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第42話 思わぬ出会い

 それから四本の脚の爪を立てて、馬車の後部壁面にしがみついた彼女は、暫くは周囲に注意を払う余裕も無く過ごしていたが、徐々に出発地である王宮の周囲とは、明らかに景色が違ってくるのが分かった。

(ずいぶん来たわね……。周囲の様子がだいぶ変わってきたし、王都の端の方まで来たのかしら?)
 王宮を出てから、まず貴族の邸宅街と思われる地域を抜け、次に賑やかな商業地と職人達の街並みを抜けたと思ったら、一般の住宅街と思われる雑然とした地域を通って、いつの間にか家々の間隔がまばらに空いている地域になっていた。段々不審に思ったシェリルだったが、唐突に目の前に大きな門と高い塀を備えた屋敷が現れ、慌てて気を引き締める。
 馬車はその閉ざされた門の前でピタリと止まったが、御者の顔を確認した門番が、すぐに門を押し開けて馬車を通した。しかしその敷地内をざっと見回したシェリルは、密かに首を捻った。

(門や塀が立派な割には、庭が荒れているみたい。それに門の内側やお屋敷の前で警備している人達の服装がバラバラだし、雰囲気も柄が悪いと言うか何と言うか……)
 そこまで考えてシェリルが無意識に顔を顰めていると、屋敷の玄関前で静かに馬車が停まった。それと同時に自分の存在を気付かれない様、シェリルは素早く地面に飛び降り、馬車の下に潜り込んで死角に入る。

「やれやれ。面倒な事だ」
「それは申し訳無かった」
「……付いて来い」
 馬車から降りながら伯爵が悪態を吐いたが、男爵から全く誠意の籠もらない謝罪を受け、気分を害した様に踵を返して玄関へと向かった。そこでシェリルは困ってしまう。

(どうしよう。不審に思われるから、建物の中にまでのこのこ付いて行けないわ。でも……、あ、そうだ! あの手が有った!)
 名案が閃いたシェリルは、素早く首輪に埋め込まれたガラス玉を前脚で探った。そして左から二番目の黄色のそれを探り当てると、それに触れながら強く念じる。

(起動!)
 それで難しい呪文の詠唱など省略し、ガラス玉に丁寧に封じられていた術式が音も光も発生させる事無く作動した。するとシェリルの姿が、余人には全く見えない状態になる。

(全然使って無かったから、この術式が封じてあった事をすっかり忘れていたわ。こんな所で役に立つなんて、お義父さん、ありがとう!! ……でも、これ、きちんと起動しているのかな?)
 自分では全く効果が分からない為、伯爵や彼らを出迎えた人相の悪い男達の前に出て行くのは躊躇われたが、シェリルは勇気を振り絞って彼らの側に走り寄った。しかし誰一人シェリルに視線を向けず、気まずい空気を醸し出しながら建物の中に入って行く。

(良かった。大丈夫そうね)
 伯爵は男爵を引き連れて幾つか角を曲がって進み、ある部屋に入った。そのドアが閉まる前に、シェリルも何とか滑り込んだが、ここで壁にある扉の前で椅子に座っている男に向かって、伯爵が横柄に言い付けた。

「おい、鍵を開けろ。こいつに息子の顔を見せる」
「少々、お待ち下さい」
 相手の男は若干嫌そうな顔を見せたものの、椅子から立ち上がって腰に付けた鍵束から、該当する物を取り出して鍵穴に差し込んだ。そしてゆっくりとドアを引き開けて、伯爵達に道を譲る。

「お待たせしました、どうぞ」
「地下室だと!? 貴様、ディオンをこんな所に閉じ込めていたのか!?」
 ドアの向こうに見える薄暗い階段を見た男爵が、怒気を露わにして非難したが、それを伯爵は面白く無さそうに一蹴した。

「言っておくが、これはあの馬鹿のせいだ。これまで何度も逃亡を図って、こちらの手勢に何人も怪我人が出たから、必要な措置を取っただけだ。会わせてやるついでにあの馬鹿息子に、大人しくしている様に言い含めておけ」
「ふざけるな……」
 どう考えても本末転倒な主張に男爵は歯軋りしたが、シェリルも思わず心の中で怒りの声を上げた。

(何勝手な事を言っているのよ、この人達!! 絶対許さないから!)
 そしてランプを手にした二人の後に付いて暗い階段を下りて行くと、目の前に広がった光景を見て本気で憤慨した。

(何が『地下室』よ! これじゃあエリーに本を読んで貰った時に挿し絵で見た、地下牢そのものじゃない!!)
 そこは、壁も床も切石を積み上げ敷き詰めて作られた空間を鉄格子が二分しており、その鉄格子の向こうには簡易製のトイレらしき物と、木製の寝台が有るだけだった。勿論その寝台には柔らかなマットなどがあるわけは無く、傍らに毛布が丸めて置いてあるだけである。そこに自分と同年代と思われる黒髪の青年が腰かけていたが、そこに到着するなりハリード男爵が感極まった声を上げた。

「ディオン! 本当にお前だな、大丈夫か!? フィオーネがお前を心配するあまり、今朝倒れた。夢の中で、お前が血塗れになって死んでいる所を見たと言って!」
「父さん、どうしてここに!?」
 その青年も、男爵と同様に驚いて鉄格子に駆け寄り、手を取り合って喜ぶ。するとここで、冷ややかな声が割って入った。

「やあ、ディオン。機嫌はどうだ?」
 その嫌味ったらしい声に、父親には笑顔を向けていた青年は、不愉快そうに伯爵を睨み付けた。
(やっぱりこの人が、ハリード男爵の息子さん本人みたい。でも、これはちょっと酷くない?)
 露わになったディオンの顔は、あちこち腫れ上がって痣になっており、口の端も切れていた。更に着ている服をよく見れば、肩や腕が切れており、袖の下からは包帯らしき白い物が見えている事から、ディオンが脱走を図って抵抗したらしい事を察する事ができた。

「これで『上々だ』と言える程、堕ちたくは無いな」
「減らず口は相変わらずだな。大人しくしていろ。さあ男爵、息子の無事は確認しただろう。行くぞ」
「……分かった」
「待て、ここから出せ!! それに父さん! 王子殿下の詐称なんて、大それた企みなんかに加担しちゃだめだ!!」
 面白く無さそうに伯爵が促し、男爵が悔しそうに頷く。その二人の背中に向かって、ディオンの怒声が響いた。しかし伯爵が階段の上から高笑いした直後に、ドアを閉める音が響き、地下室に静寂が戻る。

「くそっ!!」
 そして怒りに任せて鉄格子を叩いた彼を見上げながら、シェリルは自分の首輪に前脚を伸ばした。
(さあ、何としてでもこの人とここを抜け出して、王宮まで戻らないと!!)
 そんな決意を新たにしながら、シェリルはまず人間の言葉で会話できる術式を作動させてから、自らの姿を消している術式を解除した。

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