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2.従軍要員

「エリー。我が国とレストン国との国境線が、どこに引かれているかは知っているだろう?」
「ええと……、ランゼーム川、でしたか?」
 エリーシアがいかにも自信なさげに答えた為、ジェリドは無言のままこめかみに青筋を浮かべ、室内の緊張度が一気に増加した。そんな雰囲気の悪さを何とかしようと、アクセスは不自然に声を張り上げる。

「そうっ! そうなんだよ! その地方はこの二百年近く、二国間の争いの種でね」
「住んでる人にとっては、迷惑極まりない話ですね」
「六十五年前の戦でエルマース国が勝った結果、ランゼーム川を境に西がレストン国、東がエルマース国って事になったんだけど、それ以前は暫くの間、ランゼーム川の支流で、その東側を流れているシベール川が国境線だったんだ」
 そこまで話を聞いたエリーシアは、頭の中で内容を整理した。

「すると、エルマース国の中心部から西部に進むと、まずシベール川に到達して、そこを越えてさらに西進するとランゼーム川に到達して、その向こうがレストン国なんですね?」
「その通り。それで北方向にあるタスキア山脈から南に流れて、エルマース国南部で二本の川が合流するまでの地域は、自分達の国土だと長年両国が主張して数十年おきに小競り合いをして、帰属が変わっている地域なんだ」
「それならそこの領主は大変ですね。いつ攻められて領地を取られるか、分からないじゃないですか」
「だからその地域は、特定の領主が居なくて、エルマース王家の直轄地なんだ。だから駐留している兵は、王家が保持する近衛軍の第五軍扱いになっている」
「なるほど。良く分かりました」
 あらましを聞いたエリーシアは素直に頷いたが、それで彼女にとっては初耳だった事がバレバレになった為、周囲の者達は肝を冷やしながらジェリドの様子を窺った。しかし彼は腕を組んではいたものの、微動だにせず無言で佇んでおり、ここで目線でアクセスからクラウスへと説明役が交代される。

「それで本題に入るが、その近衛軍第五軍と駐レストン国大使からの情報によると、近々レストン国がシベール川西岸地域に侵攻する準備を進めているらしいんだ」
 そこで唐突に、ジェリドが口を挟んできた。

「実際に攻めてきてから準備などしていられないからな。近衛軍、西方領主家からの徴兵、従軍医師団と魔術師団の召集が明日の閣議で正式決定される。因みに箔を付ける為と、レストン国に対する強硬姿勢を示す為として、王太子殿下に御出陣頂く事が決定した。……ったく、面倒な」
「……色々大変そうですね」
 最後に小さく聞こえた舌打ちは聞こえなかったふりをしてエリーシアが相槌を打つと、ジェリドは益々面白く無さそうな顔付きで彼女の顔を凝視した。

「……私の顔に、何か付いているでしょうか?」
「今回の面倒の種にはお前も含まれているが、分かっているのか?」
「はい?」
 まるで、自分の不機嫌の原因はお前だと暗に言われた様に感じたエリーシアはさすがに気分を害したが、慎重に口答えする事は避けた。その代わりにサイラスが、若干顔をしかめながら確認を入れる。

「この場に俺達が呼ばれた事、俺と彼女はまだ王宮専属魔術師になって日が浅く、国境付近への派遣も無かった事を併せて考えると、今回の従軍要員かと考えられますが、司令官殿には何か不都合か懸念でもおありですか?」
「いや、無い。王宮専属魔術師団で誰を派遣するか決定するのは、魔術師長の権限の内だし、私が口を挟む道理は無い」
「そうですか。それは良かったです」
 どこか白々しく聞こえる男二人の会話に、エリーシアが本気で顔をしかめると、ジェリドが真顔で告げた。

「今回、私が遠征軍最高責任者となった。故に私の判断で、従軍する王宮専属魔術師の装備は自ら運搬できる形状・質量であるなら、無制限に保持する事を許可する」
「はあ?」
「無制限、って」
「…………」
「それではクラウス殿、後は魔術師団の中で協議してくれ」
「お邪魔しました」
 仰々しく言われた内容にエリーシアとサイラスが困惑した声を漏らす中、何やら考え込んだシュレスタが、年下の上司達に幾分険しい顔を向けた。そして話は済んだとばかりに、ジェリドとアクセスが足早に立ち去る。

「結局、何しに来たんですか? あの人達」
 二人を見送ったエリーシが呆気に取られながら室内を振り返ると、シュレスタがクラウスとガルストに詰め寄っていた。

「魔術師長、副魔術師長。今回この二人を派遣するのは、どう考えても問題があります! 最高司令官が『手段を選ばす自衛させておけ』などと言うとは、どういう事ですか!?」
「そんなにまずい話だったの?」
「さあ……、この国での従軍経験は無いからなんとも……」
 シュレスタの背後で若手二人でボソボソと囁いていると、苦り切った表情でガルストが応じる。

「ジェリド殿の話では、こちらの王宮専属魔術師団に話が来る前に既に、経験、年齢、能力を考慮して私、シュレスタ殿、エリーシア、サイラスの四名が派遣されると、近衛軍の中で取り沙汰されていたそうです」
「事実、選抜するとなると、確かにそうなるが……。今までは魔術師の内、誰が従軍しようと噂になどならなかったのにな……」
 物憂げに溜め息を吐いたクラウスに、シュレスタが更に表情を険しくする。

「魔術師長……、益々不穏では無いですか?」
「しかしだな、ここで派遣する人間を替えたら、それはそれで憶測を呼んでしまうんだ」
「エリーシアが女性で公爵令嬢だから贔屓されて、職務を免除されているとか、サイラスが元敵対国の人間だから信用されていない証拠だとか、難癖を付ける輩が絶対出て来ます」
 冷静にガルストが指摘した内容に、若手二人は無言で顔をしかめた。それにシュレスタが憤懣やるかたない表情をしながらも、不承不承頷く。

「そうなると、司令官殿は派遣要員を他の者に変える事は難しいであろう事も踏まえた上で、近衛軍の中に不穏な動きがあると、予め警告に来て下さった訳ですね」
「そういう事です。それで対外的には責任者として副魔術師長のガルストを出しますが、上層部に顔が広いシュレスタ殿に、睨みを利かせて頂きたいのだが」
「魔術師長、分かりました。最後のお務めとしてはなかなかですな。慎んで拝命します」
「宜しくお願いします」
 年長者二人のやり取りを聞いて、エリーシアとサイラスは不満そうな顔から一転、驚きのそれになった。

「シュレスタさん!?」
「お辞めになるんですか!?」
「ああ、まだ正式に表明してはいなかったがね」
 苦笑でシュレスタが応じたが、ここでガルストが若手二人に真顔で言い聞かせる。

「そういうわけだ。進んで騒ぎを起こして、必要以上にシュレスタ殿に迷惑をかけないように。それからジェリド殿に言われた様に、考えうる限りの自衛策を講じておく事。従軍中、何が起こるか予測が付かない。最悪、お前達二人を目障りに思ったり、八つ当たりしている輩から直接攻撃を受ける可能性が無いとは言い切れないからな」
「分かりました」
「肝に銘じておきます」
(やっぱり、相当面倒な事になってるわよね。総責任者の立場上、近衛軍内を統率しきれていないと公言できないけど、抑えが利かない阿呆がいるからって、話が本決まりになる前に警告しに来てくれたわけか)

 なんとなく釈然としない気持ちを抱えながらも、エリーシアは来たるべき従軍に備えてどのような準備をするべきかと、真剣に考え始めたのだった。

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