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22.スパルタ教育の賜物

「ええと、まずはこれよね?」
 エリーシアが、抱え込むにしても腕が届くギリギリの大きさの水球の中に、指に嵌めていた指輪の一つを投げ込むと、そこに入り込んだ指輪は中央でピタリと制止し、徐々に淡く輝き始めた。すると近場の小川か泉から持って来たらしい、多少濁ってゴミが浮いていた水球は、徐々にゴミや異物が外部に押し出され、中央部から透明になっていく。
 更に指輪を水球に放り込んだ後、彼女は自分のマントの裏側を何か所か切取り出した中身を確認し始めたが、サイラスも適当な場所を確保しながら、必要な作業を始めた。

「この森、獲物が豊富で助かったな。さっさと準備するか」
 そう呟いて一切手や道具を使わず、魔術だけで捕獲してきた十匹近くの鳥や小動物の血抜きをし、皮を剥いだりして下ごしらえをすると、内臓を除けて肉を食べ易い様に切り分ける。その他にも同時進行で焼き易い様に枝を何本も削って串状にしたり、同じ様に採ってきた木の実を砕いて磨り潰す事もやってのけた。

「エリーシアさん、これだけ見つけましたが」
「ありがとうございます。助かります」
 どうやら詳しい兵士に先程頼んでいたらしく、布袋に入ったキノコや野草類を受け取ったエリーシアは、先におこしていた幾つかの火の上に、浄化済みの水を魔術で鍋の形にして固定させ、その中に余った水で軽く洗ったそれらと風味付けの為のハーブを、細かく切って均一に入れた。一方のサイラスも、磨り潰した木の実を投入し、軽く塩で味付けした肉を火の回りで焼き始める。
 二人は魔術を駆使して手際良く幾つもの作業を同時進行で進め、周囲が唖然としているうちに食事の支度を整えた。

「皆さん、ちょっと量は足りないかもしれませんが、取り敢えずお腹に入れましょう」
「これからまだまだ大変ですからね。食べられる時に食べて、休める時に休んでおかないと、後できついですよ」
 二人が周囲にそう呼びかけると、苦笑いしながら近衛兵が一人二人と集まってきた。そして一列に並んだ彼らに、準備した食事が配られる。
 最初、器も無いのにどうやって配るのかと訝しんでいた彼らだったが、エリーシアとサイラスは、彼らが器を支える形にした手の中に、スープを魔術ですっぽりと収まる形で取り分けた。当然持つ手が熱くない様に、掌や指との間には熱を遮断する魔術も行使済みである。そして驚きながらも肉とスープを受け取って一人ずつ兵士が離れて行ったが、三十人程渡した所で、二人から声がかけられた。

「すみません、一度に魔術を行使できる人数がここまでみたいです」
「前の方が食べ終わり次第、他の方にも食べて頂きますので、少々お待ちください」
 そう断りを入れられても、目の前で何人もの兵士の手と口の動きに合わせてスープの形を保っている魔術の凄さを目の当たりにしている彼らは、特に腹を立てる事も無く、大人しく順番を待った。そしてほぼ全員が食べ終えて、改めて周囲の警戒をしつつ休む場所の確保、馬の世話などを始めてから、エリーシアとサイラス、アクセス達が漸く食事にありつく。

「ご苦労だった。エリー、サイラス。手際が良くて助かった。最初から部下を必要以上に動揺させるわけにはいかないからな。どうやら人心地付いて、落ち着いたようだし」
 火を囲んで座りながら、アクセスがしみじみと告げると、彼女達は事も無げに告げた。

「どうってことないですよ? 突発事項には慣れてますし」
「俺も戦場で味方から引っ掛けられるのなんて、何回も経験ありますから」
「苦労してるんだな、二人とも」
「まだ若いのになぁ」
 溜め息を吐いてガスパールとミランが感想を述べたが、レオンは微妙な顔付きで無言のままだった。

「しかし、この前の夜会の時の話を聞いたが、同時に複数の術式を行使できるのは本当だったんだな。しかし普通、そういう風に使える様にはならないんじゃないか? まず一つ一つの術の精度を上げるのが先だろう」
 何気なくアクセスが問いかけた内容に、エリーシアが首を傾げながら答える。
「ええと、サイラスや他の方々の話を聞いても、そうなんですよね。でも私、ごく基本的な事を押さえたら、すぐ他の魔術と併用とか混合とかして、同時起動する様な訓練の仕方をさせられていたので、感覚的に幾つもの魔術を同時起動させる事に対する違和感とか負担感とか、全く無いんです」
「俺は殆ど魔力は無いし、訓練を受けた事も無いから分からないんだが、それって大きな違いなのかい?」
 エリーシアの説明を聞いたミランが不思議そうに尋ねると、それにはサイラスが答えた。

「そうですね、ある程度の魔力保持者でも、複数の魔術同時起動となると、途端に精度が落ちたり負担感が増加するものなんですが、こいつに限ってはそんな事は無いみたいです。流石に限界はありますが」
「だって冗談抜きで生活がかかってたのよ? 父さんが『魔術を並行起動して家事を覚えろ』なんて言うから。最初の頃は力加減が分からなくて、かまどや家を丸ごと燃やしかけたし、包丁や調理台ごと野菜を粉砕しちゃったり、擦り過ぎて服が端切れにになっちゃったり、家具が分解しちゃったり」
 その壮絶な日常生活を聞いた一同は思わず黙りこくったが、サイラスが疑わしげに問いを発した。

「……今の話はこれまで聞いた事はなかったが、確かにそういう生活をしていれば、複数同時起動が容易くできる様になるかもしれないな。それはひょっとしたらアーデン殿なりの、お前の魔術の技量を効率的に高める為の教育方針だったのか?」
「さあ……、それは何とも言えないわ。確認しようがないし」
 肩を竦めた彼女に、サイラスが確認を入れてみる。

「因みに、アーデン殿も魔術で家事をされていたのか?」
「ううん、普通に手でやってたわよ?」
「どうして娘にも、ちゃんと直に手を使ってやらせなかったんだ……」
 微妙な養父の教育方針の結果、彼女が殆どの家事を魔術でこなす生活スタイルを確立してしまったと言う事が今更ながら分かったサイラスは、思わず頭を抱えたくなった。そんな彼の心情を読んだガスパールが、宥めるように言い出す。

「まあまあ、それで彼女の魔術の腕が上がって、俺達が今助かってるわけだし。文句を言える筋合いじゃないからな」
「まあ、確かにそうなんですが」
 サイラスが小さく苦笑いで応えてから、アクセスに確認を入れた。
「ところで副官殿。これからの方針についてお伺いしておきたいのですが」
 そこでちょうど食べ終えたアクセスが、地面に串を落としながら、瞬時に真顔になる。

「道理だな。二人とも、周囲の探査は済ませているか?」
「下手に範囲を広げると、敵側の魔術師に察知されますので、ごく近辺だけです。取り敢えずは大丈夫の様ですが。エリー」
「了解」
 サイラスの声に短く答えた彼女が、袖を軽くめくって腕を出した。そしてそこに付けているブレスレットの半透明の石を、地面に向ける。するとそこから光が発生し、地面に一部が薄く赤くなった近辺の地図が映し出された。

「今の所、赤くなっている箇所が探査済みの所です。この範囲にはレストン国の手勢は存在していません。味方も居ないのは言わずもがなの事ですが」
「分かった。それで十分だ」
 そう言って何事かを考え込み始めたアクセスに、サイラスが申し出た。

「大規模な術式ではなく、エリーが逃げる時に先導役に使った魔術程度であれば気づかれにくいと思いますので、更に広範囲の探査はできるかと思いますが」
「ああ、あの蜂もどき?」
 ミランが思わず口を挟むと、エリーシアも頷く。
「そうです。あれには一応、私の意識を繋げてありますので。複数飛ばして、詳しく調べたい所に意識を集中すれば、調査は可能かと思います」
 それを聞いたアクセスは、顔を上げてエリーシアに依頼した。

「なるほど。じゃあちょっとやってくれるか? 一応、今後の方針を考えてみたんだが、北東方向に向かうよりは南側を迂回して、相手が展開している陣の間を抜けた方が、突破できる確率としては高いと思う」
「分かりました」
 そして今後の算段と夜間の見張り番の順番などを魔術師二人で話し合っていると、ここまで黙り込んでいたレオンがぼそりと口を開いた。

「皆、迷惑をかけてすまない」
 突然謝罪されて、その場全員が軽く目を見張ったが、アクセスが最初に口を開いた。
「殿下。確かに軽挙妄動過ぎた事は確かですが、この事態は根本的にあの馬鹿のせいですから。気にしない方が良いですよ。そんな事をうじうじ考える時間があるなら、主力と合流した時にジェリドの奴にどう申し開きをして、どう謝るかを考えておいて下さい」
「そうですよね。例え殿下がいてもいなくても、そうそう降伏なんてできませんから、関係ありませんって」
「取り敢えず反省はしていらっしゃる様ですから、これから私達の指示通りに動いて頂ければ宜しいですよ」
「……その通りにする」
 口々に明るく言われた為、レオンもそれ以上愚痴は零さず、素直に頷いた。それを見届けてからエリーシアは腰を上げる。

「それでは寝る前に、もう一度負傷者の様子を見て、見回りをしてきますので」
「おう、宜しく頼む」
 アクセスに声をかけられ、サイラスも立ち上がって一礼した。そして二人で並んで負傷者を集めている箇所に移動を始める。

「確かに状況は悪いんだけどね。最悪じゃないんだから、どうにでもなるでしょ」
 独り言の様に呟いた彼女に、サイラスは思わず溜め息を吐いた。
「お前の度胸の良さには、ほとほと呆れたがな。ちょっと殿下が気の毒だ」
「は? なんで?」
「だって、お前を気にしていざと言う時に守るつもりで潜り込んだら、余計に事態を悪化させる結果になっただろ? 確かに軽率過ぎるが、男としては同情する」
 しみじみと語ったその内容に、エリーシアはちょっと首を傾げて考え込んだ。

「考えてもどうしようも無い事を、幾ら考えても無駄じゃない? それよりはここを抜け出す方策を考えた方が、数倍有意義だと思うけど」
「やっぱりお前って、男以上に男らしいよな。もうちょっと繊細な男心の機微とかいう物をだな」
「ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと傷の状態を確認するわよ?」
「分かってるって」
 そんな会話をしながら、二人は休んでいる負傷者達の間に入って行った。

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