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5.出発前の一仕事

 遠征が間近に迫った休日、従軍の準備の為、エリーシアは公爵家には出向かずに後宮の自室で備品の整備に勤しんでいた。午前中から必要と思われる物をベッドの上に並べて指差しながら確認し、次いで傍らの丸テーブルにこんもりと乗せられた油紙の包みに目をやって、満足そうに微笑む。

「ふう……、取り敢えず必要な分は揃ったわね。それとこれ、ミシェラ先生がこっそり用立ててくれて助かったわ」
 そう呟きながら摘み上げた変形五角形の小さな包みには、六種類の違う色のうち一色が隅に付けられており、それを改めて見下ろしたエリーシアが、思わず渋い顔をする。

「考えられるだけの自衛策だと、素人が考えるとやっぱりこういうのも常備しておくべきだと思うのよね。生粋の軍人さんなら縁起でも無いって、嫌な顔をするかもしれないけど」
 そこで彼女は溜め息を吐いたが、すぐに現実的な問題を解決する為に頭を切り替えた。
「問題は、これらをどうやって持って行くかって事になるんだけど。人目があるから、あからさまに持って行くわけにはいかないし、できるだけ携帯しておきたいけど、纏めて持って行くと結構かさばるし……」
 そこで何気なく近衛軍から支給された品々に目をやったエリーシアが、ある所で目を止めた。

「このマントは支給品だし、これにちょっと手を入れる分には構わないか。そうと決まれば、布の調達調達っと。ソフィアさん辺りに聞いてみよう」
 思い立ったら即実行のエリーシアは、隣接するシェリルの部屋を抜けて、彼女に仕えている侍女に声をかけに行った。話を聞いたソフィアは多少理由を訝しんだものの、万事心得ている彼女は余計な事は聞かず、ちょうど昼時に差し掛かっていた為、エリーシアがシェリルと一緒に昼食を食べている間に求める品々を揃えてくれた。そして相変わらず仕事の早い彼女に感謝して自室に戻ったエリーシアは、戻る早々中断していた作業を再開する。

「シャント・ジェス・ターレン・ムスタ・アル……」
 彼女が呪文を唱えた途端、丸テーブル上に術式が浮かび上がり、そこに乗せられた六色を基調とした布と、裁断鋏が二本空中に浮かび上がった。そして鋏は瞬く間に色とりどりの布地を、正方形に同じ大きさで無数に切り取っていく。
 そして貰って来た布地が全て掌と同じ位の正方形に切り取られてしまうとエリーシアは術を解除し、新たな呪文を唱え始めた。

「ルーベ・レンジャ・ヴァ・ディス・ヒファ・オン……」
 すると今度は裁縫箱の中から針が十本ふよふよと空中に舞いあがり、その穴に糸がするすると通った。それと同時に布の四辺が短く折り畳まれ、その中央に先程の油紙の包みを入れた上で、その布をマントの裏地に、針が勝手に縫い付けはじめる。
 しかしエリーシアは、目線の高さでの勤勉そうな針の動きには視線を向けず、床の上に広げ地図を上から見下ろしながら、小さなガラス球を摘んで目の前で固定しつつ、何かの呪文を呟いていた。

「グエン・アント・ラィ・ミールザ・イッタス・シューレ……」
 するとそのガラス玉が淡く輝き、地図が置かれている範囲を照らし始める。シェリルが最近珍しくなった猫の姿でエリーシアの部屋を訪れた時、そんな真剣な顔で術式を行使している義姉の姿を目の当たりにした為、大人しく一段落する所までドアの所で待ってみる事にした。

「エリー? 今大丈夫?」
 地図上の光の明滅が治まった所でシェリルが声をかけると、エリーシアはドアの方に顔を向けて、少し驚いた顔付きになった。
「構わないわよ? ……あら、シェリル。珍しいわね、猫の姿になってるなんて。どうかしたの?」
「ちょっとね……。それより、何をしてるの? さっきソフィアから、午前中にエリーシアから布地を融通して欲しいと頼まれたって聞いたんだけど」
 シェリルがそう言いながら針が細かく動いている、浮かんだままのマントを不思議そうに見上げると、エリーシアは笑って事実と嘘を半々にして述べた。

「支給品のマントが、あまりにも野暮ったくてね。外側はそんなに目立たせるわけにいかないから、せめて内側は華やかにしようかと、パッチワークにしてるところよ」
(中に何を入れているのかを言ったら、その理由も正直に言わなくちゃいけなくなるし、そうなったら流石に心配しそうだものね)
 そう説明すると、シェリルは頭上を見上げながら、器用に首を傾げた。

「へえ……。でも、怒られないの?」
「大丈夫でしょう? 私が内側を色とりどりのマントを着けているから、士気が落ちるなんて道理は無い筈だし。つまらない難癖を付ける様なつまらない連中は、徹底的に無視よ無視」
「ふぅん……。それで、今日はお休みだけど、ファルス公爵邸に出向かないで、出征の準備をする筈でしょう? はかどってるの?」
 今度はまっすぐ自分を見つめてきたシェリルに、エリーシアは手に持っていたガラス球を目の高さまで持ち上げながら、冷静に答える。

「はかどってるわよ? 今もこの地図の画像を、これに写し込み終わった所だし」
「そう。それなら良いんだけど……」
「何?」
「ええと……」
 言いにくそうに視線をさまよわせたシェリルを見て、エリーシアは苦笑を堪えた。

「急に私の事が心配になっちゃったとか?」
「……うん」
「そんな心配、要らないって。この前の偽ラウール殿下の擁立騒動の時にも、一月以上留守にしてたでしょう?」
「確かにそうなんだけど……。あの時は隠密行動だったけど、今度は戦場に行くわけだし」
(確かにそうなんだけどね。ここで変に不安にさせて『猫生活の方がやっぱり落ち着く』なんて言い出されたら、ジェリドさんに闇討ちされそう)
 取り敢えず宥めておく必要があるかと判断したエリーシアは、なるべく落ち着いた口調を心掛けて話を続けた。

「この前、私が出ている間にシェリルは一人で寝られる様になったし、最近では寝る時も猫の姿にならなくて済んでるのよね?」
「ええ」
「それなのに久々に、一緒に猫の姿でお昼寝でもしたくなったの?」
「……駄目?」
(やっぱり不安にさせちゃってるみたいね。仕方ないか)
 心配そうに上目遣いで見上げてきたシェリルを見て、エリーシアは苦笑と溜め息の両方を堪えた。そして窓の外の景色を眺めながら快諾する。

「良いわよ。天気も良いし、今日は久々に庭でお昼寝しましょう。あともう少ししたら一段落するから、そこら辺でちょっと待っててくれる?」
「うん! 分かったわ!」
 嬉しそうに返事をしたシェリルは、床に転がっていたクッションに収まり、エリーシアは先程とは違う地図を束の中から選び出して手に取った。そして同様の術式を起動させようとしたところで、ドアがノックされてリリスが顔を見せる。

「あの……、エリーシアさん。宜しいですか?」
「はい、リリスさん。どうかしましたか?」
「それが、エリーシアさんに、執務棟の方から面会者がいらしているんですが」
 シェリルの部屋とエリーシアのそれが繋がっている関係上、エリーシアに対する呼び出しや届け物などは、シェリル付きの彼女達の手を煩わす事になってはいるが、この時は全く思い当たる節が無く、彼女は怪訝な顔になった。

「面会って……、どなたですか?」
「法務局の陳情部の方が、副魔術師長に同伴されていらっしゃいました。魔術師棟に出向いたらエリーシアさんがお休みだったとの事で、こちらに出向いたそうです」
 それを聞いたエリーシアは、益々困惑した。

「はあ? 何でそんな人が、後宮まで私に会いに来るんですか?」
「さあ、それはなんとも……。取り敢えず後宮の入口詰め所で二人がお待ちですが、こちらにお通しして構いませんか?」
「はい、構いません。取り敢えず話を聞かない事には、分かりませんから」
 真顔で頷いたエリーシアだったが、ここで足元からシェリルが申し出てきた。

「あ、エリーの部屋には大きな椅子やテーブルは無いでしょう? 私の居間の方にお通ししたら?」
 そう言われて、この寝室よりは片付いているものの、未だに雑然としている隣の部屋を思い出したエリーシアは、申し訳無さそうに義妹を見下ろした。

「シェリル、良いの? 確かに少しゴチャゴチャしているから助かるけど」
「良いの。私も話を聞きたいから、人の姿に戻って同席するわ。リリス、術式起動を宜しくね」
 当然の如く主に宣言されてしまったリリスは、若干困った様にエリーシアにお伺いを立ててきた。

「エリーシアさん、どうしましょうか?」
 それに彼女は、安心させる様に微笑む。
「じゃあ、そうして貰って宜しいですか?」
「分かりました。詰め所の方には、そう連絡を入れます。姫様、自分のお部屋に戻っていて下さい」
「分かったわ」
 そしてリリスとシェリルが慌ただしく出て行ってから、エリーシアも区切りの良い所で作業を中断し、(この慌ただしい時期に、何事かしら?)と少々不快に思いながら、シェリルの私室へと向かった。

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