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 一秒間。

 青年が知覚する世界が止まった。

「信じたくない」と、何度だって思った。しかし、青年の五感には絶え間なく現実が突きつけられる。

 町があったはずだった。

 青年が馬を止めた場所は、通りの真ん中のはずだった。

 そこらから聞こえるはずの声は、ない。

 道の両脇に並ぶ家屋からは、橙色の炎が立ちのぼっている。

 ──人間の生活の全てが焼ける匂いがする。

 小さな輝きが風に吹かれて流れているのは、火の粉か、あるいは灰が燃えながら飛ばされているのだろうか。

 ここに至るまで何人分の死体を見つけたか、数えられるものではない。

 熱され、溶けて、焼け焦げた人体が、個人の判別などつくはずもない炭の塊が、青年の背後にはいくつも転がっている。

 目を背けて逃げ出したくなるような惨状を、それでも視界に収めながら青年はここまできた。

 馬を止めたのには、理由がある。

 青年の前方。家屋を焼く炎が届かない道の中央に、白い衣服をまとった人間が数人、地面に視線を向けて立ち尽くしていた。

 周囲の凄惨な状況に似つかわしくない白の衣服は、清潔さや純真さよりも異常さが際立って気味が悪い。

 見かけない異質な衣服からして、彼らが町に災禍をもたらしたであろうことは間違いない。

 彼らの視線の先を。

 ──見てはいけない。

 青年の理性は、すでに惨劇に疲弊している。「それ」は、確実に致命傷になる。知覚してしまえば元には戻れないだろう。

 それでも、青年の目は降下を始める。

 白服に施された金の刺繍が目に焼きつくほど、ゆっくりとした視線の移動。

 服の上に被さる金髪が、炎に照らされている様さえ視認できる。

 果たして──足元に倒れていたのは、見慣れた顔の女だった。

 強張り、凍りついた表情。白濁した瞳。震えることすらしない四肢。

「それ」は、死体だった。

 喘鳴。

 青年の喉から漏れ出た息は、声にすらならない。

 何度も呼んだ名を、紡ぐこともできない。

 たった一秒。

 愛した女の死体を視認したことが、青年の人間性を決定的に突き崩した。

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