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12.熊男の虚構

 その日のファルス公爵家の晩餐は、久しぶりにエリーシアを迎えて賑やかな物となった。
「姉上、遠征の準備は進んでいますか? 何か足りない物や必要な物があったら、いつでもこちらに言って下さい」
「取り敢えず、何とか揃えたわ。初めての事だから色々戸惑う事はあったけど、大丈夫よ、リスター」
「うぅ……、僕が王宮専属魔術師だったら、そんな危ない所に姉上を出向かせたりしないのに……」
「ありがとう、ロイド。でも私からすると、ロイドの様な可愛い子の方が、物騒な所に出向いて欲しくないわ」
「……酷いです、姉上」
「え、ええ? 私、何か悪い事を言った!?」
 何やら急に涙目になってロイドが項垂れた為、エリーシアは焦って問いかけた。すると隣の弟を横目で見やりながら、リスターが笑いを堪える表情で解説する。

「姉上、ロイドは本来守るべき姉上自身に『可愛い子』なんて言われて、紳士としてのプライドが微妙に傷ついたんですよ」
「そ、そうなの? ごめんなさい、ロイド」
 慌ててエリーシアが詫びを入れると、ロイドは手の甲で目の周りを拭ってから、決意も新たに宣言した。

「良いんです。姉上から見たら、確かに僕なんかまだまだ子供ですから。でもすぐに一人前の魔術師になって、姉上を守って差し上げますからねっ!!」
「ありがとう。楽しみにしてるわ」
 そんな二人のやり取りを周囲の大人達は微笑ましく眺めていたが、次のロイドの言葉でその微笑みが微妙な物に変化した。

「そう言えば、この間姉上から届けて頂いた魔術習得教本、凄く興味深かったです。これまでおじい様から渡されていた物とは随分違ってて。でも分かりやすかったです」
「そう? ロイドは試験に合格して、今度魔術師養成院に入る位だから、今更必要ないかなと思ったんだけど。前に住んでいた所から色々荷物を持って来たから、ひょっとしたら使うかなと思ってお父様に持って帰って貰ったのよ」
「でも姉上、これは前に住んでいた住居に置かれていたのでしょう? 最近、出向く機会があったんですか?」
「ええと……」
 ルーバンス公爵家の家臣が、空き巣の現行犯として一挙に捕縛された話は、当然ロイド以外の全員が耳にしており、その折にエリーシアが回収してきた物の一部がそれだと熟知していた。そんな不愉快な事をロイドの耳に入れた途端、この正義感の強い少年が激昂するのは火を見るより明らかだった為、ギルターがさり気なく話題を逸らす。

「そう言えば、その習得教本は手書きだったが、アーデン殿が個人的に作成したものだろう?」
「はい、おじいさま。でも私はあれに沿ってしか習得していませんので、一般的な魔術の習得課程教本とはどう違うのか、正直なところ分からないのですが」
 そう問いかけられたギルターは、ちょっと困った顔になった。
「どこが、と改めて聞かれるとな。全てが、かな?」
「は? 私は他の人が習わない様な事ばかり、やってたって事ですか?」
 エリーシアは顔になったが、ギルターは苦笑しながら訂正する。

「いや、そうではない。今のは私の言い方が悪かった。習得内容に大差はないが、その順番や過程が違うんだ。私も割と魔力は有った方だから、子供時代に養成院に通って、魔力の制御方法を習得している。私の場合嫡子だったし、能力もせいぜい中の上位だったから、ある程度自分の魔力を制御できる様になったらそこを辞めたが。養成院ではまず最初に、基本的な魔力の制御法を習ったな」
「私もそうだったと思います」
 昔を思い返しながらエリーシアが頷くと、ギルターは真剣な表情で話を続けた。

「ただ、その次が水系、火系など、単独での魔術の運用をさせて、その術式行使力と精度を高めてから、より複雑な術式運用をさせ、次いで複数の系統の魔術の複合術式の運用に移るのが、一般的な修得過程になるのだが」
 それを聞いたエリーシアは、疑問を覚えて首をかしげた。
「……あら?」
 そんな彼女の戸惑いは分かっていたギルターは、淡々と話を続ける。

「お前の場合は違うだろう? 初期の教本を一通り見せて貰ったが、実に斬新的だ。基本中の基本を押さえた上で、関連のある複数系統の簡単な魔術を組み合わせて、運用させて精度を上げる様にしている」
「そうですね……。常に何かしら関連付けて、術式を構築したり行使していた気がします」
 全面的に肯定したエリーシアに、ギルターが頷いて続けた。

「確かに、きちんと基礎を習得できていて能力が高い人間の場合は、こういう進め方の方が能力を伸ばせるかもしれない。実は一昨日、魔術師養成院の院長が訪ねて来てな」
 ここですかさずリスターが解説を入れる。
「ランドルシー様は、おじい様が養成院に居た頃からの、ご友人なんです」
「そいつにその習得教本を見せたら、興味を持って。『是非今後、養成院で教える時の参考にしたいので、複写を取らせて貰えないだろうか』と言っていたんだ。どうかな、エリーシア?」
 そう問われたエリーシアは、笑顔で快諾した。

「そんな事、お安いご用です。正直どれ位参考になるのかは分かりませんが、幾らでも複写して構いませんとお伝え下さい」
「それは良かった。以前から上流階級程魔力が強い人間の割合が多いが、ある程度制御法を身に付けた後、難しい術式の運用で躓いてそれ以上の上達を諦める者が多くてね。実は私もその一人だが。それで教本の改訂を考える折の参考にしたいらしい」
「はあ、そうなんですか……」
(そこで出世と仕官に命かけてる平民出身者に、追い抜かされていくわけか。それって要は貴族階級の人に、魔術師として大成するだけの根性や執念が足りないだけじゃないのかしら?)
 エリーシアは正直そう思ったが、目の前のギルターに失礼だと思い、口を閉ざした。するとロイドが、崇拝の眼差しでエリーシアに訴える。

「本当にアーデン殿は、稀代の魔術師だったんですね! 前例のない、平民出身で二十代での王宮魔術師長就任だけでも尊敬ものなのに、あんな独創的な修得体系を編み出されるなんて! 是非一目、お会いしたかったです!」
「そ、そう?」
「はい! きっと清廉潔白で能力を殊更ひけらかす事も無く、王宮専属魔術師長の地位もいとも簡単に投げ捨てて、森の奥で一人魔術の探求に努めた、孤高の方なんですよね!!」
 キラキラと瞳を輝かせ、握り拳で力説したロイドを見て、エリーシアは溜め息を吐いた。そして沈鬱な表情で口を開く。

「……ロイド」
「はい、姉上、なんでしょうか?」
「それ、違うから」
「何が違うんですか?」
「残酷な様だけど、理想と現実は違うわ。父さんは単なる変人でチキンな熊男よ」
「え? 熊男?」
 途端にキョトンとした顔になったロイドから若干視線を外しながら、エリーシアが話を続ける。

「王宮に来てから、魔術師を何人も見たんだけど、皆線が細いというか、すらっとした体型なのよね。だけど父さんは髭面の筋骨隆々の大男だったの。……それなのに流行病でぽっくり逝くって、どう言う事よ?」
 最後はボソッと呟いたエリーシアだったが、ロイドは顔を引き攣らせながらも、果敢に会った事も無いアーデンを弁護した。

「あの! でも、魔術師に体型とか容姿は関係ありませんよね!?」
「それはそうなんだけど……。そもそも王宮専属魔術師長の職を投げ打った理由が、王妃様へ懸想したからっていうのはどうなのかしら?」
「え?」
 それにはロイドのみならず室内全員の顔が強張った為、それに気付いたエリーシアが慌てて両手を振りつつ弁解した。

「あ、あのっ! 誤解の無い様に言っておきますけど、王妃様は無関係ですよ? 王妃様は父さんの気持ちなんか、今も昔もこれっぽっちも知りませんし!」
「あ、ああ、そうか」
「そうですよね、良かったわ」
「少々、肝が冷えたぞ」
 すわ王妃様に不貞行為でもあったのかと顔色を変えた大人達は、エリーシアの言葉に緊張を解いた。それに彼女も安堵して、話を続ける。

「それで父さんが、勝手に独りで熱を上げて悶々とした挙句、『俺はもう耐えられん!』とか思い詰めて、森の奥に引っ込んじゃったのが真相だって、昔からの友人のクラウス魔術師長が仰ってました。全く、どうせなら王妃様に思いをぶちまけて玉砕するか、かっさらって駆け落ちする位の気概を見せなさいよ。とんだヘタレで小心者よね」
 ブツブツと文句を言い始めたエリーシアを、リスターが控え目に窘める。

「姉上……、そういう言い方は、少々アーデン殿が気の毒です」
「だけどね」
「う、嘘だぁぁっ! 僕のアーデン殿が、そんな軟弱な方だったなんてぇぇぇっ!!」
 そこでいきなりロイドが泣き喚き、テーブルに突っ伏しておいおいと泣き出した為、さすがに慌ててエリーシアとリスターが宥めにかかった。

「ごめんなさい、ロイド。そんなに父さんの事を崇拝してるとは思わなくて」
「でもそれだけ人間臭い、普通の方だって事じゃ無いか。お前もアーデン殿の様になれるかもしれないぞ? 頑張れ!」
「そうよ! 私から見ても、色々な意味で父さんよりロイドの方が、将来有望だと思うわ!」
「あっ、姉上ぇぇ、兄上ぇぇ……」
 そんな微妙な空気になっている子供達とは違い、大人達は必死に笑いを堪えていた。

「知らなかったな。アーデン殿の出奔の裏に、そんな事情があったとは」
「全くです。何か深遠な理由が有るのだとばかり思っていました」
「でも、どうしましょう。王妃様の前に出たら、その話を思い出して笑ってしまいそうですわ」
 そう言ったフレイアの顔を見て、アルテスとギルターは同意しながらも、彼女に言い聞かせた。

「気持ちは分かるが、フレイア。これは故人の名誉にも関わるからな」
「ロイドだけでなく、最近ではエリーシアの能力の高さを見て、彼女を育てたアーデン殿を偶像化している人間も多いと聞く。沈黙は金だ」
「分かりました」
 それからも色々な話題で食堂の中は盛り上がり、ファルス公爵家の面々は、楽しい一時を過ごしたのだった。

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