ。あんただったらできるだろうしね。もう言わないから」
 これ以上怒りを煽らない様に素直に引き下がったエリーシアだったが、心底サイラスに同情した。

(後からこっそりシェリルに頼んで、二人の仲を取り持って貰おうかしら?)
 そんな事を暫く考えているうちに、色々宥められて落ち着きを取り戻したらしいサイラスが、大人しく椅子に座って仕事を再開したのを横目で確認したエリーシアは、声を潜めながら相談を持ちかけた。

「サイラス。話は変わるんだけど、ちょっと協力してくれない?」
「……話の内容による」
 もの凄く面倒くさそうに応じたサイラスだったが、エリーシアは真顔で説明を始めた。

「シュレスタさんが、今度の月末に退職するじゃない。短い間だったけど随分お世話になったし、感謝の気持ちを込めて、盛大に送り出したいのよ」
「なるほど。俺もシュレスタさんには、就任以来何度もフォローして貰ったり、庇って貰ったからな。迷惑もかけたと思うし」
「でしょう? 私も同感。だから協力して?」
 その申し出にサイラスは納得し、快く承諾した。

「分かった。それで、具体的には何をすれば良いんだ?」
「花火の術式作製を手伝って。私、火炎系の高精度で緻密な術式は、他系統と比べるとちょっと自信が無いのよ。ただ強力に爆発させれば良いって代物では無いしね」
「花火? 定時で帰宅する頃は、まだ明るいぞ? 夜にシュレスタさんを呼びつけるのか?」
 確かに火炎系は他と比べると苦手だろうがと、幾分不審に思いながらサイラスが問うと、彼女は小さく首を振った。

「普通に夜に打ち上げるなら、あんたの手は借りないわ。昼に見える様にして打ち上げたいから、手伝って欲しいって言ってるの。皆からの色々なメッセージとかも、空中に一定時間固定化させたいし」
 それを聞いて、サイラスが納得した様に相槌を打つ。
「なるほど……。でもそういうのって、一番得意なのはシュレスタさんじゃないのか?」
 暗に「意見を貰わないのか?」と尋ねた彼に、エリーシアは苦笑した。
「勿論、本人には当日まで秘密にしておいて、驚かせるのよ? それに得意分野だから余計に『こんな事もできるのか』って、感心してくれそうじゃない」
 その主張を聞いたサイラスは、尤もだと深く頷いた。

「それも道理だな。分かった、全面的に協力する。シュレスタさんの花道を、盛大に盛り上げてみせようじゃないか」
「頼りにしてるわよ? 魔術師養成院院長就任祝いも兼ねてるんだから」
 エリーシアがそう述べると、それは初耳だったらしいサイラスが、少し驚いた表情になる。
「そうなのか? シュレスタさんがあそこのトップになるなら、これからどんどん優秀な魔術師が輩出されそうだな」
「そうね。うかうかしてると、王宮専属魔術師の座をあっさり奪われるかもしれないわよ?」
 含み笑いでそう述べると、不敵な笑みが返ってくる。

「誰がそうそう簡単に渡すかよ」
「ソフィアさんとの事も、その意気で頑張りなさいよね」
「一言余計だ」
 軽く睨まれたものの、それを見たエリーシアは我慢できずに噴き出し、それに釣られてサイラスも苦笑いの表情になった。そして騒いでいる所をガルストに窘められる所までいつも通りで、王宮専属魔術師棟はその日から従来通りの喧騒を取り戻したのだった。

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