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8.レオンの懸念

「エリー! 今晩は。ちょっとお邪魔して良いかな?」
「あ、シーガスさん。どうぞ!」
 意気揚々と現れた二十代後半の男は、手にした一冊の本を良く見える様に顔の高さまで持ち上げつつ、明るく彼女に声をかけた。

「仕事中邪魔して悪いね。当直なんて若い女の子には退屈だろうと思ったから、暇つぶしに巷で人気の本を持ってきたん、だが……。レオン殿下?」
 室内に何歩か足を踏み入れてから、漸くレオンが座っているのを認めたシーガスの笑顔が固まったが、エリーシアは若干苛立たしげな表情になっている彼を無視して話しかけた。

「あ、殿下は気にしないで下さい。ちょっと話をしに立ち寄られただけみたいなので。因みにその本って、巷で人気ってまさか恋愛ものとかじゃありませんよね? ベッタベタな玉の輿ストーリーって、寒いのを通り越して鳥肌が立つんですけど?」
「間違ってもエリーにそんな物渡さないから。本代を無駄にする事になるし」
「うっわ、酷~い!」
 この時点でシーガスはレオンの存在を殆ど忘れ、上機嫌でエリーシアと会話を続けた。

「本当の事だろ? 持ってきたのは『グリースデン冒険譚最終章』だ。作者がこれを執筆中に亡くなって以降、続編の原稿が行方不明になってたんだけど、最近発見されて出版されたんだ」
 それを聞いた途端エリーシアが目の色を変え、持参した袋から一冊の本を取り出したシーガスに組み付く。

「えぇぇぇぇっ!! 何それ、今初めて聞いたんですけど!? それって実家の本屋さん情報ですか!?」
「実はそうなんだ。先週の発売以来凄い売れ行きで、実家を継いだ兄に自分の分を確保して貰うのが精一杯でね。俺はもう読んだから、読むならエリーに貸してあげるよ? 返すのはいつでも良いから」
「ありがとうございます! お借りします! 大事に読ませて貰いますね!」
「はは……、そこまで喜んで貰えると嬉しいな。じゃあこれで。朝まで頑張って」
「はいっ! お気遣い頂き、ありがとうございました!」
 嬉々として頭を下げたエリーシアに、シーガスが照れくさそうに頷く。そして、ふと少し離れた場所からレオンがじとりとした視線を投げてきているのに気が付いて、顔を盛大に引き攣らせた。

「その……、お邪魔しました」
「ああ……」
 男二人が微妙な空気を醸し出しつつ挨拶を交わし、シーガスが冷や汗を流しつつ静かに部屋を出て行ってからも、エリーシアの興奮状態はなかなか収まらなかった。

「うっれしい~! これ、父に買って貰った、数少ない本の続編なんですよ! その本はここに移ってくるときに、一緒に持って来て部屋にもありますし。シーガスさん、前にポロッとその話した時の事を覚えていてくれたんだ~」
 感激の面持ちで彼女が語って聞かせると、レオンは微妙に論点を逸らした。

「職場内での人間関係は、問題ない様だな」
「そうですね。皆、優しいですよ? これまでずっと男所帯だったので、皆妹か娘みたいに可愛がってくれてますから」
「……だから余計に心配なんだ。半分は既婚者で四十代五十代のオヤジだが、いつ『息子の嫁に』とか言い出す輩が出ないとも限らないし、残りの独り身は二十代三十代の奴ばかりだし」
 そんな事をぼそぼそとレオンが呟いていると、エリーシアが怪訝な顔で尋ねた。

「レオン殿下? 今、何か仰いました? 殆ど聞き取れなかったんですが」
「独り言だから気にするな」
「はあ……。それで、そもそも何のお話でしたっけ?」
 また話が脱線していたのを思い出した彼女が元に戻そうとしたが、レオンは溜め息を吐いて何とか気を取り直し、次の話題に切り換えた。

「俺の敬称に関しての話だったが、取り敢えずそれは置いておいて、今度のミリアの十五歳誕生日記念の夜会についてだが、国内の全貴族に招待状を送ったから、お前の手元にも届いたよな?」
「ええ、ファルス公爵家に。おかげでドレスのデザインに関して、四苦八苦している最中です。……そうだわ、残念だけどゆっくり本を読んでる暇なんかないじゃない。空き時間はそれを優先させないと。だからシーガスさんは『返すのはいつでも良い』って言ってくれたのね」
 腑に落ちた彼女が「やっぱりシーガスさんて親切だわ~」などと呑気な事を言っていると、レオンが若干表情を険しくして問いかけてきた。

「ドレスのデザインって……。まさか、まだ工房に依頼してないのか!? 今から縫わせても、夜会には間に合わないぞ?」
「いえ、そうじゃなくて、ドレスそのものは有るんです。ちょっとその他の準備に時間を取られていまして」
「何だそれは?」
 宥めたエリーシアにレオンは眉根を寄せたが、当日まで秘密にする事を公爵夫妻と申し合わせていたエリーシアは、曖昧に笑って誤魔化した。
「深く追求しないで下さい。取り敢えず、ドレスの手配は大丈夫ですから。見てのお楽しみって所です」
 それを聞いたレオンは、緊張を解した表情になって話を続けた。

「そうか。それなら良いんだが。それで当日のパートナーはどうするんだ? ファルス公爵は夫妻で出席するだろうし、お前の相手がいないんじゃないか? 公爵の息子は来年十五だったと思うから、今年はまだ出席できないだろう」
「ああ、その事でしたら実は」
 エリーシアが落ち着き払って夜会のパートナーについて言及しようとしたその時、ノック抜きで勢い良くドアが開かれ、野太い声が室内に響いた。

「エリー! お疲れ! 夜に食べると太ると言ってるが、意外に魔術師って体が資本だからな! 俺の経験上、眠気覚ましには飲んで食うのが一番……」
 視線の先にレオンの姿を認めてしまった為、ハイテンションな声が段々しぼみ、デルジンは顔を青ざめさせた。しかしそんな変化を読み取れなかったエリーシアは、彼が手にしている厚紙製の箱を軽く開けて覗き込みながら、感心した様に感想を述べる。

「うわ、デルジンさん。随分気合が入った夜食ですね。どこから調達してきたんですか? それにこのスパイスの臭い、この時間に王宮の厨房では作りませんよね?」
 不思議そうに見上げられて、デルジンは意識をレオンからエリーシアに移し、彼女に説明しつつ箱を手渡す。

「ああ、城下の飲み屋兼食事処の料理をテイクアウトしたんだ。この箱にしっかり保温魔法をかけてきたから、朝まで温かい筈だ。もう少ししてから食べてくれ」
「ありがとうございます」
「じゃあ、お邪魔様」
「…………」
 そうして痩身の者が多い魔術師にしては珍しく、恰幅が良い身体を若干縮める様にしてレオンに挨拶したデルジンは、こそこそと王宮内の独身寮の自室に帰って行った。

「う~ん、確かにちょっと香辛料がきついかも。でも確かに眠気が覚めそうだし、他に人は居ないし良いわよね。ありがたく頂こうっと。でもわざわざ街まで行って買って来て貰って、デルジンさんに悪かったわ~」
 箱を運びながらのエリーシアが呟きを聞いて、それまで無言を貫いていたレオンが、些か面白く無さそうに口を開いた。

「……さっき言っていた通り、随分可愛がられている様だな」
 それに彼女が何気なく答える。
「みたいですね。なんかファルス公爵家の皆の他にも、たくさん家族ができたみたいで嬉しいです」
「そうか……」
 そこで何とも言えない顔で再び黙り込んだレオンだったが、先程の話題を思い出したエリーシアが事情を説明した。
「ああ、それで、夜会でのパートナーの件ですが、ディオンに頼んだら快く引き受けてくれました」
 それを聞いたレオンが、軽く目を見張った。

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