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12.責任の在り処

 風呂から出たテロールは、ダイニングにてミラリアの到着を待っていた。
 セラフィーナに貸し与えられた黒いローブを纏い、湯上りで上気した顔には、緊張が浮かぶ。

(ここまで来たら、もう逃げるわけにはいきませんわ)

 セラフィーナは今、ミラリアを呼びに向かっている。
 そのためダイニングにはテロールが一人……逃げようと思えば、逃げられるだろう。
 しかし、魔女と王族――互いの代表による会談が行われる場から、逃げ出すことなぞもっての外である。
 ダイニングの空気は冷たく、シン……と静まりかえった室内では、黒いローブの衣擦れの落ち着きのない音だけが響く。

 ――覚悟はできている

 責を問われ、罰を受ける事も厭わない。セラフィーナの言動から『余程の事はされないだろう』とは思うものの、その身の……これまで守り続けてきた物が失われる恐怖は隠せなかった。
 自分の身を抱きしめるかのように、ぎゅっとローブを握り締める。

(わたくしの無知が招いた結果、自業自得ですわ。
 むしろ、二十は超える兵を死なせ、わたくしだけ傷一つないまま帰還……なんて示しもつかない――。
 それに……魔女の言葉に従うわけではありませんが、顔も分からぬような、好きでもない国の王子に捧げるよりマシでですわ)

 自分にそう言い聞かせ、覚悟を決める。
 どれだけ待っただろうか。ふいに扉の前に気配を感じ、はっと顔をあげた。

『では、フィーちゃんはそこで待機していてください』
『分かったわ。でも……』
『――ふふっ、分かっていますよ。“ちゃんと”しますよ』

 テロールの顔が強張った。ついに、己の行く末が決まる運命の会談が始まるのだ。
 せめてレゴンの王女の名に恥じぬ者にしよう――と心に決めたにも関わらず、コンコン……と扉がノックされると

「……は、はい、どうぞ……りになって」

 テロールはか細く、消え入りそうな声で入室を促してしまっていた。

(ああっ、わたくしの馬鹿っ! どうしてもっと声を張り上げないのですっ!)

 頭の中の己の姿は、敗者であっても毅然とした姿を見せる王女である。
 しかし、現実では想像以上の緊張が身体を硬直させてしまっていた。
 いくら胸を張り、堂々としろと頭で命じても、それが末端の神経まで届かなかった。

「――では、失礼いたします」

 ギィ……と扉を開き、そっとお辞儀を行った美しい女性に、テロールはついに言葉を失ってしまった。
 白いローブの上に、赤い衣を羽織った姿――物腰の柔らかく、流れるような自然な仕草で頭を下げた“女性”の姿に、テロールは思わず見とれていた。

「お初にお目にかかります。私は、この城館に居座らせて頂いております“灰の魔女”姉妹の姉であり、代表となる〔ミラリア・クラフト〕と申します。
 突然の会談にも関わらず、それに応じて頂き感謝しております」

 細く、金糸のような髪がさらりと揺れる。温厚で優しそうな顔立ちであり、女の自分でも惹かれてしまいそうな女性である。
 じっと見つめていると、どこか困ったような表情を浮かべている事に気づくや――

「え、あっ、ああっ! わ、私はここを治めるレゴン城の主〔ランダル〕の娘、〔テロール・ユリス・レゴン〕と申しますわ……じゃない、申します」

 それ以上の言葉が出なかった。大慌て頭を下げたせいで、彼女の長い縦巻の髪が忙しく揺れる。
 情けなさで一杯だった。このような事になるなら、もっと礼儀作法を真剣に習っておくべきだったと後悔している。
 パーティーなどでも何度か、他所の王族とも挨拶を交わす事はあったが、どれも付け焼刃のその場しのぎでやり過ごしていたのだ。そのツケが今頃になってやってきた――。

「ふふっ、まぁ堅苦しい挨拶はこれまでにしておきましょうか」
「は、はいっ、そ、そうでございますわね……ございですわね? ん?」
「うふふ、もっと砕けても大丈夫ですよ。公式な会談ではありませんからね」

 ミラリアのゆったりとした喋りに、ピリピリとした緊張感が急に和んだ気がした。
 落ち着いた大人の女性の姿に、テロールの付け焼き刃の王女像は、ガラガラと音を立ててくずれてゆく。
 場慣れしていない事はすぐに見抜かれていた。ボロが出るのは時間の問題であったテロールは、ミラリアの思わぬ助け舟に、小さく息を吐いた。

「そ、そうですわね。えーと、それで……」
「まずは、“今回の一件”の決着をつけましょうか。
 この戦争を解決せねば、事は進められませんから」
「ええ、そうですわね……え?」

 テロールは、すっと差し出された彼女の右手に驚きを隠せないでいた。
 謝罪を要求される物とばかり思っていたせいで、ミラリアのすらりと細い手が何を意味するのか理解出来ないようだ。
 しばらく呆然と見つめ、ようやく気づいたのだろう、慌ててテロールも右手を差し出し、互いの手を握り合った。

「あ、あの……」
「――これでいいのですよ。元々は、我々どもの不徳の致すところが原因でもありますから。
 テロちゃんは、自分の国を守ろうとしたゆえの行動ですし、謝罪する必要は全くありません。むしろ責任はこちらの方にあります」
「い、いえ、そんな……わたくしの方こそ、良く知らないまま貴女方を……。
 特に、貴女には酷い事をしてしまいました……まことに――」

 ミラリアは、目でテロールの言葉を制し、小さく左右に首を振った。
 この握り合った手が語っている――と、言うかのように、そっと左手も添えられる。

「わたくしは、自分が恥ずかしいですわ……」
「ふふ。そんなに気負わなくても、有り体でいればいいのですよ。
 生まれや、地位の事ばかり気にかけていると、肩が凝って仕方ありませんから。
 ……さて、“事後処理”を行い始めましょうか」

 その言葉に、テロールの顔がひきしまった。

 ――ついに来た

 和平を結んだと言えど、その戦争責任は負わねばならない。
 どんな事を要求されても呑む覚悟でいたが、目の前にそれがやってくると、それが揺らいでしまう。
 ぐっと唇を噛みしめている彼女の目の前に、ミラリアは静かに一枚の紙を差し出してきた。
 テロールはそれに目を落とすやいなや、驚きの表情のまま顔をあげ、目線でミラリアに問いかけた。

「そこに、書かれている通りです」
「そ、そんな……まさか……」
「ふふっ。和平を結んだと言えど、“償い”はして貰わねばなりませんから――」

 ミラリアはそう言うと、一歩前に歩を向けた。
 その顔はこれまでと違う深刻な表情に、テロールは思わず後ずさりをしてしまう。

「私は大切な物を失いました。
 目には目を、歯には歯を、大切な物には大切な物を――貴女の大切な物、頂きます」

 懐から取り出された丸い棒を見て、テロールは大きく動揺を見せた。

「ちょ、ちょっと待って……な、何を……お願い、ちゃんと説明をして欲しいですわっ!?」
「うふふ……良い声ですよ。もっと声を出させてあげますよ」

 ミラリアは、その丸みを帯びた先端を舌先でチロりと舐め、目の前の“捕虜”に歩み寄ってゆく――。

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