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ポホヨラのオカン

「おいでまっほ~……ってまたあなた?」
 行列ができるという割にはガラガラのこのお店で、髭や髪はおろか、胸毛や脛毛まで何度となく剃ってきたクレルヴォでございます。
「セヲ~ハヤ~ミ……」
「また始まったわよこの人、今日で何回目かしら」
 そこへドアベルをからんからんと鳴らして飛び込んでまいりましたのは年の頃は50代、エプロン姿にサンダル履き、買い物前の肥えたお母ちゃんといった風采の中高年女性で……。
「ちょっとパーマお願いできない?」
「今、ちょっと手が離せないのよ」
「ちょっとぐらい放っておいてもいいじゃないの、そんなブサイクな筋肉ダルマのツルッパゲ」
 ひとこと多いこのオバサンにクレルヴォもむっといたしましたが、そこはぐっとこらえます。
「俺はいいから」
「どうも~」
 そう言ってパーマの準備にかかるオカマでしたが、このオカン、せっかちなのか「遅い」とぶうぶう文句を言っております。
「お代はいつもの通り末でござ~いますか?」
「ああ、月末にね」
「そうなのよお、こんなときは食事も使用人任せはどうも気が咎めてさあ」
 お金持ちのようでございます。
 娘さんは何やら患っているようで。
「ご様子はいかがかしら?」
「この20日ばかり、もうずっとベッドに横になったまんまよ」
「恋わずらいですって?」
「そうなのよ、あの子ったらもう、海辺にちょっと散歩に出たら、海辺のテラスで偶然ハンカチ拾ってくれただけのいい男に一目惚れ。19歳にもなって本当にしょうがないねえ」
「どこの誰かも分かんないんじゃしょうがないわねえ」
「その場でお茶でも飲んで、アドレス交換でもすればよかったのに」
「言ってることとやってることが違うんじゃありませんこと」
「アタシ普段から厳しいかねえ」
「ネリッキちゃん、小さいころからよく知ってますけど、そりゃあいいお嬢さんにお育ちですよ」
 病みついた娘さんの話になったようでございます。
「一人娘だからねえ、そりゃあもう」
「蝶よ花よと可愛がられ、お母さまときたら片時も目をお離しにならない」
 髪をピンでカチャカチャ止めながら、このオカマ、なかなかはっきりものを申します。
「それなのにこんな病気になって……外へなんぞ出すんじゃなかった」
「もっと外へお出しになればよかったんですよ、誰がキュリッキちゃんに悪さなんぞするもんですか」
 オカンは急に機嫌を損ねます。
「そんな男がいたからこんなことに」
「たかがハンカチ拾ってくれただけでしょう?」
「それが手なんだよ! アタシだって若いころに……」
「何か間違いでも?」 
 かなりプライバシーに踏み込んだお話でございますが、そこはオカマ、さらりとかわしました。
 オカンはため息一つで、高ぶった気持ちを収めます。
「アタシに知られるのがよっぽど怖かったのか、メッセージカード1枚渡したっきり」
「何て書いたの?」
「それがねえ、アタシにもトンと意味が……たしか、セヲハヤミ」

「おおおおおおおっとりゃあああああああ!」
 そこでクレルヴォ、雄叫びと共にシートから跳ね上がりました。
「それだちょっと待てババア!」
「何だね、このツルハゲ全身毛ナシ扁平二等辺三角形男は!」
 パーマ途中で髪からぶすぶす湯気立てながらシートから下りたオカンの前に、オカマ理容師、必死の形相でたちはだかります。
「奥様、お気を鎮めてください、ほら、アナタも謝って! この方をどなただと思ってるの!」
「知るかそんなもん、おいババア、その歌もらったのは、うちの若旦那じゃあ!」
 ほお、とオカンは口元を歪めて笑います。
「ちょうどいい、一人娘に婿が見つかったってわけだね」
「なんじゃとおおお!」
 なおもつかみかかろうとする巨漢クレルヴォを、やめてくださいと力の限り背中で押しとどめるオカマ。
 そこはオカマだけに力に限りがございます。
「若旦那死のうが生きようがお世継ぎが生まれんようになっては元も子もないんじゃあああ!」
「それはこっちのセリフだよお、跡継ぎがおらんではポホヨラがいつ他所の食い物にされるかわからんじゃないかあああ!」
 ああっとばかりにオカマは二人がかりの力で店の隅へ弾き飛ばされてしまいました。
 一触即発。

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