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4.新しい名前

「こちらがこの屋敷に居る時に、あなたに使って貰う部屋よ」
「ここですか……」
(後宮に貰っていた部屋より広いけど……、一般的な貴族様の部屋よりは狭いんじゃないかとは思うのよね。無駄に広く無くて助かったわ)
 案内された部屋の室内を見回しながら、エリーシアが考えを巡らせていると、フレイアが心配そうに声をかけてきた。

「エリーシア、やっぱりこの部屋では手狭だったかしら? 元は客間だった所だし、私達の部屋とも少し離れているし、もう少し」
「いえいえ、適当です、落ち着きます、是非ともここで過ごさせて下さい!」
「そう? 何か不都合があったら、遠慮なく言って頂戴ね?」
「はい、その時は遠慮なく言わせて頂きます」
 フレイアの台詞を遮り、力一杯現状維持を訴えたエリーシアに、フレイアは安心した様に頷いた。対するエリーシアも密かに冷や汗を流す。

(ここで下手に不満を言ったら、今度はどんなだだっ広くて派手派手しい部屋に替えられるか分からないわ。取り敢えずこの状態を死守しないと)
 そんな決意を新たにしていると、ノックの後に入室の許可を尋ねる女性の声が聞こえた。それにフレイアが応じると、エリーシアと同年輩の侍女が三人現れ、横一列に並ぶ。

「それでは、あなた付きの侍女を紹介するわね。向かって右からサーシャ、キリエ、ユラシアです」
 そう紹介された三人が揃って頭を下げた為、エリーシアは少し焦って問いかけた。
「あの、どうして私付きで三人も? 休みの日にしか、ここに来られませんけど?」
「今のは言い方が悪かったわね。この三人は普段は特に誰の担当にもなっていないけど、あなたが来た時だけ専任の形になるの。見慣れない人間に入れ代わり立ち代わり周りをうろうろされたら落ち着かないでしょうから、まずは彼女達に身の回りの事をさせて、名前と顔を覚えて慣れて貰おうと思ったものだから」
 苦笑しながら説明してきたフレイアに、エリーシアは彼女の気遣いを感じた。その為素直に感謝して、礼を述べる。

「そうですか、分かりました。エリーシアです。こちらに滞在中は、宜しくお願いします」
「こちらこそ、宜しくお願いします」
「エリーシア様の様な、素敵なお嬢様に来て頂いて嬉しいです」
「屋敷中の皆も賑やかになるなって、お会いできるのを楽しみにしてたんです」
「ありがとう」
(うん、やっぱり同年代の人って落ち着くし、皆性格が良さそうでほっとしたわ)
 今後この屋敷に来る度に付き合う事になる三人と、エリーシアが友好的な初対面の挨拶を済ませたところで、それを微笑ましく見守っていたフレイアが軽く手を叩いて彼女達を促した。

「さあ、それではお食事の前に、お義父様にご挨拶しないとね。皆、急いでエリーシアの支度を整えて頂戴」
「え、あの、支度って……」
 当惑したエリーシアをよそに、フレイアの言葉を受けた三人が、嬉々として行動に移る。
「畏まりました。お任せ下さい!」
「さあ、お嬢様、急ぎますよ?」
「私達の、腕の見せ所ですわね!」
「ええ、ちょっと待って! だから何!?」

 いきなり腕を取られ、三人がかりで隣室に押し込まれたエリーシアは目を丸くしたが、侍女達は手慣れたもので、瞬く間に上から下まで用意されたドレスに着替えさせられ、紐でくくってあっただけの髪も、あっさり纏め上げられてしまった。
 もはや抵抗する気力も無く、疲労感を漂わせながらフレイアの元に戻ると、率直な感嘆の言葉を浴びる。

「まあ、益々綺麗になったわね、エリーシア」
「ありがとうございます」
「それではお義父様にご挨拶に行きましょう」
 満足そうに先に立って歩き出したフレイアだったが、その背後でエリーシアは、密かに溜め息を吐いた。
(緊張するわ。あの堅物そうな公爵のお父さんなんて、どれだけ気難しいお爺さんなんだか)
 そんな事を考えている間に、二人はとある扉の前に到達した。それを軽くノックしてから、フレイアは室内に向かって、幾分声高に呼びかける。

「フレイアです、失礼致します」
「ああ、入れ」
 部屋に入りながら渋い声から想像した通り、室内の肘掛け椅子に、アルテスを更に厳めしくした感の老人が座っていた。
 頭には白い物が相当混じり、顔に何本もの深い皺が刻まれたその人物が、無表情のまま自分に鋭い視線を向けて来た為、エリーシアは内心でうんざりする。
(予想通りの頑固じじいっぽいわね……)
 そんな失礼な事を考えていると、隣のフレイアが笑顔で声をかけた。

「お義父様、先日お話ししました、私達の義娘になったエリーシアです。ご挨拶に参りました。……エリーシア。こちらは先代ファルス公爵である、ギルター・シグルド・ファルス殿です」
 手振りでそう紹介されたエリーシアは、相手に向かって失礼の無いようにと頭を下げた。
「初めまして、エリーシア・グラードです。ギルター様にはご機嫌麗しく」
「違う」
「はい?」
「お義父様?」
 挨拶の言葉をいきなり遮られたエリーシアは勿論、フレイアも怪訝な顔になったが、ギルターは軽く顔を顰めながら言い聞かせてくる。

「『エリーシア・グラード』ではないだろう? 我が家の養女となったのだから、『ファルス』を名乗らなくてはならんだろうが」
「……ご尤もです」
「それに、尊信名はどうした?」
「え?」
 指摘されて自分の落ち度を認めたエリーシアだったが、続けて問われた聞き慣れない言葉に、本気で首を捻った。するとフレイアが驚いた様に目を見開き、神妙にギルターに向かって頭を下げる。

「申し訳ありません、すっかり失念しておりました。てっきり王妃様が差配されたと思っておりまして。エリーシアが分からないと言う事は、ミレーヌ様から何もお聞きではないのよね?」
「はい。あの、ところで、尊信名ってなんですか?」
「それは……」
 フレイアが、後半は自分の方に向き直って尋ねてきた為、エリーシアは真顔で頷いて尋ね返した。しかしそれに彼女が答える間もなく、ギルターが重々しく口を開く。

「全く。アルテスの奴が何も言っていなかったから、そんな事ではないかと思って私が手配しておいた」
「まあ、そうでしたか。申し訳ございません」
「フレイア。この娘の尊信名は『ランディス』だ。だから今後は公式の場では、『エリーシア・ランディス・グラード・ファルス』と名乗る様に言い聞かせておけ」
 その厳命に、フレイアが恐縮しきった風情で頭を下げ、下手に尋ねたり口答えしない方が良いと悟ったエリーシアも、彼女に倣った。

「畏まりました。アルテスにもその様に伝えます」
「分かりました。ありがとうございます」
「ああ、それでは二人とも下がって良い」
「お邪魔致しました」
 そこでギルターから退室の許可を得た二人は、一礼してから廊下へと出て、エリーシア用の部屋に戻る為に並んで歩き始めた。

(疲れた~。でも想像していたよりは意地悪な感じじゃなかったから、良かったけど)
 そんな事をしみじみ考えながら歩いていたエリーシアだったが、ふと先程の疑問がそのままになっていた事に気が付き、隣を歩くフレイアに声をかけた。

「あの……、お母様? さっきお祖父様が言っていた『尊信名』って何ですか?」
 その問いに、彼女が歩きながら答える。
「この国は建国当初からルード教を信仰しているけど、爵位を保持している家の者は殆ど神殿に寄進して、親が付けた名前とは別に神から名前を賜る事になっているの。要はお金を払って、神官に付けて貰うのだけど」
 どうやら貴族間では常識だったらしい内容を聞いて、エリーシアは素直に驚いてみせた。

「それは知らなかったです。じゃあ羽振りの良い商人とかも、付けて貰っているんですか?」
「いいえ。初代国王が名前を貰った事に倣って貴族の慣習として広まった事だから、幾らお金があっても平民には賜れない事になっているの。だからそれが、貴族か否かの分かれ道ね。だけど頻繁に名乗るわけでは無いから、貴族間以外では意外に知られていないかもしれないわ」
「はあ、なるほど……」
 得心がいったエリーシアが頷くと、ここでフレイアが如何にも申し訳無さそうに言い出した。

「私、てっきりあなたが陛下から伯爵位を賜った時に、ミレーヌ様辺りが尊信名の手続きをされたと思い込んでいたの。王妃様の所で顔を合わせた時、あなたが『エリーシア・グラード』と名乗った時点で、不審に思うべきだったわ」
 そんな事を口にして、痛恨の表情を浮かべたフレイアを、エリーシアは慌てて宥める。
「いえ、私もそこら辺の知識が無いもので、外で名乗ったりしたら危うく恥をかくところでした。これからも色々教えて下さい」
「勿論よ。ミレーヌ様に頼まれただけじゃなくて、あなたはもう我が家の一員なんだもの。心配しないで頂戴。お義父様もあなたの事は気に入ってくれたみたいだし」
 そこで気を取り直した様に微笑んだフレイアに、エリーシアは少しだけ懐疑的な視線を向けた。

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