バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

11.捕虜

 手かせをはめられたテロールは、下着姿のまま冷たい石畳の廊下を歩いていた。
 同じ腹を出したセラフィーナとは対照的に、歩くたびに彼女の苦労を知らぬ腹が小さく揺れる。
 真っ赤な顔を俯かせ、生き恥に唇を噛みしめているが、もう抵抗する気力が湧きあがらないようだ。

「わたくしが……このような辱めを受けるなんて……」

 しかし、初めから抵抗しなかったわけではない。床にベッタリと張りついた“トリモチ”から解放される時、彼女は最後の抵抗を見せた。

「だって、ベッタベタくっついちゃってて、剥せなかったんだから仕方ないでしょ?
 それに、いくら抵抗する気がないと言っても、アンタは捕虜なんだだから。
 そりゃ申し訳ないと思うけど、ここはもう女だけの館なんだし、そこまで恥ずかしがる事ないじゃない。
 下着のままでお風呂に行く、ぐらいに思えばいいのよ。それぐらい経験あるでしょ?」
「そ、そんなはしたない事、したことありませんわっ!」
「そうなの? お嬢様って大変ね」
「わたくしは、庶民の女の暮らしなぞ知りませんの」

 ふんっ……と鼻を鳴らすテロールの顔には、どこか寂しさが混じっていた。
 セラフィーナの言葉の通り、“トリモチ”は服や靴を脱がさねば解放出来ない――着ていたドレスを剥ぎとられた王女は、これ以上とない羞恥に耐えている。
 バルコニーに差し掛かり、いよいよ考えたくなかった不安が現実味を帯び始めた。

(このまま、真っ暗で冷たい牢屋に入れられて――。
 せめて灯りぐらいは頂けるでしょうが……ああ、真っ暗闇は嫌ですわ……)

 不安と恐怖を目に浮かべていると、前を歩くセラフィーナが足を止めたのに気づいた。
 じっと扉を見つめるその横顔は、どこか浮かぬ顔をしている。

「あのさ……」
「ど、どうなされたの」
「その格好のままになるんだけど……逃げるつもりはない?」
「なっ!? や、やはりわたくしを――」
「私は、捕虜はちゃんと扱うわよ。“私は”、ね……。
 アンタがここにやって来た時、ヤバい事しでかしているのを思い出したのよ……」
「わ、わたくしは何もしておりませんわっ!?」
「アンタ、この剣で“魔法”を吸ったでしょ?」

 その言葉に、テロールはハッとした顔を浮かべた。
 おぼろげな記憶ではあるが、女神官の言葉の通りに剣を掲げ『“魔法”を吸収する』と確かに念じたのを思い出した。
 それが何で……と思っていると、セラフィーナは続けて口を開いた。

「ここにね、ジャンキーがいるのよ……。
 普段は天使のようニコニコしてるけど、その人の至福の時間(ティータイム)を邪魔すると……猛る魔獣が、即座に腹を見せるぐらいの邪神が光臨するわ」
「も、もしかして、貴女のお姉様が――」
「アンタが来た時、ちょうどそれの最中だったの。
 いえ、邪魔をしただけでないわ。急に魔力を吸われたせいで身体のバランスを崩して、お気に入りのポットとカップまで割ったのよ……。
 経験者から言わせてもらうと……防衛本能で記憶を遮断するぐらいの“それ”を味わうわ」
「ま、まさかそのような――」

 テロールは『まさかそんな事で』と言おうとしたが、セラフィーナの怯えるような顔に、固唾と共に飲み込んでしまった。
 記憶には無いが、潜在的に刷り込まれているのだろう。どこから小さく震えているようにも見受けられる。

「私は『操られてるから剣だけを奪って』って言われたから、それに従ってるだけ。
 ただ、どうして生かせと言ったか分からないけど、考えたらあの人の“お仕置き”があるのよね……。
 姉さんをあんな目に逢わせたのは許せないけど、私たち“灰の魔女団”の居住を認める事と、盗賊団の殲滅を誓うのなら解放してあげる」

 そう言うと、テロールの顔に希望が戻ってくるのが分かった。

「――けど、盗賊団に見つからず逃げ延びる、ことが前提よ。
 まぁ、ここに居ても盗賊に捕まって凌辱されていた方が幸せだった、って思える末路を迎えるけど」
「ど、どちらも嫌ですわっ!?
 わ、わわ、私は本当言えば、ここに入るまでの記憶がありませんのっ!
 だ、だから何とか、酌量の余地を与えてくださいましっ!」
「……まぁ、盗賊の代わりに、ここに来た者と引き換えで済めば御の字ね。
 それらが生きているかわからないけど」
「ま、まさか他の兵士は……リュクはっ!」
「さぁ? 私はあまり“探知”できないから分からないけど、あの人が()()()()()なら生かしておくはずよ」
「そ、そんな……そんな……」

 テロールはへなへなとその場にへたり込み、バルコニーの柵に頭を預けてしまっていた。
 通路に仕掛けられた罠だけではない。彼女の歩んでいる“道”の前後にも、“罠”が仕掛けられていたのである。

 ――やはり、魔女の言葉に耳を傾けるのではなかった

 それに気づいた時はもう遅い。舌を噛むほどの勇気も、セラフィーナと刺し違えるような覚悟も湧きあがらなかった。
 その身だけでも、命だけでも残ればよい……今の彼女はただ『生きたい』と願っている。

「そんな深く考えなくても、犬に噛まれたと思えば……って、そう言えばブラードはどこに行ったのかしら? あの姉さんラブな犬が、こんな時にいないなんて――。
 ま、それはいいわ、私はこれからお風呂に入るけど、アンタも来る?」
「もう……助かるのなら、どこへでも行きますわ……」

 テロールの力ない返事に、セラフィーナは小さく息を吐いて浴場のある地下階段へと足を向けた。
 そこは姉の区画に足を踏み入れることになるのだが、そこから僅かに感じる“死の空気”から、踏み込んだ兵士が全滅した事を感じとっている。

(兵士は全滅、か――あんな状態で全員屠るなんて、やっぱり姉さんには適わないわね)

 一体どんな罰を与えるつもりなのか疑問に思ったものの、セラフィーナはミラリアになって考えるつもりはなかった。
 もしそんな事をすれば、<封印されし扉(トラウマ)>を開いてしまう事になるからだ――。

 ・
 ・
 ・

 地下の浴場に足を踏み入れてからと言うもの、テロールは驚きの連続であった。
 まずは、古臭い城館の地下室に大きな浴場が存在していた事だ。城にあるよう彼女専用のそれではなく、大きな()()()のような所に、温かいお湯が一杯に張られている。
 湯煙が立ち込める、セラフィーナの<マジックスフィア>によって橙色に照らされたそこは、何とも温かみのある幻想的な場所にも感じられた。

「……アンタ、いつまでそうやってるつもりなの?」
「お、お母様とならまだしも、赤の他人と真っ裸でこんな……」
「男がいるわけじゃないんだし、別に隠す必要なんてないじゃない」

 下着を脱いだまでは良いものの、脱衣場から先に進めないでいる。
 堂々と衣類を脱ぎ捨て、褐色の肌を全て露わにしたセラフィーナにも驚かされたが、公然と裸でいられる彼女が信じられないようだ。

「ま、別に男が居ても問題ないけどね。
 減るモンじゃないし、それ見ておっ立たせるのなら女冥利に尽きるってものよ。
 言い寄ってくれば、軽く追い払ってやればいいんだしさ」
「貴女はどこかおかしいですわっ!?」

 セラフィーナと話していると、自分の“常識”を疑ってしまいそうになる。
 しかし、彼女のさばさばした言動に不快感はなく、どこか耳を傾けてしまう物がある。テロールは『魔女の言葉に耳を貸すべきではない』と思いつつも、『彼女の言う事も一理ある』と納得してしまう自分がいるのだ。
 郷に入っては郷に従え――そう言い聞かせ、足を震わせながら第一歩を踏み出した。

「あら? おデブちゃんかと思ったけど、意外とそうでもないのね」
「う、ううっ……言わないでくださいまし……は、恥ずかしいですわ……」

 テロールは急ぎ足で真っ黒な湯船の中に身体を沈めた。
 下半身に向かって肉付きが良い――いわゆる洋ナシ型が彼女のコンプレックスなのである。
 裸を見られる事もだが、セラフィーナの理想的な体型とは真逆の、ふくよかな己の体型が恥ずかしくなっていたのだ。
 身体を丸めるようにしているせいで腹が浮き、惨めにも感じてしまっている。

「別に恥だと思う事はないじゃない。
 下半身デブとは違って、バランスは取れてるんだし、そっちの方が男ウケするわよ」
「う、ウケられても困りますわっ!」
「でもまー、王女様は王子様だけの物――私じゃ耐えられないわね。
 敗国の王女……なら考えてもいいけど」

 土足で踏み込んで来るセラフィーナであったが、嫌な気持ちはどこにも感じられなかった。むしろ、己の気持ちを理解してくれているのが嬉しくも感じている。
 王女と魔女――今は、捕虜と看守のような関係にも関わらず、目の前にいるのは“ともだち”のように思えてしまっていた。

「貴女のような人は初めてですわ……。
 周りは、仮面を被った役者のように、取り繕った顔と言葉を述べる人ばかり。
 わたくしに、この様な言葉を言う人は誰一人とていませんでしたわ……」
「そりゃ、アンタが“王女サマ”として偉ぶってるからよ。
 ま、生まれ育った環境、立場の違いってのもあるし一概には言えないけどさ。
 私も“灰の魔女団”じゃなくて、“黒の魔女団”で産まれていれば、モラルもない売女に――“白の魔女団”で産まれていれば、淑女に見せかけたビッチになってるだろうし」
「その……“黒の魔女団”や“白の魔女団”とは何ですの?」
「へ? アンタ、王女なのに“黒白の対立”を知らないの……?」
「わ、悪かったですわね!」

 テロールは本当に何も知らない、と言った様子でセラフィーナの話に聞き入っていた。
 大昔に何かの口論から発展した“黒と白のいがみ合い”は、次第に激化の一途を辿り、今では国を利用した戦争まで仕掛けようとしている――その事実に、彼女は衝撃を隠せない。

「わたくしは、本当に何も知らないんですのね……。
 情けない事に、我が祖先は<メイジマッシャ―>だった事も先日知ったばかり……。
 ここにいる姉妹は“灰の魔女団”であり、勝手に空き家に住む“ネズミ”のような物な存在とは……」
「ネズミ――言い得て妙だけど、まさにその通りね。()()()色だし。
 ってか、その『祖先は<メイジマッシャ―>だった』って何なの? 初耳なんだけど」
「え? 魔女狩りを行う者の称号……ではありませんの?」
「<メイジマッシャ―>って、アンタが持ってた剣――<マジックイーター>の兄弟刀の名称よ?
 確かに、魔女狩りを専門に行う者はいたけど、大抵グループ名で称号なんて無いわ。それもレゴンには居るはずがないんだし」
「で、ですが、確かに歴史書には――」
「それ……改ざんされてない? どこで手に入れたのよ」

 テロールは熱くなり始めた身体を冷ますように、ざば……と縁に腰をあげた。
 慣れたのか、もうそこには恥ずかしさはない。ぼうっとし始めた頭で思い返してみれば……確かに、父親もそのような事実を知らず、読んだ本もどこか新しかったのを思い出す。

「ど、どうして気づかなかったのでしょう……。
 ああ、もしかしたら、このレゴン国はとんでもない事に巻き込まれて……」

 顔を左右に振ると、彼女の縦巻きの髪もふるふると揺れた。

「後悔先立たず、てね。『今から勘違いでしたー、許してちょ』なんて通じないわ」
「う……。で、ですが……何があっても、わたくしは生きて帰らねばなりませんわ」

 もし彼女が考えている事が事実であれば、即座に“正さねば”ならない事がある。
 そのためには、生きて情報を持ち帰り、彼女自身が手を下さなければならない。

「姉さんのご機嫌次第ね。ま、一度経験すりゃ吹っ切れて、遊び回れるわよ」
「あ、悪魔の囁きはお止めになってっ! それに、そんな事すれば……」
「その時は、“ニワトリの血”を使えばいいのよ」
「え? にわとり?」
「そ、初夜の営みの時に、シーツにこっそり“ニワトリの血”を垂らすの。
 親族確認の際、乙女だったと証明するためにね。不浄の物と考え、偉い人に破ってもらうって話も聞くけど、ここでは無いし」
「な、なるほど……は、い、いけませんっ、いけませんわっ!?」

 テロールは頭を大きく振り、湧き上がったそれを掃った。
 魔女とはこのようにして、人を堕落へと導くのか……と、言葉巧みなセラフィーナに眉を潜めている。

しおり