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3.ラビッドフット

 盗賊の一行が、魔女の城館に向けて歩を進めている。
 最後尾を歩いているランバーは、朝から妙な“胸騒ぎ”がしていた。
 大仕事の前に感じるそれではない。何やら良からぬ事が待ち受けているような、漠然とした“不安”が彼を襲っている。
 正しくは、アイリーンの妊娠が発覚した時から感じている。まだ一ヶ月も過ぎていないのだが、魔女なら分かるのだろう。

(へっ……俺らしくもねぇ。何でぇ、ガキの一人や二人ぐらい)

 長年の盗賊生活で培った“盗賊の勘”ではなく、“父親になる不安”だろうと、それを一蹴した。
 最高の女に、その子――心のどこかで求めていた物が、平穏な暮らしが手に入る事が手に入れる事が怖いのだろう。それを振り払うかのように頭をブンブンと振ると、ボサボサな髪からフケがパラパラと舞い、鋼鉄の鎧にふりかかる。
 幅広い片刃のブロードを握り直し、城館に通じる獣道を抜けてゆく。

(――しかし、本当にこれだけでいいのか?)

 前をゾロゾロと歩く部下を見やりながら、ランバーは眉間に皺を寄せた。
 アイリーンの言う通り、ここのところ衛兵の警備が厳しくなっており、大軍で来ることも出来ないため仕方ないが、得体の知れぬ“化け物”を相手に挑むには、この数は少し心もとない。
 しかし、誰もが一騎当千の手練ればかりである。潜入に長けてもおり、魔女がいくら罠を張り巡らせていようと、そう易々とやられるような者たちではないだろう。
 それらの背中を追いながら、アイリーンから彼だけに渡されたマスク、ウサギの後ろ足のネックレスを身に着けた。


 ◆ ◆ ◆


 盗賊が目指す、魔女の住む城館では――

「――ついに、来ましたね」

 盗賊たちがすぐそこまでやって来ているのを、ミラリアは感じ取っていた。
 数は二十四人、どれもがこれまでとは比べ物にならない、どこかの盗賊の頭をやっていてもおかしくない程の猛者ばかりである。
 ミラリアは紅茶を啜ると、ほぅ……と息を吐いた。カップの表面は静かである。
 彼女は至って冷静だ。ただ一つ――聞かん坊な妹の事を除いては。

(まったく、フィーちゃんにも困ったものです……)

 姉を狙うと分かっていて、何もしない妹ではない。手助けは不要、と言ったにも関わらず、セラフィーナはバルコニーの端で息を潜めているのである。
 呼びかけても聞えないフリをしているため、ミラリアはただただ呆れるしかなかった。

(昨晩から、ブラちゃんと何をやっているのかと思いましたが――)

 しばらく姿を見せなかったブラードであったが、昨晩になってひょっこりと顔を出したのだ。しかし、ミラリアの入浴を覗きに行こうとしていた矢先……早々にセラフィーナに捕まり、<マジックスフィア>の設置を手伝わされていたのである。
 その甲斐あってか、玄関ホールだけでなく、庭の至る所にまで罠が仕掛けられている。今回はミラリアに任せるとなっているが、それまでに数を出来るだけ減らしておきたいのだろう。
 既に格子門近くまで接近している盗賊団の様子を窺っていると、ミラリアはふいに眉を潜めた――。

(一人は私の“魔法”に気づいて準備をしているようですが……<ラビットフット>とは中々挑発的な事をして来ますね)

 兎の後ろ足は“幸運のシンボル”とも言われているが、魔女に対しては別の意味を持つ。
 それは、かつて異教徒として狂気じみた排除活動――<魔女狩り>が行われた事から始まる。兎は“女神の使者”とも呼ばれ、異教と唱える者たちがそれを『兎は“魔女”』だとみなし、<魔女狩り>によって魔女を殺害した証としたのである。
 ほぼ言いがかりに近いそれにより、多くの“同胞(魔女)”が殺された過去を持つ。それだけでなく、全く関係のない“女”までも殺害された――。
 もう昔の事であり、今では若い魔女の間でも“幸運”の象徴と重宝されているが、ミラリアはどうにも好きにはなれなかった。

(フィーちゃんはまぁ……あんな性格なので諦めていますが)

 セラフィーナも気にしていない。それよりも『お金になるのならば』と、意欲的にアクセサリー製作・販売サイドに回っているのだ。
 しかし、売るために捕えることは無い。食べるために捕えた兎のそれを使用する――ミラリアは動物好きであるため、むやみやたらと殺害するのを嫌うのだ。
 燻製肉にした野兎も、しっかりとアクセサリーにするための材料となっている。

(向こうはそれを知ってか知らずか……。
 そちらがそのつもり挑発するのであれば、こちらも全力を持って応えましょう)

 ミラリアはそっと目を瞑り、意識を集中し始めた――。
 真っ暗な闇の中に浮かぶのは、白い輪郭だけの影……身をかがめ、土を掘り返した後を見ては、そこを指さしルートを絞る。時にはナイフを投げ、“爆発”を起こしてから前に進んで行く。一切の無駄がない動作は、思わず舌を巻いてしまうほどであった。
 このままでは、目の下に隈を作ったセラフィーナの努力が、全て水の泡となってしまうだろう。
 ミラリアは、少しでも妹のそれに応えてやろうと、相手に“無駄な動作”を与え始めた――。


 ◆ ◆ ◆


 侵入者(盗賊)にとって、これほどやりがいのある潜入はなかった。
 一歩でも間違えればドカン――そのようなスリルが、常に死と隣り合わせで生きてきた者たちの神経をより昂らせている。
 罠自体を見つけるのは楽であった。一夜漬けでやったのか、土の色が変わった場所や足跡、草木に土が被っているなど……掘り返したままの箇所が多く、色々と詰めが甘い。
 この手の潜入に長けた一人の盗賊・〔キャプラー〕を先頭に、非常にゆっくりではあるが、着実に前へと歩を進めていた。

 ――入口まで(ランバー)を連れてゆけば勝利だ

 彼らの勝利条件はこれである。そのためには、捨てゴマになる事も厭わないだろう。
 彼らの仲間の自己犠牲・忠誠心は、まさに“鋼の絆”と言っても過言ではない。
 ……が、“魔女”からすれば、それは絹糸よりも繊細なものだ。

「お、おいっ、前に出るな――」

 仲間の異変に気づいた者が声をあげ、ルートを探っていたキャプラーが振り返った。
 その瞬間、彼はぎょっと目を見開いた。顔に大やけどの跡がある仲間・〔ライアル〕が、目から大粒の涙を流しながら、ヨロヨロと前に向かって来ていたのだ。

「お、お前っ、一体っ――」
「ユーリ……ユーリ……兄ちゃんが、兄ちゃんが……助けてやるからな」
「止まれライアルッ! まだ道が――ッ!」

 裾を引っ張るも、想像できないほどの力で簡単に振り払われてしまった。
 ライアルは何かを振り払う仕草をしながら、小脇に“何か”を抱えるように、ヨロヨロと足を前進めてゆく。その様子はまるで、火事から逃げる子供のようであった。

「ユーリ……大丈夫だ、火はまだここに――」
「ライアルッ――!!」

 友の声は届いていなかった。彼がハッと足を止めたが、それは正気に戻ったからではない。
 何か降ってきたのを避けるように、彼が腕を上げた瞬間……彼の目にも、仲間の目にも赤い閃光が映った――。

 ――恐れていた事が起きた

 キャプラーは慄いた。
 それは、目の前で仲間が“爆死”した事ではない。巻き上がった土が、予定していたルートのそれを覆ってしまっただけではなく、その近くに設置されていた罠が次々と発動させてしまったのだ。

(くそっ! あと真正面の一つだが……こうなれば俺が踏んで――。
 ん? 何だ……耳が……? いや……これは……)

 もうもうと立ち込める煙が風に乗り、火の匂いが盗賊たちを包み始めている。
 音が何も聞えない。キーン……と、耳鳴りが続いているのは爆発のそれではなく、この煙のせいだと気づいた時にはもう遅かった。

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