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23.義父の思惑

 公休日の前日、エリーシアはこれまでと同様、仕事を終えてからアルテスと馬車に同乗してファルス公爵邸に出向いた。
「戻ったぞ、フレイア」
「お帰りなさい、あなた、エリーシア」
 出迎えたフレイアに反射的に「お邪魔します」と言いそうになったものの、彼女は慌てて別な言葉を口にする。

「お……、戻りました、お母様」
「はい。元気そうで良かったわ」
 にこやかに微笑んだフレイアにほってしながらエリーシアが歩き出すと、玄関から奥へと進みながらアルテスが何やら確認を入れた。

「準備は?」
「万事、整えてあります。あとはいらっしゃるのを待つだけです」
「そうか」
 その会話を不思議に思うまもなく、斜め前を歩いていたフレイアが、少し体を捻ってエリーシアの方に顔を向けて尋ねてきた。

「そう言えばエリーシア。求婚の申し込みに関して、滞りなくお返事しているそうね。丁寧なお返事を頂いたと、付き合いのある方々が、皆感心されていたわ」
「恐縮です」
 後ろ暗い事が有り過ぎるエリーシアは言葉少なに応じたが、フレイアが苦笑気味に話を続ける。

「でも一度断られたからといって、簡単に諦める方々でもないみたいでね。再度申し込みされてきた方も多いのよ。何と言っても、まだあなたには決まった相手がいないし」
「……そうですね」
 神妙な顔で頷いた彼女に、ここでフレイアが思わせぶりな笑顔を見せた。

「そう言えば、最近ソフィアが割の良い内職の仕事を見つけたとか言って、今月の実家の借金返済に充てる送金額が、随分多かったのよね。どんな内職を見つけたのやら」
「……苦労されてますね、ソフィアさん」
(何か完璧にバレている様な気がするのは、気のせいかしら?)
 楽しげに目と目を見交わして他の話を始めた夫婦を見ながら、エリーシアは冷や汗を流した。そして階段を上がった所で、フレイアに指示される。

「さあ、それでは部屋に行って、ドレスに着替えてきてね? そろそろ夕食の時間だし」
「はい、急いで着替えてきます」
 そして一礼してアルテス達と別れたエリーシアは、自分に与えられている部屋で、待ち構えていた侍女達によって、即座に抜かりなく身支度を整えられた。
 そして時間を見計らって来たであろうリスターとロイドが「姉上、食堂に行きましょう」と迎えに来た為、三人で纏まって食堂に出向くと、そこでは予想外の人物が待ち構えていた。

「お待たせ致しました」
 そう声をかけると、アルテスが既に席に着いていた客人に向かって、エリーシア達を紹介する。
「ああ、これで皆揃ったな。カーライル子爵、ケイン殿。これが私の子供達になります。娘のエリーシアはご存知ですな? 右が長男のリスター、左が次男のロイドです。以後、お見知り置き下さい。皆、今日の夕食は、こちらのカーライル子爵のマルクス殿と、嫡子のケイン殿と一緒に頂く事にする。ご挨拶しなさい」
(嘘! なんでアンジェス嬢の婚約者と、その父親が来るわけ? まさか文句を言いに来たとか?)
 内心動揺したものの、エリーシアは取り敢えずその場を取り繕おうとした。

「は、はい! エリーシアです。先日の夜会では大変失礼を致しました。申し訳ありません!」
 そう言って勢い良く頭を下げた彼女を見て、弟達が怪訝な顔になる。

「姉上?」
「夜会って……、この前のあれですよね。何かあったんですか?」
「お父様達から聞いてないの!?」
「はい」
「全然」
 キョトンとしているリスターとロイドにエリーシアは唖然としたが、ここでマイクスが苦笑しながら声をかけてくる。

「いえいえ、エリーシア嬢、お気になさらず。あの騒ぎのせいでこちらは助かったのですから」
「それで今日、お礼方々、こちらにお伺いした次第です」
「はぁ?」
 父親の後を引き取ったケインも笑顔であり、エリーシアは余計にわけが分からなくなった。しかし困惑してある彼女に、アルテスが言い聞かせる。

「まあ、取り敢えず、挨拶を済ませたら席に着きなさい」
「分かりました」
 そして礼儀正しくリスターとロイドが自己紹介を済ませて席に着き、晩餐が開始されると、すぐにマイクスが先程の事に言及した。

「それでエリーシア嬢。先日の夜会の事なのですが、実はお父上から事前にお話があったのです。『ルーバンス公爵家のアンジェス嬢が義娘に絡んでくる可能性があるので、その時は息子共々止めに入ったりせず、傍観を決め込んでくれ』と」
 それを聞いたエリーシアは本気で驚き、アルテスに問い質した。

「本当ですか? それにどうしてそんな事を?」
 それに対し、アルテスとフレイアが、笑顔で事も無げに答える。
「なるべく騒ぎが大きくなった方が、都合が良かったからな」
「アンジェス嬢が絡んできても、即座にケイン殿が割って入って詫びを入れたら、あの場に王太子殿下まで引っ張り込めなかったでしょう?」
「それは、確かにレオン殿下が首を突っ込んできたのは予想外でしたが……」
 それが子爵家とどういう関係があるのかと彼女が再度尋ねようとした時、マイクスが会話に割り込んできた。

「実は、息子はアンジェス嬢と婚約する前、モンテス男爵の令嬢と婚約していたのですが、何人もいる娘の嫁ぎ先を見つけるのに四苦八苦していたルーバンス公爵家が横槍を入れてきて、その婚約がご破算になったんです」
「そんな事があったんですか!?」
 さすがに驚いたエリーシアが声を上げると、父親以上に苦々しい顔付きのケインが、吐き捨てる様な口調で続けた。

「ええ。うちだけでは無く、モンテス男爵家にまで圧力をかけたり嫌がらせをしまして。貴族の子息は数多いですが、当主や跡取りの息子に嫁がせないと、格好が付かないと言うわけでしょう」
「他にも何人もいる息子を婿養子に押し付けたりするので、年頃の息子や娘を持つ、表立ってルーバンス公爵家に抵抗出来ない伯爵家以下の貴族達は、縁談などを持って来られたくなくて皆、戦々恐々としているわけです」
「もう存在自体が、迷惑な家ですね……」
 心底呆れてエリーシアが溜め息を吐くと、マイクスが幾分同情する様な視線を向けてきた。

「エリーシア嬢には、色々と思うところがおありの様ですね」
「ええ、まあ……」
(私がルーバンス公爵の庶子だって、噂が広がってるんでしょうねぇ……)
 思わず微妙な笑顔を浮かべつつ、曖昧に言葉を濁したエリーシアだったが、ここでケインが憤慨しながら口を挟んできた。

「父親がそれでも、本人が殊勝な性格ならまだ我慢できるのに、あの女ときたら! 何かにつけ、自分が公爵家の娘である事を笠に着て、我が家に顔を見せる度に、使用人に限らず私の母や妹にまで暴言を吐いて!」
「さすがに腹に据えかねていた所でしてね。今回の騒ぎは誠に渡りに舟でした」
「あの……、それは一体どういう事ですか?」
 まだ要領が得なかったエリーシアに、マイクスが如何にも嬉しそうに解説を加える。

「公式な場、しかもレオン殿下の御前で醜態を晒して、危うく婚約者たる息子の名誉まで傷付けるところだったのですから、婚約破棄を申し出るには十分正当な理由になるのですよ」
「しかもエリーシア嬢の就任に文句を付けたのも、陛下の判断に異を唱える不敬な行為ですからね」
「それでルーバンス公爵が納得したんですか?」
 懐疑的な表情になったエリーシアだったが、親子は揃って晴れやかな笑顔を見せた。

「なにやらゴチャゴチャと言っていましたがな。落ち度は完全にアンジェス嬢にありますから」
「ルーバンス公爵家と我が家双方に関わりのある方々が取りなしにきましたが、彼女が夜会でエリーシア嬢に『誰がこんな紛い物女に、頭を下げますか!』と叫んだり、『子爵家の人間風情に、そんな事を言われる筋合いは無いわ!』とか公言したのを、皆耳にしていますのでね」
「『れっきとした公爵家ご令嬢なら、我が家の様な子爵家風情に嫁入りなさらずとも、引く手数多でしょう』と言うと、誰もそれ以上ごり押してきませんでした」
「正式にアンジェス嬢との婚約を破棄した上で、この度以前の様にモンテス男爵令嬢、マリッサ嬢と婚約致しました。近々挙式の予定ですので、お礼方々、是非ご出席を賜りたいとお願いに参った次第です」
「まあ、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
 反射的に祝いの言葉を述べてから、エリーシアは完全に納得した。

(なるほどね……。アンジェス嬢は思った以上の墓穴を掘ったわけか。自業自得よね。婚約者の家の人間に、ここまで嫌われるってよっぽどだわ)
 半ば呆れながらそんな事を考えつつ食べ進めていると、アルテスとマイクスの間で、和やかに会話が交わされる。

「本当に、今回は公爵にはお世話になりました」
「いや、ご子息の婚約者を持て余している旨は、漏れ聞こえておりましたからな。何かお役に立てるかと。無事ご婚約が整い、何よりです」
「モンテス男爵も、今回の事に関して、ファルス公爵とエリーシア嬢に感謝しておりましてな。宜しくお伝え下さいと言付かっております」
「それはご丁寧に。両家の領地は隣接しておりますし、今後より発展できる事でしょう。我が家の領地から海に続く経路にもなる地ですから、そこが栄える事は我が家にとっても喜ばしい事です」
(え? お父様、今何て言ったの?)
 上機嫌な当主二人の話を、半ば聞き流しながら食べていたエリーシアだったが、思わず手の動きを止めた。彼女のそんな動揺に構わず、ケインも交えた男達の友好的な会話が続く。

「今回我が領地産の染料を、ファルス公爵領で優先的に引き受けて頂けるとの事。重ねてお礼申し上げます」
「いやいやそれは両家が、我が家の南東方向への荷の配送を、格安で請け負って頂ける事への、ほんのささやかなお礼代わりです。お気遣いなく」
「こちらこそ、ラーガ地方の中心地であるファルス公爵領との交易が増えるのは、願ってもない事です。モンテス男爵家共々、今後とも宜しくお付き合い下さい」
 笑顔で交わされる会話を聞いて、エリーシアは頭痛を覚えた。

(ちょっと待って……。お父様ったら、私にいちゃもんを付けてくる人間を撃退する対策だけじゃなくて、それを元に商売の取引相手になりそうな貴族に、あわよくば恩を売ろうと目論んでいたわけ!?)
 そこでアルテスの横で平然と微笑んでいるフレイアを見たエリーシアは、それが真実だろうと確信し、深い溜め息を吐いた。

(お父様……、ミレーヌ様以上に侮れない人だわ)
 そんな人物の義娘になってしまったのが良かったのか悪かったのか、咄嗟に判断が付かなかったエリーシアだった。

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